10 本末転倒
「っ……」
喉を鳴らす音が聞こえた。
私でもマルティナでもない。カールのものだ。
彼の視線の先にあるのはクレーター。それも地面ではなく、壁に出来上がったものだ。
ゴブリンの胴体に出来上がった空洞が、まるで腕輪のように私の腕に絡みつく。
気持ちのいい感覚ではない。振り払うようにそれを振り払うと、淑女に相応しい微笑みを彼に向けた。
「どうでしょうかアボットさん。貴方のお眼鏡に適うかほどかはわかりませんが、これが私の実力です」
「いや……その……」
穴が空いたゴブリンと、壁を何度も見比べるカール。
「凄いんじゃ……ないでしょうか」
引きつった顔をしながら、あれだけ見下していた少女に敬語で応えてくれた。
私が打ったのは崩拳。中国武術の基本技。
半歩崩拳、あまねく天下を打つ。そう謳われるほどの技で、生前の私が極めようとした技の一つである。
半歩踏み出しながら槍のように拳を打ち出す。ひたすらこれの繰り返しで前に進む。
生前は散歩代わりにこの練習を外で重ね続けていたが、その代償として日々通報され続けてきた。
私の崩拳の練度は、つまるところ受けてきた職質の数である。国家権力に屈さぬこの崩拳は、まさに私の実力を見せるのに相応しい。
「嫌味ったらしいわね相変わらず。でもわかったでしょカール? クリスの実力が。それでも認められないっていうなら、今度マイルールで相手をしてもらいなさい」
「あら、それはいい考えですね。マルティナさんに続いて、現役で聖騎士となったアボットさんの実力、私も体験してみたいです。よろしければその内、胸を貸して頂けませんか?」
カールはそれはもう首が引きちぎれんばかりに首を振る。縦ではないのが残念だ。
私たちの間の格付けはこれにて終了。二度とカールは私に無礼な態度は取らないだろう。
「お相手といえば、マルティナさん」
いきなりこの牙が向いてきたことに、マルティナはぎょっとした顔をしている。
「何でも破壊の神だなんて、素晴らしい名を広めて頂けているようですね。ここで礼を失すれば淑女の恥。お礼も兼ねまして、是非マルティナさんのお相手をさせてください。必ずや貴女をガッカリさせる無作法はしませんから」
「気をつけなさいカール。この時の顔をしているクリスとだけは相手しちゃダメよ。いたぶるだけの痛めつけ方をしてくるから」
「いたぶる、だけ?」
「そ。真っ当に競い合うんじゃなくて、苦痛を与えるためだけの技を使ってくるわ」
「あら、あんまり悪口を言わないでください。悲しくて泣いてしまいそうです」
呆れてものも言えなくなったマルティナ。その顔からは心の声がわかりやすい形で聞こえてきた。
どの口が言ってるんだ、だ。
地下一階。
一通り見て回った所で、次の階下へと降りていく。
「それで、ギルベルトは問題ない?」
「問題ない、と言うのはどういうことでしょうか?」
「入学早々、挨拶をバックレたでしょ、あいつ? あれ以来、問題を起こしてないかどうかよ」
ギルベルトの主席代表の挨拶。学院内では早速そのわがままが広まり、語り草になっている。どうやらその語り草は、聖騎士団の方の耳にもしっかり入っていたようだ。
あの入学式から五日経っている。
今日は魔導学院へ入学して初めての休日。
「ええ。学び舎を戴くのは初めてなようで、慣れない部分はあるとは思いますが。アーレンスさんが起こした目に余るような問題といえば、あれくらいですね」
ギルベルトも積極的に不和をもたらす問題児というわけではない。
郷に入れば郷に従え。慣れない環境ながらも、すっかりトール達貴族の輪に溶け込んでいる。
「むしろ問題があるとすれば、周りの方かもしれませんね」
「見世物小屋の前に人たがりできて、キャーキャーでも言ってるの? あそこのエリートは、そこまで無作法な真似はしないと思ったんだけど」
「はい、学院ではそのような真似をする者はおりません。アーレンスさんもあのお顔立ちです。女性の目を惹いてはおりますが、それでもすれ違い様に振り向くくらい。皆さんお上品でいらっしゃいます」
「じゃあ問題児っていうのは、どこから湧いてくるのよ」
「国中の至るところから。学院の門の前には、毎日沢山の淑女の方々が集まっておりますの。朝と夕方、アーレンスさんの登校と帰宅を狙って」
一度だけギルベルトと登校が被ったことがある。と言っても彼が前方を歩いていただけで、隣を歩いていたわけではない。
