第4話 古書

「あぁ、それは。古書、だよ」



 レイリが言うと、その他三人はみなそろって首をかしげた。


「古書?」

「ここの本は全部古いものだけど、古書は、もっと古いの」



 四人は、薄暗い図書室の中でも特別異質な雰囲気を放つ古書のコーナーへ歩き出す。


「もっとって、どのくらい?」

「そうねぇ、さっきの私のお気に入りの本が刷られた時代より、二、三百年は昔だと思うわ」

「そんなに昔!?」


 想像をはるかに越えた答えに、リオの声が裏返る。


「それで古書、ねぇ」


 ナツは、心底納得したように深く頷いた。


「レイリちゃん、読んだことある?」

「ううん。背表紙をさっとは見たけど、中はさっぱり」



 答えたレイリは、細い指で背表紙を撫でる。

 シイナが適当な一冊を手に取ると、三人もそれにならった。


「うわぁ、字がぎっしり」

「なんか読みにくい字ね」

「うん……。わたしのなんて、全然読めないよ」


 リオ、ナツ、シイナが、それぞれ手にした本を見せあった。

 大きな字で見やすく作られている光板と比べると、どの本もかなり読みにくい。特にシイナが持つ本は、現代の基準では字とはとらえられないくらいだ。


「レイリちゃん、いつもこんなの読んでるの?」


 言われたレイリは、シイナの手元を覗き込んで眉をひそめた。


「いいえ……。これ、古書のなかでも特に古いやつじゃないかしら」

「特に?」

「えぇ。紙質も全然違うし、二、三百年どころの話じゃないのかも」


 レイリが普段読む本の字は、光板のものと大差ない。狂いのない無機質な文字だ。しかしシイナの本の字は、まるで幼い子どものもののよう。

 レイリは本を受け取ると、ねじれた線のような字に目をこらした。



「場所によっては、読めないこともないわね」



「ほんと!?読んで読んで!」

 リオが、興味津々、と跳びはねる。

 ほほえみで幼なじみをなだめ、レイリは指で文字をなぞった。


「政府、は、……を敵とみなした。しかし私は、力を……と思う。今の我々は……ない」


 なめらかなアルトを聞きながら、三人は首をかしげた。とぎれとぎれとはいえ、意味がわからなすぎる。


「政府?敵?」

「どこかの国の歴史とかかな?」


 リオとシイナが、顔を見合わせる。


「フィクションじゃないの?」

「いいえ……。書き方的に随筆とかじゃないかしら」


 顔をしかめるナツだが、レイリは否定した。

 なにか言いかけたナツを遮るように、突然、レイリが息をのんだ。


「レイリ?なにかあったの?」


 不安げにきくリオ。三人の前で、レイリは目を見開いて本を読み進める。


「……も死んだ。私はこの……を生き抜き、再び、を見ることが……だろうか」



 自らの目を疑うような、自信なさげな読み方。

 はっとした三人のなかで一番大きく反応したのは、リオだった。


「青空……? レイリ、今青空って言った? 言ったよね?」


 レイリは信じられない、といった様子で、それでもたしかにうなずいた。

 リオの大きな瞳が、きらりと輝く。


「やっぱりあるんだよ! だってそれ、随筆なんでしょ? 実話ってことじゃん!」


 はしゃぐリオに、ナツが反射のように返す。


「随筆だなんて保証ないよ。まだ全然読めてないし、どうせ作り話だって」


 その言葉に気圧されたリオに代わり、今度はレイリが、ゆっくりと首を横にふった。


「でもこの本、かぎかっこが一つもないの。そんな小説、見たことがない」

「そういう手法なんじゃない? 大昔の本だし、今とは違って当たり前だよ」


 いつになくむきになって否定するナツ。異変を感じとったレイリは、案ずるような目を向けた。ナツは一瞬顔をひきつらせたが、すぐにいつもの呆れ顔で表紙を指した。


「それにほら、表紙だって。よくわかんない生き物がいるよ? 随筆なわけないって」


 そう言われて表紙を見ると、たしかにそこには、頭が三つある不気味な犬が。


「ケルベロス……」

「たしかに、随筆の表紙っぽくはないね……。タイトルも、なんか派手だし」


 シイナの指が、金字のタイトルを示す。

 仰々しい印刷を目にしたレイリは、あら? と首をかしげた。少し遅れて、他の三人も気づく。タイトルだけが、読めることに。


「『少年勇者ミカロスの冒険』……?」


 読み上げるレイリ。

 絵もタイトルも、内容と違っていかにもおとぎ話といった感じだ。


「ほらね、やっぱり作り話よ」


 どこか誇らしげに言うナツ。リオたちは、納得いかないようで首をひねった。


「フィクション……なのかな」

「え~!? 絶対そんなことないよ~」


 リオの嘆き声を聞きながら、レイリは再び本に目を落とした。

 目を凝らして読み進めると、また、衝撃的な言葉に出会う。


「天からの、暖かい光も……苦しい」


 騒いでいたリオたちの動きが、ぴたりと止まる。


「天からの、暖かい光……?」

「それって、リオちゃんの話と一緒だよね」


 リオが、感激のあまりか大きく息を吸い込んだ。


「ほら、やっぱり!! あるんだよ、青い空も、あったかい光も!」


「声が大きい」

 口をふさいで場違いな声量を制し、ナツは肩をすくめた。


「本の中の話よ。そんなのあるわけない」

「なんで? 書いてあるじゃん」

「だから、どうせ作り話でしょ?」

「そんなのまだわかんないよ!」

「誰も見たことないのに」

「見たことないからこそだよ!」


 言い合うだけで発展しないリオとナツの会話。

 幼い頃に戻ったようだが、シイナもレイリも懐かしがる余裕などない。困り顔を見合わせ、二人して思慮を巡らせる。




「あ、そうだ」




 先に明るい声をあげたのは、レイリだった。

 注目を集め、にこりと美しく笑う。


「折衷案。夏休みの研究課題にしようよ」


「夏休みの?」

「研究課題……」

 リオがぽかんとし、ナツは疲れたように顔をしかめる。

 シイナが、ぽんと手を打った。


「そっか、八年生からはフィールドワークだもんね。たしかにちょうどいいかも」




 デイビーン生は、長期休みのたびに多くの課題をこなす。そのなかでも特に疎まれているのが、夏休みに課される自由研究だ。

 一から三年生は工作、四から七年生は調べ学習、八年生からはフィールドワークが課題となるのだ。



「ね、それならいいでしょう? ナツも、夏休みまでは調べる。リオは、夏休みが終わったらもう青空の話はおしまい」


 学年でもトップクラスの才女の提案に、リオとナツは顔を見合わせる。

 数秒後、二人はそろってうなずいた。


「はい、決定!」


 どちらかの意見が翻る前に、レイリが話をしめくくる。


「でも、どこで調べるの? 街も学校も、さんざん調べたけど……」


 ナツが言うと、レイリは平然とした顔で本を裏から開いた。


「それはもちろん」


 長い指が、最後の印刷を指す。


「この本が刷られたところ!」




『~~~~年 三版発行 ~~~印刷所

 所在地 サン』

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