第1話 始まりの夢

「わたし、変な夢みた……」


 朝六時。灯棒とうぼうが明かりを灯すのと同時に目覚めたリオが、静かに呟いた。


「夢?」

「どんな夢よ?」

 シイナが小さく首をかしげ、ナツが楽しそうにリオの方に身を乗り出す。レイリが、ゆっくりと布団から起き上がる。



「青空の夢」



 遠くを見つめるような、どこかぼうっとした目で、リオが答えた。

「アオ、ゾラ?」

 シイナが、きゅっと布団を引き寄せる。

「空が青いの?気持ち悪い」

 ナツは不快そうに眉をひそめた。

 レイリは自慢の銀髪に指を通しながら、

「私は、読んだことある。空が青いっていう設定の本……」

 と、小さく言った。



 四人は、国立魔法学校デイビーンの八年生。十二年ある学校教育の折り返しニ年目である。八年前、寮で同室になったことをきっかけに仲良くなったのだ。


 リオは、肩くらいまでの明るい茶髪の一部を頭の左上の高いところで結んだ少女。にこやかで活発な性格で、友達も多い。光魔法の使い手である。


 シイナは、おとなしくて控えめな女の子。ふわふわの白い髪を顔の両サイドでゆるく結んでいる。代々優秀な水魔術師を輩出してきた家系の生まれで、魔法の才能はピカイチだ。


 短い赤毛をポニーテールにしているのはナツ。口調はきついが面倒見はよく、実は四人の中で一番オトメだったりする。炎魔法の使い手で、パワーはあるがコントロール性に欠けるのがたまにキズだ。


 四人のうち唯一の頭脳派で、さらさらの長い銀髪をもっているのがレイリ。口数が少なくて冷静な性格もあいまって、「氷の魔女」として恐れられているが、本当は優しい普通の女の子である。




 四人が暮らす街では、朝の六時になると街中の灯棒の五分の一が明かりを灯す。八時になると三分の一、十時には全ての灯棒が明るく輝き、街は明るくなる。


 そもそも灯棒とは、街のいたるところに約一メートルおきにおかれた街灯のこと。エネルギー源は、王都にあるひかり教会から光魔術師たちが送る魔法だ。その役目は国中の光魔術師たちで等分されており、リオも昨年から仕事を任されるようになった。

 もし灯棒がなければ、この世界は永遠の闇に包まれる。そのため、灯棒への光魔法の供給は光魔術師の重要な義務となっているのだ。


 義務をおっているのは、光魔術師だけではない。例えばナツたち炎魔術師には、国の気温を魔法を用いて暖かく保つための、炎床えんしょうという設備の維持が任されている。



 この世界の空は、昼夜関係なく暗く、黒い。四人にとって……世界中の人々にとってそれは当たり前のことで、リオの言うような青い空は、誰一人として見たことはない。想像する人すらもほとんどおらず、レイリが言ったように机上の空想として扱われているのだ。