黄色い声がこれでもないくらいに盛り上がっていた。
あれはもうアイドルの出待ちそのもの。しっかり遠巻きで距離を取っている分、マシかもしれない。
「随分な人気だね、ギル。彼女らは貴重な朝の睡眠を、一時間ほど君に捧げているに違いない」
そのことについてそう冷やかすトールに、
「親があれなんだ。珍しいもの見たさなだけだろ。飽きたらその内いなくなるさ」
とギルベルトは応えていた。どうやら淑女たちの人気は、パンダのそれと同じものだと思っているようだ。
ついでにトールが姿を現すだけでも彼女らはキャーキャーと叫ぶ。尊大な肩書きを持った美男子なら、彼女らは誰でもいいのだ。
「凄い人気なことね」
「あの英雄の息子であり、学院の主席であり、そしてあのお顔立ちですもの。人気が出ないという方が無理な話。寮では顔を繋げられないかと頼んでくる子がいるくらいです」
世はまさにギルベルトブーム。
「どこへ言ってもギルベルト、ギルベルト。鬱陶しいことこの上ない」
先導しているカールはそう愚痴る。どこへ言っても聞くその名に辟易しているようだ。
「はいはい、嫉妬嫉妬」
「し、嫉妬じゃありません!」
「あんたの口からギルベルトから出る不満があれば、負け犬の遠吠え以外に聞こえないわ」
「ぐ、ぐぬっ……!」
事実であり、頭が上がらない相手だからこそそれ以上の反論はできないようだ。
「で、当のクリスはどう思ってるの、ギルベルトのこと?」
「邪魔ですね」
「え、邪魔……?」
「あっ……」
何気ないマルティナの話のパスに、つい本音が漏れ出した。
呆気に取られること数秒、マルティナの顔はすぐににんまりとした。
「そう、邪魔。邪魔なの。へーへー」
それはもう新しい玩具を与えられた子供そのものだ。
「な、る、ほ、ど。クリスったら、ヴァルトシュタインの坊っちゃんを取られていじけてるのね」
「いじけていません! 親友として、トールに素晴らしい友人ができて喜んでいるくらいです」
「で、も。邪魔なのね」
ぐ、ぐぬぬ。
口元に片手を当てて、うざいくらいのニヤニヤ顔。
カールも私の意外な一面を目にしてか、振り返ってきているその目は丸い。
「そういえばマルティナさんのお腹って、とても殴り心地が良さそうですね。試して見てもよろしいですか?」
「うわっ、暴力に訴えかけるの反対!」
「アボットさんも、マルティナさんだけにはその台詞を言われたくないと思いますよ」
首を大きく頷くカール。おまえがそれを言うなと目で訴えかけている。
「わかったから。もうそこんとこに触れないからその右の拳を解きなさい。ほら、パーよ、パー」
ちなみにマルティナに返した言葉は嘘ではない。
トールに素晴らしい友人ができたことに喜んでいる。取られたとも思っていない。
取られそうになっているのは、テレーシアの方だ。
彼女は日夜ギルベルトに媚び、取り入ろうとしている。学院内では常にその隣をキープし、他の女が近づかないよう目を配ってさえいる。
ギルベルトに忙しいテレーシア。そのせいで彼女の方から姿を見せてくれなくなったのだ。むしろトールを取られた経験もあり、私とギルベルトが接触することを警戒しているくらいだ。
由々しき事態である。
ギルベルトという邪魔者が現れたせいで、恋の難易度がハードからナイトメアになってしまった。まさに悪夢だ。
「まさかラインフェルト。今日の遺跡の目的は、その憂さ晴らしを魔物相手にするためか?」
地下二階に辿り着いてすぐ、カールは図星をついてきた。
技を磨く目的もあるが、この晴れない鬱憤を魔物にぶつけるのが今日の第一目標。
見事私の目的を当てたカールの左の頬を、褒美とばかりに優しく撫でる。
「あら、アボットさんの頬、とても良い音がなりそうね。試してもよろしいかしら?」
全力で身を引くカール。
彼に触れていた手が既に拳になっていることに青ざめている。
「し、しかし今日ラインフェルトが遺跡に来るのは、本末転倒も良いところだな」
すかさずカールは話題を逸らそうとする。
思ったことをそのまま口するのは美点とは言えない。しっかりと学んでくれたようだ。
「本末転倒とは、どういうことでしょうか?」
「今日俺たちが遺跡に来たのは公務。魔物の掃除だ」
「公務、ですか。このくらいの遺跡の掃除なら、騎士団の役目では?」
「普段であればな。だが今日の掃除はおまえたちのために来たんだ」
私たちのため。
