第2話 情報収集

「ほんと!?シイナもレイリも!?ナツも!?」


 夜十時。

 せまい寮の部屋の中で、リオが喜びにとびはねた。


「あー、もう!ほんとだから落ち着きなさいよ!」

「静かにしないと、また下の人に怒られちゃうよ」


 ナツがうっとうしそうに手を振り、シイナが焦って人差し指を立てる。リオが騒いで、階下の生徒から苦情がきたことは一度や二度ではない。


「本当だよ。一緒に青い空、探そう」

 レイリは静かにほほえみながらも、リオの手を強く引いて座らせた。

 おとなしくぺたんと床にお尻をついたリオは、机に両手をのせて身を乗り出す。


「みんなありがとう!それじゃ、明日からさっそく探そ!まずどこから行く?」

「厳密には、探す、じゃなくて調べる、だからね」

 すっかり浮かれているリオに、ナツが釘をさす。

「とりあえず、聞きこみから始めよっか」

 そう言ったレイリは自分の勉強机から紙を取って机に広げ、

「誰にきこう?」

 と首をかしげる。

「物知りな人!」

「だからそれ誰よ!」

 元気よく手を上げたリオと、その額にデコピンをきめるナツ。

 シイナがくすりと笑い、

「やっぱり先生じゃない?わたし、明日タオ先生にきいてみるよ」

「あ、じゃあシイナ。職員室で、できるだけ多くの先生にきいてみて」

 レイリが『先生』と書き、その隣にシイナの名前を記した。シイナはこくりとうなずいて答える。


「リオとナツは、二人で街の人にあたってみて。私は寮の生徒をあたるわ」


 てきぱきと指示を出したレイリは紙を三つに切り、そのうちの二枚をシイナとナツに渡した。

「明日それぞれ聞き込みをして、夜報告会しよう」

「おっけ。んじゃ、あたし寝るね~」

 レイリの声にうなずき、ナツが指先で紙をひらめかせて二段ベッドのはしごに手をかけた。せまい寮の部屋には、テーブルの両脇に二段ベッドが一つずつある。


「え~!?ナツもう寝るの?」


 その足に、突然リオがガシッとしがみついた。

 ナツは上りかけたはしごから飛び降り、振り払いにかかる。

「うるさいな!もう消灯時間すぎてるんだから!」

「え~!?」

 振られる足に合わせてぐねぐねと動くリオをはた目に、シイナは「もうそんな時間?」とつぶやいた。時計の針は、いつの間にか十時三十分をさしている。


「そろそろ寝ないと、またルカたちに怒られるね」

 と、レイリも立ち上がった。



 ルカ、とは、リオたちの下の部屋に住む寮生の名前。美意識が高く早寝早起きに命をかけている彼女は、遅くまで騒いでいることが多いリオたちを敵視している。


「げっ!それは困る……!ルカちゃんこわいんだも」


 コンコン


 やっとナツの足を離したリオの声を遮って、ノックの音がした。


「ひぇぇぇ!?」

「あたし知らなーい。おやすみ~」

「わ、わたしもパジャマだから出れないかな」

 悲鳴をあげるリオを無視して、ナツはすいすいとはしごをのぼり、シイナも胸の前でバツをつくる。すがりつくようにレイリを見ると、もう布団にくるまっていた。

「わ、わたしだってパジャマだよ!」

「リオちゃんはかわいいから大丈夫!」

 リオは必死の抵抗を見せたが、シイナに玄関の方へ押しやられる。シイナはリオがバランスをくずした隙に、そそくさとベッドにもぐりこんだ。

 なおもその場から動かないリオをせかすように、もう一度強くドアがノックされる。

「う~……。なんか一人で騒いでたみたいじゃん……」

 ぶつぶつと不満をこぼしながら玄関まで行ったリオが、ガチャリと鍵をあけた瞬間。

 いきなりドアをこじ開けられ、鬼の形相のルカに怒鳴られた。

「ねぇ!今何時だと思ってるの!?」




「ご、ごめんね、リオちゃん」


 ぷーっと頬をふくらませたリオの顔を、シイナがのぞきこむ。


 昨夜、ルカの怒号によって寮母さんに起きていることがばれたリオは、二人仲良くお説教をくらったのだ。さらにシイナたちはたぬき寝入りでうまくごまかしたため、リオは消灯時間を過ぎみんなも寝ている部屋で一人うるさく騒いでいた変人扱いを受けた。


