12 奇跡を越えた奇跡
「え?」
奇跡なのだ。
こんな常識が二つの世界で重なっていることが。
「この世界の人間も同じ。動植物も見知ったものばかり。二つの世界の法則を分かつのは、それこそ魔力の有無くらいなものよ」
魔神や魔物も、魔力が前提にあってこその存在だ。
「それのどこが奇跡だというんだい?」
「物理法則が同じなのよ。大気の成分が一つ変わるだけで、私たちの知る人の形や在り方は大きく変わるわ。環境に適応するため、人間という種が生き残るために、今の姿ではいられない。それが魔力なんて現象が存在しながらも、私たちは今この瞬間、この姿を保っているのよ。
こんな二つの世界の一致を、奇跡と呼ばずになんて呼んだら良いの?」
「君が奇跡だと断定するその知識。僕には理解が及ばないよ」
「それだけ繊細な法則のバランスの上で、私たちの姿は成り立っているということよ」
これがどのような奇跡か。
世界が変われば、月や太陽が二つや三つあってもおかしくない。でも見上げるとそこにあるのは、私の知る大きさが一つだけだ。
地球と変わらぬ、魔力があるだけのそんな世界がここにはある。
そして奇跡はまだ終わらない。
「それに奇跡はそれだけではない。僅か二十年で幕を閉じたはずの生前の記憶は、世界を超えて六歳のクリスティーナに蘇った。これが転生した魂の記憶なのか、それとも神様の気まぐれで転写された記憶なのかはわからない。
それでも私は辿り着いた。都合の良い世界に、都合のいい環境に、都合のいい姿に。私はクリスティーナ・フォン・ラインフェルトに辿り着いたのよ。
これは奇跡を超えた奇跡。星に手を伸ばして、掴み取る以上の奇跡を経て、私は今ここにいるの」
私は奇跡を得た。
誰にも劣らぬ奇跡はこの身に起こったのだ。
「だからトール。貴方の恋が実ることがあるとしたら、それは奇跡でも何でもないわ。十分起こりうる、同じ者同士が出会えたということだけの偶然よ。私たちが出会えたようにね」
私の身に起きた奇跡と比べたら、人の言う奇跡など偶然起こりうる可能性だ。
「はは、君の話はあまりにも壮大だ。前半なんて、その意味の半分も理解できない」
仕方ないことだ。私のちょっとかじった程度の知識でも、この世界では未開の知識である。
根底にある知識差は、いくら天才児であるトールでも頭脳一つで補えるものではない。
「それでも君がそこまで言うのなら、そんな偶然が起こりそうな気がするよ」
それでもトールは私の伝えたい想いは受け取ってくれた。今はそれだけで十分である。
「その意気よ。動かなければ何も始まらないわ。
前を一歩踏み出す勇気がないなら、私が手を引いてあげる。
挫けそうになったのなら、倒れないよう私が支えてあげる。
親友である貴方のためならば、私は何だってしてあげるわ。
昔のように一人で悩んで諦める必要なんてない。私がいるわ。貴方は貴方の恋心を諦めず、その初恋は大事にすべきよ」
彼の喜びは私の喜びでもある。
彼には報われてほしい。無責任に焚き付けているかもしれないが、それでもやはり、トールに最初から諦めるような真似はしてほしくない。
「僕は君のような親友を持てて幸せものだ。君と出会えた奇跡と比べれば、僕が求める奇跡は偶然起こりうる夢なんだろうね。
わかったよクリス。可能性はとても低いかも知れないけれど、ここで自分から目を覚ますような真似はしない。この素晴らしい夢を見続けてみるよ」
諦めていたはずの初恋。
甘酢っぽいその夢に、トールは手を伸ばしてみようと顔を上げてくれたようだ。
「それでクリス。君から見たギルはどうだい?」
恋する相手の評価を聞きたい訳ではないのだろう。
私は俗物だ。オスヴァルト・アーレンスの物語は好きであり、彼のファンでもある。
英雄の息子を目の当たりにした、その感想を聞きたいだけだ。
ギルベルトを見てどう思ったか、どんな感想を抱いたか。そんなのはもう、この一言に集約されている。
「邪魔ね」
時間が止まった。
予想外の一言に、トールは喉を鳴らすのすらも忘れ固まっている。
「あ……あぁ、なるほど」
静寂の後、トールの口から漏れたのはそんな一言。
「テレーシアか」
天才的その頭脳をフル回転させたトールは、答えに辿り着いたのだ。
「あの邪魔者が現れたせいで、テレーシアが私に会いに来てくれないの!」
積もりに積もった感情を爆発させるかのように、私は不満を思い切り吐き出した。
遠目に見ている者がいれば、この声はハッキリ届いただろう。ただそんな覗く者がいたところで、トールの結界は絶対。彼の作り出す防音結界が、私たちの秘密の音を外部に漏らしたりしない。
「学園にいた頃はよかったわ。同じ教室内で会えたもの。『御機嫌よう、ミス・ラインフェルト!』なんて言いながら、彼女は常に私のアラや弱みに目を配っていたわ。
学院へ入ってからは距離が遠くなり、そんな関係に変化が訪れるかもしれないと思ったけれど……テレーシアは何も変わらなかった。入学式のお昼はやっぱり私のことを貶め辱めるために、わざわざ探して会いに来てくれたのよ」
「それだけ聞くと、とても良いことのように聞こえるよ」
いいのだ、それで。あれが私とテレーシアのコミュニケーション。彼女の方から積極的にスキンシップを図ってくれる素晴らしい時間なのだ。
「それがギルベルトのせいで全部台無し。私とテレーシアの時間が彼によって奪われた。これが邪魔と言わず何と言えばいいの?」
「……まさか君が恨み言を言う日がくるなんてね」
それが寄りにも寄って、自分の想い人に向けるとは。そう言いたげなトール。