「綺麗な野原にいたの。花がたくさん咲いてて、緑が綺麗で、それだけでも充分感動したんだけど」

 午前八時。

 四人は、部屋の真ん中に置いたテーブルを囲み、リオのみた夢の話を聞いていた。

「その野原にはね、灯棒が一本もないの。なのに、すごく明るくて……」

 リオは瞳をキラキラさせて、夢でみた景色を語る。

「空は青くて、白い綿菓子みたいなものが浮いてて、それでね、小さな玉が、うんと高いところでキラキラしてるんだ」

「そ、空に、綿菓子?」

「小さな玉?」

 シイナが戸惑いを隠せずに呟き、ナツは露骨に不審そうな顔をする。レイリは、その大きな目でまっすぐリオを見つめる。

「そう。その玉が、見てられないくらい眩しく輝いて、空から野原を照らしてたんだ」

「そんな小さな玉に、そんな力があるの?」

 冷静な疑問を口にしたのはレイリ。

「それはわたしもよくわかんないけど……。でも、すごいあったかい光だった」

「あったかい?」

 炎魔術師のナツが、顔をしかめながら聞き返す。

「うん。炎床がないのにぽかぽかしてて、それだけじゃなくて、なんか、心があったかくなるような光なの」

「心が、暖まる光……」

 シイナが、呟きながら胸に手を当てた。

 みんなが、静かにその景色を想像する。

 暖かくて、眩しい光。灯棒や炎床がなくても、生きていかれる世界。そして、青い空。


「……わたし、青空が見てみたい……!」


 唐突に、リオが言った。


「探しに行こうよ!!本物の青空!」


 ばっと立ち上がって両手を広げ、リオが三人に呼びかける。

 三人は呆気にとられたような顔でリオを見返した。

「あんたね、そんなとこホントにあるわけないでしょ」

 ナツが、呆れたように言う。

「うん……。私も、物語のなかだけの話だと思う」

 と、レイリも申し訳なさそうに同意した。

 リオは粘り強く訴える。

「きっとそんなことないよ!あんなにはっきり夢にみたんだもん!実在するんだよ!」

 両手の拳を握りしめたリオの力説。

 しかし、みんなは困ったように苦笑いをうかべた。

「う~ん、本当にあったらきれいなんだろうけど……、さすがにわたしも信じられないな」

 そう言って、シイナが決まり悪そうにリオの顔色をうかがう。

 リオは、ぷぅっと頬をふくらませた。

「ご、ごめんね、リオちゃん!」

 その表情にあわてて謝るシイナに、

「いいよ、シイナ。こんな話、信じろって言うほうがムチャだもん」

 ナツが笑いながら言って、ふくれたリオの頬をつついた。

「信じてよ~!わたしたち長い付き合いじゃ~ん!」

 幼子のように訴えながら、リオが机に突っ伏す。

 レイリが優しく、その頭を撫でた。

「残念だったね、リオ。でも、素敵な夢が見れてよかったじゃない」

 リオはしばらくそのままでいて、それから小さな声で呟いた。

「……ない」

「え?」

 聞き返したナツが身を乗り出す。

「夢で終わらせたくない!!」

「ったあ!?」

 叫びと共に勢いよくあげられたリオの頭が、ナツのあごを直撃する。

「ナツちゃん!」

 心配したシイナがナツの顔をのぞきこむ。

 痛みにうめくナツの前で、無傷のリオがぐっとこぶしを握りしめた。

「わたし、絶っっ対あの景色見たい。夢で終わらせるなんてもったいないもん!」

「でもリオ。申し訳ないけど、そんなとこきっとないよ?」

 レイリが、困ったようにリオをなだめる。

「そんなの!探してみないとわかんないよ!」

 ぱっと笑って、リオが言う。

 その笑顔を見たレイリは、説得を諦めにこにこ顔で「そうかもね~」と受け流した。

「ちょっとレイリ!早々に説得諦めないでよ!」

 赤くなったあごをさすりながら、ナツが声をあらげる。

「よく聞いて、リオ。あんた本気で青い空なんてあると思ってるの?」

「思ってる!」

「バカね、そんなの、歴史にも絵にもないじゃない!あんたの空想なのよ」

「きっとそんなことないよ!」

 しばらく続いたナツとリオの論争は、リオのいつになく楽しげな声で打ち切られる。


「私、あんなにはっきりキラキラした夢見たの初めてだもん」

 なるようになれと微笑むレイリと、だんだんいらだってきたナツ、相変わらずの困り顔のシイナの前で、リオは目をとじた。


「あんなにきれいな世界、見つけないなんてもったいない」

 静かに呟いて開けられたリオの目は、意志のこもった輝きをもつ。

「まだ誰も見つけてないだけで、きっと……ううん、絶対どこかにあの景色はある……!私、みんなとあの光を浴びたい!」

 言いきったリオに、はぁ、とナツが深いため息をついた。

「あたしたちは、その夢みてない。想像すらうまくできないんだもん。信じらんないよ」

 少し語気を強めて言う。眉を寄せて、リオを睨むような目つきで見た。