「ま、実際騒いでたのはリオだけだし?」

「ひどい!みんなも起きてたのに!」

「起きてたのと、騒いでたのは違うから」


 真っ先にベッドにもぐりこんでいだレイリに満面の笑みで言い返されたリオは、

「みんなでおしゃべりしてたんじゃん!」

 と怒りのままにばんっと机を叩いた。その頭を、ナツがこつんと軽く打つ。

「騒ぐな騒ぐな。ほら、情報収集、行くんでしょ」

 その一言で、二時間ほど維持されていたリオのふくれっ面はぱっと元に戻る。大きな目をキラキラさせて、勢いよく立ち上がった。


「わぁ!行く行く!」


 何度も振り払われながら、ナツの背にぴったりくっついてご機嫌で歩くリオ。シイナとレイリに「行ってらっしゃい」と見送られ、騒がしく部屋をあとにした。





 十二学年、約三千六百人が暮らす寮の敷地は広大だ。学年ごとに一棟ずつ建物が定められているが、リオたちの『向日葵の棟』は街へ続く正門から一番遠く、寮内を走る馬車を使わなければそこに行くまででへとへとになってしまう。

 敷地内を巡回する馬車を降りたリオとナツは、赤レンガ造りの大きな正門をくぐって街に出た。


 寮が建っているのは、王国一の大都市の、そのさらにメインストリート。街では、赤レンガで統一されたいくつもの建物のまわりで多くの人々が思い思いに過ごしている。



 リオはいちご色の瞳をキラキラ輝かせ、吸い寄せられるように人混みの中へ入り込んだ。


「すみません!ちょっとききたいんですけど、青い空って知りませんか?」


 最初に声をかけたのは、赤ん坊を抱いた女性。「青い、空?」

 とまどって首をかしげる女性に、もう一度「はい!青い空です!」と繰り返す。女性は黒い空と立ち並ぶ灯棒を見上げ、困り果てて曖昧に笑った。リオも同じように首をかしげ、二人でにこにこと見つめ合う。


 しばらく、そのままでいて。


「わきゃっ」

 突然強い力で耳を引っ張られ、リオは悲鳴をあげた。振り返ると、鬼の形相のナツに「なにしてんの!」と怒鳴られる。ナツはとまどっている女性に「すみません」と頭を下げ、リオの手を引いて人混みを抜け出した。

「痛いよナツ!」

「こっちの頭が痛いわよ!」

 唇をとがらせるリオに怒鳴り、言葉どおり頭をかかえるナツ。下を向いたままリオの足を見張りつつ、あのね、と言葉を続ける。


「何度も言ったけど、普通の人は青い空なんて知らないの!適当に聞き込みして、変人扱いされてもいいの!?」


 リオはわかりやすくいじけて地面をげじげじと蹴り、「わたしはもうされたもーん」と言い返す。ナツははぁっと盛大なため息をつき、リオの目をまっすぐに見つめた。


「いい?聞き込みは慎重に。単独行動は厳禁!」

「むぅ……。はーい」


 ふくれっ面に戻ったリオは、今度はおとなしくナツについて人々の群れに入り込む。



「すみません。ちょっとおうかがいしたいんですが」

 小さな男の子を連れた男性に、ナツがおずおずと声をかけた。





 聞き込み調査開始から、約二時間後。


 リオとナツは、花壇のレンガに腰かけていた。

「う~……。誰も知らないなんて……」

 リオは、落ち込んでうなだれている。

「あー……。疲れた……」

 ナツは、疲れはててうなだれている。


 ダーデッド王国一の大通りを休憩無しで歩き続けてたくさんの人にきいてまわったが、当然ながら青い空を知っている人は一人もいなかった。二人とも……特にナツは、心身ともに限界がきている。


