57 敵わない
魔王はどこまで飛んでいったのか。
突き破った壁の向こう側。
足を踏み入れると広がっていた光景は死屍累々の魔物たち。傍らには、そんな彼らを葬った聖騎士や聖賢者たちがいる。無事とは言えぬ姿だが、それでも皆最後まで膝を折ることなくやり抜いたのだ。
魔物の始末がついた矢先のことだったのか。突如壁を突き破ってやってきた何者か、つまり私に警戒し再び剣を構えたといったところか。
「く、クリス……!?」
最も先に私の存在を認めたのは、少し年上の友人とも言えよう聖騎士だ。彼女はギョッとしながら、おまえは一体どこから現れているんだ、と言わんばかりの面容だ。
玉座の間。
どうやら回り回って、出発地点まで帰ってきてしまったようだ。
突如現れた私に皆動揺しているが、すぐにその動きは変わった。
魔王。
あれだけ綺麗な姿で出ていったはずの魔王が、ボロ雑巾のようになって転がっているのだ。ピクリと動くこともなく、意識を失っているのは誰もが見て取れる。
リーフマン団長の下、魔王――ギルベルトを一斉に囲んで拘束にあたっている。
後は彼らに任せれば万事解決だろう。
ホッとしたためか、時間切れかはわからない。
再び身体を苛む苦痛が戻ってきたため、これ以上立っていることなどできなかった。
崩れ落ちるように、前のめりになって倒れ込んでしまった。
「クリス!」
そんな私の下に真っ先に駆け寄ってくれた人がいた。
トールヴァルト・フォン・ヴァルトシュタイン。我が親友である。ボロボロの私を受け止めて、すぐにそのジャケットをかけてくれたのだ。
「ありがとう……みっともない姿だから助かったわ」
魔王との戦いで身体だけではなく、ドレスもボロボロだ。至る所が破れ、焼け、下着を隠す役目なんて果たせていない。男に見られるのは何とも思わないが、そこは淑女として守り通さねばならぬ尊厳だ。
「まだ二回しか着てないのよ……? お父様に怒られてしまうわ」
素晴らしいドレスだったのに、本当に残念だ。遺跡の産物を使っていたからこそ、ここまで持ったとも言えるかもしれない。普通の素材なら今頃真っ裸だ。
お父様が駆け寄ってこない所を見ると、既に避難しているのかもしれない。こんな姿を見られず良かった。
「ドレスよりも君だ。こんな姿になって……クリス……」
親友の目は潤んでいる。どうやらこんな姿を見せてしまい、心配かけすぎてしまったようだ。
「手袋、いつものように投げつけてやったわ」
だから心配ないぞという言葉の代わりに、そんな冗談を言った。
魔王がいるであろう場所を見据えるトール。
「はは……君の手袋に、また一つとんでもない歴史が刻まれた」
私の気遣いを素直に受け取ったのか、無理しながらも笑ってくれた。
「う……!」
そんな油断のためか、ビクリと苦痛の波が襲ってきた。
「クリス……! 酷い傷だ……痛むかい?」
再び親友に心配をかけてしまった。
私の肉体保護は身体を守り抜いてくれた。ただし無傷とは言わない。軽度とは言えない火傷や裂傷が、身体中にしっかり残っている。
「痛いのは、いいのだけど。……傷が残らないかだけが心配だわ」
無茶なことして傷を受け入れたのは、治癒魔法頼みでしたものだ。
治癒魔法と一概にいっても、使い手によって大きな差が出る。これほどの傷を治せても、よっぽど高等な使い手でなければ跡が残ってしまう。
トールに頼もうにも、彼も専門という訳ではない。
跡が残らないように治すには、早ければ早いほどいい。
近くにいる聖賢者たちに頼もうにも、向こうの対処で忙しそうだ。そっちを置いて私を治せという権利くらいはあるが、あの中に完璧な使い手がいるとも限らない。下手を引いて跡が残ろう物なら目も当てられない。
「大丈夫ですわ」
すると、そんな私の願いを叶える者がやってきた。
「完全完璧に、わたくしが治してみせます」
テレーシア・フォン・ヴァルトシュタイン。確かに彼女なら適役だ。
人生生きていれば、傷ついたりすることは多々あるものだ。跡を残そうものなら美貌の瑕疵となる。自らの美貌を誰よりも誇っている彼女が、治癒魔法を磨いていてもおかしくない。
上半身だけ起すよう支えられている私に、彼女は両手を向けた。身体が襲う苦痛が、それだけで楽になる。
「ありがとうございます。魔導学院の第三席。テレーシアさんに治して頂けるのなら、私も安心です」
見上げる彼女の顔は、歯を食いしばるように集中している。文字通り必死になって、私の対処に当たってくれている。
「テレーシアさん、貴方の奪われた大切なもの、取り返してきましたよ」
泣きはらした腫れぼったくも美しい顔を見ながら、この右手を開いた。
魔神の遺産。
ついさきほど奪われたばかりの英雄の証。
「……ミス・ラインフェルト。貴方は本当にこれを取り戻したのですね。取り返しのつかないことをしたわたくしの代わりに……」
ただ申し訳ないと、とても辛そうな声。
自らの不始末を押し付けて、こんな姿になってしまった私への懺悔の念。
一生頭が上がらず、今までの関係には決して戻れない序列が、今彼女の中ではできてしまった。
違うのだ。私が望んでいるのはそんなものではない。そんな物のためにこれを取り戻してきたのではない。
「いえ、テレーシアさん。私が取り戻してきたのは、こんなちっぽけな物ではありません」
「え……」
これ以上の一体何を取り戻してきたのだ。
