第84話 好き
普段なら夜が明ける前に目が覚めるのに、今日はいつもと少し違った。
頭の中がふわふわとしてる。
瞼は重く、カーテンの隙間からは陽の光が顔を覗かせている。
うまく考えることが出来ず、隣にいる日向さんを無意識に探す。
まだ仄かに暖かい布団。
でも日向さんの姿はなくて、無性に寂しくなる。
なんだか身体が軽いと思ったら、服を着ていないことに気がついた。
胸元や首の近くには沢山の痕がついていて、昨夜の出来事を思い出す。
昨日は確か……日向さんが買ってくださったお酒を仲良く飲んで……
美味しかったこともそうだけど、私の料理を心から褒めてくださったことが嬉しくて、少し飲みすぎてしまったんだっけ。
その後はよく覚えていないけど……
沢山の愛情と、恍惚の表情をした日向さんの顔が心に焼き付いて離れない。
日向さんの匂いがする布団を抱きしめて、足りないものを埋めていく。
部屋に掛けてある日向さんの大きめのシャツ。
日向さんでも合っていなかったサイズなので、私が着ると股上全てが隠れる。
日向さんの匂いが強く感じられて、幸せ。
顔を洗ってもふわふわしたまま。
姿見で確認する、シャツ一枚の私。
今の私を見たら、日向さんはどう思ってくださるだろうか。
強く抱きしめてほしいな。
胸元についた痕を指でなぞっていると、遠くからバイクの音が近づいてきた。
家の前で止み、玄関ドアが開く。
ふわふわが、ドキドキに変わっていく。
「あっ、雫。起こしちゃった? パン買ってき……」
そう言いかけてパンの入った袋が床に落ちると、強く強く私は抱きしめられた。
「可愛すぎ。すっごく好みだよ」
耳まで赤くなる。
恥ずかしさと嬉しさで、動けない。
「可愛い顔してどうしたの?」
抱きつくことが精一杯で、そんな私の背中を優しく撫でてくださった。
「ふふっ、おいで」
朝も昼も夜も、沢山の愛を注いでくださる日向さん。
そんな愛情を、降り始めた雨がこの部屋へと閉じ込めてゆく。
「雨の中のデートも好きだけど、雨だから部屋に籠もるのも好き。私と雫、二人だけの世界になったみたいだから」
もう少しだけ……降り止まぬことを願いながら、優しく日向さんに包まれる。
幸せが溢れて、好きな気持ちで溺れてしまいそう。
だからだろうか……
うまく声が出せなくて、頬ずりをして応える。
「いいよ、喋らなくても。雫の気持ちはちゃんと伝わってるから」
身も心も委ねて、日向さんを感じる。
おはようも、お帰りなさいも、それから、好きという言葉も伝えたいのに、声にならない。
「今日からGWだね。私も仕事休みだから……いっぱい、いーっぱい一緒にいようね」
その言葉が嬉しくて、その笑顔が愛しくて、離さないという気持ちをこめて強く抱きしめた。
「ふふっ……そういえば、朝の挨拶も帰宅の挨拶もまだだったね。おはよ、雫。それから……ただいま」
振り絞って出す一言。
それは、私が今日発する最初で最後の言葉。
「…………好き」
おはようのキスをして、お帰りなさいのハグをする。
降り止まない雨は、次の日まで続いた。
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