第8話 ネイバル〜シイナの覚悟〜
「あたしに魔法を教えて?」
少女の大きな琥珀色の瞳がシイナを写す。
あまりに突然の申し出に、シイナはぎょっとして目を見開いた。
「え?魔法?」
少女はこくりと頷く。
「お父さんを助けたいの。波を操る魔法を教えて」
「待って待って、どういうこと?お父さんに何があったの?」
「今は大丈夫」
薄い茶髪を揺らして淡々と言う少女。
事情が読み取れないシイナは困惑した表情で首をかしげる。
少女はわずかに顔をゆがめて呟いた。
「嵐が来るの」
生暖かい海風が、ざあっと吹いた。
「と、いうわけなんだけど……」
少女――ミナミを宿に連れ帰ったシイナは、先に戻っていたリオとナツに事情を説明した。レイリはまだ街で伝統工芸品の製作体験をしているらしい。
「って、言われてもねぇ」
壁にもたれて立つナツは困ったように言う。
「本当に嵐なんて来るの?」
ミナミに疑いの目を向けるのはリオ。教会が発表している気象予報では、今後一週間は嵐どころか雨の予定もない。ミナミの言葉が信じられないのももっともだ。
しかしミナミはスカートの裾をぎゅっと握りしめて力強く頷いた。
「来る。大嵐が来て、海が荒れて、お父さんの船が沈んじゃう」
シイナははっと息をのむ。
悪天候の海の恐怖はよく知っている。もし本当に嵐がきたら、彼女の父親の命が危ない。
「どうして嵐が来るってわかるの?」
ナツがたずねる。
ミナミは不安そうに視線を彷徨わせ、やがてうつむいて答えた。
「……説明はできない。だけどわかるの」
「説明はできない?」
「予知能力的な?」
眉をひそめるナツと、反対に瞳を輝かせるリオ。
「どうなんだろう……」
シイナが質問を重ねようとした、そのとき。
「もう一人のお姉ちゃんが来る」
ミナミが突然言った。
その直後、部屋の扉が開き、紙袋を抱えたレイリが現れた。
「なるほどね」
話をきいたレイリは興味深そうに何度か頷き、どうしましょうか、とみんなに問いかけた。
「正直なところ、この国に長居する余裕はないわ。私たちには青い空を見つけるっていう目標がある。その子の言うことを信じ切ってここに留まるのは非効率的よ」
冷たく言い放たれ、ミナミは萎縮してしゅんとうつむく。事の発端たるシイナも気まずそうにレイリを見た。
ぴりついた空気が流れるなか、リオが明るく言った。
「シイナはどうしたい?」
「わ、わたし?」
シイナはぎょっとして自分を指差す。
「うん。わたしの夢につきあってもらってるんだもん。わたし、みんなのことも応援したいよ。シイナは、この子のこと信じたい?」
宝石のようなリオの目に見つめられ、シイナは気圧されたように目線をそらした。
海は怖い。嵐も怖い。けれど、それで誰かが傷つくのはもっと怖い。自分が子どもの頃からなにも成長していないとは、思いたくない。
リオをまっすぐに見返し、はっきりと答えた。
「信じたい。信じる。この子のお父さんを、助けたい!」
それから、リオたちが青い空について調査する裏で、シイナとミナミは魔法の練習に励んだ。期限は二日。ミナミの予知によれば、詳しい時間帯まではわからないものの、二日後に嵐が起こる。
幸いなことに、ミナミはすでに簡単な水魔法は習得していた。父親は光魔術師だが母方の家系は水魔術師の一族で、幼い頃から基礎は仕込まれていたという。
今回ミナミが覚えるのは、水を操る魔法。ただ水を放出するだけの魔法に比べ、より高度な魔力の操作と集中力が必要になる。
「そう。もっと水の流れに意識を向けて」
二人は町と森との間を流れる小さな川に来ていた。
川面と向き合うミナミに、シイナは慎重に助言する。
さらさらと流れる細い川の流れをつかまえ、持ち上げることができれば成功だ。
「水よ……!」
ぱしゃん!
ミナミが手に力を込めると、水がうねり、水竜が首をもたげるかのように水の一部が持ち上がった。
「シイナちゃん……!!」
ミナミが破顔してシイナを見る。
「すごい!やったね!!」
シイナも自分のことのように喜んでミナミにとびついた。
「わぁ!?」
その勢いでミナミの集中が切れて魔法が解ける。
ばしゃっ
水の塊が川に戻り、二人は正面から水しぶきを浴びた。
「きゃぁあ、ごめんね!!」
「ううん、大丈夫。あはは、びしょ濡れだね」
ミナミが初めて年相応の子どもらしい笑顔を見せた。シイナはそれが嬉しくて、にこりと笑いかける。
二人の魔法使いの少女は、声を上げて笑い合った。
その夜。
シイナとミナミは二人が出会った浜辺にやって来ていた。
灯棒の薄い明かりに照らされた白い砂の上に座り、二人で海を眺める。
「シイナちゃん、手伝ってくれて本当にありがとう」
「ううん、いいの」
遠慮がちに言うミナミにシイナは優しく首を振る。
「それにこれは、自分のためでもあるんだ」
静かに波打つ海を見つめ、小さく呟いた。
「シイナちゃんの?」
「うん。これは、わたし自身の弱さを克服するためでもあるの」
ざざん、ざざん、と穏やかな波音が二人を包む。
四年前、シイナが十歳だった頃。
「もうやだ、もうやめる!!」
海辺の別荘に魔法強化の遠征に来ていたシイナは、厳しい訓練に音を上げて家を飛び出した。
「待ちなさい、シイナ!!」
母親や兄姉の制止を振り切り、曇天の中をがむしゃらに走る。
厳しい指導も、それをそつなくこなす優秀な兄姉たちも、彼らと違って何もできない自分も、何もかもが嫌だった。
途中で雨が降り出したが、シイナは足を止めなかった。絶対に帰らないと決めていた。もうあんなつらい思いはしたくなかった。
気づくと海までやって来ていた。
「あ……」
雨風が強い。いつも穏やかで美しかった海が、豹変したかのように黒く濁って荒れている。
ざばん!
