29 宮廷舞踏会
ラインフェルト家は軍務局に務め、その地位と威光を示している家系だ。
軍務局の中でのお父様のポジションは、子爵家が座るには一つほど地位が足らない。代々受け継いできた地位ではなく、お父様が一代で上り詰めた、爵位不相応な地位である。
お兄様もいずれその後を継ぐために、相応の教育を受けてきた。その甲斐もあって、今や立派にお父様を支えている。
そんなお父様方が、遺跡の騒動の中心に私がいたことについて耳に入っているはずだ。だがそんな騒動が起きた時こそ忙しい職務である。重体や後遺症も負った訳ではないのだから、私の顔を見に来る余裕などはない。
軍務局では、今回の騒動についてどのような考えを持っているのか。私はまだ知らない。
第二の魔王の可能性に至っているはずだが、どこまで現実味がある事柄として捉えているのだろうか。今日顔を合わす予定であったお父様方に、話を聞くつもりであった。
そう、あんなことがあった後だというのに、慎まれることなく行われているこの場で。
「二日前のことがまるで嘘みたい」
綺羅びやかな明かりの下、奏でられるオーケストラ。
自分たちこそがこの舞踏会の華であるとばかりに、視界一面に咲いている華麗なドレス。彼女らは紳士にエスコートされながら、この大広間を回り続けていた。
この場に満ちるのは一流ばかり。それは無機物だけではなく、招待客やその接待に駆り出されている者たちを含めてである。
絢爛豪華とはまさにこのことだ。
これほどまでの場に居合わせたのは、子爵令嬢たる私も初めてのこと。
今日は宮廷舞踏会。レデリック城内で行われる、国内最高峰の舞踏会なのだ。
今までは子供ということもあってお留守番であった。その内情はいつだって言葉でしか知ることはなかった。
今年、私は十六歳を迎える。ラインフェルト家への招待は、成人として扱われる私への招待にも繋がるのだ。よっぽどの事情がない限り、私に辞退する権利などはない。
すぐにでも帰りたいとばかり願い、私は今日この場に臨んでいた。
なぜならラインフェルト家からの参加者は私だけ。お父様方は今も二日前に起きた騒動の後始末に追われている。
貴族の催し物は数こそこなしてきたが、これと比べればどれもお遊びのようなもの。今まで子供として扱われてきたのに、今日からは大人としていきなり扱われる。それも家の代表としてだ。
事情が事情なので、挨拶に応えるだけで良いと送り込まれた。壁に寄り、気配を消してもいいと。
ただ、私の髪の色は目立つ。同派閥たちの貴族が見逃すはずがないだろう。
十五歳の小娘がなぜこのような大舞台に一人ポツンとしているのか。言葉を選び、失礼にならないよう対応し続けなければならない。
相手は海千山千の怪物たち。同派閥とはいえ、どんな形で足元を掬われるかわかったものではない。
お父様方もよく魑魅魍魎の居城に、私一人送り込む決心をしたものだ。仕方ないとはいえ、一歩間違えれば御家が傾きかねない。
……原因はわかっている。お父様方も二日前の騒動で、私が精神的にダメージを負い、寝込んでいることにしようと考えたはずだ。しかし私はピンピンとしており、あろうことか次の日にはギルベルトと公共の場でお茶をしている始末。
ギルベルトはその存在から常に注目されている。報告してもいないのに、昨日の出来事がお父様の耳に入っていた。
だから参っているなんて嘘は使えない。今日を見据えなかった私の自業自得である。
準備を終えラインフェルト邸を発つ際、弟とメイドたちの案じる眼差しはそれはもう凄いものだった。
どれだけ嫌であろうとも、参加しなければいけないものは仕方ない。
諦めが肝心と馬車を降りようとした私に、一つの手が差し伸べられた。
「そうだね。君の上に起きた出来事からしたら、天と地の差だ」
トールの手だ。文字通りそれは救いの手である。
ヴァルトシュタイン家は代々、軍務大臣を連綿と継いできた家系だ。お父様方と同じように軍務局に務める彼の父もまた、騒動の後始末に追われているようだ。
ただし、不参加であるお父様方と違い、彼の両親は後ほど現れるとのこと。トールは先じて参加し、挨拶回りを任されているのだ。
仕方なく一人送り込まれた私と違い、経験を積んでいるトールは信用の下、一人で送り出されていた。
同じ軍務局に就く親を持つ者同士である。待っていてくれたのは、私がこんな危機にあっていると察していたからだった。
友達甲斐がありすぎて、目頭が熱くなってしまった。
「ただし、君にとってどちらが地になるのだか」
一段落後、壁際に寄ったトールに浮かんでいるのは小気味良い微笑み。
「そうね。貴方の隣にいなければ、こちらの方が地になっていたかもしれないわ」
私にとって挨拶回りより、強敵の魔物を相手する方が数倍楽である。なにせ、魔物は殴っておけば何とかなる。一方、貴族相手に物理的な対応はできないからだ。
ラインフェルト家とヴァルトシュタイン家は同派閥。挨拶回りに同行させて貰え、対応を任せることが出来たおかげで、ラインフェルト家の面目は何とか保たれた。