そう言わんばかりに開いたその口に、真に取り戻してきたものを告げる。
「私が取り戻してきたのは、貴女の誇りです」
「わたくしの……誇り?」
そう、誇り。
テレーシア・フォン・グランヴィストの誇りこそが、魔王に奪われた最大の宝物であった。
「あのまま魔王を逃せば、世界はまた災禍に陥る。また村が、町が、人々が、幸せが、命が日々失われていく。その報せを耳にする度に、テレーシアさんは自分を責めるでしょう。自らの過ちだと責任を感じ、これから魔王が何かを侵す度に、貴女は苦しむことになる。誇り高いからこそ、貴女は自分を許せなくなる。そしたらテレーシアさんはこの先、二度と笑えなくなると思ったんです」
私はテレーシアが好きだ。彼女を求めた始まりの理由は酷いものだが、日に日に惹かれていった。
好きになって欲しかった。
愛されたいと願った。
彼女の悪いところこそが愛おしいと思えるほどに、私は彼女が好きなのだ。
例えその恋が敗れようとも、彼女がどうなってもいいなんて思わない。彼女の先の幸せを私は願える。
だから彼女の誇りが奪われ、私の大好きなテレーシアがいなくなるのが許せなかった。
「そうしたらもう、『御機嫌よう、ミス・ラインフェルト!』と元気に呼んで貰えなくなる。そんなの寂しいではないですか」
これからもあの高笑いが聞きたい。
忌々しげに見てほしい。
貶め辱めんと悪態をつかれたい。
下に見て嘲笑ってほしい。
何度やっても懲りずにいてほしい。
必死にまた私の粗を探してほしい。
これから恋が実らずとも、こんな彼女がやっぱり好きだと私は見守っていきたい。
「私が取り戻したのは、そんな貴女の誇り。それさえ取り戻せれば、いつものテレーシアさんにまた会えますから。これでまた、元通りです」
素晴らしい恋をしたと思っているからこそ、テレーシアにはいつも通りでいてほしい。
大きな事件こそ起きたが、魔王は世に再び蔓延ることもなく、明日からまた平和な毎日が訪れる。
奪われたものは、しっかり取り返せたのだ。
「本当に、わたくしのために……? こんなになってまで……いつもあんな酷いことばかりしているわたくしのために……なんで貴女は」
信じられない物を見る宝石のような瞳。
どうやら私の好きな彼女は、まだ帰ってきていないようだ。
仕方ないことか。何せテレーシアは、私がこんなにも貴女を愛していることを知らないのだから。
「酷いこと……? そんなことされた覚えはありません。むしろ貴女のような方にいつも気にかけてもらい、嬉しいくらいですよ」
だから私はいつも通り返すのだ。
飄々としながら、あら一体なんのことかしら、と。
「バカなのですか、貴女は……? あれだけのことをされて、本当に気づいていないのですか?」
「ええ、私ったらバカなんです。貴女のように頭が良ければいいのですけどね。身体を動かすことくらいでしか、貴女に敵いませんの」
本当に、本当に信じられないとテレーシアの目からは、雫がこぼれ出してきた。
「わたくしは……貴女が嫌いでしたわ。わたくしの方が何もかもが上。貴女が持っていない物を沢山持っている。なのに貴女は、いつだってわたくしが欲しい物ばかりを持っていくんです」
彼女は初めて、私を嫌いだと口にした。
今まで口にしなかった、私に突っかかり続けるその理由を吐き出した。
「それが気に入りませんでした。絶対に負けたくありませんでした。どんな小さなことでもいい。わたくしの方が上だって証明しなければ気が済みませんでした。そのためなら何でもするつもり。だから貴女に酷い言葉だって、平気で沢山かけてきましたわ!」
知っている。
テレーシアはいつだって私に負けたくない。そんな負けん気が好きなのだ。
「だというのに、貴女の反応はいつだってわたくしの想像の斜め上。見当違いな反応ばかり。どんな酷い言葉を投げかけようと、貴女は喜びながら笑ってわたくしを戸惑わせる」
もちろん恋した女の言葉だ。どんなものであろうと、私は喜んで受け取った。
「わたくしは……酷い女なのです。何で貴女はそんなことに気づかないのですか……?」
ちゃんと気づいている。
そんな酷い貴女が好きなのだ。そんな私に勝ちたいなど、テレーシアはとんでもないものを相手にしていることに気づいていない。
「今回のことだって、こんなにボロボロになってまで取り戻したかったのが、わたくしの誇り? ……呆れてものも言えませんわ」
私の恋心など気づいていない。
だからテレーシアはこんなにも私に呆れているのだ。
「ミス・ラインフェルト」
沢山の雫を流しながら、テレーシアは私を見ている。
今からそこに浮かぶものは、意外も意外。
まさか魔王から奪い返してきた結果、こんな物が与えられようとは。
「本当、貴女には敵いませんわ」
完全なる敗北宣言。
あれだけ私に勝てなくても、絶対に認めなかった負け。
彼女はこんなに泣きながらも、受け入れた結果に清々しそうにして笑っている。
トールもそんな彼女に驚きながら、次の瞬間には笑っていた。
求めていた報酬とは、少し違うものになってしまったが。これはこれでとても素晴らしい。こんな綺麗な笑顔は見たことがない。
私はそんな風に満足しながら、もう限界だと意識を手放したのである。
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