51 強者の特権
これは一体どういうことなのか?
一流の剣士という資質。
珠玉とも言える魔法の才能。
それらを二つをかけ合わせ、経験によって獲得した戦闘センス。
そこに世界の災禍へと至った知識を、余すことなく落とし込んでいるのだ。
世界を敵に回すには力はまだ足らない。しかし一人を相手にするのであれば、まさに最強という言葉が相応しい力だ。
遺産など必要ない。どんな相手にも勝てる。
聖騎士団の長相手だけではない。今なら自らを殺して英雄へと至った男、オスヴァルト・アーレンスを相手にしても勝てるという確信があった。
だというのに、
「ぐはっ……」
世界が揺れている。
この苦痛はなんだ?
細い右腕から繰り出される拳が、なぜこれほどまでに身体に響くのか。ただ脇腹を殴られただけで、なぜここまでの苦痛をもたらすのか。
魔王は理解できずにいた。
肉体強化、そして保護のおかげで身体に剣を受けようとも、込められている力次第では耐えられる。鈍痛こそあっても、ここまでの苦痛には至らない。
鎧のような皮膚が攻撃を受け止める。鎧の下にある肉を外敵から守ってくれる。
なのに華奢でか細い小娘の一撃が、とにかく効くのだ。
鎧を破壊するに至らなくても、その下にある肉を直接痛めつけるような衝撃。内蔵や骨にまで響く。
もちろん、その程度で倒れたりする魔王ではない。
剣を振るい、魔法を駆使して、小娘相手に全霊を持って当たっている。
なのに魔王は攻めきれずにいる。むしろ押され続けて劣勢であった。
剣を払っても、魔法で攻撃しても、彼女はまるで怯まない。頭だけでは守っているようだが、身体に当たることなどお構いなしだ。
彼女が攻撃をその身に受けたと同時に、拳や足が確実に魔王の身体を襲ってくる。身体は無事でも、膝を付きたいほどの痛みだけが必ず。
痛みに怯んだ瞬間、その硬直がまた新たな痛みをもたらす隙となり、負の連鎖となっていく。
一方、クリスにはそんな隙や硬直がまるでなかった。
鎧を着ているのは彼女も一緒だ。魔導師だけではなく騎士の基本である肉体保護。簡単に肉体を切り裂けなくても驚きはない。
驚いたのは炎のような魔法にも対応しているということだ。
魔法にならずとも、魔力を回せば身体能力は向上する。それを土台として肉体強化や保護の術式は生み出され、今日まで世に広まってきた。
肉体保護は外部衝撃には強い。ただし熱に対して大きな耐性は得られない。精々、沸騰したお湯に耐えられるくらいの保護だ。
だから皆、炎や雷など攻撃魔法には魔力障壁を使うのだ。
熱も通さぬ魔法の盾。便利であるが魔力の消耗が激しいゆえに、聖騎士達は瞬発的に、かつ最低限の発動をするのに優れている。
接近戦で魔導師が敵わぬ、最大の理由である。
なのにクリスはそれを一度も発動している様子がない。
こんな時にも関わらず、魔王は感心した。その肉体保護はどうやら、従来のそれとは違うようだと。
肉体強化もまたそうだ。小柄で軽い娘がここまで力を出すには、皆が扱う肉体強化では決して足りない。従来の二倍から三倍は、性能が向上しているだろうと。
下から数えた方が早いとはいえ、魔導学院へ至れただけがある。もしその肉体保護が汎用化へ至れば、魔導師の歴史にその名を残すことになろう。
肉体強化と保護。確かに凄い、小娘にも関わらず魔王である自分の前に立ちはだかっただけある。体術も目をみはるものだ。
ただし理屈には合わない。
例え熱に耐えられるほどの肉体保護があろうと、痛いはずだ、熱いはずだ。焼かれる苦しみはあるはずだ。
今自分がこうして苦しんでいるように、彼女もまたその苦痛に歪まなければおかしいはずだ。
まるで痛みなど、最初から感じていないかのように。
剣を横薙ぎに振るう。
クリスの視覚の外から、その胴体を切り裂かんとばかりに。
痛みを無視はできても、衝撃を無視するなんてデタラメはない。
