第85話 千回目のキス
いつものようにソファへ座る彼女を後ろから抱きしめて、一緒に私のラジオ番組を聞いている。
話題はドラマの話になっていて、小話や裏話等をラジオの私は語っている。
彼女の髪の毛を弄る私。
その指に絡みつくように頬ずりをする彼女。
「今度はどのような役をなさるですか?」
「世界観がちょっと分かんないんだけど……貴族の話で、令嬢役なの」
「貴族……令嬢……英国のお話でしょうか? ふふっ、きっと素敵なお姿になられるんですね」
「安っぽい感じになると思うけどね」
どんな感じになるのか大方予想出来るので、苦笑いしてしまう。
もしかしたら、これが女優最後の仕事になるのか……なんて考えるとちょっと嫌だけど、運命的なものを感じる。
だって……
「それでね、今度は令嬢同士の恋物語なの」
一瞬彼女の身体は固まって、少し俯いて何かを考えている。
ただでさえ嫌な恋愛物なのに……
当然キスはNGだけど、そういう問題じゃないし、もし逆の立場だったら絶対に嫌。
でも、ごめんって言葉も間違ってるし、なんて言えばいいか分からない。
只々強く抱きしめて、私の気持ちを伝えることしか出来ない。
そんな私の手を解いて、カーテンを身体に巻き付けた彼女。
「子爵の娘シズクです。あなたは?」
ドレスのようにヒラヒラとカーテンをなびかせる。
その照れた笑顔に、心を奪われる。
「あ……え、えっと……ハルです。よろしく……」
普段は私からなりきった世界へ連れて行くのに、今日は違って……
彼女が作り出す世界に、魅せられる。
家柄も育ちの良さも、貴族の令嬢だったとしても相応しい才色兼備の彼女。
そんな彼女に、一目惚れ。
ドレスに見立てたカーテンのスカート部分を両手で軽く上げ、膝を曲げて挨拶をする彼女。
その美しいカーテシーに見惚れてしまい、可愛らしく笑われてしまう。
彼女はピアノへ向かい、私に一礼してから椅子に座った。
一つ音がなると、彼女の世界……その深みへと、嵌っていく。
英国のワルツ王、アーチボルド・ジョイス作曲 “千回のキス”
もし私達が貴族の娘だったなら……
どんな出会いをしていたのだろうか。
立派な宮殿で、素敵なドレスを着て、こうして優雅なワルツが鳴り響く中──
「……一緒に踊りませんか?」
こうして、あなたに誘われる。
彼女の弾いていたワルツが、心の中で続いていく。
照れながらも優雅に舞っている彼女に、湧いてはいけない感情が溢れ出る。
「女同士で踊るなんて……後で怒られるよね」
「ふふっ、嫌でしたか?」
「……ううん、ずっとこうしていたい」
どこか懐かしい感覚がするのは何故だろう。
もしかしたら、こんな世界があったのかも……なんて、らしくもない幻想的な事を考えてしまう。
「生まれ変わっても……こうして踊っていたいな。どんな世界でも、どんな性別でも……隣にいるのは私でありたい」
「ふふっ、大丈夫ですよ。次の世も、私があなたを見つけますから」
「……じゃあ、私は思い切り抱きしめるよ。絶対に離さないから」
蕩ける程甘くて深いキスをすると、鳴り響いていた筈のワルツは消え、鳥の囀りが庭から聞こえ始めた。
それはまるで世界が急に切り替わった様で……
彼女は目を瞑っていて、ゆっくりと目を開けると私を見つめて微笑んだ。
「ふふっ。見ーつけた」
待ち焦がれた声と笑顔。
考えるよりも先に、身体が動く。
思い切り抱きしめると、応えるように私の胸へ顔を擦り寄せた。
「令嬢役をやられても……もう、私しか見えない魔法をかけました。自分勝手な恋人でごめんなさい」
バツが悪そうに、でも仕方がないといった表情で私を見つめる彼女。
愛しくて、尊い存在。
頬擦りをして、おでこ同士をつけた。
「そんな魔法……とうの昔にかけられてるんだから」
引き寄せられるように唇が触れ、千回目のキスをした。
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