30 母として

 グランヴィスト家は、ここ百年ほど続けて宰相を輩出している家系である。


 表向き世襲制ではないがそこは貴族社会。重要な官職は自然と世襲制となっており、よほどの失敗をやらかさない限り、そうそう入れ替わることはない。


 そのよっぽどをやらかし空いた席を、見事百年前に勝ち取ったのがグランヴィスト家である。


 王の脇を固め続け、常にレデリックを導き続けてきたグランヴィスト家。その信頼は厚く、ついには先代の王より王家の血を頂くほどである。


 こうして嫁いできたのかレデリック王の双子の妹、アデリナ様だ。


 一卵性双生児ではないのだろう。兄である王の面影こそあるが、瓜二つという訳ではない。幼き頃から似通った美形でこそあったが、歳を重ねるに連れて、王は端正な美男子に、アデリナ様は目の眩む麗人へとその容貌はわかたれたとのこと。


 その美しさたるもの、お父様の世代では憧れを二分化するほどだったらしい。


 そしてテレーシアが高慢に誇っている、大部分の理由である。


「彼女はクリスティーナ・フォン・ラインフェルト。父を支えてくれているラインフェルト子爵の娘であり、僕らの友人です」


「お初にお目にかかります、アデリナ様」


 不意打ちで現れたにも関わらず、よどみなく紹介してくれるトール。『僕ら』に含まれているのは、テレーシアにとってもだと含んでのことだろう。


 一方、私は言葉にこそ緊張は見せなかったが、自らが感じ取られるほどに挙措は鈍かった。


 相手は王の妹。改めて王族の娘に手を出そうとしている事実を思い出し、取り繕った表情はとても固くなってしまった。


「どうか頭を上げて、クリスティーナさん」


 表情を悟られまいと深々と礼を続ける私に、そんな声がかけられる。


「今日は身分など関係なく、一人の母親として挨拶をしに来ただけなのだから」


 言われるがままに頭を上げると、そこは社交界向けの微笑みではない。親しみが込められたものが待っていた。


「貴女の話はテレーシアから聞いているわ」


「私などの話がアデリナ様のお耳に少しでも入っていたとは……この身に余る光栄です」


「少しなんてものじゃないわ。それこそ初等部の頃は、トールヴァルトさんの話ばかりでしたのに、中等部に入ってからは貴女の話ばかりよ」


 くらっと、足元が覚束なくなりそうになる


 テレーシアから伝えられる話など、それこそ悪い話でしか伝わらない。それも本人にとって都合の良いように歪められた事実として。


「初めて貴女の話を聞いた時はそうね……確かあの娘が、初めて貴女に挑んだ話だったわ」


 ジャーマンスープレックスをかけ、恥をかかせてしまった時の話だ。


 あの時の私は、まだテレーシアに恋をしていない。綺麗な女の子だとは思っていたが、性格がアレなのでお近づきになりたくなかった。もしあの時に恋さえしていれば、もっとやりようがあったはずだ。


 トールへ目配せをして助けを求めたい。しかしアデリナ様から視線を切るような不敬な真似はできず、背筋に冷や汗が流れるばかり。


「そ、その説は不敬な真似を働いてしまい、反省しております」


 なのでただ頭を垂れるしかない。


「頭を下げる真似なんてしないで、クリスティーナさん。私はね、あの経験はテレーシアの人生にとって、かけがえのない糧になったと思っているのよ」


「糧、ですか?」


「ええ。我が娘ながら、テレーシアは才能に恵まれているわ。努力せずとも、何でも一人前にこなせるほどに。だからでしょうね。あの娘はそれまで努力と呼べるようなものをしてこなかったのよ」


 何事も一人前にこなすテレーシア。


 中等部に入った時点で、彼女は上位に位置こそするが、トールに次ぐほど優秀ではなかった。それがトールに続くように成績を追い上げたのは、確かに決闘以降だったかもしれない。


「貴女に負けたのが、よっぽど悔しかったのね。あの娘の成長が、今までにないほど見られるようになったわ。それこそ魔導学院の特進クラスへ名を連ねられるほどにね」


 娘の成長がよっぽど嬉しかったのだろう。反面、当時のテレーシアは母親からみて、特進クラスへ名を連ねられるとは思っていなかったようだ。


 私にとってテレーシアは、トールに次ぐも、決して劣るとも言えないほどの、性格以外に非の打ち所がない才女である。私に会う前の才女は、どうやらそこまでの存在ではなかったようだ。


 家族視点でのテレーシア。その意外な一面を見た気がした。


「ただ」


 太陽のように明るかったそのお顔が、不意に陰った。


「成長が性格にも現れてくれたのならよかったのだけれどね。こればかりは未だに治らないわ」


 確かに、という音が思わず漏れ出しそうになった。


「グランヴィスト家に生まれた長女として、そして次期王の従兄妹として恥ずかしくないように育てたつもりだったけれど……甘やかしすぎたのかしら? 少しばかし高慢に育ってしまったわ」


