50 魔神の正体
王宮は今、未曾有の大混乱に陥っていた。
至る所から湧き出す魔物。事態を知らぬ者たちは右往左往しながら、その場しのぎで魔物を相手にするばかり。
怪我人は出ても死者が出ていない奇跡。それは偶然ではない。
強力な魔物がいるのは玉座の間だけ。それ以外はまるで賑やかし要因にしか魔王は思っていない。パニックを引き起こすのに十分役立つ。
魔王が手にした魔神の遺産には、それを発動させる魔力が必要だ。片っ端から使っていては、肝心な所でガス欠する。
ここまで大きな騒ぎを起こしたのは、この後の作業をやりやすくするため。騒動の対応に多くの人員が割かれれば、それだけ目を逸してくれる。
ギルベルトの身体を手にしても、数の力の恐ろしさはわかっている。行きあたりばったりで全て対処できる力はまだ戻っていない。
だからといって、余裕を捨てている訳でもなかった。
優雅に夜道を散歩するように、魔王は中庭を抜け、とある場所まで目指している。
「やっぱりこっちに来ていたのね」
その余裕が、彼女を追いつかせた。
「ラインフェルト」
ギルベルトの真似事のように、魔王はクリスへと振り返った。
「どうしてここに?」
「貴方の行き先の見当がついたからよ。だってそうでしょ、折角ここまで来ているんですもの。ついでに他のも持って帰ろうか、となるのが人情じゃない」
まさにその通りだった。今目指す先は、魔神の遺産が封印されている場所。王宮の敷地内にある、宝物庫の更に深い所にあるそれだった。こんな状況だからこそ、そこも今は手薄になっているだろうと。
「フ……」
人当たりのいい少年のマネを止め、魔王は大きく口角を釣り上げる。
「当たりだ。クリスティーナ・フォン・ラインフェルト」
「あら、当たって良かったわ、魔王」
髪を掻き上げながら優雅にクリスは魔王へと近づいていく。
そしてある距離を境に、その足を止めた。まるで結界があるかのように、それ以上踏み込んだら全てが始まるとばかりに。
「それで、たった一人で何しに来たんだ? まさか止めに来たとは言うまいな。魔獣のなり損ないに手こずる奴が、何かできるとも思えんぞ」
余裕の笑みを浮かべ、来るなら来いとばかりに大きく両手を広げた魔王。
そんな挑発にも乗らず、クリスはその場から動かない。
「折角よ。さっきの当たりのプレゼント、貰えないかしら?」
「魔王である私に、よりにもよってプレゼントをねだるか」
おかしくして仕方ないと魔王は笑う。
「何が欲しい? 世界の半分くらいなら、くれてやらんでもないぞ」
「お断りするわ。そんな大きな物を貰っても、ポケットに入らないわ。何より魔神が復活したら、貴方の手に収まっているとは思えないもの」
「いいや、収まるさ。魔神が蘇れば、この世界は私の手の中に入る」
あまりにも当たり前のように魔王は言い切る。
「魔神と契約でもしたのかしら? 自分を復活させた暁には、世界をお前にくれてやろう、って。それなら止めておいた方がいいわ。得てしてそういうのは、今までご苦労だった、お前はもう必要ないって殺されるのがオチよ」
「確かにそうだ。同じ立場なら私もそうするよ」
クリスに同意するよう肩をすくめて見せる。
「そもそもこれは契約ではない。魔神の声を聞き続けてきた私だが、一度もそのような願いを託されたことはない」
「なんですって……なら、貴方はなんで」
以外な事実に、クリスは狼狽した。その顔を満足気に堪能した後、魔王は褒美だとばかりに続きを語った。
「この世界に残されたあらゆる魔神の遺産。それを新たに手に入れるごとに、私は新しい声を聞いて、新たな力としてまた一つ、また一つと蓄えてきた」
「ええ。知っているわ。貴方は魔神の遺産の収集に熱心だったって。誰もが知っている話だわ。それに釣られてホイホイやってきた所を、英雄に討たれたんでしょ?」
