08 この英雄の息子は邪魔である

「良かったら俺も同席させてもらっていいか?」


「え、いえ……わたくしはここで頂くわけでは……」


 同席を願い出るギルベルトに、テレーシアは言葉を小さくしていく。


 当然である。テレーシアはただ私を貶め辱めるためだけにこの場にいるのだ。同席の願いを求められた所で、そんな魂胆があってここにいるとはとてもじゃないが言えないだろう。それも返り討ちにあった直後だ。


「よろしいではないですかテレーシアさん。四人で楽しく頂きましょう」


「折角のランチだ。ギルも座ってくれ」


「それじゃお構いなく」


 私とは別の意味でボリュームたっぷりのトレイが二つテーブルへと上がる。トールの隣へと腰掛ける姿を見て、テレーシアは観念したかのように私の隣へと座った。


「いやー、ここの昼飯は凄いな。目移りしてばかりだったよ」


 肉、肉、肉、肉。

 ギルベルトのトレイは、まさに育ち盛りの男の子を象徴するような惨状である。


「こんなのが毎日のように食べられるなんて夢のようだ」


 野菜なんて申し訳程度の英雄の息子のランチ。本来野菜が入っている料理ですら、子供のように避けて取っている。


「野菜はしっかり取らないと、栄養が偏りますよ」


 人の食事にケチをつける真似はしたくないが、口を挟まずにいられなかった。


「育ち盛りなんでね。男ってのは、肉を食べて成長する生き物だ」


 馬耳東風、糠に釘、馬の耳に念仏とはこのことだ。


「逆にテレーシアなんてそれだけで足りるのか? 肉を食べないと力が出ないだろ」


「ええ、貴方にとっておやつにもならないかもしれませんが、淑女の食事はこんなものですわ」


 私と比べ可愛らしい量のサラダとクロワッサン。私でもおやつにならない量である。


「そうなのか? でもこっちと比べてあまりにも量が……」


「ミス・ラインフェルトは特別です。ええ、それはもう特別ですわ!」

 いつものテレーシアならここぞとばかりに貶め辱める材料に使うが、私の呪文に辟易しているようだ。やぶ蛇にならないよう、言葉を濁している。


「確かにこんな小柄な女の子が、これだけの量を食べるのは圧巻だ。そんな小さな体にどうやったらそんなに入るんだ?」


「私は身体が資本ですから。幼い頃からの身体作りの成果です。それと淑女の身体的特徴をあげつらうのは、揶揄するつもりはなくとも紳士のする真似ではありませんよ?」


「気分を害したなら謝るよ。そういったしつけはうるさくされてこなかったんだ。貴族の多いこの学院じゃ、礼儀がなってない粗忽者かもしれん。そこは笑って流してくれると助かるよ」


 凛々しくかつ、雄々しい魅力を持つギルベルト。


 からっと笑うその様は、甘く微笑みトールとは対照的である。学園にはいなかったタイプの彼は、その肩書きも相まって、夢見る乙女たちの新たな恋の対象になりそうだ。


「ああ、それと食事と言ったらテレーシアさん。その食事はあまりバランスがよくありません。淑女として慎ましやかなのはわかりますが、彼の言う通りお肉が足りておりません。お肉はタンパク質の貴重な摂取源。それを欠くとお肌と髪のトラブルにも――」


「わかりました! わかりましたから、先にお互いの自己紹介くらいしたらどうでしょうか! お二人共、顔を合わせるのは初めてでしょう?」


 私の呪文が自らの食事に牙を向いたことにより、テレーシアは慌てている。もう二度と彼女は、私を貶めるのに食事をダシに使うことはないだろう。


「そういえばそうでしたわね。ごめんなさい、礼を欠くような真似をしてしまって。貴方はあまりにも有名で、一方的に名前を知っていたのでつい。

 改めまして、私はクリスティーナ・フォン・ラインフェルト。子爵家の娘です」


「ギルベルト・アーレンスだ。俺の方も、前から君の名前はよく聞いていた」


「貴方が私の名を……?」


 あの英雄の息子が私の名前を知っている?


