11 初恋
『相談があるんだ』
本末転倒な遺跡探索から帰宅すると、トールからそのような連絡が入っていた。
手紙でもなく、言伝でもない。トールからの贈り物である、通信魔具にだ。
通信魔具は遠く離れた相手に情報を送る魔具。そう一口に言っても通信方式は様々だ。
電話のようにリアルタイムで会話できる物もあれば、トランシーバーのような一度に一方の声しか届けられない物もある。ボイスメールのように声だけを届けて、いつでも聞くことができるタイプだってある。
私が持っているのは、文字を扱う通信魔具。A4サイズの厚さ二センチほどの四方体で、書き起こした文字をリアルタイムで共有できる、二対で一つの手軽な通信魔具だ。
簡易な通信魔具とはいえ、相応のお値段はする。それを男性から女性にプレゼントし、二人で共有するということは、そういう関係だと周りは認識する。
私たちは親友に過ぎない。お互い便利に連絡を取りたいだけだ。
戻った旨を伝えるとすぐに返事は来た。どうやら直接話したいようで、明日会えないかとのこと。
親友の相談だ。二言返事で了承した。
ヴァルトシュタイン邸。
広々とした敷地内にあるその屋敷は、素晴らしい庭園がある。賑やかでこそあるが都会の喧騒やせせこましさに疲れるのは、貴族であっても変わらない。この素晴らしい庭園に触れたそんな者たちは、余生は王都を離れた郊外で、この庭園の真似事をし世俗から離れようと夢見るかもしれない
だが、ここは王都のど真ん中。
敷地内でそんな緑と戯れられるのは、流石天下のヴァルトシュタイン家といったところだ。
そんなヴァルトシュタイン邸自慢の庭園。
トールの屋敷にお邪魔する際、この庭園でティータイムをしながら語らうことが多い。
すっかり顔見知りとなっているヴァルトシュタイン家のメイドたち。彼女たちがティータイムの場を用意してくれるその裏では、私たちがどのような甘い語らいをしているのかで盛り上がっているに違いない。
「恋をしたの……?」
だから本当に甘い話題が上がる日が来るとは。私たちを知る誰よりも、私が一番驚いた。
メイドたちが下がり、二人きりになった頃合いを見計らって、ずばり本題へ入った。
トールの相談。彼にしては珍しく、言いよどみながら、何かを伝えようとしてくる。
根気強く耳を傾け、言葉を引き出してかれこれ三十分か。ついに私はトールの心に気づいたのだ。
「多分……そういうことなんだと思う」
自らの想いをハッキリ口にされたトールは、言葉尻が細くなっていく。
例え親友であろうと、恋の相談とは難しいものだ。恥部を晒すようなものである。私相手とはいえその想いを白状するのは、相当な勇気が必要だっただろう。
私を信じ勇気を振り絞ってくれた親友を、どうして笑うことができようか。
「おめでとう、トール」
浮かべるのは喜びを分かち合い、寄り添おうとする想いである。
「これが貴方の初恋ね」
「そうか……これは初恋なのか」
自らの意外な事実に驚いているようだ。
今日に至るまで、トールは恋をすることはなかった。
自らの立場とそれを取り巻く社会。
トールの心の在り方は、決して認められるものではない。排斥され、矯正されるべき異常扱いだ。
だからこそ自らに恋を禁じてきた。目の前に落ちている恋に堪えて、目をそらし続けてきた。
社会が恋を実ることを許さないからだ。するだけ虚しいものだとして諦めてきたのだ。
「僕は知っての通り、異性に情欲を感じず、同性にしかこの感情は向けられない。異性のここがいい、あそこがいい、こんな所に惹かれると皆が言っているそれを、僕は彼らに対して抱いているんだ。
でも僕は誰かを愛したこともなければ恋をしたこともない。性的欲求を彼らの中に見つけていただけだ」
「だけど今回は違ったのね」