挑発するように、クリスはおかしそうにしている。
「良い所まで行っていたのに、目先の物欲に囚われたせいで死んだなんて、目も当てられないわね」
「魔神がこの地に蘇るには、その遺産こそが必要だ。罠とわかっていた所で、いずれは通らねばならぬ道だ」
「遺産が必要? 遺産を一つの箇所に集めて、魔神復活の儀でもすると言うの?」
「儀式など必要ない。必要なのは、一つでも多くの声を聞くこと。そして私がそれらを力として振るうだけで、この地に魔神は蘇る」
それが全てだ、とばかりに魔王は言った。
それ以上必要なことはないと。これが魔神復活の全てだと。
数刻ばかり考え込んだクリスは、その意味にようやく至った。
魔王による魔神復活。
魔神復活によって何が世界に起こるのか。魔王は討たれたため話も聞けず、ずっと謎のままだった復活させようとした魔神の正体。
「呆れたわ。……いえ、呆れを通り越して尊敬するわ。王の地位だけでは飽き足らず、貴方は神として世界を手にするつもりでいたの?」
自らが魔神として、この世界に君臨するものだった。
「おかしいものではあるまい。なぜ世界が欲しいというのに、自分より上の存在を蘇らせなければならん」
「そうね、その通りよ。貴方は何も間違ったことはいっていない。世界を手にしたいのなら、それこそ自らが魔神にならないといけないわね。それで世界を手にして、貴方はその先で何を得ようとしているの?」
「実のところ、明確なビジョンはないのだ。ただ目の前に世界が転がっていた。それに手を伸ばしたまでだ。それに、手に入れてからどうしようと考えるのもまた、面白いものだぞ?」
魔王は子供のような童心さを見せながら笑みをこぼしている。
とりあえず世界を手に入れようかと、思いつきで初められた計画。それでどれだけの命、幸せを奪ったかも忘れて、夢見てはしゃぐ子供みたいだった。
「こうして誰かに自分の話をするのは久しぶりだ。話を聞いてもらうというのは愉快なもんだな。久しく忘れていたよ。ただ、あまり話し込んでいる時間はなくてな。今日の所は帰って休んだらどうだ?」
「つれないわね。折角の夜じゃない。もう一つくらい、プレゼントを貰えないかしら?」
「時間稼ぎでもしているのか? ……だが、いいだろう。同じ四十七位のよしみだ。もう一つくらい教えてやろう」
「今日ほど自分の四十七位を恨んだことはないわ」
まさかの共通点を知り、クリスの顔はしかめっ面だ。
「貴方はいつから魔王だったの?」
「最初に顔を出したのは、遺跡の仕掛けをした時だ」
クリスの意図を正しく魔王は読み取った。
「あの遺跡の細工は、ギルベルトが眠っている一晩で施した。長年ギルベルトを見てきたからわかる。あの場でテレーシアがいなくなれば、引き返して探すだろうってな。案の定、ギルベルトは思い通りに動いてくれたよ。予想外だったのは、当日に貴様がいたことで、テレーシアへの脅かしが足りんかったということくらいか」
「もしかして私は、それに巻き込まれただけ?」
困ったように魔王は頷く。
「女だけを飛ばす仕掛けだった。ハーニッシュの秘密主義には困ったものだ」
困ったのはこっちの方だとクリスは息をつく。
「テレーシアこそが遺産の封印を開く鍵。元々、ギルベルトに好意を寄せていた女だ。そのもうひと押しのつもりでやったんが……今思えば騒ぎを大きくしただけで、必要なかったかもしれんな」
自分のしてきたことを胸の内で反芻する魔王。
「おまえも見たのだろう、あの時の光景を。ちょっと押してやれば、すぐにあの様だ。あんまりにも簡単な女だったんで、こちらの方が驚いたよ。私の計画は全てバレているのではないか、っとな」
笑えて笑えて仕方ないとばかりに大笑いを上げる魔王。
その哄笑は周囲一体こだまして、世界がまるでテレーシアを嘲笑っているかのよう。