 学園生ならいざ知らず、彼は最近王都へ訪れたばかりのはず。


「聖騎士団だよ聖騎士団」


「あぁ」


 確かにあそこであれば、私の名を知ることになってもおかしくない。


「あそこは父さんの古巣だからな。王都へ来てからは、何かと出入りさせて貰ってるんだ」


 聖騎士団。


 王国騎士団より上位にあるそれは、力を認められた一握りのみが入団を許される。


 団体行動でその日々を送っている騎士団に対し、聖騎士たちには決まったルーチンワークなどはない。己を磨くのもいいし、定期的に見回りが必要な遺跡探索を行うのもいい。


 私は先生経由で聖騎士団に縁ができていた。


 先生が去った後、遺跡探索に同行させてもらい、何かと聖騎士団には利便を図ってもらっている。


「何でも剣すら持たず、身体一つで魔物を屠る子爵令嬢がいるだとか。その実力は聖騎士に劣るものではなし。拳を振るうその様は、破壊の神そのものだと絶賛だ」


「淑女に付けるには、あまり相応しい肩書きとは思えませんね」


「文句はあっちに言ってくれ。俺はそんな話を聞いただけだ」


 聖騎士団の中でも詳しい文句の付け先、大体わかる。確実のあの人だ。


「でも驚いた。どんな化け物令嬢だと想像していたが、こんな小柄な女の子だったなんて。それもこんなに可愛いときた」


「喜ばしい讚辞に対して、前半の部分については聞き流しましょう」


「君と相対してようやく納得ができた。トールの嗜好は、決して捻じ曲がている訳ではなかったんだな」


「トールの嗜好?」


「ああ、だって二人は恋人同士なんだろ?」


 そんな誤解を口にされるのも久しぶりだ。


 仕方ないとはいえ、トールもこれには苦笑いだ。


「違うよ。僕とクリスはかけがえのない友人同士というわけだ」


「そうなのか? 王都へ来て浅い俺でも、そんな話が聞こえてくるくらいだぞ」


「私とトールは友人は友人でも親友同士。親友ゆえの距離の近さに、皆さん誤解してしまっているんです」


「ええ、この二人はいつもそうやって言い張っていますわ。私も未だ信じられません」


 ギルベルトに顔を向けられたテレーシアは、納得いかなげなため息を漏らす。


「見目麗しい者同士の男女の親友ね」


「私たちの関係は、社会的に見れば稀有なもの。だから親友同士でそれ以上はないと公言させて頂いております」


「後になって話が違うだなんて詰め寄られても困るからね」


 主に私たちの親族にだ。お互いを異性避けに使ってこそいるが、トールが口にしたように話が違うだなんて言われないようにしているのだ。


「へー、そういうものか」


 いつの間にかトレイの四分の一を空にしているギルベルト。


「信じられないなら、無理に信じてもらおうとはしません」


「いや、信じるよ。そのくらいの関係ならあってもおかしくない」


「おや、やけにあっさり信じてくれるんだね」


 肩透かしを食らったとばかりのトール。


「まぁな。もっと珍妙な人間関係を俺は知っている。それと比べれば信じられない話じゃないさ。性差を超えた男女の友情。うん、そのくらいありだよ、あり」


「この二人の関係がありだなんて……ギルベルトさんは一体どんな世界を見てきたのですの?」


「そこは当事者たちの名誉もある。口にはできんが……まぁ、この話を知って目玉が飛び出ない奴はいないな」


 自信たっぷりのギルベルト。


「世の中には信じられない不思議で溢れてる。俺が見てきたものは、君たちにとって不思議なものばかりかもしれない。逆に君たちにとっては不思議でもなんでもないこの貴族社会は、俺にとって不思議なことばかりだ」


