58 エピローグ 1
魔王騒動から一ヶ月が経った。
あの日、私は体力と魔力をこれでもかというほどに消耗し、一週間は寝込んでしまった。こんなに寝込んだのは実にクリスティーナになって以来であり、起き上がるのにも一苦労であった。
ようやく身体を動かせるようになった頃には、お父様たちの心配を振り切り寮へと戻った。
心配かけたエリーに会いたい。そう願ったからだ。
学校へ行くにはまだ辛い。エリーに迷惑をかけながらも、久しぶりの愛を堪能しながら更に一週間。ようやく身体は本調子になった。
ただし二週間も寝たきりに近い身体はどこか重く、今までおまえは何を怠けていたんだと怒られているようだった。
リハビリのトレーニングを始めた次の日には、聖騎士団のもとへ訪ね、彼らをすっかり呆れさせてしまった。目的は挨拶ではなくいつものあれだったからだ。
我儘は聞いてもらえた。
逃してしまった魔王を連れ帰った功労者として、リーフマン団長は遺跡潜りを許してくれた。大きなため息をつきながら、仕方ないやつだなこいつはと。その姿は諦めたとも言える。
遺跡など毎日行くようなものではないが、マルティナやカールなどが付き合ってくれた。魔物の目を抉ったりするその様を、呆れながらも見守ってくれたのだ。
そうして四週間目。完璧な身体が戻った所で、学院へ登校した。
素晴らしきレデリック王立魔導学院。その四十七位を背に、私はアイアンの教室に戻ってきた。騒動の話を求められ、沢山持ち上げられたが、あんまり前と変わることのない学院生活へ無事に帰ってきたのだ。
ただそんな学院生活に、主席と三席の姿はなかった。
今回の騒動を自ら招いた不祥事として、テレーシアは自らに謹慎を課している。これまで通りの日常が戻ってこようとも、彼女の中ではまだ責任が残っているのだろう。もしかしたらこのまま……ということもあるかもしれないと、ハーニッシュ先生は語っていた。
そしてギルベルト。全ての騒動の中心にして被害者。拘束された彼のその後は、誰も知らずにいる。それこそ学院どころか、表舞台に帰ってこないのではないかと皆が噂している。私もそんな気がしていた。
国で起きた大事件。怪我人こそ出たが死者は出ていない。大変だったと言われても、当事者たち以外は対岸の火事。後に知らされたこの社会では、他人事のように面白がりながら噂を日々大きくし続けていた。
そんな学院生活に戻って、最初の休日。
お迎えであったヴァルトシュタイン自慢の馬車。それから降りようとすると、その手は差し出された。
「やあ、こんにちはクリス」
「ええ。御機嫌ようトール」
私は差し出されたその手を取りながら、ヴァルトシュタイン邸へとやってきた。
いつも通りの庭園でのお茶会だ。
二人だけのお茶会。いつものようにメイドたちが用意してくれているその場所へ、私たちは向かっていた。
「なんかこうするのも、まるで昔のように感じるわ」
「あんな騒動があったからね。何もかもが遠く感じるよ」
「ギルベルトは……どうなったのかしら」
ポツリと、そんな疑問が口から漏れた。
トールに問うても仕方ないことではあるが、やはりあの少年のことが気にかかる。
「知りたいかい、あの後ギルがどうなったか」
「知っているの?」
その答えを持っているとは思わず驚いた。
「国家機密だけどね」
トールは軍務局の次期大臣。そんな父親にギルベルトのその後の処遇を聞いていたようだ。
「でも、じきに発表されることだ。クリスくらいにはいいだろう」
そんな国家機密を、彼は私に漏洩してくれるようだ。内緒だよと言わんばかりに、人差し指を口下に添えている。
実に親友甲斐がある男だ。
そしてトールは国家機密を洗いざらい吐いてくれた。
拘束されたギルベルトは意識を取り戻し、まずはどちらの意思であるかを問うたそうだ。ギルベルトだと主張はしている彼は、一先ず一連の全てを理解しているようだった。
