39 うるさいバーカ、かかってこい

 そこからは、目も当てられないものだった。


 ワインボトルを共有しながらの飲み回し。テーブルにある軽食は手掴みでパクリだ。


 はしゃぐように声を張り上げながら、ああでもない、こうでもないと、日常の何気ないことを話し合う。そんな中言ってやったのだ。テレーシアのバーカ、ギルベルトのバーカ、と。


 生産性などどこにもない。答えなんて出すものではない。


 無為に時間を過ごすだけの宴会だ。


 ただ、無為であっても無意味ではない。


 そこには喜びがあるし楽しみがある。


 私たちの将来が未だどうなるかはわからないが、いつか思い出を語り合う時が来たら、バカなことをしたよなと笑い合うだろう。


「そういえば……」


 そうやって夜も更け、ワインで喉が焼け呂律が怪しくなってきた頃。


「今度の王の生誕祭、何だかお呼ばれしてしまったようなのよ……」


 特に中身を考えて話している訳ではない。ただ思い出したからそのまま口にしてしまっている。


「それは例年のことだろ?」


「ううん、違うの。一日目に呼ばれちゃったのよ」


「え、一日目に?」


 目元が怪しくなってきたトールの目が見開かれた。


「私、何かやらかしたかしら?」


「やらかして呼ばれるのは生誕祭ではなく、裁判所じゃないかい?」


「じゃあ何で私なんて呼ぶのよ? 訳わかんないわ」


 トールへ答えを求めているのではない。思考力の低下で、脳みそを使わず喋っているだけだ。


「トールは確か毎年呼ばれているわよね?」


「今年も例外なく呼ばれたよ」


「一日目のパーティーって、一体何するの?」


 その内情に興味がなく、今まで聞いてこなかったが他人事ではなくなった。中身くらいは知って置かなければと問いかける。


「そんな大したことはしないよ。一組一組呼ばれて王のありがたいお言葉を頂き、『ははー、ありがとうございます。これからもお国のために頑張らせて頂きます』って頭を下げるだけさ」


