第1話 ちょっとサッカーやってましたって言いながらそこそこ出来る奴が一番モテるんよな

「悔しいンゴ!」


 友人の城ケ崎文治じょうがさきふみはるの嘆きにも似た悲痛そうな声に、また始まったかと思いつつも一応問い掛け。


「どーした、また掲示板で煽られでもしたの?」 


 ややオーバーなアクションでスマートフォンをポチポチすると、城ケ崎は早口で捲し立てる。


「掲示板の奴らめ、また⑧で煽ってくるんだ」


「ん、でもこの間の開幕九連敗セ・リーグ記録で煽られなくなったって言ってなかった?」


「たぶん他球団のファンかも。ふう、次はヤフコメだ!」


「飽きないねえ」


 呆れたように呟いた。


「日課だし、最早習慣と呼んでも差し支え無かろう。あ、そう言えば委員長ちゃんが園芸委員の仕事が今日からだから、お前に忘れずに言っておいてって言ってたな。園芸委員の仕事、今日からだから忘れずにな」


「げっ、今日からなの?」

「忘れてたんだな、委員長ちゃんが言ってた通りだ、お前は絶対忘れてるからって」

「ぐぬぬ」


「んじゃ、俺はもう帰るからしっかり仕事やるんだぞ、後で俺まで委員長ちゃんと風紀委員にお小言言われたく無いからな」


 Jの薄情なやつ、と内心呟きながら、城ケ崎を見送った。前に話していた夕方放送のアニメでも見るんだろう。視聴率貢献の為にオンタイムで見るんだ! って言っていたし。


 気を取り直して、花壇に向かう。


 ど田舎にある北高校は敷地面積だけやたらと広く、課外活動の一環で、無駄に広い敷地を埋めるべく作られた花壇を一年生の各クラスで管理しているのだ。


「ちぇっ、何だってこんな校舎の裏なんかにあるんだよ」


 一年三組が割り当てられた花壇は校舎の裏側の人目のつかないじめっとした場所。


 廊下から直接出られず、校舎の端から遠回りしなければいけないのが面倒だ。


「ぼすっ、ボコん、ドテっ、」


 何やら物音がした気がするが、気にしない。


「どっかで運動部が練習してんのかな」


 具体的に言えばボールを蹴る音に近かったような。


 花壇に近付くに連れ音は大きくなっている。


 こんなに遠くなら他の委員にすればよかったと嘆きつつ、植え込みに水をやろうとしたときだった。


「危ない!」


 警告と言うのは危険性があるからこそするもので、だからこそ大抵の場合、警告がなされたときには事態は既に手遅れなのだ。


 その声に反応して振り返ったときには、既にそれは目前にあったし、避けようがなかった。


 ボコッ、と大きな音を立てて顔面にクリーンヒット、花壇に倒れ込んでしまった。


「だ、大丈夫?」


 パチパチと閃光が弾ける脳内に、女の子の声。


 どうやら顔面にサッカーボールを当ててきたのは女の子のようだった。


「……2アウト1、3塁、原監督ならダブルスチール⁉️」


 頭が上手く回らない。


「……だ、大丈夫なのか?」


「うっ、うん、もう大丈夫だけど……ん?」


 目をゆっくり開くと、そこには美人がいた。


 赤みがかった茶髪、凛とした顔立ち、同年代にしては高い背丈。じっとこちらを見つめる視線は自分を貫通して背後の花壇まで射貫きそうだ。


「君は……なんだ坂逆緒熟君じゃないか」


 目を丸くして、女の子が言った。


「って、げ、積木条つみきじょうさんかよ。こんなところで何やってんだ?」


 女の子は積木条歌音かのん。緒熟とは犬猿の仲のクラスメイト。


 以下、城ケ崎の噂話。


 眉目秀麗、才色兼備。ありきたりでひどく使い古された言葉ではあるけれど、県立北高校で風紀委員を務めている積木条歌音を表現するのにこれ以上相応しい言葉はないだろう。


 入学試験では二人出た満点合格者のうちの一人であり、またその容姿から一年生の一学期にも関わらず、告白されたこともしばしば。


 彼女の父親は県議会議員で、本人も厳格な性格なのだそう。


 そんな彼女だが、城ヶ崎曰く、関わってはいけない人間なのだとか。


「と言っても既に居眠りと遅刻で何回も風紀委員会にチクられてるお前はもう関わってるも同然だよな。まだ学校始まって2ヶ月も経ってないのに上級生も風紀違反で取り締まってるってんで先輩たちの間でも有名何だってさ」


「ふーん、それ、どこで知ったんだ?」


「北高校の裏掲示板。先輩達のそれはそれは酷い書き込みで一杯だったぜ。校則にちょっとでも引っ掛かれば直ぐにチクる嫌な奴だってな」


 緒熟も同感だった。


 噂話終。


「……別に、何もしていない」


 視線を逸らす、風紀委員。


「何もしていないなら何で俺の顔にボールが飛んでくるんだ」


 頬がヒリヒリ痛む。


「……その、サッカーボールを蹴っていただけだ」


「ふーん、こんなところでボールをねえ。ここ、花壇があるんだけど。確か校則にも花壇を荒らさないようにってあったはずだよな~、」


 普段から目の敵にしている相手の弱みに、緒熟は卑屈になっていた。


「ここ、花壇だったのか?」


「えっ、知らなかったの?」


 予想外の反応に、素で驚いてしまう。


 改めて花壇を見てみる。校舎を壁にレンガで三辺を覆っただけの雑草囃子だった……。


「花壇だと知っていれば……くっ、風紀委員の名折れだ」


 何だか悔しそうに拳を握る風紀委員さんだったが、とは言え問題はそこじゃない。


「いや、花壇とかは正直別にいいんだけど、何でボール蹴ってたの?」


「……」


「誤魔化そうとしても駄目だぞ」


 こっちは顔面に当てられてるのだ。


「それはそのだな、……サッカーの練習をしていたのだ」


「ふーん、あっ、もしかして今度のクラスマッチのため?」


 クラスマッチとは、学年ごちゃ混ぜ各クラス対抗で行われる球技大会プラス百人一首カルタ・テキサスホールデンポーカーのことである。


「そうだ。女子の部門で出るのでな」 


 そう言えば、委員長ちゃんが言っていたのを思い出す。以下回想。


 五月十五日水曜日のHL。中性的である種ボーイッシュとも言えるショートカットが映える学級委員のもと、誰がどの種目に出場するか決められていた。


 いかにも青春真っ盛りな高校生が喜びそうなイベントにRHLは熱気に包まれている。


 高校に入学して1ヶ月以上が経ち、生徒たちの距離感もなくなり(もともと中学からの顔馴染みも多いのだが)みな、会議に熱中していた。


 そんな雰囲気の中、緖熟はと言えば、盛り上がるクラスメイトたちを尻目に欠伸を一つ。時計を見れば二時間続きのHL、まだ一時間の半分も過ぎていない。既に百人一首かるたに出ることが決まっているので後は我関せず、寝不足で隈の出来た眼を擦り、緒熟はそのまま机に突っ伏した。


 耳元で自分を呼ぶ声に、緖熟は目を覚ます。


 目を開けると、机の前に人影、緖熟は霞むまぶたをごしごし擦ってピントを合わせると、果たしてそれは委員長だった。


「緖熟くん? 緖熟くん? あ、やっと起きた。悪いんだけどサッカーの人数が足りなかったから出てもらってもいい?」


 わざわざ中腰になって目線を合わせる委員長。


 寝起きで頭が回らないがとかく、説明を求める。


「ほら、うちのクラスって文化部の子が多いみたいで、バスケは集まったんだけどサッカーの人数が足りなくって、それで百人一首かるたの人から一人出てもらうことにしたの。本当は運動神経の良いバスケの方から出てもらうのが一番なんだけどスポーツ種目の掛け持ちは駄目みたいだし」


