第82話 比翼の鳥と、連理の枝


 とある日の朝食中、気になることを彼女に聞いてみた。


「ふふっ、どうやったらそんなに静かに食べられるの?」


「……小さな頃から、父に言われてきたんです。音を立てて食事をするなと。こうして食べることが当たり前になってしまいましたが……なんだかおかしいですよね」


 時々、不安になることがある。

 素敵すぎる彼女だから……私なんかと釣り合うのか、なんて。


 姿勢、仕草、教養。


 小学生の終わりから芸能界に入った私は、芸を磨くことしか頭になかった。

 そんな私に教養なんて……


 彼女は自慢の恋人だけど、私は彼女の自慢の恋人になれているだろうか……



 ……ううん、こんなんじゃダメだよね。

 彼女の隣でも見劣りしないくらい、自分を磨かなきゃ。


 とりあえず、彼女を真似て姿勢良く朝食を頂こう。

 

 なるべく音を立てずに……

 

 ぎこちない姿がおかしかったのか、可愛らしく微笑む彼女。

 そんな愛くるしい顔に我慢出来ず、マナー違反のキスをした。



 ◇  ◇  ◇  ◇



 今日は行く当てもないドライブデート。

 身支度を整えて玄関ドアを開けると、季節が逆戻りしたような肌寒さを感じた。

 自然と彼女を抱き寄せて温める。

 肩に頭を寄せる仕草が堪らなく愛しい。


「冷えますね……こんな日は温かいお蕎麦を食べたくなっちゃいますね」


「ふふっ、じゃあ……食べに行こっか」


 驚きつつも高揚したその顔にキスをして、助手席へ案内した。



 高速道路を使い、車でニ時間。

 林道の脇にひっそりと立つ小さな看板が目印。

 注意しなければ見過ごしてしまうその細い道に入ると、車の揺れが一層強くなる。


「す、すごい道ですね……こんな所にお蕎麦屋さんがあるんですか?」

 

「って栞が言ってたけど……あ、見えてきたよ」


山を一部くり抜いたような開けた場所に、趣のある建物が一つ。

 暖簾があるので間違いなさそうだ。


「ふぅ……流石に山の中は寒いね」


「こ、こうしていれば暖かいですよ?」


 ピッタリと寄り添って、手を絡め合う。

 真っ赤な頬に頬を重ねると、より一層温もりを感じた。


「ふふっ。ホントだ、暖かいね」


「……日向さん専用の懐炉ですから」


 おでこ同士をつけて笑いあい、なんの隙間もない程に寄り添い合って歩く。

 歩幅も速度も、全てが重なる。


 幸せな時間、ふと前を見ると店主らしき老人が暖簾の下で私達を見つめていた。


 軽く会釈をすると、にっこりと微笑んで店の中へ入っていった。



 ◇  ◇  ◇  ◇



 店内は山小屋風の趣で、客は私達だけらしい。

 厨房には先程の老人と老婦人。恐らくは夫婦なのだろう。


 四人がけの席があると、向かい合うのではなく隣同士に座るのがいつもの私達。

 肌寒い店内、暖を取るように寄り添う。


「寒くない? 私の上着羽織ったら?」


「こうしていれば……心も身体も暖かいですよ?」

 

 二人だけの世界に浸っていると、湯気と共に運ばれるいい香り。

 店主であろう老人がテーブルに二つ蕎麦を置くと、見慣れぬ手の動きを私達に向けてきた。

 それに近い動きで老人に返す彼女。

 これは……たぶん手話だ。


 ニッコリと笑う老人がもう一つ手話を使うと、彼女は頬を赤くさせながら幸せそうな顔で手話を返していた。

 一体どんな会話をしていたのだろうか……


「雫は凄いね。手話まで出来るんだ……」


「いえ、その……漠然とした理由なんですが、小さな頃から誰かの役に立ちたいなと思っていたんです。困っている人を助けられるように、まずは私が困らないようにしようと」


 勤勉だとか教養だとか、そんな簡単な言葉では片付けられない。

 根本的に存在する彼女が……手を伸ばしても届きそうに無いほど眩しい。


 相変わらず、行儀良く美味しそうに蕎麦を食べている彼女。

 自慢の恋人になれる日なんて、来るのかな……



 ◇  ◇  ◇  ◇



 花を摘みに行った彼女を待っていると、食後のサービスとしてコーヒーを一杯貰った。

 机を片付ける老夫婦に、思わず尋ねてしまう。


「あ、あの……さっき彼女と……なんて会話をしたんですか?」


 通訳して貰うと、老夫婦は二人同じように優しく微笑みながら、言葉を交えて手話をしてくれた。


「すてきな おつれさま ですね」


「わたしの じまんの こいびとです」


 鼓動が速くなる。

 気持ちが抑えきれない。

 居ても立っても居られなくて、彼女がいる手洗い場へ走った。



 鏡で自分の髪の毛をチェックしていた彼女は、驚いたあとに恥ずかしさで顔が真っ赤になっていた。

 

 強く抱きしめると、応えるように強く抱き返す姿が愛しくて堪らない。

 彼女と同じ想いという事実が嬉しくて、身も心も一つになって抱きしめた。



 ◇  ◇  ◇  ◇



 会計を終えると、店主は私の目をじっと見つめて優しく微笑んだ。

 それから、私に向けてゆっくりと手で会話をし始める。


 私には全然分からなくて……隣りにいる彼女を見ると、目を丸くさせながら涙を浮かべていた。

 そんな彼女は、私に一つ動作を教えてくれた。

 きっと、感謝の言葉なんだろう。

 二人ですると、笑いながら手を振ってくれた。



 ◇  ◇  ◇  ◇


  

 帰り道、車内で彼女に尋ねる。


「……さっき、なんて言ってたの?」


「ひ よ く れ ん り……比翼連理という言葉です」


「比翼連理……?」


「はい。比翼とは、翼と瞳が一つしかなく二匹が常に一体となって飛ぶ空想上の鳥です。連理とは、樹木の枝が他の枝と重なり合い木理が連なったことをさします。どちらも二つで一つ、その組み合わせは人と人の深い契りを例えています。私達を見て……そう思われたのでしょう。これ以上ない褒め言葉ですね」


 嬉しそうにはにかむ彼女が愛しくて、車を止めて抱きしめた。

 “同じですよ”と、応えるように抱き返す力が嬉しくて、思わず涙が頬を伝う。


「私ね……自信無かったの。雫が素敵すぎるから……隣りにいて、釣り合うのかなって」


「そ、そんなこと……わたしだって……」


「それだけ好きなの。雫は私の自慢だから……同じように、雫の自慢になりたくて」


 止まらない涙を彼女は指で優しく拭ってくれると、私を強く抱き寄せて、甘いキスをした。

 涙で揺れる瞳には、私しか映っていない。


「……自慢です。あなたは私の……私の自慢の恋人です。どんな時も……心も身体も、一緒です。ずっとずっと、一緒です。あなたと私は……比翼連理。二人で一つなんですから」


「じゃあ……私が今思ってること……分かる?」


「ふふっ。カーテン、閉めましょうか」


 隣で輝く彼女に負けないように、私は自分を磨き続ける。

 彼女が同じ事を想ってくれているのなら……

 私達はこれからもずっと、二人一緒に輝き続ける。

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