「うん……何て言えば良いんだろうね。彼に初めて会った時、頭が真っ白になった。何も考えられず、ただただ彼に目を奪われたんだ」
自らの底に初めて湧いた想い。
「見た目にじゃない。……いや、確かに彼の外見は魅力的だ。今までになかったタイプだよ。ただ僕が目を奪われたのは、彼の雰囲気というか、在り方というか……ごめんクリス。あの時の気持ちを、どう口にしたらいいのかわからないよ」
姿を捉えきれず、手探りで探り当てようとする感情。その正体を掴めきれずもどかしそうな彼がとても可愛らしく映る。
「いいのよ、トール。貴方の底に湧いた感情を全て口にする必要はないの。言葉にしきれない想いだからこそ、素晴らしいものだってあるわ。抱いた想いの数々を、一つ一つ丁寧に言語化しようなんて、それこそ無粋よ」
なぜ花を綺麗と思うのか。花を愛でる場でその感情を掘り下げ、中身を解体しようとする者は、とてもつまらない人間だ。
花を愛でるのに理屈はいらない。曖昧な綺麗という言葉だけをわかっていればそれでいい。
だから私はそんなトールに、曖昧な感情の名前を教えてあげればいいだけなのだ。
「こういう時はね、一目惚れをした。それだけでいいのよ」
「そうか……一目惚れか。あぁ、そうだ。僕は彼に一目惚れをしたんだ」
はにかむトールはとても照れくさそう。
このような彼の顔を見たのは初めてだ。親友としてとても喜ばしくあり、嬉しくある。
「君があれだけ恋は良いと言っていた意味がよくわかったよ。この想いが報われたのなら天にも昇る心地になるだろうね」
「私の恋はそこまで純粋ではないわ。その想いが報われれば、私より素晴らしいものになるわよ」
私の恋は、スタート地点が性欲である。気持ちよくなりたいから始まったものだ。
トールのような初々しい、甘酸っぱい恋と一緒にされてしまうと、羞恥心に悶え顔から火が出てしまう。
「でも、僕の恋はここ止まりだ。その先はない」
自嘲気味にトールは肩をすくめる。
「あら、なぜかしら?」
「なぜって、だってそうじゃないか。相手はあのギルなんだから」
そう、トールの想い人。その初恋の相手はあのギルベルト。
「英雄の息子にして、魔導学院の主席であるギルが、男を好きになる訳がない。どれだけ彼との仲を深めようとも、精々親友止まりだよ」
「レデリック王国公爵家の長男にして、魔導学院次席の貴方は、男しか愛せないのでしょう? 彼が同じであってもおかしくないわ」
「希望的観測だ。そんな奇跡があるわけないよ。星に手を伸ばし、掴み取ろうとするものだ」
トールは初めから自らの恋を諦めていたようだ。
私はかつて、彼に恋を知ることがあれば頼ってほしいと告げた。できることは少ないが、一緒に悩むことくらいはできるからと。
ずっと一人で悩む苦しさを知っているトールは、私を頼ってくれたのだ。その先に解決方法が見つからなくてもいいから、苦しさを和らげるために。
奇跡。
レデリック魔導学院の主席と次席が相思相愛の仲へ至る可能性。
そんな未来があるのなら、確かにそれは奇跡である。
だけど、
「ねえ、トール。一年は何ヶ月かしら?」
「唐突にどうしたんだい?」
「いいから答えて頂戴」
「十二ヶ月に決まっているよ」
「じゃあ次に一年は何日?」
「三百六十五日で、一周で七日だ」
「一日は何時間?」
「二十四時間。そして一時間は六十分で、一分は六十秒だ。他に聞きたいことはあるかい?」
私の質問を先回りしながら答えていくトールは、怪訝そうに眉を顰めている。
「もう十分よ。貴方の言う通り、こんなことは常識よね?」
「ああ、王国だけじゃない。世界の常識だ」
「そう、常識ね。生前の私の世界でも、こんなことは世界の常識だったわ。
トール、これがどれだけの奇跡か、貴方にはわかるかしら?」
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