「でもなんで俺なんだ?」


城ヶ崎じょうがさき君が教えてくれたの、君が昔サッカーやってたって」


 そう言って委員長が指差す方を見れば、片目を瞑って握り拳にピンと親指を立てている中学からの友人がいた。何のグッジョブだよ、Jのヤツ、と心中密かに突っ込み。


 それから、緖熟はつい口癖を口にしていた。


「ん? 何か言った?」


 怪訝そうに首をかしげる委員長に慌てて手を振り、


「いや、別に。でも大丈夫かな、俺もう一年近くやってないけど」


「ううん、全然平気よ。うちのクラス相原あいはら君とか何人かサッカーやってた子がいるから。まあそれが理由でかるたの子たちが遠慮しちゃったってのもあると思うけど」


「なるほどね、いいよ。戦力になるか分からないけど出るよ」


「良かった。君に断られたら後は委員長の私が出るしかないって覚悟してたの」


「……」


 何となくだけど、目の前にいる無邪気に、屈託なく笑っている女の子は何かヤバイと察した緖熟だった。


「急なお願いでゴメンね。試合は私も応援しに行くから🎵」


 それじゃ、とだけ言い残して去っていくクラスメイトの後ろ姿を眺めていると、何となくやる気が出てくるのだった。


 回想終。


「へえ、じゃあ女子もやるんだ」


「そうだが、知らなかったのか?」


「ん、まあ。そっか、じゃあ練習頑張れよ」


 どうしてこんなところで一人練習してるのかとか疑問はまだまだ尽きないけど、幸い制服の土汚れも手で払ったらあらかた落ちたし、サッカーの練習なら邪魔するのも悪いと思ったのだ。


 緒熟は足元に転がっているサッカーボールをで掬い上げ、頭を越して落ちてきたボールを太ももでトラップして、インサイドで蹴り上げ、手中におさめる。


 その一連の動作をぽかんとした顔で見ていた積木条は、しかし、気を取り直したように緒熟からボールを受け取ろうとして。

(む、でもこのまま素直に返すのも癪だな。てかそもそもまだ謝ってもらってないじゃん)


