09 破壊の神
襲いくるのは緑の子鬼。
一メートルもない体躯に侮ることなかれ。小柄な身からは想像できないその膂力は、成人男性を上回る。
ゴブリン。小柄を生かした素早さ、そして鉤爪とその牙を武器とする二足歩行の魔物である。
喉元に伸ばされるその鉤爪は、柔な肌を引き裂き絶命に至らせるには十分すぎる驚異であろう。
「はっ!」
だが、所詮はゴブリン。雑魚の代名詞。
単調なその攻撃をかわし、背後を取り、頚椎をねじ切るのは慣れたものである。
魔物の生命力は強靭である。頚椎をねじ切った程度で絶命するには至らず。致命傷であろうとたちまち回復するだろう。
だが瞬時に再生する訳でもないので、動けないのであればとどめを急ぐ必要もなかった。
動けなくなったゴブリンを放って周囲を見渡す。
襲ってくる際、目算で八体はいただろうゴブリンたち。どうやらまともに動けるのは今ので最後であったようだ。
両足を折られてなお、上半身の力のみで這っているゴブリンもいるが、相手になるほどではない。
「ふぅ……久しぶりに良い運動になりました」
必死にその鉤爪を伸ばそうとした所をその頭部を踏み砕き、私は同行者に笑いかけた。
「うっわ、相変わらずえげつない」
淑女に相応しい微笑みに、返ってきたのは苦々しげな呆れ声。同行者の一人である、親しき女性から漏れたものである。
マルティナ・フォン・ラウツェニング。伯爵家に生まれた三女であり、今年十九歳を迎える若き聖騎士である。
「淑女にかけるに相応しい言葉とは思えませんね、マルティナさん」
「この状況で淑女ぶろうとするなんて、クリスの面の皮は厚いのなんのって」
年相応に軽薄な声色。聖騎士になったのならもう少し厳かにしていた方がいいと思うのだが、いつだって彼女は自然体である。就職後も学生気分が抜けない社員そのものだ。
ショートカットの髪をかきあげながら、マルティナは周囲を見渡す。
「今の淑女のトレンドは、このような惨状の作れる人のことを指すっていうの?」
マルティナに釣られるようにして私も改めて周囲を見渡す。
視界に広がるのは十メートル四方の石造りの部屋である。
濃密な魔力に晒され続けた無機物は光を放つ。目がくらむほどではなく、じんわりと、宙に拡散していくような発光だ。視界が良好と呼べるほどの明るさである。
そんな明るさに晒されているのは、先程私が倒したゴブリンたち。
あるゴブリンは背中からサバ折りになってピクピクしている。
あるゴブリンは両耳を貫かれ平衡感覚を失いジタバタしている。
あるゴブリンは無傷に見えるのにその意識を失っている。
あるゴブリンは首が百八十度回転して倒れている。
あるゴブリンは両目を失い真の闇を彷徨っている。
どれも絶命こそしていないが、まともに動けるゴブリンはもういない。とどめはゆっくり刺すのがいいだろう。
「見なさいカールの顔を。あまりの惨状に怖がってるじゃない」
もう一人の同行者であるカール。貴族であるアボット家、その六男だったか。
彼は聖騎士養成校出身であり、聖騎士団へ入団したばかりの新米聖騎士だ。
聖騎士養成校は、魔導学院と比べその席はとても多い。だが卒業後誰でも聖騎士へと到れる訳ではない。聖騎士が輩出されない年度などそれこそザラである。
カールはそんな養成校卒業後、すぐに聖騎士へと至れたのだ。才能と実力は折り紙付きだ。
「あら、ごめんなさいアボットさん。怖がらせてしまったかしら?」
「べ、別に怖がってなどいない!」
引きつった顔をしておいてよく言う。
初対面から当たり前のように見下されていたからわかっていたが、彼はプライドの塊である。六男の身で生まれながら、才能に溢れ聖騎士へといたった成功体験。
私のような小柄な女の子に恐れ慄くなどあってはならないのだ。見下すくらいが丁度いい。
「魔物相手にこのような戦いをすることに驚いただけだ」
「ま、初見では確かに驚くでしょうね、この惨状は」
そこはからかわず、素直に同意するマルティナ。
「ふん。確かに驚きはしたが、コブリン相手に時間がかかりすぎだ。俺ならばこの程度、十秒もかからん」
私に張り合うようにカールは鼻で笑う。
「バカカール。聖騎士がコブリン程度で張り合うのはやめなさいみっともない」
「いっ! たっ!」
すると今度は同意せず、マルティナはカールにデコピンをした。
身体能力を最大まで向上させたデコピンなのだろう。不意打ちも重なって、大きく首を反らしながら痛みに叫んでいる。
「ごめんクリス。養成校時代から偉そうなのよ、こいつ。 鬱陶しいでしょ?」
「い、いえ、そんなことありません……」
「そこでうんと頷かないところがクリスの美点ね。でもウザかったらちゃんと言って。後輩の不始末として、責任持ってボコるから」
聖騎士の後輩という意味ではない。