高い波がシイナを襲った。
「きゃっ!?」
足元をすくわれたシイナは、荒れ狂う海に落ちてしまった。
必死に陸に上がろうとするが、もがけばもがくほど溺れていく。
このまま死んでしまうのか。何もできないまま?
絶望したシイナを、明るい青い光が包みこんだ。体が浮き上がり、息ができるようになる。
「お兄ちゃん……」
上空には、今にも泣きそうな顔でほうきにまたがる兄の姿があった。
「そんなことがあったんだ」
シイナの過去を聞き、ミナミは呆然と呟いた。
「うん。だからね、わたしに挽回のチャンスをくれてありがとう」
シイナはそう言って穏やかに笑った。
そして、決戦の日。
ドカンッッ
「わぁ!?」
「何!?」
まだ灯棒の明かりも少ない早朝、四人は大きな音で目を覚ました。
何事かと窓に駆け寄ったレイリが、悲鳴のような声をあげる。
「すごい雨……!嵐よ!!」
「そんな!」
「あの子の言ったとおりだ!」
リオとナツが驚いて窓の外を見るなか、シイナは青ざめて部屋を飛び出した。
「あっ、シイナ!!」
(まさかこんな朝早くに来るなんて……。油断した。待ってて、ミナミちゃん!!)
パジャマのまま宿を出るシイナ。凄まじい雷雨の中を、かすかな灯棒の明かりをたよりに走る。
人気のない町を駆け抜け、あの浜辺にたどり着いた。灯台の光が照らす海はずっと先まで灰色に濁って唸りを上げている。
「シイナちゃん!!」
「ミナミちゃん!」
ミナミが血の気の引いた顔で駆け寄ってきた。
「シイナちゃん、あそこ!パパの船が!!」
ミナミの震える手が沖合を指差す。
その方向に目を凝らすと、指の先ほどの小さな何かが波に翻弄されて揺れていた。
「……!!」
その姿に、濁流に揉まれる幼い自分の姿が重なる。シイナは強く唇を噛みしめ、ミナミに向き合った。
「ミナミちゃん、やろう」
二人は並んで立ち、海に向かって手を伸ばす。
(大丈夫、絶対できる……!)
「「水よ!!」」
波打ち際が小さくうねって動きを弱める。
魔法の効果は少しずつ広まり、徐々に海が穏やかになっていく。
「大丈夫、順調だよ。この調子、あ!?」
しかし、数メートル進んだ先で魔法が弾かれてしまった。沖の波が静まらない。自然の力に、二人の力が追いつかないのだ。
「そんな……!」
ミナミが悲壮な声をあげる。
「大丈夫!!」
しかしシイナは、反射的に叫び返していた。
「大丈夫、絶対できる!!信じて!!」
決めたのだ。もう弱い自分でいるのはやめる。もう逃げない。兄姉に胸を張れる、一人前の魔術師になる。
「今度はわたしが、絶対助ける!!」
シイナの叫びに呼応するように、魔法がぐんと進んだ。まだ船には届かないが、海の沈静化が進む。
強風に吹かれ、雨粒を避けもせずまっすぐに海に向き合うシイナの姿に、ミナミの目から涙が溢れた。
「ミナミちゃん、お父さんを呼んで。あなたの声なら、きっと届くから!!」
ミナミは顔を拭い、父の船に向かって大きな声で叫んだ。
「お父さーーん!!帰ってきてーー!!」
その直後。
「つかんだ!!」
シイナが吼えた。
船が乗る海流をとらえたのだ。
「引っ張るよ!!」
海と綱引きをするように、シイナが強く腕を引く。ミナミもその体に飛びつき、後ろに強く引っ張った。
「くっ……!」
しかし足りない。少女二人の力では、波を引き寄せることはできないのだ。
「絶対負けない……!!」
二人の体が海の方へ引きずられた、そのとき。
「シイナ!!」
リオたち三人が追いかけてきた。
「リオちゃん、みんな、引っ張って!!!」
シイナが泣きながら絶叫する。
三人は瞬時に状況を察知し、ミナミの後ろについた。
「せーーーーの!!」
先頭のシイナが声をあげる。
五人は力のかぎり海流を引いた。
すると。
ザバーーン!!
大きな音と水しぶきと共に、船が動いた。荒れた沖合から、沈静化した手前の海へ乗り上げる。
五人は後ろに倒れ込んだ。
大粒の雨が打ちつけるなか、シイナとミナミは目の前の船を呆然と見つめる。甲板から一人の男性が顔を出す。その姿を見たミナミが、はっと目を見開いた。
「お父さん……!」
シイナは安堵の涙をぼろぼろと零しながら、ミナミをぎゅっと抱きしめる。
「やったね、わたしたち、やったんだよ……!」
灯棒に明かりが灯る。
雨はまだ止まないけれど、ネイバルの町に、朝がやってきた。
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