第7話 恋が愛に変わる時


「わぁ……す、凄いですね……」


 日向さんの住んでいるマンション。

 周囲が緑豊かな公園のようになっている。

 その中央に存在するマンションは、大きなビルの様で、入口から漂うオーラは私みたいな田舎者を寄せ付けない。

 つい足が止まってしまう。


「ん?どしたの?」


「わ、私なんかが入ってもいいんでしょうか……その……」


 もじもじしていると、日向さんが指先で頬を撫でてくれた。

 

「いいんだよ。雫は私の……私の…………」


「……日向さん?」


「と、とにかくホラ!こんな所じゃ寒いから中に入るよ」


 勢いよく手を引かれて、豪華な入り口へと足を踏み入れた。


 そこは私が想像していた以上に華やかな場所だった。

 植物がいくつも植わっていて、広いスペースにはソファで寛げるようになっている。

 建物の中だよね……?


「私の部屋結構上の方だから、眺めがとっても良いんだよ。雫も気に入ってくれるといいな」


 そう言われエレベーターの前まで来た。

 

「雫?どうしたの?」


「こ、この乗り物が苦手といいますか……その……3階以上の高さが恐いんです……」


 私の住んでいた田舎では、近所にある小さな工場が周囲で最も高い建物だった。

 初めて東京に来た時、空からの圧迫感で押しつぶされそうになった。


 高い建物への免疫がないので、足がすくんでしまう。


 エレベーターなんて、大学生になるまで乗った事が無かったから。


「……じゃあさ、3階まで行ってみよっか。それで駄目なら雫の家に帰ろ?」


「わ、わかりました。頑張ります」


 エレベーターに乗り込み目を瞑る。

 何も考えないようにしていると、日向さんが私を壁まで追いやった。


「ひ、日向さん?」


 私に覆い被さるようにして壁に手をついている。

 顔が近い……可愛い……


「さっき、雫の家に帰ろうなんて言ったけどさ……帰したくない。雫は?」


「わ……私も……帰りたくない……です……」


 そのまま口を塞がれて、日向さんの匂いがより濃くなる。

 幸せすぎて、何も考えられない。


 ピロン♪


「ほら、おいで」


 抱き寄せられたまま、エレベーターを出る。

 22Fという文字が見えたけど、頭の中がフワフワしてうまく考える事が出来なかった。


「ここが私の部屋だよ」


 日向さんの……


「こ、こうして他の方も来られる事が多いんですか?」

  

 なんでこんな事を口にしてしまっているんだろう。

 頭の中も心の中も日向さんでいっぱいで、それが溢れ出しているからかもしれない。


 自制しないと……


「ううん、雫が初めて」


 優しく微笑んでくれた日向さんには、私の意図が丸わかりなんだろう。

 恥ずかしくて俯いてしまうけど、その事実と事象に嬉しくもあり口元が緩んでしまう。


 扉を開けると、日向さんの匂いが吹き抜けていく。


 胸の奥が焼けるように熱い。


 気持ちが溢れて止まらない。


 私、どうしちゃったのかな……


「雫?顔が赤いけど大丈夫?」


「身体が熱いんです……胸が苦しくて……日向さん…………」


「えっ……凄い熱だよ!?雫?ねぇ、雫?」


    ◇ 


 頭がガンガンする。

 汗でシャツが湿っているのが分かる。

 気がつくと知らないベッドの上にいて……日向さんの部屋に来たのは夢ではなかったのだと安心する。


「あっちぃーー!!!」


 隣の部屋から日向さんの声が聞こえる。

 なんだか少し焦げ臭い。


 歩くたびに、振動で頭が痛くなる。


「日向さん……ごめんなさい、私……」


「雫!大丈夫?どこか痛む?」


 痛い程、抱きしめられる。

 幸せな痛み。


「大丈夫です。でも頭が少し痛くて……」


「そっか……ごめんね、雫。ごめん……」


 鼻を啜る音。

 日向さんが泣いている。

 その姿に、胸の奥が温かくなる。


「ど、どうして謝るんですか?日向さんは何も……」


「ううん……私が無理させたから。慣れない人混み、忙しない移動、高い所、エレベーター、全部私のエゴだよ……」


「……そ、その、私の事を思って下さっているから……なんですよね?だから……凄く嬉しいです」


 おでこ同士をくっつけて、その後日向さんは頬擦りをしてくれた。

 

「雫……大好き。好きだよ、ホントに……ホントに好き」


「……照れてしまいます……私も……」


 手の甲に優しく口をつける。

 恥ずかしいけど、でも……


「私の……答えです」


「雫…………ん?なんか焦げ臭いっっ!!?ヤバい!火、点けっぱなしだった!!」


「わぁ……真っ黒ですね……何を作ってたんですか?」


「…………お粥」


 鍋の横にあるスマホにはお粥のレシピが載っていて、キッチンは何かが暴れたように散乱している。


「よ、よければ私が作りましょうか?」


「雫に……食べさせたかったんだ。熱があったし、辛そうに魘されてたから……何かしてあげたかった。でもね、全然駄目で……」


 涙を流しながら、日向さんは焦げた鍋を見つめている。

 

「私ね、割と何でもスマートにこなせる人間なんだ。あんまり苦労した事もないし、言われたらすぐに出来るし。でも……雫の事になるとてんで駄目でさ、空回りしちゃう。どうしたらいいのかな……」


 心が揺らめく。


 普段だったら絶対に出来ない事。

 私から、日向さんを抱きしめる。


「一緒に作りませんか?一人で駄目でも……二人一緒なら……私は…………私は、ずっと隣にいますから」


 どちらからともなく顔を近づけて、どちらからともなくキスをする。


 お互いの為に作ったお粥は、人生で一番幸せな味がした。

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