07 テレーシア再び

「御機嫌よう、テレーシアさん」


 背後を取ってやったとばかりのしたり顔なテレーシア。


「今更覆ることはないとはいえ、無事迎えられた今日というこの日。貴女がこのレデリック王立魔導学院へ入学を果たせたこと、改めてお祝いを申し上げますわ」


 青天の霹靂か。


 あのテレーシアの口から、真っ当なお祝いの言葉が紡がれた。


「ありがとうございます、テレーシアさん。それと遅れながらとなりましたが、特進クラス入りおめでとうございます。わかりきっていた結果とはいえ、私の方からもお祝いさせてください」


 テレーシアとこうして顔を合わせるのは、あの日彼女が敗走して以来だ。


「テレーシアさんは私の憧れの方。貴女と釣り合わぬ身である私ですが、これからもよろしくお願いします」


 今までとは違い、物理的距離が空いてしまった私たち。顔を合わせる機会が減ってしまうのはとても悲しいものだ。向こうに気にかけて貰えなければ、接点ができず彼女をオトとすことができなくなってしまう。


「ええ、わたくしからもよろしくお願いしますわ。ミス・ラインフェルトは三年もの間、同じ教室で共に切磋琢磨してきた級友。教室こそ別となってしまいましたが、この素晴らしい学び舎を貴女と共に戴けて嬉しい限りですわ。

 ――ところで、わたくしは特待生の方たちと教室を共にするとして、ミス・ラインフェルトはどちらの教室に割り振られたのですか?」


 まぁ、そんな心配をしなくても、こうして彼女の方から積極的にやってくる。今日も今日とて、テレーシアは私との優劣をハッキリさせ、辱め貶めるために出向いてくれた。


 本日の議題は一般枠の教室。その割り振りのようだ。


「確か合格時の順位は七番でしたわね?」


「いいえ、テレーシアさん。私の順位は四十七です。四十が抜けています」


「あら……言われてみればそうだったような気がしますわ。何せミス・ラインフェルトほどの才女ですもの。一般枠とはいえプラチナこそが相応しい。どうやらわたくし、そのイメージが強すぎて記憶違いをしていたようですわ」


 あざとい。あまりにもわざとらしすぎるテレーシアの演技。


 魔導学院の一般枠は五十人。教室は上から十人ずつ区切って、五つのクラスが出来上がる。


 学院自体は、この五つのクラスをランク付けをする真似はしていない。


 しかしここまでわかりやすいクラス分け。各教室には悪しき伝統の不文律として、その名が受け継がれてきている。


 一般枠の上から十人のクラスは白金プラチナ


 そこからゴールドシルバーカッパーとわかりやすく名付けられており、ワースト十名で構成されたクラスのことを、


「ならミス・ラインフェルトのクラスは、アイアン、になりますわね!」


 鉄くずアイアンと揶揄されている。


 私は四十七。アイアンのクラスに割り振られ、鉄くずと呼ばれる立場にある。


 本物の才能溢れん若者たちの学び舎も、所詮は多くの貴族が集まる場所。授業内容や恩恵は差別化されなくても、上はいくらでも下を作りたがる。


 白金は金を軽視し、金は銀を軽んじ、銀は銅を嘲笑い、銅は鉄くずを見下す。最後に見下された鉄くずは、魔導学院生へなれなかった者を貶して己を慰める。


 見事なまでの負の連鎖。伝統というものは、決してよろしいものだけではないのが見て取れる。


「そうですかそうですか。アイ、アン! がミス・ラインフェルトの教室ですか」


 ここぞというばかりに、鉄くずとバカにする特待生。


 公衆の場で、ここまであからさまに下を見下す者はそうはいない。一周回って恥ずかしくないのだろうか。恥ずかしくないのだろう。なにせ相手はテレーシア。人を見下すことを生業とする生物。仕事をしていて恥ずかしくないのと同義である。


 代わりに同じ特待生のトールが恥ずかしそうだ。


「しかしアイアンですか。ミス・ラインフェルトほどの才女が、わたくしたちの格下であるプラチナではなく、ゴールドなんかでもなく、シルバーごときでもなく、カッパー風情でもない。あぁ、よりにもよって下の下である鉄くずだなんて……これから無様呼ばわりされるであろうミス・ラインフェルトを思うと胸が苦しいですわ」