日夜魔力を霧散する結界牢の中、魔力を封印する腕輪をつけられ日々を過ごす。喚くこともなく、魔王ではなくギルベルトとして扱われた彼は、それを黙って受け入れていた。
検査の結果、本当に呪いはあったそうだ。
呪いにも種類は色々あり、それに応じた解呪のノウハウもちゃんとある。ただし今回は異例中の異例の呪い。それを読み解き正しい解呪手順を模索しようものなら、それこそ年単位になるだろう。
ただし、力づくで無理やり解呪する方法がないでもない。術をかけられた本人の身がどうなってもいいのなら、解くことは可能だ。
ギルベルトはそれを望んだ。いつまた魔王の意思に支配されるかわからない。この先そんな恐怖と戦い続けるくらいなら、とっととケリを付けてほしい。上手くいかず死んだなら、その時はその時。自分はそれを受け入れるとあっけからんと笑っていたようだ。
ギルベルトらしいといえばギルベルトらしい。
呪いはこうして解呪された。ギルベルトの身体の中から、呪いは完全に消え去った。
ギルベルトはそれこそ死ぬような苦しみにもがいた後、動かなくなり……一週間後、意識を取り戻した。心身共に心配したような後遺症もないようだ。
魔王の呪いはこの世から消え去った。
ギルベルトはこうして元ある姿に戻り、完全復活を遂げ、そのまま結界牢から出られずにいる。
当然だ。
魔王の呪いはなくなっても、その記憶は蝕まれているかもしれない。それこそギルベルトの意思と統合している恐れもある。魔王は生まれた時からギルベルトの傍にいたのだ。誰よりも長く、それこそ父親たちよりもずっと長く。
ギルベルトの振りをするのは容易いことだ。
ギルベルトが魔王ではない証明は、それこそ悪魔の証明。証明できない内は、彼は一生牢の中だろう。
これがギルベルトのその後。
話を知ったトールは、すぐに面会を求めたようだが許されなかったとのこと。
「そう……残念ね」
折角殺すことなくギルベルトを助けられたのに、彼は牢から出られずにいる。非がない本人がそれを大人しく受け入れているのだから、更にいたたまれない話であった。
「邪魔ではあったけど、私はギルベルトのことは好きだったわ。好感が持てて、一緒にいて楽しい人だった。憧れるような才能にあぐらもかかず、いつもあっけからんとしている男の子。そんな彼ともう会えないなんて、寂しくなるわね」
本当に良い少年だった。
もし男に生まれ変わるのなら、トールではなく彼のような男になりたい。そう願うほどカッコよくて憧れた。この先、ギルベルト以上の男は出てこないだろう。トールの初恋に相応しい英雄の息子であった。
ここまで誰かがいなくなって惜しむのは、先生がいなくなって以来だ。
「はは……」
センチメンタルな気分になる私を、トールはおかしそうに笑っている。
「何がそんなにおかしいのかしら?」
トールの笑い方は場違い、不謹慎とも言える。
嫌な気持ちにこそならないが、彼がこんな話をそうやって笑うのは意外であった。
「実はさ、この話には続きがあるんだ」
「続き?」
そんな疑問を投げかけながら、ようやく辿り着いた庭園のお茶会会場。
「え……」
私はそこにあった光景に、唖然とし間抜けな声を漏らしてしまった。
「御機嫌よう、ミス・ラインフェルト」
そんな挨拶がまずかけられた。
テレーシア。
いつも通りのようであり、まるで違う挨拶だ。高笑いが聞こえそうなほどの高慢な色はまるでなくなり、親しげにそれはもたらされた。
彼女の目にギラギラしたものはなく、親愛の情がそこには込められている。
私が唖然としたのは、私が知るテレーシアがいなくなったからではなかった。
「よう、久しぶりだな、ラインフェルト」
いつものあっけからんとした顔をする、英雄の息子がそこにはいたのだ。
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