 その様を雑に披露するトール。紳士の姿を投げ売った、不良少年そのものだ。


「そうなの。本当に大したことはしない、面倒なイベントなのね」


「後は精々、英雄によってこの国は救われた。これがその証だ、と言って魔王が使っていた魔神の遺産を見せびらかすくらいだよ」


「大丈夫なの、それ?」


 何てことない風に語るトールに、漕ぎ出し始めていた船から一気に覚めた。


「大丈夫だよ。封印されて直接触れないようにしている。君が思うような不安はないよ」


「なら、いいのだけど……」


「それよりも面倒なのは母さんだ。母さん。母さんが面倒だ」


 面倒から逃げるように、トールはグイっと一口飲む。


「王がさ、毎年言うんだ。『そろそろ相手は決まったのか』って。だから今年はこう言ってやろうと思うんだ。『いや、おまえには関係ないことだ、毎年うるさいぞ』って」


 王へのおまえ呼ばわりに、私は吹き出してしまった。


「関係なくはないでしょう。将来の軍務局の大臣だもの。その相手は気になって当然よ」


「そうではあるんだけどさ……そこで母さんがまたうるさくなるんだ。今年こそは『ええ、ついに決まりましたわ』って報告したいのだけど、ってね」


「それは大変ね。苦労を察するわ」


「他人事のように言うけど、クリスは当事者だ。そろそろどうにかしないと、外堀から埋められるよ」


「それこそこんな姿を見られたら一発ね」


「そうだ。言い訳が利かない。こんな醜態、怒るどころか嬉々とするに決まってる」


 バルコニーの手すりに身体を預けながら、またゴクゴクと喉を鳴らしている。


 一先ず満足したようで、ワインボトルを私に差し出した。それを迷うことなく喉に流し込む。


「こんな姿でも見せてあげれば、喜んでくれるかしら?」


「僕らにとって、悪い意味でね。無実の既成事実に大喜びするよ」


「ヒルデ様となら喜んで、既成事実作りに励んでもいいのだけれどね」


「止めてくれ。親友と母親がそんな関係になろうものなら、僕は死ぬしかなくなるよ」


 彼の顔の歪みはそれはもう凄いものだ。紳士とは無縁な、少年の悲哀を表現しきっている。


「今日もさ、本当はヒヤヒヤしているんだ。母さんはあれで敏いから、監視でもつけてるんじゃないかって」


「付けられていたらどうしましょう」


「その時はもう取り返しがつかない。君はヴァルトシュタインの名を継がなければいけなくなる」


「クリスティーナ・フォン・ヴァルトシュタイン公爵夫人の爆誕ね」


「実に笑い事じゃない。今日という日を過ごせて良かったとは思うが、明日以降にその裁定がくだされる」


 思わずバルコニーから外を見渡すが、人気はない中庭が見渡せるのみ。監視者が見当たらない。


「もしこの姿を今みられているのなら……」


「いるのなら……?」


「大人しくもう諦めるわ」


「え……?」


 あまりにも意外な、返ってくるはずのないと思っていた解答。トールは時間が止まったように、その揺らしていた肩を止めた。


 前から、私は一つの考えがあった。


 トールの望まぬ結婚。ヴァルトシュタイン家を継ぎながら、どうやれば彼が不幸にならないのかを。


「一つ、貴方を救える良い案があるわ」


「僕を救う案?」


「クリスティーナ・フォン・ヴァルトシュタイン公爵夫人の誕生によって、望まぬ結婚を避けるのよ。そうしたら、貴方に女が充てがわれることはないわ」


「はは、そうか……その手があったか」


 冗談が何かと思ったのだろう。おかしそうに笑っている。


「でも無理だよクリス。僕には跡継ぎを作らなければいけない義務がある。君とそんな真似はしたくない」


「あら、その跡継ぎをするような行為をしなければいいだけじゃない。そして白々しくこう言うのよ。『何度やっても子供ができない』ってね」


「いや……クリス、それは……」


 真面目に話を検討しているのがようやくわかったのか。だらけにだらけたその顔が強張りを見せてきた。


「貴方はヒルデ様たちにこう言うの。『クリスがダメだから外で作ろうとしたけれど、どうしてもできない』って、トールが種なしだ思わせれば、ヒルデ様たちも諦めるでしょ。ヴァルトシュタイン家の当主が世継ぎを作れない身体なんて、外聞的に悪すぎる。その泥を進んで妻が引き受ければ、ヒルデ様たちは私を大切にしてくれるはずよ」


 我が事ながら、見事な戦法である。


 トールと男女の行為をせず、世継ぎを作らずに済む方法。これだけで全てが解決する。


「新しい世継ぎについては、貴方の兄弟か親戚の子供から引っ張ってくればいいわ。ほら、これで全部解決よ」


 ヴァルトシュタイン家を断絶させず、これからも発展させるにはこれしかない。


 唖然としているトール。酔いなど一気に冷めたとばかりに、私の言葉に聞き入っている。


「君は……前からそんなことを考えていたのかい?」


「備えあれば憂いなし。いざという時のために、温めておいた案よ」


「確かに……それなら僕の問題は全部解決する。母さんたちに種無しなんて思われるのは屁でもない。何より……これからの将来、君が隣にいるのは何よりも楽しそうだ」


「でしょう? 我が事ながら、貴方やテレーシアに並ぶ天才だと錯覚しそう――」


「でも……!」


 私の声を遮るように大声を出すトール。


「それで君がどうなるのか、わかっているのかい?」


「ええ。私はヴァルトシュタイン家の後継者を生み出せない、欠陥品のレッテルを貼られるでしょうね。世間に白い目で見られ、なぜ子供が産めないのかと罵られる、そんな素晴らしい未来が待っているわ」


 生前の世界でも、そういうことは当たり前のようにある。大した家でもないくせに、後継ぎだと騒ぎ立てるのが世の常だ。そのせいで涙を飲んでいる女性は、あまりにも多すぎる。


 そしてここは王国であり貴族社会。より顕著となって皆は攻撃してくるだろう。


 原因はトールである。それを知った一部の身内は、私を守ってくれる。ただその手を逃れて攻撃してくる者はとても多いはずだ。


「……君にそんな未来を押し付けろと?」


 自分が全ての原因であるのに、その責任を一番比重の高い形で私が持つ。それがトールは許せないのだろう。


「バカね、トール。忘れたの。貴方の今目の前にいる親友が、どんな人間だったのかを」


 ワインの注ぎ口をトールに向ける。戸惑うよう半開きにしているその口に差し込むと、そのままワインを注ぎ込んだ。


「げ、ゲホッ! 何するんだいクリス!」


 ゴクゴクとこぼさないよう健闘していたトールだが、終わりのない戦いに負け、むせるように吹き出した。


 私はその雫を浴びながら、改めて彼に自己紹介するのだ。


「私はクリスティーナ・フォン・ラインフェルト。性別はクリスティーナ。そこらの小娘と一緒にしてもらったら困るわよ。ごちゃごちゃうるさい奴がいるなら、手袋でも投げつけてこう言ってやるわ。うるさいバーカ、かかってこい、ってね」

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