 まるで悲劇のヒロインのようにおよよと鳴き真似をするテレーシア。私を苦しめるという意味では、見事彼女の企みは成功している。


 なにせ私どころか、一般枠の全てにケンカを売っているのだ。そこは意図しないのだろうからこそ、彼女の身が心配になり冷や汗ものだ。


 トールもマジかこいつ、みたいな顔をしている。


 いつもであれば彼女のコミュニケーションを受け入れ、ぐぬぬ顔をさせる流れだ。


 流石にこれを笑い話に昇華させ、彼女を持ち上げる度胸がない。この公衆の面前でそんなことをすれば、同級生どころか一般枠全てを敵に回しかねない。


 苦笑いだ。苦笑いで笑って流すしかない。


「ですがわたくし、貴女を尊敬しますわ」


 そんないつもと違い、押され気味に困ってしまった私に、テレーシアは勢いづいた。


「鉄くず……アイアンにはわたくしたちが知る者は一人もいないようでしたから。流石はミス・ラインフェルト。中等部の人気者なだけあって、もうランチを共にするお友達ができるなんて。わたくし、貴女のコミュニケーション能力には感服いたしますわ」


 折角の好機。完全勝利へ向けてテレーシアは止まらない。


「いいえ、テレーシアさん。教室の皆さんとはまだそこまで打ち解けていませんの」


 入学式後は各教室へ戻りよくあるレクリエーションが行われた。と言っても精々自己紹介程度のもので、それが終わると施設案内だ。


 午前中は一箇所に長く留まることなく常に足を動かしながら学院内を周り、これからの講義内容、研究室についてなど、アイアン担当である講師が語ってくれた。


 会話といえば講師にする質問ばかり。級友となる彼らとはあまり言葉を交わしていないのだ。


「あら? あらあらあらあら? ……でしたらこのテーブルに並んでいるトレイの数はなにかしら? てっきり新たなご友人が席を立っている最中なのかと思っておりましたわ」


 あざとく首を傾げながら、テレーシアは疑問を提示する。


 個人的な目玉でもある、学院の昼食事情。


 一流のシェフが、一流の食材から作り上げる料理の数々。それが取り放題食べ放題。時間が惜しくなければ、目の前で焼き物だってしてくれる。


 天国のような環境だ。


 日々の身体を作るのは食事である。直前の体調と気分に合わせて、好きなように栄養のバランスを調整できる。一食とはいえ、これはあまりにも大きいメリット。


 私の目の前に置かれた食事は、四分の三は野菜と果物で固められている。サラダなどは特に嵩張るから、トレイを二つ使っても仕方ないことなのだ。


 なお二つのトレイを両手にし歩くその姿は、皆が二度見していた。


「なるほど、わかりましたわ! 殿方はわたくしたち淑女とは、食べられる量が違いますものね。ええ、それなら納得いきましわ」


 テレーシアはそんな淑女あるまじき私の姿を目撃したのだろう。


「ではこちらのトレイが、ミス・ラインフェルトのランチですわね。野菜を沢山取られるようで、とても健康的ですわ。ええ、淑女として少々量が多いような気はしますが、貴女は身体が資本でいらっしゃいますものね。納得の量ですわ」


 次からはトレイを一つずつ運ぼう。例え手間でも、美しい立ち振舞いこそが淑女としてのあるべき姿だ。


「対してトールヴァルトさんは流石殿方ですわ。私たちとは食べられる量が違いますわね。特にミス・ラインフェルトの目の前のステーキと言ったら、それだけでわたくしたちの三食分。目にしただけでお腹が一杯になってしまいますわ」


 今日選んだメインはヒレステーキ。三百グラムくらいである。


「あら……でもおかしいですわね。なぜトールヴァルトさんのランチが、ミス・ラインフェルトの目の前に? まるでミス・ラインフェルトがこちらも召し上がるようではありませんか? 紳士の見本たるトールヴァルトさんが、淑女の尊厳を貶めるような不作法をするわけはありませんし……あぁ、この状況はどうなっているのかしら? ミス・ラインフェルト、どうかわたくしに教えてくださらない?」