 緒熟がボールをひょいと持ち上げたので空振りした。


「あ、おい、何をするんだ。もう帰るんじゃないのか?」


「ん、いや考えが変わってさ」


「いたずらのつもりか? 私は練習で忙しいんだ。君みたいな入学早々授業中に居眠りするような問題児の相手をする暇は無いぞ」


「ん、クラスマッチの練習してんだろ? 付き合ってやるって言ってんだ」


 そう言ってニヤッと笑うと、緒熟はボールを地面に落として足の裏でピタッと止める。


「なっ、貴様~‼️」


 積木条はムキになって足を伸ばしてきたので、ひょいと動かして股抜き。


「ムッ! くっ、」


 今度は足を伸ばして来ないので、こちらから仕掛ける。


 右足でつついて、足を伸ばしたくなる位置において、最後の一押し。我慢できずに伸びてきたところをエラシコで鋭く返して、二回目の股抜きナツメグ


「ははっ、これは確かに練習が必要かも」


「このっ~‼️」


「いいよいいよその調子🎵」


 今度はもう足を出す気もないようだ。ならばと仕上げに上体フェイントで足を崩れさせる。


「きゃっ!」


 と、声を上げて積木条は尻餅をついてしまう。


 そこまでやるつもりがなかった緒熟はあわてて手を差し伸べて、言った。


「だ、大丈夫⁉️ って、あ……黒のレース」


 スカートの間から覗くそれは、緒熟の背後から差す陽で照らされていて、白い柔肌とコントラストを描いて非常によく見えた。


「このバカ‼️」


 頬を真っ赤に染めた積木条に本日二度目のクリーンヒットを喰らった。


「練習するならこんな狭いところじゃなくてもっと広いところでやればいいのに」


「どこで練習しようが私の勝手だろう」


「でもここは花壇があるから駄目だよ」


「うっ、」


 赤くなった鼻頭を押さえて、少々曇った声で緒熟は淡々と言う。


 言葉に詰まる積木条。


「普通にコート借りてチームの皆で練習すればいいじゃないか。一人でやってもなかなか上手くならないよ」


「……出来ないのだ」


「何でよ」


「それは……」


「もしかして、何でも出来るちょー優等生のこの私がフットボールが上手くないところなんて見せられない! ってこと?」


「……」


 冗談半分で言ったつもりだったのだが、図星のよう。


「何でも出来ちゃう完璧超人ってイメージだったけど不得意なこともあるんだね」


 頬に手をついて、ニンマリ笑って言った。


「……君、私にそんなイメージを持っていたのか」


 呆れ気味に積木条は苦笑。


「うん」


「……はあ、どうも昔からボールを使った運

動が不得意でね。況してや足で扱えだなんて。でも、君は上手だったね。中学生の頃はサッカー部に入っていたのか?」


「ん、ちがうよ。昔ちょっとやってただけ」


「昔、ちょっと、ね。素人目に見ても君のボールの扱いはとてもその程度には見えなかったぞ」


「教えてもらえば誰だってあれぐらい出来るようになるさ」


 緒熟は軽く言ったつもりだったけれども、その言葉は積木条にヒントを与えた。


「教えてもらえば誰だって……坂逆君、一つお願いがあるのだが……」


 語尾を濁す積木条。


「何?」


「私に、サッカーを教えてくれないだろうか?」


「うん、いいよ」


「……?」


 二つ返事で快諾する緒熟にどこか拍子抜けした表情の積木条。


「どうかしたの?」


「いや、私はてっきり断られるかと思って……君は私の事を嫌っているだろうから」


 今度は緒熟が怪訝な表情を浮かべる。


「? どうして俺が積木条さんのことを嫌いになるんだよ」


「私は君に厳しいことを言っていたから……」


 遅刻居眠りを咎めるのは当然、宿題の提出などなどかなり厳しく言ってきた自覚がある。


 だから、クラスメイトにとって自分は目の上のたんこぶだろう。


「ふはは、そんなことで嫌いになったりしないよ。そもそも悪いのは俺なんだし」だから緖熟の返答は意外なものだったし、驚いた。


「む、でも断られると思ってたって俺が断ってたらどうしてたの」


「君、私の下着を見ただろう、」


「何のことだかさっぱりンゴ」


「……」


 無言でボールを構える積木条。


「詳しくは知らないけど、あの下着は校則違反だと思います。フレンチ!」


「それを言うならハレンチだ。いや、私の下着が破廉恥と言う訳では無いが」


「価値観の相違だね。じゃあ私の破廉恥な下着を見たんだから練習に付き合いなさい‼️ ってつもりだったのね」


「だから私の下着は別に破廉恥では……まあ概ねそういうことだ。それでだ、サッカーの練習に付き合ってくれるのか?」


「もちろん、一つ条件があるけどね」


「条件?」


 緒熟は人差し指をピンと立てて言った。


「俺が教えるのはサッカーじゃなくてフットボール、だよ」


   ✕ ✕ ✕


 都会ではなかなか珍しい球技OKの公園だけれど地方には存外多いものだ。なかにはゴールも設置されている場所もあったりする。


 高校からバスで4駅、歩いて5分。


「どうしたんだ回りをキョロキョロ見て」


「いや、なんか見られてるような気がして」


 バスの車内、後ろの座席に二人並んで座っていると、同じ学校の高校生たちがじろじろと見てくる。


「気のせいだろう。人間は存外、他人のことなど気にしないものだ」


「ダウトだ、俺がちょ~っと遅刻しただけでめっちゃ睨んでくるくせに」


「それは風紀委員としてのだな……いや、この際だから言うけれどキミがときどき朝マック行って遅刻してるの、知ってるからな」


「ひぇ、何のことだかさっぱリンガード」目を泳がす緖熟。


「あっ、バス停そろそろじゃない?」


「逃げたな」


 停留所で降りたのは緒熟たちだけだった。


 芝生の公園は平日の夕方とあって他に利用者は居なかった。


「では坂逆君、私は何をすればいい」


 3メートルほど離れた位置にいる緒熟に言った。


「取り敢えず俺に向かってボールを蹴ってみてよ」


 言われた通り、足元のボールを蹴ってみる。


「それ、わざとやってるの?」


 見事にへクリーンヒット。


「い、言われた通りに蹴ってみたのだが……」


「うーん、積木条さん。今ボールを足のどこで蹴った?」


 積木条は右足を触って感触を確かめる。


「足の甲、だな」


「そこはインステップって言ってね、今みたいにボールが浮いちゃうんだ。基本はまず、インサイドキック」


 緒熟は足の内側を示す。


 それからお手本。


 緖熟の足元を離れたボールは等速直線運動をして、真っ直ぐ積木条へ届く。


「それじゃあ積木条さんも蹴ってみてよ」


 頷くと、積木条もボールを蹴る。


「む、」


 が、緖熟から少し離れた場所へ。


 その後も何度か繰り返すが、ボールはなかなか緖熟へ転がらない。


「どうしてキミは真っ直ぐ蹴れるんだ?」


「コツは二つあるんだ」指を二本立てて緖熟は言った。


「一つ目は、足の面を蹴りたい方向へ真っ直ぐ平行に向けること。それから二つ目はパスしたい相手をよく見ること」


「蹴りたい方向へ足を向けて、パスしたい相手をよく見ること……」


 積木条は大きく空振ると尻餅を付いてしまった。


「だいじょーぶ?」


 緖熟は駆け寄ると手を差し出した。


「あ、ありがとう」


「まあ二つ目は馴れないと難しいからね。まずはボールをしっかり見て、一つ目からやろ」


 はじめは見当違いの方へ行っていたボールも、今では少し離れた位置にいる緖熟の足元へしっかり届く。


「おっ、良い調子じゃない! 次はもうちょっと距離を離してみようか」


 一歩、また一歩と下がって距離を開けていく。


 それでもボールは真っ直ぐ進み、緖熟の足元へ。


「ふふ、上手くなってるね🎵」

 

 ボールをヒールリフトして手で掴んだ緖熟は、開いた距離を詰めてくる。


「そう、なのかな。こうして言われてもいまいちしっくり来ないのだが」


 どこか不安そうな顔。


「大丈夫だよ、なんたって俺のお墨付きだからね」


「そうか」


「うん」


 にっこり緖熟は笑った。


「キミ、優しいんだな」


 不意討ち。


「えっ?」


「私のことが嫌いじゃないとしても、普通は親しくないクラスメイトにここまでしないだろう」


「む、俺は別に優しいって言われるほどお人好しじゃないよ」


「じゃあなぜ私の練習に付き合ってくれるのだ」


「君が教えてくれって言ったから」


   ✕ ✕ ✕


「暗くなってきたな」


 五時半を告げるチャイムが鳴ってから随分と経つ。


「さっきまで明るかったのにね。ボールも見えないし帰ろっか」


「今日は練習に付き合ってくれてありがとう。これでクラスマッチも何とかなりそうだ」


 緖熟はキョトンとした顔で言った。


「何を言ってるのさ、クラスマッチまで後一日あるしまだまだ練習するよ。そもそも今日はパスとトラップしか練習出来なかったんだから」


「いや、他に何を練習するんだ?」


「簡単なドリブルと守備、かな」


「……その、良いのか?」


「?」


「明日も明後日も、練習に付き合ってくれるのか?」


 信じられないように、或いはしつこい保険の勧誘員を疑うように積木条は言った。


「当然だよ」


「……」


「君にフットボールを教えると引き受けた以上は、出来るだけのことをするつもりだからね」


 公園を出た後、暗いし家まで送るよと言った緖熟の申し出を積木条は丁重に断ると、そのままどこからともなく現れた白髪のオールバックがビシッと決まっている壮年の男性が運転する送迎用のキャデラックに乗って消えてしまった。


 (実家、お金持ちなんだっけ)


 Jの奴が言っていた通りらしい。


 家まで大した距離も無いので徒歩で帰った。


   × × ×


 翌日の朝。珍しく早く目が覚め、に登校した緖熟は、周囲の奇異な視線にも僅かばかり違和感を覚えるだけでオフサイドポジションにいるのを理解しているペナルティボックス内のテクニシャンのようにスルーした。


 教室内でもクラスメイトの視線が刺さる。


「おい、緖熟。お前ちょっと来るンゴ」


 リュックを机に置くなり、右腕をJに掴まれて緖熟は廊下の外へと連れ出される。


「朝から急になんだよ」


「昨日積木条と一緒に帰ったのは本当なのか?」


「ああ、うん。そうだけど」


 Jはため息を吐く。


「噂になってるンゴ」


「噂って?」


「相変わらず察しが悪いンゴねぇ、学年一の美女にして鬼の風紀委員と恐れられる積木条歌音と一緒に仲睦まじく帰ったんだからそりゃ噂になって然るべしだよ」


「そんなに噂になるようなことなの、それ」


「まあ思春期真っ盛りの高校生なら興味を持つんじゃないンゴ?」


「Jは興味ある?」


「無いと言ったら嘘になる」


「帰り道が一緒になっただけだよ。みっちり日頃の行いについて説教を受けてました」


 Jはまるっきり興味を失ったようで、肩から手を話した。


「ま、そんなとこだろうと思ってたけどよ」


「Jの期待には応えられなかったみたいだね。あ、で悪いんだけどさ、たぶんこのことクラスのイケイケ陽キャ一軍ズに聞かれると思うけどそのまま答えてくれない?」


「それぐらい別に良いけど……、えっワイクラスのイケイケ陽キャ一軍ズと話さなきゃいけナインゴラン?」


「噂って言うのはそう言うものだよ」

 何やら訳知り顔で頷く緖熟なのだった。


 茶、金髪、男女入り交じった数人に囲まれて目に見えて狼狽えるJを尻目に、遅れてやって来た睡魔に緖熟は身を任せる。


 めちゃくちゃに眠いときは硬い椅子と机に愛想のない腕枕でだって寝れるのだ。


 と、夢の中で花壇の近くで遊ぶファンシーな格好をした積木条に月に代わってお仕置きしていると、何やら遠くから声が聞こえる。


 おかしい、今積木条はしゅんとした様子でしおらしく俺の説教を受けているはずなのにどうして彼女の声が聞こえるんだろう。


 それに身体を揺さぶられてる気がする。


「起きるんだ、もう下校時刻だぞ」


「むにゃむにゃ、When the seagulls follow the trawler, it is because they think sardines will be thrown into the sea.」


「相変わらず寝言が特徴的だ」


 普段の授業でもそうだけれど、先生もたじろいでしまう英語力はどこで身に付いたものなのだろうか。


「むにゅ、今起きますぅ~」


 緖熟は目を覚ます。

 

 自分を覗く二つの目。春のせせらぎのように透き通る美しい赤い髪は積木条に違いない。


「あれ、積木条さんじゃない。む、他の人たちは?」


 夕陽が射す教室内は二人以外に誰もおらず、静寂に包まれていた。


「はあ、もうとっくにホームルームも終わって帰ったぞ」


 呆れ半分に言う。


「……それで、どうしてもう5時になってるのさ」


 黒板上の時計を見れば、時刻は午後5時を少し回ったところ。


 6限眼が終わるのが午後3時40分。


「委員会の仕事があったのでな。ほら、じきに陽も暮れるだろうから急ぐぞ」きょとんとした顔を浮かべる緖熟に積木条はジト目になって言った。


「練習、忘れてないだろうな」


 つい昨日来たばかりの公園は、今日も今日とて空いていた。


「基本的に相手が近くにいる場合はタッチ数も増えるし、ドリブルの間隔も短くなるんだ」


 坂逆緖熟教授の講義は、生徒を軽くいなしながら続く。


「はあはあ、少しは加減したらどうなんだ」


 こう生徒は言っているが間違いなく加減したらしたで怒るタイプだ。


 緖熟は足裏でボールを身体に引き寄せると、ちょんと爪先で弾いて距離を詰めてきた積木条の股を抜く。


「でもスペースがあれば前進あるのみ」背中の後ろからボールを奪おうと足を伸ばしてくる生徒。教授は右足の裏でボールをキープすると、右にずらしてヒールで蹴り出す。それから反転して生徒を抜き去った。


