26 ギルベルトの秘密

「ま、過去は過去。今は今。ラインフェルトたちがこうして仲良くしてくれているんだ。過去は忘れて前に進むよ」


 哀れなツンデレたちをばっさり切り捨てられた。


「そういやさっき、気になることを言ってたな」


「気になること、ですか?」


「妹の話では、って。兄と弟がいる三人兄弟だって聞いていたんだが。気のせいか?」


「いいえ、間違いありません。ラインフェルト姓の兄弟は兄と弟だけ。私が妹と呼んでいるのは、そうですね。学園時代同じ教室で過ごしたお友達のことです」


「妹と呼ぶくらいに仲の良い、友情の一つみたいなものか?」


「ええ。血の繋がりこそありませんが、同じ寮の、同じ部屋で日夜共に過ごすほどの、可愛い恋人いもうとですね。アーレンスさんの方は、ご兄弟などおられないのですか?」


「俺か? 俺は兄弟はいないな。そもそも物心つく前に母親が亡くなってるし」


「亡くなって……ごめ――」


「あーあー、いいっていいって。申し訳なさそうにされてもこっちが困る」


 謝罪を遮るギルベルトはあっけからんとしている。


「偲ぶ気持ちもあれば、生んでくれた感謝もある。でも思い出して悲しむほどの思い出はないんだ。いないことに落ち込みようがない」


「ですが母親がいない苦労はされたでしょう?」


「近くに比べる家庭環境がなかったんだ。苦労なんて知りようもないよ」


 ギルベルトはどこまでも飄々としている。


 私も二度の人生に渡って、当たり前の母親というものを知らずに育った。しかし世間一般の母と子の在り方くらいは、学ぶ機会はあった。


 しかしギルベルトはそれすら知らない。どんな顔をすればいいのかわからない。


「そんな深刻そうな顔をするなよラインフェルト」


 伏し目がちな私に、ギルベルトの態度はなおも変わらない。


「確かに俺が育った環境は、皆が言う普通じゃない。普通じゃないからこそ、それなりに愉快なことが沢山あった。それこそ視点を変えれば、周りが羨む環境だったんじゃないか?


 幼い間は超一流の魔導師に面倒を見てもらい、父さんがいる間は魔王を討ち取るほどの技術を学ぶ。いよいよ良い歳になったら、学んできたことを遺跡で活かし実戦経験を積む日々だ。そしてついには、誰もが憧れるレデリックの魔導学院、それも主席に座れたときた。