「でも、わたしはみた!」

「それはもう聞いた」

 諦めの悪いリオに、ナツが冷たく言う。

「あんたが青空の夢をみたのは知ってる。でも、あたしたちは青い空なんて知らない。学校もあるんだから、探しになんて行けないよ」

 もっともなナツの意見に、リオはうっと押し黙る。



 険悪な空気が、部屋中に流れる。

「あ、あの……」

 シイナが、おずおずと右手を上げた。

「どうしたの?シイナ」

 レイリが優しく首をかしげる。

「リオちゃん、そろそろ時間じゃない?」

「え?」

 そう言われて、リオはあわてて時計を確認した。

 時刻は八時三十分。

「あぁ!!」

 大声をあげて、リオがとびあがった。

「ありがとう、シイナ!すっかり忘れてたよ!わたし、今日お仕事だった!」

 本日八時四十分から、リオは光教会での魔法の提供の当番なのだ。


 リオは騒がしく狭い部屋の中をかけまわり、ドアに立てかけてあったホウキを手にした。ガラガラッと音をたてて窓を開け、窓枠に足をかける。

「ちょっと!いいかげんドアから出るってことを覚えなさいよ!」

 と、ナツが怒鳴る。

「またタオ先生に怒られちゃうよ?」

 シイナも止めたが、そんなことを気にするリオではない。

「ごめんなさーい!」

 反省の色なしでそう叫び、窓枠を蹴って飛び出して行った。

「行っちゃった……」

 静かになった部屋で、窓を閉めながらレイリが言う。シイナが弱々しく笑い、ナツははぁっとため息をついた。


「どうする?」

 ナツが疲れきった目で二人を見る。

「いつになく一生懸命だったね」

 レイリは苦笑しながらそう言った。

「そうだね」

 と同意して、シイナは部屋の天井を見上げた。

「青い空……か」

 突然呟いたシイナを、ナツとレイリが見る。

「わたしも、ちょっと見てみたいかも……」

 シイナが、天井を仰いだまま小さく言った。

「えぇ!?」

 ナツとレイリの驚きの声が重なる。

 驚かれたことに驚いて、シイナはあわてて両手を振った。

「探しに行くっていうのは無茶だと思うよ?でも……少し調べてみるくらいなら、いいんじゃないかな」

 そう言って笑うシイナを、他の二人はまだ驚いた顔で見つめている。

 その視線にやがてシイナの顔はかぁっと赤くなり、

「わ、わたしも今日お仕事あるから!またあとでね!」

 と早口でまくしたてて、ホウキを手に部屋をとびだしていってしまった。


 残された二人は、静かに顔を見合わせる。

「レイリは?」

 ナツが小さくきいた。

 レイリはしばらく目線をそらして悩んだが、やがて

「私も、調べてみるくらいならいいと思う。リオのあの顔、絶対諦めないときの顔だったしね。ないって証明して、満足させたほうが早いかなと」

 その言葉に、ナツは「たしかに」と笑う。


「それに、」


 と、レイリがまた口を開いた。

 ナツは、ん?と首をかしげる。

「シイナが、あんなにはっきり自分の意思言うの、珍しいから。尊重してあげたい」

 長い銀髪をゆらし、レイリがふわっと微笑んだ。

 ナツはほんの少しだけ唇をかみ、苦笑する。

「そう言われたら……リオのこと、止めれなくなっちゃうよ」

「ふふ。止めなくてもいいんじゃないかしら。なんだかんだ言っても、ナツ、リオのこと大好きなんだから」

「恥ずかしい言い方やめて。ただの腐れ縁よ」

 にこにこと笑って言うレイリにナツがムッとして言い返すと、

「あら、ひどい。私とシイナも同じだけ一緒にいるのに」

 レイリはまったく動じずにそう言って、また笑う。

 ナツは言葉につまり、悔しそうに顔をゆがめた。言葉でレイリに勝つのは、ほぼ不可能に近い。

「簡単に調べて、さっさと諦めさせましょう?今説得するより、絶対そっちの方が楽だわ」

 そう言って、さらりと銀髪を揺らしたレイリが立ち上がる。

「私、図書館に行ってくるね」

 キィッと小さな金属音をたててドアを開け、部屋を出ていった。



「暖かい光、か……」

 一人残されたナツは、静かに呟いて自分の右手を見つめた。少し力をいれると、ポッと小さな火の玉がうまれる。はるか昔の先祖から代々受け継がれてきた炎を覗き込むと、彼らが見守っていてくれているような気がする。


 軽く手を振って火を消し、立ち上がる。


 窓辺に立ってどこまでも黒い空を見上げ、唇をかみしめる。


 小さいころから変わらない。頑固で、バカで、いつもまわりを巻き込んで。でも、それが楽しくて。


 だから。


「絶対、すぐ諦めさせてやる……」

 リオがこだわる空に誓うように、一人で呟いた。






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