「と、こんな具合にね🎵」


「……ボールにすら触れない」


 技術の差、なのだろうか。ボールを足でいとも簡単に、思うままに動かす緖熟は積木条にしてみればまるで魔術師のようだった。


「向こうにいたときはそう呼ばれていた頃もあったっけ。まあでも誰しも最初から上手いわけじゃ無いからね。とにかく練習、だよ」緖熟はリュックからマーカーを取り出すと30センチ間隔で均等に並べていく。


「最初は右足だけでジグザグにドリブルしよう」


 まずは実演。右足のインサイド、アウトサイドを使って器用にマーカーの間を通り抜ける。


「……」


 積木条も実践してみるけれど、思ったようにボールがいかない。


 アドバイスを求めて横で芝生に転がっている緖熟に目線をやった。


「む、普段はそんなにヒントは出さないんだけど時間が無いから今回は特別、だよ。そのマーカーを相手の足だと思ってみてよ」


 相手の足。つまりはボールを奪おうとしてくる敵だ。


 少し前に緖熟が言っていたことを思い出す。


 (ドリブルの間隔を短く……)


 右足でちょんとボールをつつく。少しぎこちないけど、さっきよりはボールを扱いやすくなった気がする。


「その調子だよ🎵」


 数分でマーカーには当たらないぐらいにはドリブル出来るようになった。


「……よしっ」


 全部のマーカーをぶつからずに抜けた後、小さくガッツポーズ。


 緖熟も惜しみ無い拍手を送る。


「次は何をするんだ?」


「そうだねえ、本当は左足の練習もしたいところだけど本番は明日だし、後は軽い守備練習かな」


「いや、シュートはどうするんだ?」


 積木条だって日本代表戦ぐらい見るし、多少の知識はある。


 教えるのが面倒になってきたのだろうかと勘繰るけれど、緖熟は冗談と思えない顔で言った。


「練習は要らないよ、ど真ん中におもいっきり蹴るだけだから」


「ナイスシュート!」


 バレーボール部所属らしい髪をポニーテールにまとめた長身の女子は、ゴールを決めた積木条に両手でハイタッチ。


 試合終了間際の逆転弾にペナルティーエリア近くで佇むスコアラーの元へチームメイトも集まって喜んでくれた。


 そんな様子を緖熟は嬉しそうにフェンス越しに眺めていた。


「緖熟」


「ん、何?」


「積木条さんは凄いンゴねぇ」


 城ヶ崎は感心した様子で頷きながら言った。


「この分だと女子の部の得点王かも」


 ゴールを量産した積木条の活躍もあり、チーム一年五組は見事三位入賞を果たした。


「んじゃ、俺はちょっと用があるから」


「了解二百海里」


 緖熟は城ヶ崎と別れた。


 そのままグラウンドの反対側に行くと、自販機で缶ジュースを二本買う。


 しばらくグラウンドの様子を窺っているとお目当ての人物は直ぐに捕まえられた。


 なんとなしに思い付いて、水滴の付いた冷却材を頬に当ててみた。


「えいっ」


「坂逆君か、」


 頬に当てられた缶ジュースにちらりとも反応すること無く、積木条はじとっとした目で緖熟を見た。


 冷たい反応に少し困る。


「ん、いや、あの、うんお疲れ様。めちゃくちゃ凄かったよ」


「いや、駄目だ。準決勝で負けてしまったのだからな」


 悔しそうに積木条は言った。


「でも二位のクラスは2点差で負けてたし、1点差で負けたうちの方が善戦してたよ!」


「それ、慰めてるのか?」


「……そのつもりです。それとこれ、頑張ったで賞の景品」


 緖熟は缶ジュースを差し出す。


 積木条は少し驚いたように緖熟は手元を見詰めた。


 無表情が崩れて、初めて感情が垣間見えた感じ。


「ふふ、君は本当に優しいんだな。ここじゃ人目もあるし場所を変えようか」


 積木条は周囲の視線に参ったなと両手を上げてジェスチャーする。


 風紀委員を眺める視線の中には上級生も混じっていたし、城ヶ崎の言った通り有名人なのは間違いなさそうだ。


「良い場所を知ってるんだ。ついてきて」


 積木条の笑みは運動後と言うことも相まって、清涼飲料水のCMになってもおかしくないくらい爽やかだった。

 

 クラスメイトの行き先は、今は文化部棟になっている改装された旧館の一室だった。


「ここは?」


「紅茶研究部の部室だが」


 見るからにふかふかそうな安楽椅子に腰掛ける積木条だが、ポーズも勘定に入れるとどこぞの探偵にも見えなくもない気がしてきた。


「紅茶研究部? 何する部活なのさ」


「紅茶を愉しむ部活、だな」


「……」


 深く関わるのはよそうと思った緖熟だった。

 とは言え彼女が言った通り、なのは同感だ。


 教室の3分の1もない広さはさすがに狭いけど、それがいい塩梅に雰囲気を醸し出す要因になっているし、棚に並べられた紅茶の缶や本棚にある著名どころが揃えられた英語の小説、過度に華美でなくそれでいて質素でもない装飾が施されたティーセット、窓から射し込む夕陽と、それらの舞台道具はいつまでもここに居たい気分にさせてくれる。


「坂逆君、君のアドバイス通りにプレーしようとは試みたが、結局ゴールの真ん中にボールは蹴れなかったよ」


 やはり力を込めたときはまだ精度がよくないらしいと自己分析。


 緖熟は笑って言った。


「それでいいんだよ。だって点取れてたでしょ?」

「それはそうだが……」当初の目的だったチームメイトに下手なところを見せない、をクリア出来たと自信を持てるぐらいには得点していたと思う。と、はたと気がついた。「まさか、最初から私のシュートが真ん中から逸れると思って言ったのか⁉️」


 ガタッと椅子を鳴らして立ち上がると、生徒は机に手をついて言った。


 おかしいとは思っていたのだ。真ん中に蹴ったら中央で構えているキーパーに取られるだろうし。


 教授は種明かしをする。


「そうだよ。初めから真ん中を狙えば、逸れても枠内に収まるしね」


「くっ、私を馬鹿にしているのか!」

「いやいや、これはある名将も教え子に言ったくらい根拠ある方法なんだよ。実際点も取れたでしょ?」


「確かにそうだが……」いまいち判然としないけれど、ただこうして緖熟が練習に付き合ってくれて、アドバイスもあってクラスマッチを乗り越えることが出来たのは事実。「……ありがとう」


 小さな声で言って、積木条は缶ジュースを開けて、少し口を付ける。

「君は飲まないのか?」


 テーブルの上に置かれたままの缶ジュースを見て言った。


「ああ、俺、缶の蓋開けるの苦手なんだよね」


 じゃあ何で缶にしたんだと言う疑問はぐっと飲み込んで代わりに開けてあげた。


「軟弱者」


 喉が渇いていたのか緖熟は一口で飲みきっていた。


「せっかくだ、紅茶でも淹れようか?」


「いや、魅力的な提案だけどまたの機会にさせてもらうよ。もう直ぐ帰るから」


「まだ5時前だぞ? 何か用事でもあるのか」


「明日は俺も試合に出るからさ」


「そう言えばそうだったな。私もここから応援しているよ」


 三階にある部室からはグラウンドが一望できた。


「なら頑張らなくちゃだね🎵」


   × × ×


 翌日、放課後。


 今朝に委員長ちゃんから言われた通り、教室で体操着に着替えてから第二グラウンドに向かうと、ネットに囲われたサッカー場のすぐ近くにある二階建てプレハブの部室近くにクラスメイトたちがいた。


「お、来た来た。俺たちの試合は二つ目だからまだゆっくりしてて良いってよ」


 校則が緩いからと入学二日目から茶髪に染めてクラスメイトに一目置かれているサッカー部の栂池良介つがいりょうすけが声を掛けてくる。耳にピアスをして普段は制服を着崩している栂池だが、見た目とは裏腹に良いヤツだというのがクラス一同の見解だ。先生に頼まれたプリントを職員室に運ぶのを手伝ってくれたときは女の子だったら即落ちやったなと思わされた。


