13 一等講師よりの相談
「ラインフェルト」
新たな週の真ん中。
今日の講義も終え、予定もなく帰るため廊下を一人歩いているその途中、
「ハーニッシュ先生……?」
ハーニッシュ一等講師という、意外な人物に声をかけられた。
青年期を終えダンディズムに磨きがかかり始めた彼は未だ独身。年上に夢見る少女たちだけではなく、その地位も相まって、結婚適齢期の女性たちからも常にお声がかかるほどの人気学院講師だ。
特進クラス専属の一等講師である彼は、一般枠の講義を受け持つことは基本的にはない。講師の紹介を受けただけで、一般学院生とは縁遠い存在である。
「この後の予定は空いているだろうか? 少し時間を貰いたい」
だから面を食らった。
「時間をお作りするのは構いませんが……私などにどのようなご用件が?」
「相談がある」
「相談……? 私にですか?」
ハーニッシュ先生との初めての接触が、まさか向こうからの相談になるなんて。
「ハーニッシュ先生ほどの方が、相談……もしかして先せ――ヘルタ先生のことについてでしょうか?」
思い当たることと言えばこれくらいか。
ハーニッシュ先生は我が愛しの先生の後釜。私が学院外の先生の教え子であったことくらいは把握していてもおかしくはない。
「いや、君たちの師弟の関係に興味はあるが、今日は別件だ。彼女は関係ない」
「はぁ」
首を傾げる。
先生との真の関係がバレており、今更になってその聴取かと警戒したが違うようだ。この様子だと伯爵家の娘に手を出したことすらも知らなそうである。
「立ち話もなんだ。よければ腰を落ち着けないか?」
「私に異存はありませんが……」
「なに、そう警戒しないでくれ。取って食ったりはしないよ。ただ来週の実習について相談をしたいだけだ」
来週の実習、という言葉にようやく胸に落ちてきた。
「食堂へ移動しようか。なに、お茶くらいは私が淹れよう」
一日の講義後の食堂は、交流の場として使われやすい施設の一つだ。
ティーセットなど一式常備されており、放課後のお茶会にもってこい。賑やかではあるが、そこは貴族が多いこの学院。そこに騒々しさはなく、勉強に使う者もとても多い。学院生だけではなく、講師方の姿もちらほら見受けられる。
そんな場でハーニッシュ先生と二人、こうして相対しているのだ。特待生でもない私が、なぜハーニッシュ先生といるんだと、二度見するくらいには周りの好奇心を買ってしまっていた。
聞く耳を立てても無駄だ。ハーニッシュ先生は防音結界を張っている。一等講師に悟られることなく、その内側の音を拾える者などこの場にはいまい。
「砂糖はいくつ必要かな?」
「お構いなく。私はいつもお砂糖は使いませんの」
それも先生側がもてなすという、軽い接待モードだ。珍しい光景に目を奪われないというのも無理な話だろう。
「ラインフェルトは無糖派か」
ティースプーンが、ハーニッシュ先生のカップと砂糖壺と往復する。とどめとばかりにミルクもタップリいれてフィニッシュだ。
「そういうハーニッシュ先生は、甘党のようですね」
決してからかう意味ではなく、少しびっくりしたのである。
紅茶よりもブラックコーヒーを啜っているのが似合いそうな先生が、こうも砂糖をタップリ使うとは。
「昔から甘い物には目がなくてな。その分、酒は嗜まないんだ」
「あら、意外です。ワインを片手にする姿がとても似合いそうですのに」
「いくら似合った所で、一口飲んだだけで顔が真っ赤になるようでは格好がつかんよ」
お酒を飲めないのは体質の問題のようだ。
「私には夢がある。王都でも有名なタルトが売りの店があるんだが、そこで飽食の限りを尽くすんだ。さぁ、メニューにある物を全て持ってこい、と言ってな」
「なぜ夢を形にしないのですか? 私も知っているお店だと思いますが、とても近場ではないですか」
「残念ながら、あそこにはとても強力な結界が張ってある。私一人で破ることなどとてもできん」
あのお店は確かに強力な結界が張ってある。
女性客で連日大繁盛。男性のみの客は皆無。ハーニッシュ先生ほどの方が足を踏み入れたが最後、人の噂は七十五日の刑となろう。
「ハーニッシュ先生ほどの殿方なら、結界を破る協力者には困らないでしょうに。慕ってくれている学院生にでも、協力を仰いではどうでしょう?」
「それこそ終わりだ。教え子に手を出したみたいな噂が広まれば、私は王都から立ち去らねばならん」
我が愛しの先生は、それが広まる前に王都から立ち去ってしまった。
あのお店を男女で行くということは、そういう風に見られる店だ。先生の後釜であるハーニッシュ先生だが、その後釜まで求められてはいない。
「そんなわけで私の夢は夢で終わっているということだ」
「身を固めるまでのお楽しみというわけですね」
「私はまだまだ身軽でいるつもりだ。それで手遅れになり夢が潰えようとも、私はしがらみには絶対屈しないよ」
ハーニッシュ先生ほどの地位と名誉と立場があれば、相手など引く手あまた。十六歳を迎えたばかりの初々しい貴族の娘だろうと、迎えることは難しくないだろう。むしろその外圧に辟易すらしているようである。
ハーニッシュ先生の意外な一面を見れた世間話。
「さて、ラインフェルト。来週の実習のことだが、相談がある」
私の緊張がほぐれたのを伺い、本題を切り出してきた。
「当日は、特進クラスの彼らに同行してくれないだろうか?」
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