40 月が綺麗ですね
トールの親友がどれほど頼もしいものかを教えてやった。
一気にワインを呷り、今度はボトルをトールに返す。
「そうだった、忘れていた。君はクリスティーナ・フォン・ラインフェルトだった。世間のくだらない非難に臆するような、可愛らしい女の子じゃ断じてない」
堪えきれず吹き出したトールはワインを呷る。
「そ、可愛らしいのは顔だけよ。可愛いだけの淑女と見誤ろうものなら、痛い目にあうわよ」
「そしてこういう所では自信家だ。自分をそこまで可愛いと言い切るのが清々しいね」
「だって事実だもの。本物のクリスティーナという者がいるとしたら、私はこの可愛い顔を彼女から掠め取ったのよ」
「そうか……君にとってその身体は、最初から君の物ではなかったのか」
「ええ。だから私くらいはその価値をしっかりと認めて、大切にしないとクリスティーナに申し訳ないわ」
私が世界で一番感謝し、申し訳ないと思っているのはクリスティーナだ。
「もし、その身体を返す機会があるのなら……君は返してしまうのかい?」
不安そうな声を上げるトール。
「返さない。こればっかりは申し訳ないけど、私はクリスを止めるつもりはないわ。これからも私はクリスで在り続けるし、消えそうになるのなら抗い続けるわ」
私はエゴイストだ。俗物だ。何があってもこの身体に固執し続ける。
「だからもし、ある日突然貴方が知るクリスが消えて、ただのクリスティーナに戻ってしまったなら……その時は悪いけど、代わりにクリスティーナへ謝っておいて。今まで好き勝手してごめんなさい。私が残したものは貴女の好きなようにしていいわ、って」
「そういう時は思い切りがいいんだね。……わかったよ、そういう日がもし来たなら、親友として君の後始末はつけようか」
「そういう日が一生来ないよう祈るわ」
「僕も心の底から祈っているよ」
トールは空になったボトルを逆さにしながら、中身が無くなったのを確認し惜しむようにしている。
「しかしこれからの君との人生か。まさかそんな妙案を考えていたなんて」
「貴方の親友の頼もしさに恐れ入った?」
「恐れ入ったよ。降参だ」
両手を上げるトールは、酔いが回ってきたのかその手を滑らした。
落下するワインボトル。
「飲みすぎたわね。そろそろお開きにしましょうか」
私がそれをキャッチすると、トールへと差し出した。
「そうだね。こんなに楽しいのは初めてだったが、そろそろ幕にしようか」
「私たちのこれからについては、まだまだ話を詰める余地はあるわ。作戦会議はこれからも必要ね」
「確かにそうだ。あっさりと婚約を受け入れたら、それはそれで不審がられる」
「何か裏があるんじゃないかと訝しがるわ」
「実際裏がある訳だしね。如何に表を偽装するかが鍵だ。母さんとかなら、どんな愛の告白をしたのか辺りから攻めてきそうだよ」
「プロポーズ、ね」
ヒルデ様のことだ。『好きだ、結婚してくれ』とか『愛している、一生傍にいてほしい』なんて有り触れた言葉では満足しないだろう。
偽装結婚というのも大変だ。
「何か良い案はあるかい? それこそ君の前世で知ったような、プロポーズの言葉とか」
むむむ、と悩む。
日本の生活で得たプロポーズの言葉。
「そうね……パッと思いつくとしたら、一緒のお墓に入ってください、とか」
「縁起でもないセリフだ」
「これから一生君の作る食事が食べたい、は?」
「おまえは侍女でも雇ったのかと怒られる」
「なら、僕は死にません、っていうのは」
「意味がわからない」
中々文句の多い親友だ。
プロポーズの言葉と言われても、私には縁のないものだったのだ。そういうのを深く考えたことはない。
恋愛小説を見たことはあるが、それは少年少女の物語。その告白はプロポーズとはまた違ったものだ。
何か名案が降ってこないものかと空を見上げて、そこにあったものにハッとした。
私たちを照らす冴え冴えとした真ん丸。
「月が……綺麗ですね」
「そうだね。今日はとても月が綺麗だ」
私に釣られて空を見上げるトール。
そんな親友の横顔がおかしくて、ついクスリと笑ってしまった。
「何かおかしいかい?」
「今のがヒルデ様が求めてそうな、ロマンチックなプロポーズよ」
トールは意味がわからないといった様子で首を傾げる。
「君を愛しているを、そう訳しておけって男がかつていたのよ」
かの文豪が残したあまりにも有名な、愛しているの翻訳だ。
「……なるほど、確かにこれはロマンチックだ」
どうやら母親をよく知るトールのお墨付きを頂けたようだ。
二人揃ってただ空を見上げる。
ああ、本当に、今日は月が綺麗だ。
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