クリスはそんな魔王に顔を俯かせたまま、確認の言葉を紡ぐ。
「……貴方が初めて顔を出したのは、遺跡に細工をした時。それからは舞踏会まで大人しくして、あの日に再びその顔を出した。それからはずっとアーレンスさんではなく、貴方が身体を動かしていた訳ね」
「褒めてくれもいいぞ。これでもボロを出さんよう、ギルベルトの真似事は必死だったんだ?」
「そうね……褒めてあげるわ。……ふ、ふふ」
俯かせたその顔から上がるのは、そんなほくそ笑むような声。
「ふふ……ふ……あははははははは!」
ついには堪えきれないとばかりにお腹を押さえ、さっきの魔王を真似するように笑いあげる。今度は世界がおまえをあざ笑う番だとばかりに。
「……何がおかしい」
「だって笑うでしょう? ギルベルトが眠っている内に一晩で遺跡の細工をしていた? どうやって向かったのよ? もしかしてその足で? よしギルベルトが眠ったぞ、今だ、って遺跡へ走っていったの?」
ツボに入ったとばかりに鳴り止まぬクリスの嘲笑。
「遺跡に着いたら次は何? 『スケルトンたちよ、我の下に集え。いやいやオーガたち、おまえたちは呼んでいない』とか言いながら魔獣のなり損ないって奴を作ったの? 帰りがけには、『おっと忘れる所だった。ポチ、設定変更』と言いながら、ポータルに細工でもしたのかしら? 最後は遺跡から出て、『まずい、日が出てきた。ギルベルトが起きる前に早く帰って寝ないと』とか言いながら、また走って帰ったの?
流石、かつて国の災禍として殺戮を繰り返してきただけあるわね。まさか相手を笑い殺す術まで身に着けているなんて。危うく術中にハマるところだったわ」
自らをあざ笑うその様を見て、魔王は目を見開き、歯を食いしばり、眉間皺を寄せた。
ここまでの侮辱は初めてであり、腸が煮えくり返るほどの怒りが湧き上がる。
見逃してやる予定だったが、この女は必ず殺す。
先程の決定を覆した、その時、目の前には白い何かが迫ってきた。
質量はない。ただしひらひら舞うような軽さではない。
真っ直ぐと迫ってくるそれを斬ることもなく、黙って胸に受けた。
「何だ、これは?」
手袋だった。肘まで覆うほどの長さの、有り触れた手袋。
それが二つ。纏めて投げられたのだ。
クリスはそれに答えることなく、一歩、踏み出した。一歩、一歩、ゆっくりと。
魔王はただ間合いを意識し、迎え撃たんとしていた。
だが。
「なっ……!」
次の瞬間には、クリスの顔は目の前にあった。
歩幅など無視して、まるで地面を滑るかのように迫ってきていたのだ。
ただ、拳が届くにはまだ遠い距離。
咄嗟に剣で打ち払わんとした魔王であったが、それは難なく防がれる。
たった腕一本にだ。
受け流すでもなく、払うのでもなく、真正面からその腕は剣を受け止めたのだ。
同時にクリスの右の拳は魔王を襲う。もう一歩踏み込んだその距離で。
息を飲み、とっさに後ろに飛んだ魔王。
ギリギリの所だった。拳は顎を掠めるだけで終わり、魔王は怯むことなく術式を組み、剣を構えた所で、
「あら、流石偽りの身体の持ち主ね」
足元から崩れ落ちていた。
何が、起きたのか。
また一歩踏み込んでくるクリスは、おかしそうに魔王を見下してきた。
「アーレンスさんの足が、誰だよおまえと笑っているわよ?」
クリスの右足が顔面を襲ったのは、それを言い切るや否やだった。魔王が痛みを理解したのは、数メートル先の木々に衝突してからだ。
「さっき、おまえに何ができる、みたいなことを言っていたわね、魔王」
その声はすぐ間際で聞こえてきた。
髪を引っ張られ無理やり起こされた魔王。視線の先にあるその目を見て、初めてそれは脅威であることを悟った。
「
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