マルティナもまた、カールと同じ聖騎士養成校出身である。カールと同じく卒業後、すぐに聖騎士へと入団した。それが去年の話である。
どうやら二人は養成校時代からの顔見知り。先輩後輩という関係であり、力関係は見ての通りのようだ。
「ま、今日のところは許してやって。こいつ、ギルベルトに負けて気が立ってるのよ」
「先輩!」
先輩の暴露に情けない声を上げるカール。
「アーレンスさんに、ですか?」
「そ、手も足も出ずボッコボコ」
カールは腐っても聖騎士。それも養成校卒業後、現役で聖騎士へと至っている。実力は本物であるはず。
「ですがアーレンスさんも魔導学院の主席の方。負けて悔しいのはわかりますが、気にしすぎるのもよくありませんよ」
「それがさ、気にしすぎる訳がある訳よ」
「先輩!」
「うるさい!」
後輩の二度目の情けない声に、マルティナはボディブローで応えた。
「どんな訳でしょうか?」
「
「えっ!?」
カールに驚きの目を向けると、悔しくて悔しくてたまらない辛酸を舐めた渋面。
聖騎士団ルールは、肉体強化や保護に関わる魔法以外を禁じている。攻撃や撹乱などを使わず剣と剣を競い合う、言い訳の利かない聖騎士団らしいルールだ。
そのルールでカールが負けたということは、
「そんなに凄いのですか、ギルベルトさんの剣術は」
「流石英雄の息子、と言ったところよ。あれで本職は魔導師だって言い切るんだもの。反則もいいとこね」
やれやれと言ったばかりのマルティナは、もうため息しか出ないとばかり。
「二つ下の本職の魔導師に、得意分野で負けてプライドはもうズタズタ。だから同じ学院に通うクリスで、憂さ晴らししようとしてるのよこいつは」
「先輩、俺は――」
「でも残念、今回ばかりはもっと相手が悪いわよ、カール」
ボディブローのダメージからようやく息を吹き返したカール。何か言いたげな彼の言葉をマルティナは遮った。
「ゴブリン如きで張り合おうとしてるけど、クリスにとってこれはお遊び。か弱い魔物を虐待して悦んでいるだけなの」
「マルティナさん、あまり人聞きの悪いことは言わないでください」
「事実でしょ? 魔物のことなんてのは所詮、人間相手にはできない技の実験台としか見ていないじゃない」
「うっ……」
「ほーら、言いよどんだ。いい、カール。あんたさっき、ゴブリン相手に時間がかかりすぎって言ってたけど当然よ。肉体強化の魔法は使ってないもの」
「はぁ!? 嘘でしょう?」
いくらゴブリンが相手とは言え、成人男性を上回る膂力を持つ魔物。肉体の強化をせず、小柄なこの身体でさっきの大立ち回りを演じたことに、カールは驚きを隠せないようだ。
「見ていた限り、肉体保護くらいは使っていたけど」
「なんでわざわざそんな真似を……」
「クリスは魔物を踏み潰したいのではなくて、技を磨きたくてここにいるの。肉体能力が五分以下くらいじゃないと、練習にならないでしょう?」
「いや、ゴブリンとはいえ仮にも魔物ですよ? 流石にそれは……」
おかしいだろ、とまではカールは言わなかった。
「しゃーない。クリス、いっちょ貴女の力を見せてあげて。そうしたらこいつも生意気な口を利かなくなるでしょう」
半信半疑の目で私を見るカールに、マルティナはそう提案した。
「はぁ、それは別に構いませんが」
特に力を隠しているわけではないので、見せる分には惜しむものではない。
丁度視力を失ったゴブリンが、聴力だけで私の位置を捉えたところだ。振るわれたその右腕を掴むと、私は自らに肉体強化の魔法をかけた。
魔導師だけではなく、騎士なども扱う基礎中の基礎魔法。
魔法にならずとも、魔力を身体中に流せば肉体の能力は向上する。そのイメージを持って、更なる身体能力向上を図るのが、この魔法。
ただ、私の肉体強化魔法はまるで違う。
魔法が支配するこの世界では、人間の身体は未だ神秘の塊である。しかし前世の世界では、その神秘は科学によって日々暴かれ続けていた。
人体構造の理解。それは一部に秘匿されたものではなく、手広く開示されている。細部に渡ってあらゆる分野が、あらゆる角度で、あらゆる方法で科学は神秘を伐採しているのだ。
伐採された神秘は使いやすいよう加工され、安い金銭で手に入る形で世に送り出されている。
私の肉体強化は、そうやって取り払われた神秘のベールの先にあり、既存の身体能力の向上具合とは別物となっている。
加減しながらゴブリンを壁に投げつける。さながらプロレスラーが、ロープに相手選手を導くように。
「よく見てなさい、カール」
そんなゴブリンの背中に密着に近い、半歩だけの距離を置いて追いすがる。
打ち出すべき拳の形を構える。
イメージは槍。ただ貫き通す軌跡を持って、私はたった半歩を踏み込んだ。
「あんたが張り合おうとした、破壊の神の姿を」
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