首を傾げること数秒。その理由を思い至った。
「ああ、再来週の遺跡の実習ですか」
遺跡。魔神の時代より残る地下迷宮。
レデリックに数多く残っている遺跡には、地上とは比べられないほどの魔物が湧く。種類も頻度も桁違い。気を抜けば命を落としてもおかしくない、地上とは段違いの危険領域。
全ての遺跡は王国の管理下に置かれ、許可なくして足を踏み入るのは許されない。
危険な場所だから禁じているわけではなかった。遺跡ならば手に入る貴重な物が山ほどある。リスクに対してリターンが見込め、それこそが他国にこの国がリードをしている理由でもある。
遺跡へ足を踏み入れる許可は、聖騎士団のような国が認めた組織へ入るか。もしくは個人で資格を得るしかない。
私はその遺跡探索の資格を持っており、その経緯は十二歳の頃に遡る。
私は魔物を求めていた。
この身体、体術、魔法を日々磨き上げ、十二歳にして剣を持つ相手でも負けなしだった。試合形式でこそあるが、そこらの騎士にも勝つ実力があったのだ。
けれど魔物相手だけは歳が歳ゆえに許されず、その経験がなかった。
遺跡探索の資格は、たかだか十二歳の子爵令嬢になど降りるわけがない。
魔物相手ならば、練習相手にはとてもじゃないができないような技をかけられるのに。
歯がゆい思いで日々を過ごしてきた。
中等部の特待生となった私は、ついにある決断をした。
一等講師を求めよう。
一等講師はその責任の下、許可が降りていない相手を同行者として付けることができる。魔導学院では授業の一環で遺跡探索があり、主にそのための権限とも言える。
受験資格を得るのに残り三年。私はそれを待てなかった。
だから私は一等講師を求めた。
それこそがヘルタ・ドゥーゼ。
高名にして有名な彼女の下へ、伝手もなくいきなり訪れたのだ。
あまりにも無作法、恥知らずの身の程知らず。
だが先生はそんな私を嫌な顔せず迎え入れてくれた。
私の遺跡へ潜り力を付けたいという熱い想いを受け取ってくれた。
試しに早速明日行きましょうか、と肩透かしをくらほどにあっさりと話は進んだのだ。
今ならわかる先生の思い。
思わぬ大物がかかった。
なにせ私は、可愛く愛しく麗しい子爵令嬢。母譲りである黒絹のような髪が自慢の美少女である。このチャンスをモノにしようと、その天才的頭脳を回転させていたに違いない。
そしてその目論見は、見事成功したのだ。
以来先生は、釣れた魚にしっかりと餌を与えることを忘れず、日夜私に尽くしてくれた。何でも与えてくれた。
その与えてくれた物の一つが、遺跡探索の資格である。
先生がどれだけのロリコン天才変態教師であろうと、平民から成り上がった先生の手腕は確かだ。十三歳の誕生日に、遺跡探索の資格をもぎ取ってくれたのだ。
流石天才。私を物にできた成功体験に目さえ曇らなければ、今でも彼女は魔導学院にその身を置き、誰よりも尊敬される先生であっただろう。
「そうだ。学院生のため安全な環境を整えることが今日の目的」
こうして出来ている聖騎士団との縁も、彼女が繋いだもの。
あの人には恩はあれど仇はない。恨んだことがあったとしたら、何も言わずいきなり姿を消したくらいか。
「実習日が決まったらすぐに聖騎士が掃除を行う。これが通例だ」
「騎士団に任せていたら、準備に規則、予定やらで足が遅いからね。身軽な聖騎士団は、こういう時くらい働けってことよ」
レデリック王国の長い歴史の間で、各遺跡の魔物の出現傾向と頻度はデータとして記録されている。だからこそ魔導学院生とはいえ魔物退治のズブの素人を、授業の一環としていきなり連れていけるのだ。
そしてこの遺跡は、上層階層にはゴブリンのような弱い魔物しか出ない。
どれだけ魔物が弱かろうと、まず騎士団はいつだって万全を期す。最低人数や装備をしっかり揃え、規則と統率を何よりも重んじる。悪いことではないが動きが遅い。
一方マルティナたちは、昨日の今日で行ってこいと言われ、二人でこの遺跡に臨むつもりであった。そこに私が現れたのでしょうがないから連れて行くか、くらいの気軽さで遺跡に来ている。
聖騎士というのは、そのくらい特別な者たちなのだ。
「そんな学院生が安全な実習をするための掃除に、なぜか学院生が掃除に来ている。本末転倒とはこのことね」
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