「あら、恨み言じゃないわよ。そんな悪意のような感情、彼に抱いていないもの。むしろ貴方が惹かれたのも納得がいくわ。それこそ彼のせいでテレーシアが手に入らなかったとしても、私は恨むつもりなんてない」
これは信念にかけて誓う。
「純粋に、誠実に、無垢なまでに高潔で混ざりっけもなく、純度百パーセントに、私は彼のことが邪魔だと感じているだけよ」
彼は私とテレーシアの時間を取り上げた、ただの邪魔者だ。それ以上でもそれ以下でもない。
「貴方だって他人事ではないのよ。このままだとギルベルトがテレーシアに取られてしまうわ。あの娘がギルベルトが狙いを定めているのが、わからない貴方でもないでしょ?」
「あぁ、テレーシアはギルベルトを狙っている。多分傍にいる時間が長い分、君より承知してるさ」
トールたちは同じ教室。同じ空間を共有する時間が長い分、テレーシアの動向をよく目にしているはずだ。
「でも、相手はあのテレーシアだ。性格がアレだろ? いくらテレーシアでも、ギルを振り向かせることなんて――」
「甘いわ!」
テレーシアの性格の悪さをよく知るトール。私を貶しめ辱めようとする姿を、幾度も目撃してきた。
ギルベルトはテレーシアに振り向かないと楽観的にさせるには、十分な理由である。
ただ、甘いのだ。
「男として生きてきた記憶がある私よ。男の考えなんて手に取るようにわかるわ。……いえ、確かに友人はいなかったけれど、この歳の一般的な男の考えというものは、例え世界を超えても共通よ」
例え友人がいなくても、あの世界は日夜情報で溢れている。平均的な男の考えというものは自然と身につくものだ。
「私たちくらいの歳の男っていうのは、年中ヤることしか考えてないわ!」
「ヤる……っていうのは、一体何を?」
本当に意味が伝わっていないのだろう、トールは困惑している。
彼は周りから一歩置かれてきた少年だ。周りの少年たちに遠慮されていたからこそ、純情であり汚れていなかったのだろう。
「性行為。つまりセックスのことしか考えてないわ」
十五歳といったら性の知識も身につけ始め、周りの少女が女らしい肉体をし始めた時期。まさにヤリたい盛りである。
「さ、流石にそれは極端な考えじゃ……」
「いいえ、全く極端じゃないわ。ヤりたい盛りの男の頭の中にあるのは、女の胸を揉んだり穴に入れることだけ。恋愛のゴール地点をキスにするだなんて自制心、あいつらにはある訳がない。むしろそんなことしか考えていないから、他のことが疎かになるのよ」
実体験である。おかずが手軽に手に入ってしまうからこそ気が取られる。
この世界の男たちは、どのようにおかずを調達しているのか。それこそおかずになりそうな相手を目に焼き付けて、後は妄想で補っているのかもしれない。
「わかるかしら? そんな性欲旺盛なヤることしか考えていない男の下に、テレーシアのような女が都合よくすり寄ってくるのよ。その据え膳を食わないような男がいたら、それは不能者か貴方のような女を愛せない者だけよ」
むしろその時こそが、トールの最大のチャンスかもしれない。
納得いかなげなトールだが、私が自信満々にこう口にしているのだ。意見を挟もうにも、私以上の説得力がある言葉は出てこないようである。
「……でも、テレーシアはあの性格があるから、いくらギルでも簡単に手を出したりは」
だからギルベルトの名誉を守る反論は、テレーシアの性格しか見いだせない。
「よく思い出しなさいトール。テレーシアに擦り寄られてきた時代を。彼女は貴方に対し、あの可愛い性格を見せていたかしら?」
「あ……」
どうやら思い出してくれたようだ、あの日々を。
「テレーシアは高慢にして傲慢にして驕慢。下を見下し、上に媚びへつらう。その性格はもう最悪。あれを可愛らしく愛おしいだなんて言えるのは、それこそ私くらいなものよ」
むしろあの高慢さがいい。私の愛でどんな風に落ちていくかが楽しみで仕方ない。
「けどね、テレーシアは今ギルベルトに媚びているわ。唯一の欠点でもある性格が鳴りを潜めているの。そうなると今のテレーシアは美人でスタイルが良くて、家格も高いただの天才よ。そんな都合のいい女がすり寄ってきて、ギルベルトの本能がどこまで持つかなんてわかったもんじゃないわ」
しかもギルベルトは、今まで貴族の女には嫌われてきたと語っていた。それが貴族令嬢の中の貴族令嬢、テレーシアに好意を向けられているのだ。悪い気などするわけがない。
お通夜ムード。
現状を改めて理解してしまった私たちの空気はどんより重い。
「ごめんなさいトール。あれだけ焚き付けて置いて、現状は最悪だったわ」
「それはお互い様だろ」
クスリと、通夜の日に似合わない声を漏らすトール。
「現状は絶望的。どこに光があるかもわからない暗闇の中で、どう足を踏み出せばいいかもわからない状態だ。
でも同じ目的地を共有している君が隣にいる。最悪な暗闇の中でも、歩くことくらいはできるだろうさ。もしかしたら、意外なところから光が差すかもしれないよ」
「トール……」
トールにしては珍しい楽観さ。
ただそれは隣にいる私を信頼してくれる友情から漏れ出たものだ。
うつむいてなんていられない。
「そうね。どこが前だかわからないけど、まずは歩くしかないわね」
歩いていれば差し込むかもしれない光を求めて、まずは前に進むしかない。
そしてその光は、確かに意外な所から差し込んで来ることになる。
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