49 そんな未来は許さない

「ミス……ラインフェルト」


 絞り出すような声。


 元気などとは無縁であるが、どうやら大きな怪我などはなさそうである。


 自らに重くのしかかるシャンデリアの残骸。テレーシアを抱きしめながらも、片手で振り払うようにして取り除いた。


「お怪我がないようで何より。間に合ってよかったです」


 本当にギリギリだった。


 夜風についでに当たってくると侍女と別れた後、しばらくの間はぶらぶらしていた。そろそろ戻らなければと覚悟を決めた後、突如として城内に響き渡る轟音。


 悲鳴のような物が聞こえてきたと思ったら、あちこちに魔物が現れたのだ。


 逃げ惑う者もいれば、自らの職務を全うしている者たちもいる。


 一体どこへ逃げだらいいかもわからない中、玉座の間から大量に要人たちが流出しているのはわかった。


 問題はそこで何が起きているのか。


 お父様やトールたちがいるその部屋で、何が起きているのだろうか。


 皆と逆走する形で玉座の間へ駆け込んだら、そこは戦地だった。


 遺跡の中でも見たことのないような光景。


 呆けんとしていた身を引き締めると、親しい人を探さんと見渡した。


 魔物の強さと動きがおかしいのは、あしらっている内にわかった。


 だからこそ親しい者の身を案じ、辺りを見渡しているとリーフマン団長の叫びが聞こえた。


 テレーシアへ危険を促す怒声。


 声の方角から当たりをつけ、ようやくその姿を見つけたと思ったらこれだ。


 何とかテレーシアを抱え込み、落ちてきたシャンデリアから守ることができた。


「クリス!」


「よかったトール。無事だったのね」


 親友の無事を見られてよかったと、安堵の息を撫で下ろす。


「一体何事なの、魔王の仕業?」


 軽口という訳ではない。


 世界中でこんな真似ができそうなのはそれくらいしか思い至らないだけだ。


 苦しそうに頷くトール。本気で尋ねておいて、そんな答えが返ってくるとは思わなかった。


「本当に……出たの……? 第二の魔王が」


「違う……」


 魔王の仕業と肯定しておきながら、今度は魔王を否定するトール。


 何を言っているんだと問いかけようとすると、胸元からか細い声が上がった。


「ギル……ベルトさん」


「アーレンスさん?」


 確かにこの場には見当たらない。


 さっきまでここで王が話をしていたはずだ。そこにギルベルトがいないなんてことはないだろう。


 彼ほどの力の持ち主だ。逃げた訳もなければやられたとも思えない。


「彼に何かあったの?」


 胸の中で震えているテレーシアから理解できた。ギルベルトに何かがあった。それも悪い形で。


「違うんだ、クリス」


「何が違うの?」


「ギルに何かあったんじゃない。ギルこそが魔王だったんだ」


「え……?」


 今、トールは何と言ったのか。


 ギルベルトが魔王? だってそれは、前に二人で否定した話だ。可能性としてはありえそうでも、英雄たちが側にいるからこそ、その可能性は一番ありえないって。


 第二の魔王ギルベルトの誕生は絶対にないはずなのだ。


 受け入れられない現実。


 そんな私たちの元へ、オーガが二体、襲いかかってきた。


 すぐに身構え迎え撃とうとするも無駄だった。リーフマン団長が私たちの壁になるよう立ちはだかったのだ。


「オスヴァルトたちの不始末だ」


 オーガたちをその大剣で牽制しながら、トールたちの説明を継いだ。


「魔王がやられる間際、腹の中にいたギルベルトに呪いを残したんだ。その知識を全て残した、魔王の意思という呪いをな」


 魔王の意思。


 呪いという言葉から、呪術をかけたであろうことはわかる。ただ、魔王の全ての知識持つ意思。そんな物を残すような呪術など聞いたこともない。


 でも納得はできる。魔王なら何をやってもおかしくない、と。


「じゃあ、アーレンスさんは最初から……」


 だからこの驚きは、最初からギルベルト・アーレンスなどいなかったという衝撃だ。


「いや、そういう訳ではない。ずっとあいつの中に潜み続け、最近になってようやくその顔を覗かせたらしい」


「つまり……アーレンスさんの身体は、魔王の意思に乗っ取られているようなもの?」


「だろうな。いつ入れ替わったかは知らないが……奴の口ぶりからして、ギルベルトの意思だけでは戻ってこれなさそうだ」


 リーフマン団長は悔しそうに声を上げる。


 今のギルベルトの状態はわかった。おそらく魔王の意思というのは、パソコンでいうOSではない。コンピュータウイルスのような物なのだろう。ずっと使い手にバレないよう潜み続け、時期がきたら端末を乗っ取る。そんなウイルスだ。


 魔王を捕らえれば、そのウイルスという呪術を取り除くことはできるだろう。レデリックは魔法の先進国でもある。呪術を専門にしている者に託せば、解呪は難しくないはず。


 問題は、どうやって捕らえるかだ。


 見ての通り周囲は阿鼻叫喚。魔物たちのパレードだ。


 聖騎士や聖賢者たちも、魔物の対応に追われている。要人たちも守らなければならないし、隊をなして魔王を追っている暇はない。


 もし誰かが追いつけたとしても、その後が一番の問題だ。


 魔王となったギルベルト・アーレンスを止められる者などいるのか?


