それでも愛をつぶやいた

 いわゆる行きつけの、薄暗いバーで、俺は今日もまた、酒を煽っていた。


「僕には、性別なんてないんだ。僕は男でも、女でもないんだよ」


 バーボンの甘く香ばしい匂いは鼻孔をくすぐって、週末の色香で僕を惑わす。


「あら? じゃあどうやって恋人を作るの?」


 そう言って彼女は、グラスについた口紅を、馴れた手つきで拭いた。

 いつものように隣に座って、いつものように世間話を始めた彼女の唇が、カクテルに濡れて艶めく。


「え?」


 思わず、聞き返す。


「恋人って、言い換えれば、特別な異性ってことじゃない?」


 目の前を仲睦まじく歩く二人組の女性が通って、彼女は「嗚呼」吐息を漏らした。


「もしくは、性的趣向で、矢印を向いた中で、特別な人のことでしょう?」


 確かに、世の中は女性同士の恋愛や男性同士の恋愛に、多少寛容になったと思う。完璧ではないにせよ、そういう人たちがいることを、世界が視認した。今は目下、黙認しようとしているが。まあ、そうそううまくはいかないだろう。視認と黙認と認知とは、同じようで違う。ましてやこの国は、外で肯定して内で否定する習性みたいなものがある。異性間で恋愛する人と同姓間で恋愛する人たちが同じテーブルに座っても、恋愛話に花を咲かせられないことが、良い証拠だ。

 だからこんな僕は、未だ、どのテーブルにも座ることができない。


「あなたみたいに性別もなくて、性的趣向もあっちこっちに向いてる人って、人のナニを判断基準に、恋人になりたいって思うのかしら?」


 彼女はグラスに残ったチェリーをイヤらしく口に含んで、横目に僕を見つめてきた。

 どうやら彼女は、自身が僕の標的になりうることを考えてはいない様子だ。


「触手?」


 今みたいに、ドキッとすれば。なんて笑顔に意味を含ませても、彼女が意に介することはなかった。


「トモダチの話じゃなくて、恋人の話をしてるのよ」


 僕は考えるふりをして、酒棚の上でなぜか天井を照らしているライトの光に目を向けた。


「人って、そんなことだけで恋人を選んだりしないものよ」


 バーテンダーが空のグラスを下げに来る。おかわりの有無を訪ね、彼女はそれを断った。

 どうやら、そろそろ相手が来るらしい。


「あんた、恋人いたことないでしょ?」


 名前も知らない、ただこうやって相手を待つ時間潰しをしているだけの間柄なのに、そういうことはバレてしまうのか。

 ドアにつけられた、ベルが鳴る。視線を向ければ、見知った顔があった。

 彼女はおもむろに立ち上がると、「じゃあね」と言って去っていく。鞄を肩にかけ直す姿は、後ろから見てとても魅惑的だった。本当、スタイルが良い。

 ハイヒールは細く長い脚を強調して、視線を誘う。細い腰を強調するタイトな服は、わずかな隙間を見つけて滑り込む手を、想像させた。


「君だって一人者のくせに」


 今日来た相手が、カレシじゃないことくらい、分かっている。見知った顔が三人もいれば、誰だって察してしまう。こなれた手つきで彼女の腰を抱く彼らが、トモダチだってことくらい。

 そんなやつに、ちょっと違うだけで愛だの恋だのを、問われたくはない。 

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