肉体を引き裂くことはできなかったが、クリスはその反動には逆らえない。
宙を飛ぶ……ことはなかった。二メートルばかり後ろに下がっただけ。その場に踏みとどまるようにこらえた足が、轍のように地を抉っていた。
(……どうやら、苦痛だけを克服しているようだな)
魔王ですらそんな魔法は扱えない。
(認めようクリスティーナ・フォン・ラインフェルト……)
肉体強化、肉体保護、苦痛を克服する魔法。
どれもこれも素晴らしく、魔王となってから初めて誰かより教えを請いたいと心から感じた。
(おまえは強い)
何よりそれらの魔法を最大限に活かしきっている体術。ただデタラメに手足を振るっているのではなく、理に適った動きによって繰り出され、時には間合いを見誤り翻弄される。やっと動きに慣れたと思ったら、すぐに新たな動きに切り替わる。
(過去に戦ってきたどんな強者たちにも引けを取らない。成人を前にした娘が、よくここまでの境地へ至った)
剣や槍を相手にする機会はいくらでもあった。ギルベルトから得た経験だけではなく、魔王として世界を敵に回した時代にも山程相手にしてきた。
だがその経験は、クリスの前には役に立たない。どれもこれも未知の技だ。未知の経験だ。
クリスが次に何をしてくるか。どんな技を隠しているかわからないからこそ、怖い。
(だが所詮は小娘だな。殺意がまるでないではないか)
クリスからは相手を殺す覚悟がまるで感じられないのだ。
それは魔物は殺せても、人を殺すことへの道徳的躊躇か。
はたまた、気絶だけを狙ってギルベルトを助け出そうとしているのか。
今まで沢山の殺意を向けられてきた。むき出しの殺意。今日こそおまえを殺してやると、毎日のように世界から殺意を向けられてきた。オスヴァルト・アーレンスですら、それを全力で自分にぶつけてきた。
(相手を生かした上で敗北をもたらすのは、強者の特権だ。そんな特権が私に通用すると思っているその甘さが、貴様を殺すのだ)
防戦でありながらも、魔王は精神的に優位に立っていた。
負けることなどない。こんな甘い娘に負けるなど、まずありえないと。
――だがすぐに思い知ることとなる。本当に甘かったのは、どちらであったかを。
たった二メートルの距離。
次呼吸する時にはもう詰まっているだろう。
だから魔王は更にその距離を離さんと、左手を向け炎弾を放つ。
その炎弾は、かつてテレーシアが一秒かけて生み出したものと同等。瞬発的に使ったとは思えないほどの魔法だ。
たがクリスを相手にするには心もとない威力である。
地を蹴った。目の前に迫ったそれを掴み取るように、クリスはその左手を開いて伸ばす。
爆発が起きた。
臆することなく更に更にと伸ばされたクリスの左手は、ついにその手に届いた。魔王の左手を絡めるようにして掴んだのだ。
クリスのそこに、微笑みが浮かんだように見えた。
最愛の相手についに手が届いた。そう言わんばかりの小さな笑み。
魔王がそれを振り払おうとするよりも早く、クリスはその手を引き寄せた。踏みとどまることが出来ず、クリスの方へと倒れ込む魔王。
引き寄せられた先にあるのは、彼女の唇か。胸元か。否、地面であった。
クリスの左肩を見送る頃にはその手を離された。咄嗟に手を付き起き上がろうとした時には、クリスはその背に回っていた。
その背にもたらされるのは拳か足か。
どちらにせよ甘い小娘である。どんな一撃であろうと、所詮は殺意がない一撃。恐るに足らぬ。
来たりうる衝撃への覚悟を決めた魔王の下に訪れたのは、拳でもなかった。足でもなかった。
「何を……」
包容であった。
ボールを胸元に抱えるように、その頭を両腕で抱え込む。そしてそのまま、頭を右に旋回させた。
かつてねじ切られた、ゴブリンの頭のように。
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