05 英雄

 十八年前、突如現れた魔王を名乗る者の手によって、レデリック王国は国家危機に陥った。


 魔神復活を掲げ、魔王は複数の幹部と多くの魔物を束ね、魔王軍として数々の村や街を侵略していった。


 しかし魔王軍との二年に渡る戦いの末、ついに魔王は追い詰められる。


 一人の騎士の手によって討伐されたのだ。


 彼は後に英雄と呼ばれることとなり、今やこの国で彼の名を知らぬ者はいない。


 オスヴァルト・アーレンス。


 レデリック王国聖騎士団にその名を連ねた、若き聖騎士である。


 多くの犠牲を出しながらも、レデリックに平和を取り戻したオスヴァルト。これからも王国の英雄として期待されていた彼であったが、魔王討伐後、その立場を辞し表舞台から姿を消してしまった。


 誰もが知りたがるその謎については未だわかってはいない。


 彼のその後については、想像や風説だけが巷をめぐり、今でも語り草となっている。


 そんな無責任な情報が錯綜する中、世間が共有しているとある噂があった。


 いわく、彼には息子がいるらしい。


 名はギルベルト・アーレンス。


 英雄の息子の存在は、伝承の中に存在する人物のように語られてきた。生前でいう、ユニコーンやペガサス、ドラゴンのような扱いだ。


 だからその名の通りに、実在するとは思わなかった。


 しかも、だ。


「まさかあの英雄の息子の名を、こんな所で見るとは思わなかったわ」


 レデリック王立魔導学院、特進クラスの主席。


 かの英雄の息子であれば、それはもう才能に恵まれているだろう。それはわかる。わかるが、


「あの英雄の息子なら、聖騎士養成校こそが相応しいですものね」


 そう代弁してくれたのは、我が愛たる可愛い恋人いもうとである。


 エリーダ・フォン・バートレット。伯爵家に生まれた彼女は、初等部から特待生であり続けてきた秀才だ。


 サラサラな栗毛とスラッとした手足が魅力的な女の子だが、出会った時は私より小柄であった。それが二年であっという間に背は抜かれ、私の視線より十センチ以上は高くなっていた。正直、彼女の成長が羨ましくある。


「それがトールヴァルト様を差し置いて主席だなんて驚きましたわ」


 本当に驚いているのかイマイチ怪しいエリー。驚きに神経を注ぐより、私の髪を梳かすことの方に集中したいようだ。


「聖騎士団に入団しました、の方がまだ現実的よ。こんな不意打ち、卑怯だわ」


 そんな私の言い草に、エリーはクスリと笑った。


「クリス姉様、トールヴァルト様より不満そうですわ。当の本人はあれだけ愉快そうでしたのに」


 帰りに送って貰った際、出迎えてくれたエリーはトールと言葉を交わしている。その様子から彼の心情を読んだのだろう。


「確信していた親友の一番を、誰よりも早く祝うつもりだったのよ? こんな形で台無しにされたら、文句も言いたくなるわ」


「あら、クリス姉様は恨み言を言わないのではないのですか?」


「恨み言じゃないわ。愚痴よ愚痴」


「似たようなものだと思いますけど」


「むっ……」


 今日のエリーはなんだかねちっこい。


「エリー。私、知らない内に気に障るようなことをしてしまったかしら?」


 帰ってから一緒の時間を過ごし、夕食を共にし、お風呂に入り、今こうして乾いた髪を梳かしてもらっている先程までは、お祝いムードであったはずだ。


 何かしたとしたら、この数分だろう。


「いいえ、クリス姉様は何も。私が勝手に妬いてるだけです」


「妬いてる?」


「だってトールヴァルト様のためにそこまで悔しがっているのでしょう?」


「トールとの仲なんてそれこそ今更でしょう? 彼に注いでいるのはあくまで友情。貴女に注ぐ愛情とは別物よ。何より私が男を愛せないのは、貴女がよく知っているでしょう?」


「ええ、クリス姉様が女の子を大好きなのはよくわかっています。だからといって、テレーシア様を狙うのは無謀すぎではないですか? 私のような簡単な女に目標を変えた方がよろしいのでは、と具申しますわ」


 後ろを振り返ればきっと、とびきりの笑顔があるだろう。声色はとても明るい。


 だが、この言葉のトゲはなんなのだ。わからない。


 女に生まれ変わり、精神的にも去勢されたように堕ちた私だが、本当の女でありえない。ゆえに女心は未だに取り扱いが難しく、こうなってしまうと困ってしまう。


「……もしかしてエリー、今になって二人目は嫌になったのかしら?」


 なので一番ありえそうな可能性をついてみる。


 エリーという文句なしの恋人を持ちながら、二人目を同時に得ようだなんて都合がよすぎる。調子に乗りすぎている。そんなのはわかっている。


 私だってエリーだけで十分満足していた。満足していたのになぜ二人目に着手しようと思ったかというと、


「いいえ、二人目を作るよう言い出したのは、私の方からですから」


 そう、これはエリーが言い出したことだ。


 今でこそノリノリであるが、最初は乗り気ではなかった。二人目計画はエリーが背中を押しに押してきたのだ。


「でもいざ実行に移されたら、良い気がしなくなったのではない?」


「そこまで短慮ではありません。私には婚約者がいる身。なのに私だけを見続けて欲しいだなんて、それこそ理不尽すぎます」


 エリーには十もならない内から決められた婚約者がいる。


 悪い縁談ではない。納得はしているらしい。


 でもエリーは女の子である。恋に夢見る乙女。恋を知らぬまま婚約者を与えられ、嫁ぐことが決められた人生。物語のような恋をしたいと願ってみても、バチは当たらないだろう。


