第61話 いつもと変わらない、素敵な場所


 新しく買って頂いた携帯電話。

 待ち受け画面は、私と日向さんがピタリと寄り添っている写真。

 嬉しすぎて、かれこれ一時間は眺めている。


 そんな画面に着信の表示。

 日向さんの妹御である彩さんからだ。


「はい雫です。どうしました?」


『いやー、勉強のし過ぎで脳みそ溶けそうだからさ。雫の声聞いて癒やされたくて』


 彩さんは共通テストの結果は及第点、二次試験に向けて猛勉強されてます。

 私と同じ大学に……という嬉しい目標に向けてのラストスパート。


「ふふっ、私でお役に立てるなら。何をすればいいんですか?」


『後ろ見て』


「後ろですか……? ふぇっ!!!??」


「へへっ、お邪魔してまーす」


 ◇  ◇  ◇  ◇


 急いでお茶の準備。

 彩さんはポン助と楽しそうに戯れています。


「雫、その気味の悪いカエルは何?」


「バジェットガエルです。もう卵を産んでもよさそうなんですが……産まれたら彩さんに自家製のタピオカをご馳走しますね」


「…………ワー、タノシミダナァ」


 台所で紅茶を淹れている最中、彩さんが梱包された可愛らしい箱を私にくれた。

 手書きのメッセージが添えられている。


 “You have always been the only one for me”


「雫、いつもありがと」


「そ、そんな、私こそ……」


 素敵な言葉と想いに、思わず涙が頬をつたう。

 私は幸せ者だ。


「すみません、誕生日でもないのに……ありがとうございます」


「…………雫、ひょっとして今日がなんの日か知らない?」


「え? 今日は……友引ですね」


「筋金入りだなぁ……今日はね、バレンタインデーって言って…………意味は分かんないけど、大切な人にチョコとかお菓子をプレゼントする日。ほら、テレビでも特集してるんじゃない?」


 彩さんがテレビのリモコンを持とうとした瞬間、自動でテレビの電源がつく。

 今朝日向さんが予約してくれた。

 「見てて?」と可愛く仰ったので、待ち遠しかった。


「あ、晴姉出てるじゃん」


 お昼の情報番組?という分野だそうで、時々日向さんは出られて、可愛い顔と声をお茶の間に届けている。


 賑やかな場所で、エプロンをつけている日向さん。

 台所のような場所に立っていて、少し緊張している様子。

 うん、可愛い。


 お家で作る簡単本格生チョコレート、と書いてある。

 生チョコレートってなんだろう。

 

 さて、日向さんが調理を始めるようです。


「私には四人、家族がいるので……その大切な家族に今から作る生チョコをプレゼントしたいですね。見てて? 頑張るからね」


 四人……私と、それから父まで、日向さんは家族と仰った。

 何気ない一言なのに、日向さんがどれ程優しくて素敵な人なのかが伝わってくる。

 日向さんの瞳と言葉は、いつだって真っ直ぐだから。


「晴姉が公共の電波使って惚気けてるんだから、しっかり見てな。あー、ヤダヤダ」


 最後の言葉は、私だけに向けられたモノ。

 いつも、いつだって見てますよ。 

 私が一番見てますから。


 私の為に料理をして下さると、日向さんはいつも失敗すると仰る。

 でも、今日は失敗出来ませんよね。

 あなたの持つ女優としての……言葉では言い表せないモノを、私は知ってます。

 

「なんか晴姉緊張し過ぎじゃない? 生チョコ作りなんて大した事しないのに」


 女優日向晴は、皆のものだから……

 その理想像を守る為、必死で調理している。

 必死なのは、私の為に作って下さっているから。


「…………出来たー♪ 出来たよ!! ふふっ、やったぁ♪」


 普段見せることのない、日向さんのはしゃいだ姿。

 とびきりに可愛くて、堪らなく愛しくて尊い。


 私もお菓子を差し上げたいけれど……

 でも、今日私が出来ることはそうじゃない気がする。


 ◇  ◇  ◇  ◇


「ただいまー。雫、見た? 私、雫の為に作れたよ」


「おかえりなさい。ふふっ、頑張りましたね」


 私から包み込むように抱きしめて、頭を撫でる。

 それは、いつもとは反対で……


「雫……」


「ご立派でした。全部、見てましたから」


 まだ玄関の土間にいらっしゃる日向さん。

 だから、今は私のほうが日向さんよりも高い位置にいる。

 いつもしてくれるように、少し見上げた景色から抱きしめる。


 私の胸に納まる日向さん。

 耳が赤く染まってきて、抱きつく力が強くなる。

 少し背伸びをした世界、私に納まるその姿が愛しくて……

 いつも、こんな気持ちだったんですね。


 猫なで声で、私の名前を呟く。


 思い切り抱きしめて、日向さんの手を引いた。


「こちらにどうぞ」


 ドアを開けると広がるリビングは、新しい花で彩った。

 机の上には、日向さんの大好きな豆乳鍋が準備してある。

 それから、少量のお酒。

 いつもと変わらなくて、少しだけ特別な日。

 

 女優活動も恋人である私の事も、沢山の事を背負って……守って下さっている。

 だから……あなたが帰ってくる場所は、私が守ります。


 いつもと変わらない素敵な場所。

 改めての、お迎。


「おかえりなさい、晴さん」


「……ただいま、雫」



 ◇  ◇  ◇  ◇



「ふむふむ、これが生チョコレートですか」


「どうかな? 食べてみて」


 日向さんが私の為に作って下さった……特別なチョコレート。

 口に入れ、少し噛むとトロリと溶け出す。


「ふぇぇ……美味しい……生チョコレートなるものは初めて食べましたが……日向さんの想いも相まって、溶けてしまうほど美味しいでしゅ」


 美味しくて嬉しくて、思わず噛んでしまった。

 恥ずかしくて俯くしかない。


「可愛いんだから。ほら、こうするともっと美味しいよ」


 日向さんの咥えるチョコレートが、私の口に入ってくる。

 ただそれは、チョコレートだけじゃなくて……


 文字通り、甘く溶けてしまう。


「ふふっ、どう?」


 幸せすぎて、上手く頭が回らない。

 だからかな……

 心は素直に、あなたを求めてしまう。 


「…………一個だけでは……分かりません。もう一個…………いいですか?」


「もう…………分かるまでしてあげる」


 以降、バレンタインデーの恒例となった生チョコレート。

 時々私も作るけど……

 未だに分からないフリをしている。

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