第73話 私は日向さんの恋人


 朝目覚めると日向さんはすでに起きていて、私を見つめて微笑んでいた。


「日向しゃん……おはようございましゅ……」


「ふふっ。おはよ、雫」


 夢見心地で、日向さんの胸へと擦り寄った。

 柔らかい感触と温かさ。日向さんのいい匂いに包まれて、幸せを感じる。


「昨日はすっごく可愛かったよ。色んな雫を知れて嬉しい」


「昨日……」


 そういえば……昨日の夜はあんなことをして……こんなことをして…………


「ふぇっ!!!? わ、忘れて下さい!! あれ? 今何時……きゃーー!!? ど、どうしよう寝すぎて……急いでご飯とお弁当を作ってきま── 」


 わけも分からず混乱していると、日向さんが優しく抱き寄せてキスをして下さった。

 一瞬にして、頭の中がフワフワしてしまう。

 恋とはいけない麻薬である。


「あんなにしちゃったんだもの。疲れて起きれなかったんだよ。昼過ぎには仕事終わるからお弁当いらないし、朝はコンビニで買うからゆっくりしよ?」


「ご、ごめんなさい……では……もう少しだけこうしていてもいいですか?」


「うん、苦しくない?」


「……幸せな苦しみですから」


 朝から幸せいっぱいな一日。

 こういう日は、私の箍が外れてしまう。



 ◇  ◇  ◇  ◇

 


「雫……そろそろ準備しないと……」


「嫌です……行かないで下さい……」


「ふふっ、嬉しい。私も今日はこうしていたいなぁ……」


 止め処なく溢れる好きな気持ち。

 ただ一緒に触れ合っているだけで幸せ。


「今日はどんなお仕事なんですか?」


「んー……写真撮って取材受けて終わりかにゃ」


 私の髪の毛を指先でくるくる巻いて可愛がってくださる日向さん。

 その指に擦り寄る私。

 もっと触れていたい。もっと触れてほしい。


「……ついて行っては駄目ですか?」


 困らせるって分かってるのに言ってしまう。

 どうしよう、好きが止まらないよ……


「その言葉……ずっと待ってたんだよ? 私だって……雫が一緒にいてくれれば幸せなんだから」


「迷惑では……ないですか?」


「一緒にいて。私からのお願い」


 どちらからともなくキスをして、頬を重ねて抱き合った。



 ◇  ◇  ◇  ◇



「ふふっ、雫と出勤なんて夢みたい」


「ごめんなさい、私の我儘で……」


「全然。今日はずっと一緒にいようね」


 信号待ちの時間はキスをして、運転中は日向さんの膝の上に頭を乗せて日向さんの顔を見つめる。

 時折喉を撫でるその指が心地良くて、膝に顔を埋めては日向さんを感じていた。


「着いたよ、仔猫ちゃん」


「にゃ……」


 仕事場に到着した頃には、すっかり猫になってしまっていた。

 少しだけ可愛がってもらい、顔を真っ赤にしながら日向さんの後ろについていく。


 ビルの裏口から入ると、職員らしき方々が挨拶をしてくれる……けど……


「もう十時を過ぎてますよね? まだおはようございますにゃんですか?」


「ここの人達は朝でも夜でもおはようございますだよ。ふふっ、よく考えたら変だよね」


「ふぇぇ……色々な方がいらっしゃるんですね」


 とある部屋に入る。少しだけ日向さんの香りがするお部屋。


「ここ私専用の部屋なの。まだ時間あるから寛いでてね」


 そうは言われてもなかなか出来ないのが私である。

 こんな時のため、鞄からあるものを取り出す。


「雫……なにやってるの?」


「日向さんの匂いがついているタオルを持ってきました。その……お仕事で家にいらっしゃらない時……寂しくて……少しでも日向さんを感じていたくて、こうしてタオルを抱きしめるんです」


 言ったあとに気が付いて後悔した。

 私は変態さんである。


 そんな私を見て、お着替え中の日向さんは下着姿で私を抱きしめて下さった。


「寂しい思いをさせてごめんね。私の匂いが取れないくらい抱きしめてあげる」


 温かくて、柔らかくて、気持ちよくて、いい匂い。

 目を瞑って日向さんを求めると、応えるように私を求めて下さった。


「ヒナー、入るよー?」


 ドアをノックする音、頭の中で何かが弾けた。

 わけも分からず混乱している私に対し、日向さんは何事も無かったかのように着替えをし始める。

 

「まだ着替えてたの? これ今日の流れね。後ろの子はお友達?」


「ううん、恋人」


 見せつけるように私を抱き寄せて、喉元を指で撫でる。

 私にはもう考える力が弾け飛んでしまったみたいで……

 この辺りから、記憶が曖昧。


 ただ、私のことを嬉しそうに紹介する日向さんを見ると、胸の奥がフワフワして……


 写真を撮る時以外は、ずっと手を繋いでいたことは覚えている。


「ヒナ……この子大丈夫?」


「ふふっ、可愛いでしょ」


「…………そうね、ヒナらしいかな。雨谷さんだっけ? 最近ヒナが凄く可愛くなったから、女優としても人としても一皮むけたのかなって思ってたの。なのに女優辞めるなんて言い出して……あなたの責任よ?」


「あ、あの……私……」


「だから、責任もってヒナのこと、お願いね?」


 鼻先を指で軽く押され、優しく頭を撫でられる。

 笑顔の素敵な、大人な女性。


「マネージャーなんだからこんなところで油売ってちゃダメでしょ? 仕事仕事」


「職場に女の子連れ込んだアンタに言われたくないから!!」


「ふふっ、いいでしょ? 私だって自慢したいもの」


 私の知らない日向さんの交友関係。

 私の知らない日向さんの笑顔。


 私の知らない日向さんが住む世界。


 分かってはいたけれど、知らない世界でキラキラと輝いているあなたを見ると、何故か遠くに行ってしまった気がして……


 “そんなことないよ”と、強く手を握って下さる日向さんが愛しくて、甘えるように優しく握り返した。


 ◇  ◇  ◇  ◇


「今日はお見苦しいところを見せてしまい申し訳ありませんでした」


「可愛かったし幸せだったよ? また一緒に行こうね」


 一緒にいる時間が長くなるほど、好きな気持ちが溢れて止まらなくなる。

 抑えられなくて、運転中の日向さんの頬へキスをした。

 待ち望んだ、赤信号。


「ふふっ、幸せ。ずっと一緒にいれてどうだった?」


「私は日向さんの恋人なんだなと、改めて思いました。それから……」


「それから?」


「……もっと日向さんのことを知りたくなりました。もっと……好きになりたいんです」


「……全部教えてあげる。あと八十年くらいかかっちゃうけど」


「ふふっ。では……一緒に長生きしましょうね」


 こうしてあなたの隣にいられること……

 共に笑いあえる時間が、何よりも愛しくて尊く感じます。

 私は、あなたの恋人になれて幸せです。

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