 バチが当たるとしたら、そんなエリーの心を見抜き、毒牙にかけてしまった私である。


「それにクリス姉様は寂しがりやで甘えん坊ですもの。ちゃんと可愛がってくださる引き取り手がいませんと、いざという時安心して嫁げませんわ」


「私は猫かなにかかしら?」


「少なくともベッドの上では、私の可愛い子猫ですわ」


 手を止め、猫を可愛がるように頭を撫でてくるエリー。


「だけど妬いてしまうくらいは許してください。新たな門出の先で傍にいられるトールヴァルト様やテレーシア様。お二人が羨ましくてたまらないんですもの」


 ああ、そうか。


 エリーは私をクリス姉様と呼んでくれるが、実のところは同じ年齢であり、つい先日まで同じ教室で学んでいた同級生でもある。


 エリーは高等部へ順当に進学し、私たちとはこれから違う学び舎となる。


 寂しいのだろう。今まで当たり前にあった時間がなくなるのが。


「ごめんなさい、気が回らなくて。自分たちのことばかりで、貴女のことを蔑ろにしてしまっていたわ」


「いいんですよ。何だかんだ言っても、一番クリス姉様を好きにできるのは私なんですから」


 ギュッと後ろから抱きしめてくるエリー。


「ともあれ、話が脱線してしまいましたね」


 数秒ほど抱きついて気が済んだのか、また髪を漉く作業に戻った。


「何の話だったかしら?」


「いきなり英雄の息子が出てくるのはずるい、と文句を言っていらしたところです」


「ホント、どこから降って湧いてきたのかしら。そんな大物が入学試験に来ていたのなら、もっと騒ぎになっているはずよ」


 入学試験はトールとテレーシアの話で持ちきり。ギルベルトのギの字すら話に上がったことはなかった。


 試験後もそうだ。今日という日まで、彼の名を聞くことはなかった。


「だからですよ、クリス姉様。試験日に騒ぎになるのを避けて、彼だけ別日に試験を行ったらしいですよ」


 確かにその大騒ぎを避けて、と言われれば納得できる。あまりにも特別すぎて、学院側が便宜と言う名の隔離をしたのも納得いく。


 でも、


「エリー、どこからそんな話を聞いたの?」


「クリス姉様たちを見送った後、メイさんが教えに来てくれたんです。今日一日、寮ではこの話で持ちきりでしたわ」


 メイは中等部特待生。自称情報屋だ。


「……あの娘、割とこの寮とは遠かったはずだけど、そのためにわざわざやってきたの?」


 貴族御用達しの学生寮。同じ貴族といっても、現代と同じでその生活レベルはピンキリだ。身の丈や家の格にあった寮が、王都各所に点在としている。


「嵐のように現れ嵐のように去っていきましたわ。ええ、とても生き生きとした顔で」


 流石自称情報屋。どこからそんなビッグニュースを手に入れたかは知らないが、拡散することにも余念がない。元の情報源を蔑ろにしながら、発信源としてばらまきたいのだろう。


「彼女は他に面白いことを言っていたかしら?」


「嘘か誠かはわかりませんが……何でも難攻不落の城塞を崩しただとか」


「城塞が、崩れた……? あの破壊試験の城塞を?」


 魔導学院の実技試験では、その才能を図るため内容を選択できる。


 中でも試験の花形とも言えるのが破壊試験。魔力障壁を付与された四メートル四方の岩石を、ただの一撃でどこまで破壊できるか。


 一流の魔道士でも半分も壊せない。才能溢れん者たちの集まりとはいえ、二割も破壊できれば十分な成果であり、三割であれば一般枠の足がかりには十分。


 ちなみにテレーシアで六割、トールで七割だったらしい。才能の格差はこういうところでハッキリ見て取れる。


 そんな才ある者たちが挑むこの岩石は、しかし決して崩れることはない。


 まさに難攻不落の城塞崩し。あの試験を知る者は皆、そう呼んでいる。


 もちろん、試験結果は実技だけでは決まらない。


 大事なのは実技だけでは測れない魔法の素質。素質と研究にどのようにアプローチかけ、これからどのような変化と成長を期待できるのか。魔導学院を卒業後、どのように国への貢献が望めるのか。


 それらを綴る小論文。合格にはこれのウェイトがあまりにも大きい。


 事実私は小論文のおかげで一般クラスへ滑り込めたと思っている。


「あの城塞が崩れたのが本当なら、学院も主席の座を彼に明け渡すしかないわね」


 僅か十五にして、あの城塞を崩したのならその才能と実力は本物。トールの小論文の完成度では、実技の三割の差を埋められなかったようだ。


「ギルベルト・アーレンス。どうやら彼は、大きな波乱を呼び込むことになりそうね」


 などと言ってみたが、正直、他人事のようにこの事実を捉えていた。


 後に彼の存在が大きく自分にのしかかることになろうとは思いもしなかった。

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