 うん、と軽く返事をして、皆サッカー経験者だと言うチームメイト(百人一首かるたの男子がやりたがらないわけだ)とウスとか、オスとか挨拶を交わして緖熟は壁際に腰を下ろした。壁に背を預けて大きめの入道雲をのほほんと眺めていると、視界を遮る影が一つ。


「委員長ちゃんから話は聞いたけど昔サッカーやってたんだって?」


 と、話し掛けてきたのはクラスの中心人物である相原修太あいはらしゅうた。絵に描いたような陽キャで、持ち前のコミュニケーション力もあって早くもクラスの人気者になっていた。もしかしたら、チームメイトの輪から外れて一人いるところを気遣ってくれたのかもしれない。見た目も中身もイケメソとかどういう育ちかたをしたんだよワレと感心。


「まあちょっとね。そっちは?」


 隣に座った相原に言った。


「二年前にやめて以来だね」


「じゃあ俺と同じか」


 自分に言ったわけでもなくただそう呟いた緖熟をじっと見つめ、かぶりを振って言った。


「そうか。ポジションはどこだったんだ?」


「セカンドトップと中盤」


「それじゃあ君には俺とツートップを組んで貰おうかな」


「ツートップ? じゃあフォーメーションは3-2-2?」


「いや、2-3-2だよ」


 小学生年代や狭いコートで主に行われる8人制サッカーはキーパー1人を除いてフィールドプレイヤーは7人で構成される。その為、11人制よりもフォーメーションの幅が狭まるのだ。8人制の場合はディフェンダーを三人置いた3-3-1か緖熟が言っていた3-2-2、またはセンターバックを2人にサイドバックを置いた4-2-1、そして変わり種の2-3-2の四つのフォーメーションが主流だ。


「俺がCFをやるから君がSTだね。よろしく頼むよ」


「了解二百海里」


 特に冗談を言うつもりもなかったのだが、昨日城ヶ崎に言われたのが頭に残っていたようでついぽろっと言ってしまった。


「シューズはあるかい?」


「トレシューなら一応」


 トレシューとはトレーニングシューズの略だ。


「ま、気楽にいこうよ。と言ってもクラスの皆は景品目当てで大盛り上がりみたいだけどね」


「景品? 聞いてないな、それ」


「ん? ああ、そうか。君、HL中爆睡してたもんな。クラスマッチで総合優勝できると景品があるんだ」


「なるほどね。食券一ヶ月無料とか?」


 さすがに言いすぎか。


「牛タン食べ放題」


「牛タン⁉️ 仙台の?」


「そうだよ。あの有名な専門店でね。何でもこの高校のOBが経営しているらしくて色々とWIN-WINな関係らしい」


 節税対策とか。


「へえ、そりゃ皆目の色変えるよな」


 福島の高校なんやからそこは福島名物にしろやとかそんな単略的なことを言ってはいけない。考えれば分かるが、言わば、福岡県民に手土産でひよっこを詰まらないものですがと前置き付きで持っていくようなものだ。


「そういうことだ。とまあ気楽にとは言ったものの、人数が多い分サッカーの配点が一番多いから頑張らなきゃね。皆応援に来るって言っていたし」


 ふーんと素っ気なさげに反応したが、もしも女子が応援しに来るならサッカーを多少なりとも嗜んでいた者の義務としてそこそこ良いプレイを披露する必要があるやも知れぬと緖熟は検討しはじめるのだった。


 それから、相原とチームメイトのところに戻り、戦術やポジション確認を行った。サッカー部の栂池のみが現役のプレイヤーだったが、チーム全員がサッカー経験者と言うこともあって会議はスムーズに進行した。


「次の試合が始まりますのでビブスの着用をお願いします」


 どこからともなく現れた運営委員はそれだけ告げるとビブスの入ったスーパーにある網目のかごを置いていく。


 ビブスの色は赤だった。


 (何の因果だろうなあ)


 何てつい思ってしまう。赤、かつて自分が所属していた『赤い悪魔』と恐れられていたチームのユニフォームカラー。


「俺は7番だからクリスティアーノ・ロナウドだな」


 ビブス恒例の自分の背番号の選手を言っていくあれだ。


「そんじゃ俺は4番だからラモス」「お前はブスケツか」「13番でキーパーだとオブラクかな」「いや、俺はエデルソン派だぞい。キーパーなのにあんなに足元上手いんだぜ?」「それなら31番じゃね?」「おいおい、エース背番号の10番がまだだぞ」「10番は国を動かしちゃったラッシュフォード一択っしょ」「いやいや中盤ならモドリッチじゃあないか?」


 どうやら皆サッカーに詳しいらしい。次々と選手の名前を言い合っていく。


 そんななか、緖熟は最後に残っていたビブスを手に取る。


 8人分にもかかわらず、一際大きい数字。


 そして、化学繊維の表面に貼られたセロハンの番号を見て思わず笑ってしまった。


「お、坂逆は18か。でも18番って誰かいたっけな」


 6番を着ている生徒が首を傾げる。


 緖熟は久し振りに着るビブスに袖を通し、裾を引き伸ばして、顔を上げると、言った。


「18番はポール・スコールズの背番号だよ」


 サッカー部部長の騎院呂衣きいんろいには深刻な悩みがあった。


「新入部員、まじで何とかしなくちゃあいけないよなあ」


 このクラスマッチと言う行事は運動部のスカウトが目的で始まった、なんて学校の七不思議めいた噂が北高にはあるけれど、半分事実である。


 高校野球では耳にすることが多いスカウトだけれど、サッカーも例外ではなく強豪私立校は全国に敏腕スカウトを派遣しているぐらいだ。


 とは言え北高校は強豪と呼べるような高校でもないし況してや県内の学生のみが進学できる公立校だ。


 つまり、端的に言ってしまえば今行われているスカウトは部の強化を目的としたものではなく、足りない部員の補充の為なのだ。


「ですですよ。まだ二人しか入ってないんですからあ。このままじゃ練習試合も組めるか分かりませんですよ」


「言われなくても分かっちゃいるさ。ったく、先輩に聞いていちゃあいたけどまさか本当にクラスマッチからスカウトすることになるなんてな。塞翁が馬、何があるか分からねえもんだ。全く、後で監督に何言われるか……」


 第二グラウンドはサッカー専用のコートで、ピッチを二つに分けて二面で試合をすることも出来る。学業に支障が出ない範囲で行うクラスマッチは集中開催のため、当然、二面同時進行で行われる。その為、試合中にもう片方の試合のボールが乱入することもしばしばだ。


 騎院とサッカー部マネージャーの市之瀬姫夏はハーフウェイラインの延長線上にあるベンチに座って両試合をつぶさに観察していた。


「さすがに栂池の奴は上手いよなあ。素人の料理方法を心得ていやがる」


 ボールを爪先でちょんと浮かして伸びてきた足をかわした栂池を満足そうに見て言った。


「そんなどっかの学園3位みたいなこと言って、後でブーメラン刺さっても知りませんよ」


「? 何言ってんだ?」


「いえ、何でもないですよ。でもでも、ほら、あの9番の子なんか動きが良いですですよ」


 グラウンド上では、9番のビブスを着けている相原がボールを取りに来た相手をダブルタッチで軽くいなして、空いたスペース目掛けて前に走り込んでいた味方にスルーパスを出す。


「おお、確かに、回りがよく見えてるな」


「お、決まりましたね。ゴールを決めた6番の子もキーパーとの一対一も落ち着いていましたね」


「あの6番も一応リストに入れとけ」


 市之瀬はノートに名前を書き込む。


「隣のコートは全員未経験者みてえだし、目星をつけんならこっちだな。ふーん、五組の連中は皆動きが良いみてえだけど……うん? おいおい、何であいつボールを追わないんだ?」