 見ているこちらが釣られそうになる美しいため息だ。


 例え王の妹であろうと、人の子であり親らしい。あの性格を、少しばかし高慢だけで括ってしまった。


 むせるような咳払いが隣から聞こえてくる。トールも親バカっぷりに吹き出したようだ。


「そしてその高慢さで一番迷惑をかけてしまっているのは、おそらくクリスティーナさんね。代わりに娘の無礼を謝らせて頂戴」


 私に向き直ったアデリナ様は、決して軽くないはずの頭を下げてきた。


「あ、頭をお上げくださいアデリナ様!」


 アデリナ様が小娘相手に頭を垂れ続けている光景は、周りの視線を集めてしまっている。


「貴女のような方が謝るほどではありません」


「いいえ、クリスティーナさん。私は今、一人の母親として貴女に向き合っているの。先日の騒動、いつも迷惑しかかけないテレーシアを、貴女がどのように守り抜いてくれたかは聞いているわ。……本当に、あの娘を見捨てないでくれてありがとう」


 その感謝の言葉には、少しばかりの涙が含まれている。


 本当にこの方は王族でもなく、公爵夫人としてでもなく、一人の母親として私の前に現れたのだろう。真摯な気持ちが伝わってきた。


 ただ私はしがない子爵令嬢。最高峰ともいえる社交の場で、王の妹であり公爵夫人にいつまでも頭を見せられていて良い身分ではない。


 慌てふためきながら、どう対応したらいいか困る。


 トールに助けを求めようにも、彼もまた戸惑っている。


「そのくらいにしなさい、アデリナ」


 だからこの助けは、トールではない。


 凛然とした音を放つ女性のものだ


 肩に柔らかそうな銀色の髪が揺れている。中性的でありながらもその美貌は、女ならば憧れるに十分すぎる。


 すらっとした体躯に収めている真紅のドレス。シンプルであるからこそ、彼女の内側の魅力まで引き出している。男にも決して屈することのない、精神性の力強さが。


 アデリナ様を呼び捨てにするほどのその方を、私はよく知っている。


「母さん、いつの間に」 


 来ていたんだ、とまで言葉が続かずも、ホッとしているトール。


 ヒルデ・フォン・ヴァルトシュタイン公爵夫人。この方こそトールの母親である。


「貴女ほどの女にいつまでも頭を下げられても、クリスが困ってしまうでしょ」


 私とアデリナ様の間を割って入るように、片手を腰に当てながら佇むヒルデ様


 最近厄介になってきたヒルデ様だが、今は女神のように思える。


「母親としての気持ちはわかるけれど、その前に貴女は王の妹であり公爵夫人。感謝は口にするだけにとどめておきなさい。この娘にはそれだけで、ちゃんと誠意が伝わるわ」


「ヒルデ……そうね。どうやら感謝が独りよがりになって、困らせてしまったようね」


 ヒルデ様のお声もあり、ようやく頭を上げてくれたアデリナ様。


「改めてごめんなさい、クリスティーナさん。これまでの娘の無礼を謝罪させてください。そして娘を守り通してくれてありがとう。よければこれからも懲りずに、どうかテレーシアと仲良くしてあげて」


「はい、それはもちろん」


 深々と、今度は私の方から頭を見せる。


 ヒヤヒヤとしたが、山を越えた先には得る物があった。テレーシアとの仲が公認されたのだ。これはもう期待に応えるしかあるまい。


 満足気にそれを見届けたアデリナ様は、友人へとその顔を向ける。


「それにしてもこうして顔を合わせるのも久しぶりね、ヒルデ」


「ええ、久しぶりねアデリナ。年始以来かしら?」


 軽い歓談を交わす公爵夫人が二人。


 それは王族としての慣わしなのか。王家の血筋を引こうとも、レデリック王立学園の中等部まで王族は通うのだ。私たちの年上である王子もまたしかりである。


 アデリナ様とヒルデ様は、その同級生にして友人。身分を越えた気の置けない親友だったとのこと。


「それでどうだった、本日のお目当てを前にした感想は?」


「可愛らしい娘ね。でも可愛いだけじゃない。この年頃の娘にしては珍しく一本の芯が通っているのね。自分のやりたいことをしっかりわかっている、周りに流されず受け止められる強さね」


 王の妹として養った鑑定眼か。短い会話だけで私をそう評するアデリナ様。


「そう、クリスは強いわ。どれだけ妬まれ揶揄されようと、大事な物を手放すような真似はしない。むしろ堂々日の下を歩きながら、他人の悪意などどこ吹く風よ。そんなクリスが気に入らず、徒党で彼女を囲おうものならどうなるかわかるかしら?」


「どうなるの?」


「手袋を投げつけるのよ。文句なら決闘で聞いてやる。いいから纏めて掛かってこいってね」


 まるで自らの武勇伝のように語るヒルデ様。


 これはヒルデ様が私に抱く幻想でもなければ妄想でもない。事実である。投げつけすぎて、『クリスの手袋』なんて言葉が生まれてしまったくらいだ。込められた意味は不名誉すぎるので省こう。


「本当にクリスティーナさんがお気に入りなのね。辛口の貴女から考えられないくらい、自分のことのように誇るのね」


「だって私は武家に生まれた女よ? 武だけではなく、その精神性までもが強い女の子を私が放っておく訳ないじゃない」


 だからね、とヒルデ様は私にその目を向けた。


「そろそろ観念して、トールと婚約してくれないかしら?」

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