「社交界での貴方の顔、御見逸れしたわ」
親友としてどれだけ顔を合わせていようが、それはトールのたった一面でしかない。学園時代にパーティーなどで一緒になることはあったが、今回と比べればおままごとだ。
「私のような粗忽者から見ても、彼らとのやり取りに非の打ち所がなかった。ヴァルトシュタイン家に付け入る隙がないのがよくわかったわ」
海千山千の怪物がひしめくこの舞踏会。
私と違いトールは大物である。妖怪たちが有利な言質を引き出そうとしているのが見て取れた。
「大したことはないよ。未だ大人に成り切っていない子供と高をくくっていた、向こうのアテが外れただけだ」
「謙遜しないの。妖怪たちのおべっかならともかく、私の褒め言葉くらい、素直に受け取りなさい」
「君がそこまで言うのなら、ありがたくお褒めの言葉を頂こうか」
まるで機会を伺っていたかのように給仕が寄ってくる。
与えられるがままに中身が入ったグラスを受け取って、ようやく喉が乾いていることに気がついた。
見つめ合うかのように互いに目を合わせながら、どちらからもなく乾杯した。
「ありがとう、トール。今日は貴方が傍にいてくれたおかげで助かったわ」
「それはお互い様だよ。君がいなければ、挨拶回りにどれだけかかっていたことか」
「ふふっ、そうね。この会場で貴方と縁を繋ぎたい相手は、全ての指を使っても足りないくらいだもの」
会場を見渡すと、いつにも増した機会を伺う眼差しが見受けられる。
トールと踊りたい淑女や、娘と踊らせたい親などは山のようにいる。それを私を隣に置くことで、トールは向こうの出鼻を挫いていた。
夢見る乙女たちの眼差しを一身に受けていた学園時代とは違う。この会場ではあからさまな嫉視が多すぎる。
「すまない。君を連れ回したばかりに、居心地が悪くなったかもしれない」
トールもその妬みに気づいたのだろう。居心地がわるいのではないかと言った本人が、一番居心地が悪そうだ。
「良いのよ。どうせここでは貴方の隣以外に、居心地がいい場所なんてないもの」
周りの妬みになど気づいていないとばかりに、トールへ向けるこの頬を緩めた。
「それに私が、この程度のことで俯くほど繊細だと思って?」
「すまない」
続けて同じ言葉が漏れるトールの謝罪。堪えきれないとばかりに白い歯をこぼしている。
「確かにこの会場にいるどの令嬢より、君の心身は強い。余計な心配だったね」
「ええ。嫉妬なんかで参るようでは、貴方の隣にいることなんてできないもの。むしろ可愛らしいくらいだわ」
「あんな目にあった後だというのに、君が君らしく何よりだ。
だからだろうね。余計な心配ばかりして、真っ先に言うべきことを言っていなかったのを思い出したよ」
「あら、なにかしら?」
「今日の姿はとても素敵だ。綺麗だよ、クリス」
晴れ舞台ということもあって、新調した桃色のドレス。スカートにボリュームをもたせるタイプではない、スッキリとした姿となるよう拵えたものだ。
どうやら紳士として、真っ先に褒めなければならない箇所を見逃したことを恥じていたようである。
「ありがとう。貴方の姿もとても素敵よ」
それなら私も同じである。黒の夜会服に包むトールの姿について、一言も言及していなかった。
私たちのやり取りは、嫉視を送る彼女たちにも届いているかもしれない。
裏表のない、互いに向ける心からの讚辞。
一切の社交辞令も政治色もない、男女の交流である。
歯噛みする音がこの耳に届くのは幻聴ではないだろう。
宮廷へ訪れる前に抱いていた淡い夢想が、粉々に打ち砕かれてしまった音だ。
彼女たちとて淑女の矜持がある。今この瞬間、私たちの間に入ろうとするほど野暮でもなければ、無謀ではない。
「御機嫌よう、トールヴァルトさん」
そう、一周回った期待に応えてくれる彼女以外には。
彼女の美しいドレス姿を目に焼き付けんとばかりに、反射的に目を移すと身体が強張った。
美しさをそのまま人の形に落とし込んだ、誰もが認めるその美貌。豊満な胸元に揺れる髪は金糸に見間違おうか。
天より与えられたその形を、憧れない女は果たしてどれだけいるだろう。いずれはこのように至りたいと、誰もが願わずにはいられない。
そう、いずれだ。
一人の人間として、女として成熟し到達している彼女は、決して私と同年代などではない。それこそお父様と同世代だった御方。
「ご無沙汰しております、アデリナ様」
「やはり子供の成長は早いものね。この前までテレーシアと背の変わらなかった男の子が、今やこんなにも素敵な殿方になるなんて」
アデリナ・フォン・グランヴィスト公爵夫人。
テレーシアの母親にして、
「ところでトールヴァルトさん。お願いがあるのだけれど、彼女を紹介して頂けないかしら?」
レデリック王の妹である。
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