 味方からの緖熟へのパスは、距離を詰めていた敵を意識しすぎたせいで少しコースがずれてしまい、緖熟の横を通過してサイドラインを割ってしまう。


「今の18番ですか? ええっと名前は坂逆緖熟ですです」


「珍妙な名前だなあ。いやそれは良いんだけどさ、今のボール、間に合ったんじゃあないか?」


「そうですですねえ。充分に間に合ったように見えますです」


「あの18番、動きは悪くねえし、トラップパスドリブル全部基礎からできてんだけど妙にこなれてるっつうかなんつーか、言葉にすんのは難しいけどさ、嫌な感じがするぜ」


「どうします、一応リストに入れますですか?」


「いや、いいよ。走れねえ奴はうちのチームに要らねえ」


 結局、二年生が相手だったが緖熟たちのチームは無失点に抑えて快勝した。


「よっしゃ、まずは一勝目!」


 一試合目を終え、プレハブの部室下に戻る。


 水分補給やらをしつつ、ハイタッチを交わして先輩の前ではしゃげなかった分の喜びを爆発させる。


「イヤー思いの外余裕だったな」


「なっ、お前のゴール凄かったぜ!」


「あたりめえだよ、これでも中学んときはエースだったんだからな」


「これワンチャン優勝あるかも知れねえぞ」


 そんな会話を右から左に流しつつ、緖熟は微かな自信を抱いていた。


 (久しぶりだったけどこれならいけるかも!)


「あ、そういや緖熟、お前大丈夫だったか?」


「えっ?」


 全くの不意に名前を呼ばれ、緖熟は驚いてしまう。


「大丈夫だったって?」


 声の主、栂池に言った。


「いや、試合中足を気にしてたからさ」


「あ、うん、大丈夫だよ、ありがとう」


 よく見てる、とはからずも感心してしまう。


「なら良いケド。んじゃ、そろそろ二試合目の作戦会議と行きますか。何かあるやついるか?」


 首を横に振る一同。


 と、相原が手を上げる。


「お、相原クン、何だ?」


「次の試合、俺のワントップで良いかな」


 その発言に全員が相原に視線を向ける。


 その視線の意図を察したようで、相原は何故か緖熟を見て、口を開く。


「君、やっぱりSTじゃやりにくかったんだろ。だからどうだい? 中盤に下がるのは」


 とは言え、説明になっていなかったようで緖熟と栂池を除く五人は口をポカンと開けているが。


「ふーん、そゆことね。なら緖熟、俺とポジション変えようぜ。お前は右のインサイドハーフに入ってくれ」


「了解」


 今度は冗談は言わなかった。


 次の試合までまだ時間があると聞いて、ちょっとと言い残して緖熟は第二グラウンドを出た。


 ぶらぶらと歩きながら、目についた自販機でポカリスエットを買おうとボタンを押すと、ピッと電子マネーをタップする音。


 隣を見れば、スマートフォンを自販機に当てて、腰を折り曲げ、出てきたよく冷えたポカリスエットを頬に当ててくる委員長がいた。


 ひんやりと心地よかった。


「はい、これ。本当にありがとうね」


 どうやら、お礼のつもりらしい。 


 礼を言って素直に受け取ろうかとも思ったが、昔の習慣がまだまだ抜けきれていなかったようで無意識に小銭を投入して、ボタンを押していた。


「特に礼を言われるようなことはなにもしてないよ」


 そう言って、小岩井牧場のグレープジュースを渡す。


「そんないいのに……」


 とは言え、もうジュースは自販機から出ているので委員長は渋々受け取った。


 いまいち距離感が掴めないやつ。


 やはりえへへと屈託のない笑みで笑う委員長を見るとそう思うのだった。


 それにしても、と、何となく座った付近のベンチに並んで座ってきた委員長がジュースを一口含んでから言った。


「うちのクラス、強かったね。無失点で5点差って凄いんでしょ?」


 何故か疑問系。会話をしましょうと言う言外の意味だろう。


「まあそうだろうね。皆上手くて驚いちゃった」


「緖熟君も上手かったよ。サッカー詳しく知らないからよく分からないけどミスをしないって凄いんじゃないのかな」


 目の付け所が良いな、と感じたけど口に出しはしない。


 あくまで素人に毛が生えた程度の体でいきたいのだ。


「凄いかどうかはともかく極力ミスはしないよう心掛けているよ」


 ポンと手を打って委員長は言った。


「前に30%の確率で決まるシュートをスーパーセーブするキーパーより70%を確実に止めるキーパーの方が優れているって話を聞いたことがあるんだけど、ミスを避けるってそう言うことだったりするのかな」


「まあ、一概にそうとは言えないけど、と言うか俺のポジションの場合はむしろリスクを取るべきだからねえ」


「そうなんだ」奥が深いんだねえ何て言って笑う。


「見てて思ったんだけどさ、坂逆君、何と言うかプレーしづらくなかった?」


「しづらいって?」


「んー、何と言いいますか、本当だったらこういうプレーをするところなんだけどあえてこっちのプレーを選択しているって言えば言いのかなあ。ごめん、ちょっと言いにくかったかも」


 お前は何を言っているんだ(威圧)? と、しらを切ってもよかったのだが好奇心が勝ったらしい。


「よく見てるね。まあ、うん、そうだよ」


「やっぱり、でもどうして?」


「そうだね、言うのであれば使う側と使われる側の違いだよ」


「? それってどういう意味?」


 緖熟はポカリスエットを飲み干して、よっと言って立ち上がる。


「まあ次の試合を見てたら分かるよ」


「そーですか、それは楽しみだね」


 ここで別れるつもりだったのだがどうやら委員長はついてくるらしい。


「ええっと……」


知見士多里ちみしたりよ」


 向こうはちょくちょく話し掛けてくるのに、いまだに学級委員の名前すら覚えていないクラスメイト無関心系男子の緖熟にも、中性的な魅力を持つ少女は嫌な顔一つせず、素直に答える。


「じゃあ知見さん、今さらだけど試合、見に来てたんだ」


「うん、まあね。お願いして出てもらった手前、見に行かないとと思ってさ。私、何回か坂逆君に手を振ってたんだけど気付いてなかった?」


 実のところ、気付いてはいた。緖熟のいるチーム一年五組の集合場所とは反対側の体育館側の通路から試合を観ていたのは気付いていたし、手を振っていたのも気付いていた。振り返そうかとも思ったものの、ただ本当に自分に振られていたのか微妙だったので結局止めたのだった。


「いや、こっちに手を振っていた人がいたのは分かったんだけど、視力が悪くて知見さんとは気が付かなかったんだ」


 視力は両目ともに1・2だ。


「さいですか。ん、じゃあ次も同じ場所から応援してるから是非とも頑張ってね🎵」


 いつのまにやら第二グラウンドに戻ってきていたらしい。


 知見はやはり、無邪気に笑って、言った。


「牛タン、好物なの」


 ピッチ上ではチーム二年二組と一年五組が試合前の握手を交わしている。成長期の一年間と言うのは大きいようで二年生は一年生の一回りも二回りも大きい。


「まあ頼安義薬たよりやすよしやくがいるから栂池のやつ簡単にはやらせてもらえないやろなあ」


 ピッチ中央セントラルサークルには審判とキャプテンが残っている。


「遊びとは言え勝たせてもらうよ」


 11番のビブスを着けた頼安はモジャモジャの頭髪を掻き上げ、部活の後輩である栂池に言った。


「こっちこそ望むところですよ」

 栂池も不敵な笑みを浮かべて応戦。

 そして両者散らばって、キックオフのホイッスルが鳴り響く。


「お、栂池のやつポジション変えたんだな。なあんだ、口じゃあ軽く流す程度にやって来ます何て言っておいて結構やる気なんじゃねえか」


「あの9番の子とのツートップですね。あれ、栂池君は頼安君がマークするんですね」


「他のやつにやらせて万が一怪我でもさせられたら事が事だし、それに後輩に良いようにさせたくないんだろうよ」


 一年ボールで試合が始まった。


 相原はセントラルサークルの頂点上に立つ緖熟パスを出す。コロコロと転がって来たボールを右足のアウトサイドで軽くトラップ、それから寄せてきた相手フォワードの──


 頭上をボールが通過した。

 ふわりと。

 比喩ではなく本当にピッチ上のボール以外の全てが静止して。


 緩やかな、まるで二次方程式のグラフのような放物線を描いて。


 選手たちの間にぽつんと立つ相原の足下へと収まる。


 意表を突いたプレーだった。とは言え、プレーはすぐに流れるように再開する。

 

