第64話 杜鵑草


 私の恋人は、私には勿体ない程よくできた人。

 そんな彼女は小さな頃から感情を抑えてきたせいか、今も自分の気持ちを圧し殺すことが多い。


 でも時折、抑え込んだ感情が爆発してしまう時がある。

 今日はそんな日みたい。



 私が出ている映画を鑑賞中、彼女は涙を流し始めた。

 止めようにも止まらないらしく、困った顔で私を見つめてきた。


「雫……どうしたの?」


 呼びかけても、ただ首を横に振るだけ。

 落ち着かせるように抱きしめたけど、彼女は震えながら泣き止まなかった。


「私、なにかしちゃった……?」


 彼女の姿に、私も涙が流れる。

 そんな私を見て、彼女は泣きながら答えてくれた。


「……私が悪いんです。ごめんなさい……」


 小さく縮こまる彼女。

 寝室まで抱えて、思い切り抱きしめた。


「理由、教えてくれる?」


「…………嫌なんです。例え作り話でも……キスをしていなくても……演技でも……私以外の誰かを見ている日向さんが…………」


 室内に響き渡る嗚咽。

 本当は泣き叫びたいよね。

 でも、こんな時でも我慢してくれる。

 優しすぎる、私の恋人。

  

「ごめんなさい…………素敵なお仕事なのに……私は……私はこんなことを考えるなんて…………恋人し── 」


 その先を言わせないように、口を塞ぐ。

 本当は優しく包みたかったけれど、壊れてしまうほど強く彼女を求めた。


「それでいいんだよ。好きなんだから……もっと私を求めてよ」


 私を離すまいと抱き返すその姿が嬉しくて、涙が止まらない。


「好きすぎて泣いちゃうね。雫も我慢しなくていいから……雫の気持ち、もっと聞かせて?」


 息継ぎの合間に、言葉を紡ぐ。

 普段聞くことの出来ない、本当の彼女。


「……朝、お見送りする時寂しいんです。本当は行かないでほしい……ずっと……ずっと一緒にいたいんです。私はあなた無しじゃ生きていけないから……女優日向晴じゃなくて、私だけの日向晴でいてほしいんです。こんな我儘な私……嫌いですよね……」


「大好き。そう言ってくれるのを待ってたんだよ?」


 私が微笑んだ瞬間、彼女の涙が止んだ。

 その言葉が欲しくて……言えずにいたことがあった。


「女優、辞めるから。あと一年……雫が卒業したら、私も卒業。ふふっ、一緒だね」


「ど、どうしてですか!? も、もしかして私の……」


 彼女はどうしていいのか分からない様子で、只々狼狽えている。

 落ち着かせるように頬同士を重ね合わせると、小さく頬擦りをしてきた。


「私も雫と一緒だよ。雫だけの私でいたいの」


「でも……でも………」


「雫は……女優の恋人じゃなきゃイヤ?」


 分かっているのに、意地悪な質問をしてしまう。

 だって彼女の口から聞きたいもの。


「……いいえ。あなたの恋人がいいんです。その先も、どこまでも……あなたじゃなきゃダメなんです」


 半回転し、彼女が私の上になる。

 普段見ることのできない、少しだけ強引な彼女。

 震える身体とは裏腹に、瞳はどこまでも真っ直ぐに私を見つめている。


 求められる幸せ、求める幸せ。

 いつもとは違う幸せを感じる私達。


「ずっと一緒ですよ……晴……」


「…………うん、雫……」 

  


 ◇  ◇  ◇  ◇



「やはり就活をした方がいいですかね……」


「ふふっ、別に女優だけが私の仕事じゃないよ? 貯金もいっぱいあるし、何不自由なく暮らしていけるよ」


「……日向さんとなら、どんな道でも歩いていけますから」


「晴って呼んでくれないのかにゃ?」


「わーわー!? あれはですね、青春の過ちと言いますかその…………忘れましょう!!」


「ふふっ、死ぬまで忘れないよ」



 何年経っても、あの呼び方は一度きりで……

 でもそれは、あなただけの日向晴になった証だよね。

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