第53話 羞月閉花

 

 いつもより早い朝の目覚め。

 そんな必要は無いのだけれど、仕方がない。

 だって今日は……


 ◇  ◇  ◇


「おはよ……あれ? もう支度終わってるの?」


「おはようございます。その……目が覚めてしまいまして……」


 高揚してしまっている事を悟られないようにしたいのに、否が応でも心が反応してしまう。


 だって今日は──


「ふふっ。デート、楽しみなんだ?」


 普段の日向さんなら “明日どこか出掛けようか” と言うのだけれど、昨日は……


【ねぇ、明日……デートしない?】


 特別な意味なんて、ないのかもしれない。

 でも私にとってその言葉は特別で……

 出会って間もない頃を思い出す。


 初めて手を繋いで、初めて抱きしめられて……夢の中を彷徨っているみたいで。

 

 勇気を出して、一歩踏み出した世界。

 それは夢のような世界で、私は今も幸せな夢の続きを見ている。


「すっごく可愛いよ。イイ感じ♪」


「わ、私なりにお化粧をしてみたんですが……日向さんの真似事なので……」


 髪もお化粧も服装も、自分なりに頑張っ  た。

 喜んで欲しいから。

 好きだから。


「ふふっ、私も気合入れるからね」


 そう言われて、おでこにキスをしてもらう。

 幸せすぎて身体に力が入らない。


「楽しみだね」


 声にならなくて、頷く事が精一杯。

 日向さんは姿見越しに私を見つめてきて、私は只々見惚れる事しか出来なかった。


「お返事は?」


 甘く、いたずらっぽく私に尋ねる日向さん。

 抱きつく手の甲に優しく唇をつけ、二人にしか分からない返事をする。


「ふふっ、良く出来ました」


 差し出された手に頬ずりをして、身を委ねた。


 ◇  ◇  ◇


 色々あったので、着替え直しました。

 髪を結い直して準備をしていると、日向さんが私の隣にやってきた。

 その姿に、否応なく高揚してしまう。


「気合入れ過ぎちゃったかな? 似合う?」


「…………羞月閉花しゅうげつへいかです」


「しゅうげつ……どんな意味?」


「……月も花も、恥ずかしくて隠れてしまう程美しいという意味です」


 隣りにいる事が烏滸がましい程に、今日の日向さんは一段と輝いている。

 もし私の為だったなら……

 そう考えただけで、胸の奥が温かくなる。


「ふふっ、じゃあ行こっか」


 ◇  ◇  ◇


 日向さんお気に入りの音楽を聞きながら、目的地まで車で移動しています。

 鼻歌を歌いながらご機嫌で運転する日向さん。

 私も見えないところでコッソリとリズムにのっている。


「その眼鏡、凄く似合ってるよ」


「ほ、本当ですか? なんだか慣れなくて……」


 日向さんのご要望で、お揃いの度が入っていない眼鏡をつけています。

 恥ずかしいけど、日向さんがそうしたいと仰るので……


「ふふっ、着いたよ。見える?」


「ふぇぇ……目の前で見るとこんなに大きいんですね……」


 どこか行きたい所はないかと聞かれたので、まだ行ったことのなかった東京タワーに来ました。

 当然高い所は苦手なので……


「上には行かないよね?」


「…………い、行きましょう! せっかくですので……」


 大丈夫、デートだもの。

 目を瞑ってれば……


 上ってもいないのに目を瞑り身体を強張らせていると、唇に柔らかいモノが触れた。

 考えただけで、顔が真っ赤になっていく感覚がする。 

 目を開けられないよ……


「ほら、こっち見て?」


 そう言われ徐々に見開くと、日向さんが何かを持って私を見ていた。

 あれはなんだろう……


「雫、大好き♪」


 ステキな言葉と笑顔。当然惚気た顔をしてしまう。

 私も言い返そうと思ったら、カシャッという音が日向さんの方からした。


「ふふっ、絶対に可愛い顔が撮れた♪」


 日向さんが持っていたモノは、少し大きめのカメラのようで、撮ったそばから写真がカメラから出てきた。


「ふぇぇ……奇天烈なカメラですね……」


「もー、何その言葉? ほら、見えてきたよ」


 真っ白な写真は段々と色付いてきて、案の定惚気た顔の私と東京タワーが写っている。

 でも、そんな写真を日向さんは愛しそうに見つめている。


「……わ、私も撮っていいですか?」


「もちろん。ここをこうして……」


 説明を受けて、カメラから日向さんを見つめる。

 あれ……?

 そういえば今日の日向さん、マスクも帽子もしてない……


「ん? どしたの?」


「い、いえ……撮りますね」


「ふふっ、何か言わなくていいのかにゃ?」


 そういえば、日向さんが前に言っていた。

 上手なカメラマンは自分の良さを引き出してくれるって。

 それは言葉だったり空気感だったり……


 私に出来ることはなんだろう。


 せっかくのデートだから、せっかくの記念だから……

 恋人だから……


「……日向さんは、私のどこが好きですか?」


「…………切りがないよ? 雫は── 」


 そう言って数え切れない程、私への想いを日向さんは伝えてくれる。

 私が知らない私まで、日向さんは好いてくれて……

 時折見せる笑顔は、私にだけ向けられたモノ。


「ふふっ、まだ言う? 言い足りないけど」


「いえ…………愛してます、晴さん」


 自惚れてもいい。

 この写真は、私にしか撮れない。

 だって、私はあなたの恋人だから。


 だって、あなたは私の恋人だから。


「……可愛い写真が撮れましたよ?」


「もー……反則でしょ」


 ◇  ◇  ◇


 日も暮れ始め、お洒落なレストランで夕食です。

 雅な場所だ……


 今日一日、日向さんは帽子もマスクもしていなかった。

 いつもだったら、人に見られないように行動をしているのに……


「予約した日向です」


 いつもだったら、私の名前を使って予約しているのに……


 案の定店内はざわついて、日向さんはサインを求められている。

 どこに行っても、日向さんは人集りを作っていた。


 でも、考えたら分かる事で……

 足が長くて、背も高くて、顔も小さくて可愛くて……


 切りがない程、日向さんは美人。

 誰が見ても “日向晴” だと分かるから。


「ごめんね、お待たせでした」


 漸く席につけた日向さんは、変わらずの笑顔で私を見つめている。


「あ、あの……どうして今日は……その……」


「ふふっ。お化粧して、お気に入りの服を選んで……大好きな人の隣を歩く。私だって、それくらいする権利あるよね」


 日向さんの想いが、痛い程伝わってくる。

 そんなに切ない顔をしなくても、大丈夫ですよ。

 だって……

 

 店内の奥でガラスの割れる音がして、皆の意識が音のする方へ向いた。

 その一瞬は、私にとって十分すぎる時間。

 その一瞬は、甘くて溶けてしまう程の口付け。


 目を見開いて顔を赤らめる日向さん。

 その愛らしい顔に、思わず頬が緩む。

 

「好きです、大好きです。ずっと……ずっと、一緒にいましょうね」


「…………敵わないや、ホント」


 テーブルの下では指が絡まり合い、私達は互いに微笑み合う。


 見えていても、見えていなくても、私達はいつだって繋がっている。


 だって、恋人だから。

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