「ねぇリオ。もう帰ろ?わかったでしょ、青い空なんてないんだよ」


 汗で額にはりついた前髪を整えながら、ナツが生気の無い目をリオに向けた。さすがのリオも朝のような元気はないようで、「う~ん」と小さくうなる。

「もうちょっとだけ!」

 ねばるリオだが、あきれたナツには顔をしかめられた。


「あのねぇ、これ以上誰にきくの?結局片っ端からつかまえたけど、誰も知らなかったんだよ?」

「でもほら、大通りはダメでもさ、あと一ヵ所だけ、行ってないところがあるじゃん」


 リオのいちご色の瞳に、キラリと小さな光が宿る。その輝きになにもかも諦めたナツは、どうにでもなれと「どこ?」とたずねた。


「教会!」





 ねずみ色の石が組み上げられた大きなアーチ。庭の緑は豊かだが、整えられすぎた草花はどこかよそよそしい。王国一……世界一の美しさと大きさを誇る白亜の館は、灯棒や炎床などの必需魔道具を管理する「教会」の総本山、魔法教会ダーデッド本部。


「あんた……ほんとに入るの?」


 かもしだされる威圧感に、ナツはじりっと後ずさる。対するリオには威圧感を感じ取れる繊細さなどはなく、鼻歌まじりにアーチをくぐろうとしていた。

「え?ナツ、来ないの?」

 リオは心底不思議そうな顔で振り返る。


「だってここ……」

「上級魔術師様がいっぱいいるんだよ?物知りな人もきっといるって!」


 言いよどむナツに、あいかわらず楽しそうなリオは笑いかける。



 教会に勤務しているのは、上級魔術師と呼ばれるベテランの魔術師ばかり。そのうえ本部ときたら、間違いなく博識で賢い魔術師が集まっている。世界中の子どもたちが憧れる彼らを尊敬しており、それはリオも同じだった。


「でもさ、こんなとこ、社会科見学でも来ないんだよ?勝手に入っていいのかな」


 なおも立ちすくむナツに、リオはとてとてとかけよった。ナツの手をつかみ、そのまま引きずるようにしてまっすぐアーチに向かう。

「ちょっ、ちょっと待ってって!」

「待ってても始まんないでしょー!」

 ふんばるナツと、引っ張るリオ。子どもじみた争いをくりひろげる二人に、突然「何をしている!」という怒鳴り声がふりそそいだ。


 思わず目を閉じ、体を震わせる二人。おそるおそる顔をあげると、巨大なアーチの前に、紺色のローブをまとった一人の男性がいた。間違いようもない、教会の魔術師だ。

 長い杖を持った男は大股で二人に歩みより、再び「何をしている」と低い声で言った。

 ナツの喉から、ヒュッと細い音が漏れる。リオは、ナツをかばうように一歩前へ出た。にこっと笑い、胸を張って答える。


「わたしたち、夢でみた青い空を探してるんです。なにか知りませんか?」


 リオが言い終わると、男の顔がぴくりとひきつった。男が突然大きく杖をふりかぶり、リオは思わずぎゅっと目をつむる。次の瞬間、ガンッと音がして、地面が揺れた。


 魔術師の男が、太い杖を地面に突き立てていた。


 ナツがリオの腕に反射的にしがみつき、リオも宝石のような瞳を見開いた。

「そんな歳にまでなって、空想にふけって遊ぶなど。デイビーンの名に恥をかかせたいのか」

 平静を装った男だが、その声色は怒りに満ちている。

「くだらん子どもの戯言に、これ以上人々を巻き込むな」

 低く言い放ち、リオたちに背を向ける男。

 遠ざかっていく男の背中を見送りながら、リオは唇をとがらせた。


「なにあれー。タワゴトなんかじゃないのにね」

 と愚痴をこぼしながら、左腕にしがみついているナツを見やる。ナツは額に汗をかき、青い顔で震えていた。

「どうしたの、ナツ。怖かった?」

 うつろな目は焦点が定まっておらず、リオの呼びかけも聞こえていないようだ。その異常な様子に、リオも眉をひそめる。

「ナツ?大丈夫?」

 その場でしゃがみこんでナツを座らせ、浅い呼吸をくり返すその背中をやさしくさする。

「大丈夫だよ。もう大丈夫だからね」

 ぎゅっと抱きしめてあげながら、何度も何度もそう繰り返す。


 ナツがこんなふうにパニックになるのは、実を言うと初めてではない。六、七年ほど前、ナツにはひどく不安定な時期があったのだ。その頃は、リオたち三人の誰かがいつも隣で手を握ってあげていた。

 リオは震えるナツの手をやさしく握り、「大丈夫だよ」と言い続ける。



 ナツの呼吸が落ち着くのを待って、二人は寮へと帰って行った。

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