 我が身に起きたことながら、奇跡のようなストーリーだと思うよ。だから家庭環境なんざ、人様と乖離しているくらいで丁度いいんだ」


 あくまでも、


 どこまでも、


 これでもかというくらいに、ポジティブに身の上を語るギルベルト。


 あまりにも真っ直ぐなその瞳に、勝手に憐れもうとしていた自分が恥ずかしい。


 彼の精神性は、揺蕩う年頃でありながらも、しっかりとした主柱を胸に据えている。


「血の繋がった両親がいないからこそ、それ以上の人たちを与えられたんだと思ってる。なら俺は、その与えられた奇跡に感謝するだけだよ」


 彼はこれでこの話はお終いとばかりに、話を締めた。


 とても良い話である。


 そんな良い話をできるのなら、入学式でもちゃんと挨拶をするべきだ。


 私だって野暮ではない。


 ここまで綺麗に話を締められたら、彼の家庭環境にこれ以上口を挟むような真似はできない。


「血の繋がった両親が……いない?」


 だが聞き流してしまうには、あまりにも大事すぎる内容が混じっていた。 


「あ……やば」


 私は初めてギルベルトが冷や汗をかいているのを見たのである。


 口を滑らし、ただ黙りこくるギルベルト。


 目を瞑ったと思えば行儀悪く、フォークの先で空の皿を一定間隔で叩いている。


 十秒ほど経っただろうか。


 不意に店中に響いていた全ての音が消え去った。


 なおもフォークで皿が叩かれているのに、その音すらも聞こえない。


「防音結界ですか……」


 トールとハーニッシュ先生なども使えるこの結界、割と高度な部類に入る魔法だ。少なくとも私には使えないし、その展開速度に驚いた。 


「やっちまったなー。今の周りにも聞かれたかな」


 ギルベルトの声はちゃんと聞こえてくる。


 短時間で、必要最低限の空間を展開しているらしい。


「私たちの周囲は空席ですし、店内は賑やかです。視界こそ通っていますが、今の会話が誰かの耳に入ることはないかと思いますよ」


「なら良いんだが」


 皿を叩くのを止めたと思えば、今度は本来の目的で使用し始めた。


 かなりの特ダネを漏らしておきながらもこの態度。果たして本当にやってしまったと考えているのだろうか。


「アーレンスさん。私は人様の秘密を暴きたがるほど浅ましくはありません。つい反応はしてしまいましたが、今のは聞かなかったことにしますよ」


「お気遣いどうも。でも気になるかどうかはまた別だろう?」


 そう言われてしまえば首を縦に降るしかない。


「勝手に口を滑らせて置きながら、聞かなかったことにしてくれと悶々とさせるのも心苦しい。……ラインフェルトは口が堅いほうだろ?」


「淑女の矜持にかけて、人様の秘密を漏らすような恥知らずな真似はいたしません」


「ならいっか。俺としても、事情を知ってくれてる相手が一人くらいいた方が気が楽だしな。父さんの秘密もろとも、全て暴露しようか。

 口を滑らせた通り、俺と父さん――オスヴァルト・アーレンスは血の繋がった親子じゃないんだ」


 軽すぎる。あまりにも軽い調子で始まる自らの秘密。


「じゃあ俺は一体どこの子なんだってなるが、橋の下から拾われた訳でなければ、遺跡の最奥に眠っていた魔神の生まれ変わりでもない。親友と恋人の忘れ形見ってやつだよ」


 オスヴァルト・アーレンスは、あらゆる文豪たちにあらゆる角度から書き綴られるほどに人気である。文学、恋愛、歴史、政治、オスヴァルト・アーレンスとなるほどに、一ジャンルとして存在している。


 ノンフィクションの英雄譚として綴られることもあれば、妄想を詰め込まれたフィクションとして綴られることもある。


 当然、そうなると文豪たちは英雄を取り巻く人間関係までも物語の一員として綴るのだ。


 英雄の親友と恋人。


 そのワードに当てはまる名に、私は覚えがある。


「もしかしてアーレンスさんのご両親は、賢人マルクスと智者エミーリアなのですか?」 


「正解。よく知ってるな」


「御二人とも名高い聖賢者ですから。有名ですよ」 


 彼の英雄を語るに置いて必ず登場する幼馴染たち。オスヴァルトが魔王を討ち取る際、最後まで彼と共に戦った魔導師である。


 ギルベルトに宿る天賦の才。


 なぜ英雄と同じ聖騎士の道ではなく、魔導学院に足を踏み入れたのか。


 あの聖賢者二人の血筋なら当然である。


「ですが親友と恋人の子供ということは……あの……」


 ドロドロとした関係性が脳裏によぎる。


 親友たちの子供でなければ、幼馴染たちの子供という表現を使っていない。つまり、そういうことだろう。


「前に珍妙な人間関係を知っているって言っただろ?」


「は、はい」


「それが父さんと両親の関係性だ。何と一人の相手を取り合うこともなく、三人で仲良くやればいいんじゃないかと関係を築いていたらしい」


 一夫多妻は珍しいことではない。その逆はほとんど話を聞かず、世間には白い目で見られる傾向がある。


 王様と貴族が政治を回すような国だ。男尊女卑はこういう所で見られる。


「多夫一妻ですか……確かに世間から理解を得られるものではありませんね。英雄ならなおさら、隠し通さねばならなかったでしょう」


「驚いたか?」


「はい、とても。常識が覆されるかのような驚きです」


「だったらまずいな。この程度でそんな驚きをしていたら、次の驚きに心臓が持たないぞ」


「え、それはどういう……?」


「ここまでが前置き。話はこっからもう一回転する。目玉が飛び出るのはここからだ」


 ここから本番?


 十分に驚かされてしまったのに、一体この先に何があるというのだろうか。


「ラインフェルトは、父さんの親友は誰だと思ってさっき口にした?」


「それは当然、賢人マルクスですが」


「残念。間違いだ」


「だってそれ以外、親友に当たる人は……」


「いるだろうもう一人。父さんにとっての親友は、エミーリアの方だよ」


「え、え、え……?」


 私の頭がここまで混乱するのも珍しい


 ギルベルトの言葉の意味を理解できているのに、まるで整然としない。


「そして恋人の方こそが、マルクスなんだ」

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