 長い長い遠回りだった。


 レデリック王立魔導学院、特進クラス第三席。人を辱め貶めるべくその弁舌は満点であり、その頭脳の回転速度は本物である。よく噛むことも詰まることもなく、ここまでの長広舌を振るえるものだ。


「テレーシアさん。私の目の前にあるランチはトールの分ではありません。私が今から頂く分ですわ」


「ええええええ!」


 人目を引くほどの素っ頓狂な悲鳴。


 何だ何だと、食堂にある視線は全てその美貌へと集まっていく。


「淑女の見本たるミス・ラインフェルトが、殿方に劣るどころか勝るほどのランチを頂くのですか! あまりきつい冗談はやめてくださらない。わたくし、卒倒してこの場で倒れてしまいそう」


 マジマジとテレーシアは私の食事内容を改める。


「あぁ、見ているだけで胸焼けがしそう。わたくし、夢でもみているのかしら? こんな小柄で可憐なミス・ラインフェルトが、たった一食でこんな量を頂くなんて。いいえ、きっと夢に違いありません。淑女の中の淑女たるミス・ラインフェルトが、殿方に勝る大食らいの大食漢なわけありませんわ!」


 どうやら私を大食らいの大食漢として辱め、恥を欠かせたいらしい。


 淑女たる私のプライドとイメージはこれで地に落ちる。


 テレーシアの心は今、『オーホッホッホ』としてやったりと高笑いしているに違いない。


「ええ、確かにこれは淑女として恥ずべき量かもしれません。ですがこれはこれで、栄養学の点から見れば理にかなっておりますのよ」


 しかし残念ながら私のプライドは一つも傷つかない。このくらいで落ちる程度のイメージなど気にしない。


「例えばこのステーキからは、上質なタンパク質を得られます。一般的な成人男性で一日に取るべき脂質は五十五グラム。それを超すと余計な脂肪をつける原因になります。お肉ははそんな脂肪を取りすぎてしまう要因の一つですが、このヒレ肉ならば心配ありません。ヒレ肉の脂質は百グラム辺り、たったの五グラム。これは三百グラムほどですから、十五グラム程度で済みますね。ヒレ肉は高タンパクかつ低脂質。脂質を抑えながらタンパク質を効率よく頂く、とても素晴らしいお肉ですの」


 生前はヒレ肉なんて高級品を毎日食べるのは、当時の生活レベルでは考えられない。代わりにささみを貪っていた。親の仇というよりも、あんな姿に生んでおきながら見放した親を仇として、ひたすらささみを食らっていた。


「次に野菜と果物。この二つから取りたい栄養はビタミン、ミネラル、食物繊維など。一口に言ってもビタミンは細かく分類されていますし、ミネラルだってカルシウム、カリウム、鉄、亜鉛、マグネシウムなどなど、数えだしたらキリがありません。私が今回選んだこれらは節操なく見えるかも知れませんが、偏りを避けた結果。一極集中ではなく、多種多様に頂くのが理想とされています」


 野菜や果物を多種多様に食べるのがどれだけ難しいか。手間もかかるしお金もかかる。生前はこの辺りはどうしても偏ってしか摂取できなかった。


「そして主食として選択としたライ麦パンは――」


「わかりました! わかりましたわ、わかりましたわ! ええ、流石はミス・ラインフェルト! 博学でいらっしゃいますわね! この食事は深い知識と見識の裏付けあってこそ! 身体が資本である貴女にとってこれは、とても理に適った食事というわけですわね!」


 私も専門家というわけではない。だがこの世界ではまだまだ栄養学はザックリしている。神より愛を注がれし女とて理解が及ばない領域である。


 折角クラス分けの話題で私に勝ったと思い込み、次は食事で私を貶め辱める腹づもりであったテレーシア。だが呪文のように紡がれる知識に音を上げてしまった。


「随分と賑やかで楽しそうだな、テレーシア」


「あら」


 不意に名を呼ばれ振り向くテレーシア。私の視線もそれに追従する。


 赤い目をした、野性味のある少年だった。


 トールのような柔らかそうな髪質とは違う、無造作に伸びている茶色の髪。決して清潔感を失っている訳ではない。力強い目つきと相まって、雄々しい魅力として統制されている。


「ギルベルトさんではないですか」


 レデリック王立魔導学院主席、英雄の息子。


 ギルベルト・アーレンスと私は、こうして初めて相対することとなった。

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