第9話 純粋すぎる彼女と、どうしようもない私


「へぇ……それでどうなったの?」


「…………」


「雫?……お休み、雫」


 愛くるしい寝顔。

 無垢すぎる故に、いつか私のもとから離れてしまいそうで。


 女と女……


 ダメだ、私にはそんな度胸も覚悟もない。

 この子の人生を奪う事なんて出来ないし、権利も無い。


「……ごめんね、雫」


 純粋すぎる彼女と、どうしようもない私。

 せめて今だけは、私のモノ。

 手を緩めるとスルスルと抜け落ちてしまいそうだったので、精一杯の愛情で抱きしめながら眠りについた。


    ◇ 


 朝、カーテン越しの陽の光で目が覚める。

 トントンと、リズミカルな音が聞こえた。

 私の部屋では一切無かったいい匂いが漂ってくる。


 思考が回らないまま、のそのそと音のする方へ向かう。


「あっ、日向さん!おはようございます。すみません、起こしちゃいましたか?」


「…………おはよ、雫」


 毎日こんな暮らしが出来たらどんなに幸せだろうか。

 彼女がこの部屋にいてくれるなら私は……


「……雫、私が働いて養ってあげる。だからずっとここにいてよ」


 ……あれ、私今なんて言ったんだろう。

 脳みそが惚気けすぎて、どうにかなっているみたいだ。


 目の前の彼女は顔を真っ赤にして私を見つめている。


「そっ、その…………そ、卒業するまで待って頂けるのでしたら……」


 卒業……私は何を言ってしまったのだろうか。

 嫌な顔はしていないみたいだから、また今度聞いてみよう。


 机には健康的な食事が並んでいる。

 私の為に作ってくれたと思うと、愛しくて堪らなくなる。


「勝手に作ってしまいましたが……その、食材が腐りかけていたので使ってしまおうと思いまして……」


 家庭的。

 私みたいな生活をしている人間には縁が無い。

 どんなに自分を磨いて名声を得ても……私に無いものを彼女は持っていて、それがまた嬉しくもある。


「……また作ってくれる?」


 必死に頷く彼女に、心を壊される。

 思わず強く抱きしめて、朝一番のキスをする。


「……雫、おはよ」


「お、おはよう……ございましゅ…………」


    ◇


「今日は何しよっか」


「あの……今日なんですが……」


 申し訳無さそうに俯いている。

 何か問題でもあるのだろうか。


「ん?どしたの?」


「その……ゼミの教授が今年度で退任するそうで、お別れ会を開くみたいなんです。夕方からなんですが……」


「ゼミ……そういえば雫ってどこの大学に行ってるの?」


「私のアパートの近くですよ」


「国立駅の……えっ?めっちゃ頭イイじゃん!!」


「た、偶々受かったんです。父もそこなら行っても良いと言ってくれたので……」


「へぇ……ちなみにそのお別れ会って何処でやるの?」


「えっと、確か─── 」


    ◇ 


 彼女をタクシーに乗せて、送ったフリをした。

 人混みが苦手な子だから、出来る限りの事をしてあげたい。


「すみません、前のタクシー追いかけて下さい」


 さんざんドラマに出ているくせに、ドラマみたいな事を本当に言うんだな、なんて思って少し笑ってしまった。


 40分程走らせた所で、目的地に着いた。


 個人経営の居酒屋で、カウンター席が6席、座敷席が2つ。 

 マスクにサングラス、帽子を被りこっそりと入店する。 


 雫達は十数人のグループで、皆育ちの良さが伺える。

 心配し過ぎだったのか、なんて思っていたけれど、清潔感ある男性が雫に声をかけている。


「雨谷さん、飲み会に来るの初めてだよね?」


「あ、はい。その……こういった集まりが苦手でして」


「無理しないでね。あのさ、良かったらこの後二人で二次会しない?もうちょっと落ち着いた店知ってるんだけど」


「な、なぜ私を?他の皆さんは?」


「えっ?いや、可愛いなって思ってたから……」


「……お誘いありがとうございます。でも私を待ってくれている人がいますので……ごめんなさい」


「あー、恋人いたんだ」


「こっ、そ、その…………りょ、両想い……です」


「へぇ、そんなに素敵な彼なの?」


「女性ですよ?」


「えっ!?」


「……何か変ですか?」


「いや、だって……普通男を好きになるでしょ?」


「私は……あの人が好きなんです。男とか女とか関係ないですよね……?」


「それは自由だけど、極論人間って男か女かの2種類でしょ?自分の血を繋いでいく為にその2つがくっ付くのは自然の摂理だと思うけど」


「……先輩も教授も私も、それぞれ違う人間ですよね?人の数だけ種類があると思うのですが……」


「だったとしても結局子孫を残せなきゃ生き物として全う出来ないんじゃないの?」


「それは…………分かりません……でも……………」


「ちょっと、泣かなくても……」


「……好きなんです。好かれているんです。こんなに幸せなのに…………どうして否定するんですか………」


「……」


    ◇ 


「わぁ、真っ暗だ。遅くなっちゃったなぁ……日向さんに連絡しなきゃ」


「私に何だって?」


「ひ、日向さん!!?ど、どうしてここに……?」


「会いたかったから」


 覚悟とか、権利とか、私……最低だな。


「雫、私と付き合ってよ」


「どこにでもお付き合いしますよ?」


「……こっちの意味」


 手を絡めあわせて、甲に口をつける。


「私と恋人になってくれる?」


「………………ふぇっ!!?」


「ずっと……一緒にいてよ。ダメ?」


 抱きしめると、胸の中で彼女は震えていた。

 鼻を啜る音が聞こえて、嗚咽を我慢しているのが分かる。

 

 私と一緒にいるから、彼女は今日傷ついた。

 私が彼女を泣かせた。

 きっとこれから先も泣かせる。


 その度に、私はきっとこうして抱きしめるんだろう。

 零れ落ちないように、強く……


「……私なんかでいいんですか?私……その…………女ですよ……?」


「関係ないよ、雫だもの。私は雫が好きなんだから」


 お互いを確認する様に、口づけを交わす。

 彼女が優しく抱き返し、彼女の全てを表すかのようにどこまでも優しく微笑んだ。


「私も大好きです。その……日向さんでなければ私は……駄目なんです。日向さんが好きなんです」


 彼女が私の手の甲に優しく口をつけた。

 いつもしてくれるこれは、彼女の返事。

 顔を赤くさせながらするそれが堪らなく愛しくて、幸せを超えた気持ちにさせてくれる。


「ふ、ふつつか者ですが……」


「……アッハッハ。もー……ねぇ、ラーメン食べに行かない?お腹減っちゃった」


「わぁ……いいですね。あ、でも私ここがどこかも分かってないので……」


「大丈夫、私がいるから。…………ね?」


 この先も、二人でいれば大丈夫。

 

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