「最初のプレーには驚かせられましたが、試合展開は至ってシンプルですね」


 足下の技術で勝っている一年生がボールを回し、体格で勝っている二年生が守備に回り、ボールを奪えばカウンター。例えを用いるならペップ・グアルディオラが率いたかつてのバルサとモウリーニョのインテル、レアルマドリーと言ったところか。


「9番の子、なかなか前を向かせてもらえませんね」

 相原は相手ディフェンスを背負った状態で緖熟からくさびのパスを受けるも、反転せずにそのままパスを返す。


「まあ単純に身長差と体重差の問題だろうよ。だからこそスカウティングの機会としちゃあお誂え向きなんだけどな」


 パスを受けた緖熟は右足インサイドで柔らかくトラップし、ちょんと爪先でずらして栂池に向けてボールを強く蹴る。


「まっ、即戦力採用は無理でも二、三ヶ月もありゃ高校サッカーレベルに耐えうる身体に鍛えることもできるけど、それじゃあインターハイ予選に間に合わねえものな」


「ダブルヘッダーの日も多いですからねえ。人数合わせにしてもベンチメンバーには必ず出てもらわないと回らないでしょうし」


 栂池は右足を後ろに伸ばし、ボールを爪先で左足踵後ろを転がす。それから振り向いてゴールを向く。彼我の差は約20メートルと言ったところ。力が正確に伝わる最先端の競技用ボールと違って体育用の規格のボールなら一回り小さいゴールでも無回転でのシュートを狙えるかもしれないが。


 立ちはだかるのはサッカー部副部長、頼安義薬。


 入部当初からその才能を見込まれ、一年生ながらに見事にスタメンを勝ち取る。そんな彼の武器は圧倒的なスピードとドリブルセンスだ。決して高度なフェイントを使うわけではない。にもかかわらず、対峙した相手はまるでドリブルするコースをわざわざ開けるかのようにばたばたと倒れてしまうのだ。


 その秘密はサッカー部最速のスピードを用いた緩急にあるのだが、だからこそ対応のしようがないのだ。


 そしてそんなドリブラーだからこそ、ドリブルを知り尽くしているからこそ、敵に回ったときこれだけ嫌な選手もなかなかいない。


 まだ入部して間もないが、少ない練習時間や試合で栂池はその才能を肌で感じていた。


 だが、彼は退かない。


 強い相手だと分かっているからこそ膝まずかせたくなるのがサッカー小僧の性なのだから。


「早速マッチアップしたな」


「あの位置だと栂池君としては仕掛けざるを得ないでしょうね」


 右足アウトサイドでボールをつついて前進。身体を半身にしてドリブルの姿勢を取る。まずは小手調べの上体フェイント。反応は見せるものの交わしきれるほどでは到底ない。


 ならばとボールを足裏で転がし、左足で跨いだあと交差した右足で右斜め前に蹴り出すも読まれていたのか頼安にピッチ外へ蹴り出されてしまう。


「うまいフェイントでしたけど流石は頼安君でしたね」


「並みのディフェンダーなら余裕で交わせたろうけどな。さて、次はどうでるかね」


 ボールの近くにいた緖熟がスローインし、栂池からのリターンを受ける。


 それから頼安の後ろを走るチームメイトにスルーパスを出す。


「中は一人か。マークを外そうとはしてるみてーだけど一人じゃあな」


「ですがあれぐらいは外せるようではないとです」


「んま、6番は×を付けとけ」


 相手のクリアミスがあってクロスが流れてきたが、難しい体勢でのシュートはキーパー正面だった。


 キャッチしたボールをキーパーはすぐに頼安にアンダースロー。


 頼安は一人二人とスルスルと交わしていくが横から伸びてきた緖熟の右足に当たってボールは頼安に最後にぶつかってピッチを割り、一年生チームのスローイン。


「珍しいな。頼安がミスる何て」


「ですね。頼安君、公式戦じゃあまだ連続ドリブル記録が続いてるのに」


 再び緖熟がボールを投げ入れる。今度は相原がボールを受け取り、一旦回りを見てから緖熟に返し、動き直す。緖熟は詰めてきた相手を見ると、ボールを爪先で持ち上げ、すぐさま内側に切り返し、股を抜いて──


「……なあ、今のって……」


「はい。ロナウジーニョのエラシコですね」


 ──それからゴール前にアウトスピンを掛けたスルーパス。


 オフサイドポジションギリギリを走り抜けていた相原が左足でトラップし、すぐさまシュート。キーパーは一歩も動くことが出来ずに、ボールはそのままゴール右上に吸い込まれていった。


 チームメイトたちがゴールを決めた相原のもとへ集まるなか、緖熟はピッチにぽつんと立ってある人物を探していた。


 その人物は体育館の屋根で影になっているところからこちらに手を振っている。だから緖熟は今度は気づかないフリをせずに右手を握って親指を立てた。


「なあ、一つ気が付いたんやけどさあ」


「はい」


「あいつ、さっきから右足しか使ってなくねえか?」


「確かに」


「それは別に良いんだけどさ。それよか見たか? パスのほとんどがあいつを経由しているぜ」


「ですです。しかも毎回フリーで受けていますですね」


「前言撤回だ。あそこまでもサッカーIQは素人の試合でも魅力が過ぎるぜ」


「リストに入れておきますです」


 試合終盤。結局相原の1点以降両チームとも点を決めることなく、ウノゼロのままアディショナルタイム。


 攻め込む二年生のパスミスを拾った相原はすぐに前線の栂池にパスを出すが、カウンターの起点を潰すべく、頼安が全速力で戻っていた。


 改めて対峙する二人。


 二年生は既に守備に戻っている。


「時間も時間だ。試合は完敗だがお前との決着をつけねえとな」


 頼安は言った。


「それも良いですけど先輩。その前に、いいんですか? このままあいつにいいようにやられっぱなしで」


 それから、栂池はボールを一切見ないノールックパスをサイドライン際でぼけーっとボールを見てる緖熟に出す。


「あいつも触発されてるな」


「ノールックパスもロナウジーニョでしたっけ」


「俺はグティの方が好きだけどな」


 頼安はふっと笑うとすぐさま緖熟との距離を寄せていく。


 足早っ! と能天気な感想を抱いていると、ボールが足下に届いてくる──


 が、地面の隆起にボールが跳ねて、トラップは見当違いな方向へ行ってしまう。


 久しぶりに土のグラウンドでサッカーをやった緖熟はすっかり忘れていた。土の地面では時としてボールがイレギュラーな動きをすると。


「あ、やべ」


 そしてそれを見逃すほど頼安は甘くない。


 ボールの位置的に、右足一つでどうにかするのは不可能だ。


 だから。


 特に意識することなく。


 左足をボールの頂点に載せて。


 頼安の足をかわすようそのまま足裏で転がして。


 身体を半回転させながら。


 右足ヒールで前に蹴り出す。


「ジダンのマルセイユルーレット……あっ思い出しました!」


 自動化された書記人形のように非の打ち所のない滑らかな洗練された動き、一瞬のプレーではあるけれど、欠けたパズルのピースが埋まったような気持ちよさがあった。


「なにをだ?」


 その問いには答えず、市之瀬はポケットから取り出したスマートフォンをぽちぽち。


「これです、この記事を読んでみてください!」


 『Soccer Digest イングランドの名門、期待の新星日本人』


 ──サッカーの起源がどこか、こう聞くとなぜか急に私の国が起源だと言い張る国々が現れるのだが、現代サッカーの起源は間違いなくイングランドだろう。


「粕谷さんか?」

「粕谷さんです」


 ──さて、サッカーの母国イングランドにはプレミアリーグがあるのだが、意外にもその歴史は浅く、発足したのは1992年のことだ。──中略──発足以来、数多くのチームが載冠を目指して戦ってきた。今回はプレミアリーグ最多優勝回数を誇るマンチェスターユナイテッドに現れた期待の新星、驚くことに日本人の少年なのだが、を紹介していきたい。