 一息つくように、口に物を入れ込んだ。


「そんな礼儀知らずな俺だが、縁あってこうしてこの学院に紛れ込んだ。紛れ込んでしまったものは仕方ないと諦め、これから仲良くしてくれると嬉しいよ」


 貴族社会は礼儀を何より重んじる。


 魔導学院の門は広いと言えど、その少ない椅子に座る者は貴族が多い。


 貴族社会の縮図であるこの学院では、彼のような者は異端中の異端。


「もちろんだよギル。縁があってこの学院を訪れたのなら、その縁をお互い大事にしていこう」


「そうですわギルベルトさん。数少ない魔導学院特進クラスの者同士、これから切磋琢磨し、仲良くして頂けるとわたくしも嬉しいですわ」


 しかしその貴族社会の最も上に立つ者たちは、彼の振る舞いを笑って受け入れている。彼らがギルベルトの在り方を受け入れているのなら、誰が彼の在り方を咎められようか。


「この学院は貴方のような才ある者にこそ開かれています。どうぞ胸を張って、これからの四年間を過ごしてください」


 英雄の息子だなんて肩書きなど関係ない。

 彼はその才覚を示し、主席の座へと座っているのだ。


 私もそれを受け入れるのに異論などあるはずがない。


 それにトールが彼を愉快で面白いと言ったのは今ならよくわかる。


 気づけば私は、一人の人間としての好意を抱いていた。どこか憎めない好感を持てる少年だ。

 素晴らしい出会いである。今は素直にそれを喜ぼう。


「しかし、流石は数少ない席へと座った者同士。打ち解けるのはとても早いようですね。もうお互いを名前で呼び合っているなんて」


 これには少し驚いた。


 トールのことを愛称で呼ぶのは、彼の親族か私くらいなもの。その家柄と突き抜けた才覚のせいか、トールはどうしても浮いてしまい、彼を愛称で呼ぶ友人など今までにはいなかった。


 続いてテレーシア。高慢にして傲慢にして驕慢な彼女が、たった数時間でその名を呼ぶことを許している。それも男相手にだ。


 身分を持ち出せばそれこそ、私たちの土俵にすら上がっていないギルベルト。それを英雄の息子という肩書きと、魔導学院主席という才覚を示されたことによって彼を認めたのだ。


「トールには悪いことをしたからな。その謝罪を真っ先にさせて貰ってから、打ち解けさせてもらった」


 代表挨拶の件についてだろう。


「ああいった伝統あるお堅いことを任せられるのは苦手なんだ。わがままを言ったのは重々承知しているが、当日になっていきなり言われも俺だって困る。ここはそういうのが得意そうな奴に任せて逃げさせてもらったよ」


「あれは前代未聞だ。君のわがままは、これからきっと語り継がれることになるだろうね。いいや、当日になっていきなり骨を折らされた身としては、語り継がれるべきだと主張するよ」


 言葉に反し、トールの頬はとても緩んでいる。


 近しい年代の男子からも距離を置かれ続けてきたトール。気兼ねない距離で接してくれる男の友を得られて嬉しいのだ。珍しくはしゃいでさえいる。


 いつもであれば、そんなトールの想いに気づいただろう。


「テレーシアもこんな異分子相手に嫌な顔一つせず接してくれるしな。昔から貴族の女の子からは嫌われてばかりだったんだ。テレーシアのような存在に気を使って貰えるのは本当に助かる」


 だが私は別なことに気づいてしまい、それどころではなかった。


「当然のことですわ。魔法については私に教えられることはないかもしれません」


 ギルベルトへ向けるテレーシアの眼差し。


 熱がこもっており、親しき友人に向けるそれよりも、更なる熱量をそれは持っていた。


「ですがそれ以外に置いては、きっとわたくしにも教えられることはあるはずです。何かあれば遠慮なく頼って貰えるとわたくしも嬉しいですわ」


 かつてトールへと向けていた熱い眼差しが、今はギルベルトへ向かっている。


 愕然とした。


 手が震えそうになるのを何とか堪える。


 私は安心して恋をしていたのだ。


 高慢にして傲慢にして驕慢な彼女に釣り合い、その眼鏡に適う相手なんてそうそういない。


 それは女だけではなく、男こそそうだ。


 じっくりと私はこの恋を実らそうと日々努力をしていた。誰にも奪われることのない恋として、時間はたっぷりあるのだと。


 それがポっと出の男に彼女の恋心が奪われるなど、どうして想像できようか。


 私は恨み言だけは言わない。だから胸の底から溢れ出るこの思いは、決して恨み言ではない。


「あっちこっちへ父さんに連れ回されたから、今まで同世代の親しい友人なんていなかったからな」


 純粋に、誠実に、無垢なまでに高潔で混ざりっけもなく、純度百パーセントに、


「何もかも贅沢なこの学院だが、こんな友人を得られたのが何よりの贅沢だよ」


 この英雄の息子は邪魔である。


 そう思ったのだ。

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