 一流の剣士であり、魔導学院では今年度の最高の魔導師でもある。そこに魔王の知識が加われば、リーフマン団長でも一人では無理ではないか。


「そもそも何で、こんな所で正体を現したのですか? よりにもよって、聖騎士たちが一番多く集っているこの場所、タイミングで」


「遺産だ。あいつはそれを手にすることだけを、今日まで考えてきたんだ」


 得心がいった。今日は魔王が使っていた魔神の遺産をお披露目する機会があると、トールは前に語っていた。


 魔王はそれを手にしたのだ。封印されていたそれを。


「でもどうやって……あれは触れられないよう封印されているって」


「わたくしが……お願いしたのです」


「え……?」


 その疑問は、胸元から絞り出すように吐き出された。


「ギルベルトさんが……ずっと言っていたんです。英雄の証として、いつも披露されるあれを……ずっと手にしたかったって。それがずっと夢だったって……」


 顔を俯けながら、力強く私のドレスを握りしめるテレーシア。


「だからわたくしがお願いしたのです。伯父様に、ギルベルトさんの夢を叶えてやってくれって……」


 初めて聞く泣きじゃくった声だった。


 あの遺跡ですら漏らさなかった嗚咽。


 高慢にして傲慢にして驕慢なテレーシア。


「……これも皆、君のおかげだって言われましたわ」


 高潔さと高尚さによって裏付けされた誇り。自分より下である者を平然と見下すからこそ、彼女は人前で弱音なんて吐かない。弱い所なんて絶対に見せないのだ。


「全部全部これは、おまえが引き起こしたことだって……!」


 なのに彼女は今、泣いていた。


「わたくしのせいで、世界がまた……」


 世界で一番そんな部分を見せたくない相手の胸で、泣きじゃくっているのだ。


 もうこれ以上言葉にならないとばかりに、ひたすら苦しそうに泣き続けるテレーシア。


 今、あらゆる感情が彼女の中で苛んでいる。事態を引き起こした責任であったり、利用されてしまった羞恥など。彼女の中ではどんどん膨れ上がっている。


 それだけではない。未来への絶望。


 魔王はまた、多くの命を奪うだろう。災禍として世界に広がり、明日への希望を見失う世界だ。


 魔王に直接ぶつけられない思いは、代わりに非難の矢となり彼女に向かう。


 世間に顔向けなどできない。ただただ下だけを向いて、自分が悪いと下を向いて泣くことしか許されない。


 テレーシアはそんな未来が訪れるのをわかっているはずだ。


 今日こそはと現れて放つ高笑い。


 忌々しげに見てくるあの瞳。


 貶め辱めんと悪態をつくその唇。


 下に見て嘲笑ってくるあの顔。


 何度やっても懲りない負けん気。


 必死にあら捜しをしてくるその姿。


 もう二度とそんな彼女は見られないだろう。私の知るテレーシアは、もういなくなってしまった。このまま奪われたままでは、私が好きになった彼女は一生帰ってこないのだ。


「大丈夫ですよ、テレーシアさん」


 だから、そんな未来は絶対に許さない。


「貴女が奪われた大切な物、私が必ず取り返してきます」


「何を……」


 言葉の意味がわからないとばかりに、初めて泣きじゃくったその顔を見せた。


「トール。テレーシアさんをお願い」


 傍にいたトールにテレーシアを託し、立ち上がった。


「クリス……嘘だろ? まさか君は……」


「ええ。そのまさかよ」


 私は踏み出した。


 私たちの壁となって魔物と対峙してくれていたリーフマン団長の、その前に。


 リーフマン団長が私の姿を認め、声をあげる前にそれは襲いかかる。


 オーガの拳。いつもの闇雲なだけの暴力性とは別な、私を叩き潰さんとハンマーのように叩きつけられた。


 片手でそれを受け止めた私は、オーガの次の行動より早くその腕を取り、大理石の地面へと叩きつけた。


 一本背負いである。


 魔物風情が受け身を取れる訳なく、オーガは地に沈む。


 魔物だというのに関わらず、痛み苦しむようなもがく声がする。どうやらこの魔物たちは、本当に普段相手をしているような類ではなさそうだ。


 なら、なおさら何をしてくるかはわからない。


 全身全霊を込め、右の拳をオーガの顔面へと叩き込んだ。


 肉が砕ける音などなかった。なぜなら大理石が砕ける轟音によってかき消されたからだ。


 呆然としているトールたちへ振り返り、私はただこの右手を見せた。


「どうやら手袋これを叩きつけなきゃいけない相手ができたみたい」

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