 

「流石は粕谷さんだ」

「本文はここから見たいですね」


 ──伝説の92年組を皆さんはご存じだろう。今さら改めて説明するまでもないと思うが軽く触れておくと、突如としてアカデミーに表れた彗星たちの総称である。ライアン・ギグス、デイヴィッド・ベッカム、ポール・スコールズ、ネビル兄弟、ニッキー・バット……。彼らはサー・アレックス・ファーガソンにその才を見出だされマンチェスターユナイテッドの一時代を築いた。


「ファーギーベイブス、ファーガソンの雛鳥たちか。確かに本来なら脈々と流れるカンテラのDNAを受け継いでいる若手を重宝すべきバルサがその若手を見切りをつけて換金している現状だとアカデミーっつたらユナイテッド一択だよな」


 ──サー・マッド・バズビー以来マンチェスターユナイテッドにはアカデミー選手を重宝すると言う伝統がある。そんなマンチェスターユナイテッドのアカデミーに我が国日本の少年がいるそうだ。


 『彼のプレーはまるでポール・スコールズのようだよ』。その少年を指導しているコーチたちは口を揃えてそう言う。


「ポール・スコールズ……イングランド史上最高のミッドフィルダー」


「KOPに聞いたらジェラードつーだろし、飴サポに聞いたらランパードっつーだろけど俺はやっぱりスコールズかな」


「私はマイケル・キャリックが好きです」


「お前ユナサポだろ」


 ──少年の名前は坂逆緖熟君、13歳だ。親の都合でマンチェスター市にはるばる日本から引っ越してきて、地元のサッカーチームでプレーしているところをスカウトされたそうだ。坂逆君の武器はポール・スコールズらしいボックスTOボックスのダイナミックなプレーである。地を這うような低弾道の軌道を描くサイドチェンジ、糸を縫うような精密緻密なパス、中盤からの大胆な攻撃参加からのヘディングシュート、ロングレンジから放たれる強超威力のミドルシュート。おまけに本家になぞらえてタックルが苦手なようだ。


 チームキャプテンも務める彼だが、意外なことに年代別代表経験はないらしい。何でも彼自身がクラブでのプレーに専念したいと断っているそうだ。ますますポール・スコールズを彷彿とさせるエピソードである。


 本誌でもインタビューの依頼をしたそうだが丁重にお断りされたと聞いた。


 全く、この新星にはわくわくさせられてしまう。


 >次ページ、坂逆君のプレー集


 市之瀬は画面をタップする。


 五秒広告をスキップするといきなり動画が始まった。


 味方からパスを受け、相手の足が届かない絶妙な間合いにトラップしてロングパス。ペナルティーエリアの少し外側からクリアボールをシュート。それからコーナーキックを直接ボレーシュート。そしてゴールラインギリギリで敵を欺くようなマルセイユルーレット──


「ほら! さっきのマルセイユルーレット!」


 柄にもなく興奮気味に話す市之瀬とは裏腹に、騎院は口を閉じたまま熟考。


 あまりのプレーに目を奪われ、二人は緖熟が左足を利き足と比べて遜色なく使っていることに気が付かなかった。

 

「マネージャー、あいつをチームに率いれるぜ。情報集めよろしくな」

「領海二百海里です」


 試合はそのまま終了し、一年五組は見事優勝に輝いた。


 相原を中心にチームメイトが健闘を称え合っている中、坂逆緖熟はただ一人、グラウンドを抜け出していた。


 フェンスの外で待つ女子生徒に会うために。


「優勝祝いだ」


 いきなり頬にキンキンに冷えた缶コーヒーを当てられる。


「冷たっ」


 同級生のびっくりした様子に満足そうに笑うと、積木条は言った。


「君、本当にサッカーが上手いんだな」


「そう見えた?」


「あのプレーを見てそう思わない人間は居ないと思うよ」 


 だからこそ、一つ、疑問がある。


「……坂逆君」


「ん?」


「君、どうしてサッカーをやらないんだ」


 ずっと思っていた疑問。


「やらないってどう言うこと?」


「部活とか、クラブとかでだ。実力は申し分無いし君ならどこででも活躍できるだろう」


 自慢でも無いけれど人を見る目には自信がある。だから、緖熟の実力がどれ程のものかは理解しているつもりだ。


「買い被り過ぎだよ」


「どうしてだ?」


「どうしてって……言われても」


「実力があるのにそれを活かさないのは努力している人間に対する冒涜じゃないのか?」


 君に言われる筋合いはないだとか突っぱねることも出来たと思う。事実なのだから。でも、緖熟には目の前の女の子は真剣そのもに見えた。


 だから、茶化すこと無く緖熟も応える。


「そう言う考え方もできるのかな……うーん、でも俺にはをやる理由が無いし」


「なら理由があればやるのか?」


 積木条は真っ直ぐ緖熟を見る。


 その視線は自分を射ぬいてしまいそうだった。


 積木条は言った。


「その理由が、私が君のプレーを見たいから、ではダメか?」


 緖熟が口を開きかけたところで、不意に肩を叩かれる。


「坂逆緖熟だな?」振り向くと、そこにいたのはさっきまで試合をしていたもじゃもじゃ頭の先輩だった。


「話があるからついてくるんだ」


「あっ、ちょっとまだ話の途中なのだが──」


 結構シリアスな雰囲気で何気に家に帰って思い出したら恥ずかしさで赤面しそうなことを言ったつもりだったのに、それをもじゃもじゃに邪魔されて少しムカって来てたのもあるだろう。


 積木条は、緖熟の捕まれていない方の腕を掴んだ。

「悪いがその話は後だ。こっちの要件を優先させて貰う」


「先輩、その要件に彼女も同席させても構いませんか?」


 突然の事態にも特に動揺した様子も見せず平然としていた緖熟が言った。


「まあそりゃ別にいいが」


 もじゃもじゃ頭は緖熟の腕を引っ張ったまま、グラウンドベンチに連れていく。


「部長、こいつの入部を推薦します!」


「よしきた決まりだ、聞いて驚け頼安。こいつあのマンチェスターユナイテッドのアカデミーでやってたらしいぜ」


「本当ですか! やけに上手いと思ったら。これでインターハイ予選のメンバーが揃いましたよ」


「全く鴨が葱を背負ってくるとはこの事だぜ」


「部長! 御言葉ですがそれは用法が違うと思いますです!」


「市之瀬、明日中に書類まとめて運営に出せ」


「期限まではまだ一週間以上ありますけどけど?」


「いやそれで良いんだ。奴らまた難癖付けてくるとも限らんしな。出来うる限り不安要素は排除しておきたい。坂逆緖熟、だったな。俺は福島県立北高校サッカー部のキャプテンをやってる騎院だ。お前の入部を心から歓迎するぜ」


 この場で一人、ある意味部外者の積木条だけはまだ緖熟がうんともすんとも言っていない事を敏感に見抜いていた。


「よろしくお願いしますキャプテン」


 騎院は差し出し掛けた手を止めて、緖熟の肩を叩く。


 ──北高校サッカー部に坂逆緖熟少年が入部した瞬間だった。


 緖熟の入部にあたって諸々手続きがあると言い残して、キャプテンともじゃもじゃ頭の先輩とマネージャーは校舎の方へ走っていった。


 オレンジの夕陽にやや夕闇が混じりはじめて、境界線があやふやになっていく。


 緖熟はベンチに座ると、隣をポンポンと叩く。


 積木条は少しどぎまぎしつつも少し間隔を開けて座る。


「これが答えだよ」


 まるで世間話のきっかけの話題を振るように軽く、緖熟は言った。


「それじゃあ……」


「うん、君のためにプレーするよ。だから見ててよ」


 ──俺のプレーを。

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