02 友情と愛情の秘密

 私はまず、彼に先生との関係から暴露を始めた。


 誰にも知られてはいけない秘密。


 公になってしまえば、先生だけではなく私の身、ラインフェルト家も傷ついてしまう。


 それを嬉々としながら、そして誇るように私は公爵家の息子へ全てを語った。


 黙ってそれを聞いていたトールは、私の話が終わると愕然としていた。当然だろう。中等部へ上がって日が浅い少年には、あまりにもショッキングな内容だ。


 教室に流れるしばらくの静寂の後、絶やすことない微笑みを浮かべるトールは、ついにその口を開いた。


 私の告白にトールは胸の内を明かしてくれたのだ。


 誰にも理解されるはずがない、その在り方。公爵家の息子ならば、なおさら隠し通さなければならなかった。


 息苦しかった日々を送っていたそうだ。


 誰にも明かしてはいけない胸の内。その重荷を共有する相手を得られる希望すら見失っていた。


 だが、ついにその理解者が現れたことに、トールは堰を切ったように全てを漏らした。


 我に返ったときには、公爵家の息子として語ってはいけない秘密を語ってしまい、どうしようかと呆然としていた。


「そう、辛かったわね。でも、もう大丈夫よ」


 誰よりも人に囲まれながらも、一人であり続けてきたその人生。


「これからは私がいるわ。貴方の話を全部聞いてあげる」


 一人で在り続けてきた人生であった私だからこそ、彼の気持ちはよくわかる。


「私たちは同じ者同士よ。理解してもらえない正反対な者同士」


 寄り添ってくれる者のいない辛さは誰よりも理解できる。


「だから友達になりましょう、トールヴァルト」


 欲しい物は何もかもが手に入り、好きなことだけをやってきた新たな人生。そんな私にも、未だに手に入っていないものがあったからだ。


 友情。


 私にとっては少女たちは性の対象である。


 男子たちにとっての私は性の対象である。


 彼らと築ける関係は、常に背徳感と後ろめたさを伴うものだ。そこに真の友情など生まれるわけがない。


 お互いを性の対象として見ることのない友情があるとしたら、そこは同じ者同士の男女が出会った場合。


 トールと接触したのはそんな考えがあったからだ。


 事実、私はこの日初めて純粋な友情を手にしたのだ。


 一日事に深まる私たちの仲。誰もが羨む理想の男女像のようにため息を吐かれるほどだ。


 しかしそこにあるのは、純粋な友情のみ。いくら親友だと公言しようが、男女の仲になるのは時間の問題だと皆が言う。


 トールを取り巻く少女たちは数を減らし、ついにその姿を消した。


 私に勝ち目はないと諦めたのだ。彼女らは遠巻きで私たちの進展を見守り、理想の男女像に夢見るだけとなった。


「しかしなぜ、今になって全てを語ったんだ?」


 前世の記憶のことだろう。

 親友となってそろそろ三年が経とうとしているのだ。確かに今更感はある。


「一つのケジメよ。不信を抱かせる話だからこそ、あの時は全てを語らなかった。でも隠し事は隠し事。私が貴方へ抱いている唯一の後ろめたさだったの」


 前世の記憶があり、ろくでもないとはいえトールの倍の人生を生きている。彼にそのことを隠したまま接するのは、後ろめたさがあったのだ。


「私たちは今日から新たな道を踏み出すわ。その前に、全て話して起きたかったのよ」


 彼を不安にさせる隠し事ならともかく、今の彼はきっと受け入れてくれる。


 これで文字通り、トールへの隠し事はなくなった。


「嬉しいよクリス。これで君の全てを知れた気がした」


「そう言ってもらえて嬉しいわ。こればかりは頭を疑われる案件だもの」


「あの日、君が語ってくれた秘密と比べればよっぽど信憑性が高い話さ。

 なにせあのヘルタ・ドゥーゼが少女愛好者で、君はその毒牙にかかっていると言うんだからね」


 ヘルタ・ドゥーゼ。


 私たちがこれから向かうレデリック王立魔導学院の一等講師。


 平民でありながら、毎年僅か五十しかない狭き門をくぐり抜け、更に五つしかない特別な席へと座った才女。


 家柄こそないが、本来であれば才女なんて言葉で片付けてしまうのも恐れ多い美人講師である。


 だがその正体は、ロリコンの天才変態教師であった。


 そして私の新たな人生を大きな影響を与えた、生涯の先生でもある。


「先生には沢山のことを学んだわ。ええ、それはもう沢山」


 教え込まれたという方が正しいくらいに、私はクリスティーナであることを仕込まれた。


 一方、どれだけの天才変態教師であろうと、腐っても平民から大きく成り上がった才女。非才である私が、才ある者から一目置かれるようになったのは、間違いなく先生がいてくれたからこそ。


 そんな彼女が私の前から姿を消してそろそろ二年。


 先生とはたった一年の付き合いだったが、その日々は濃密であり、クリスティーナの人格形成に大きな影響を与えたのだ。


「あぁ、会いたいわ先生……」


 先生の話が話題にあがり、センチメンタルな気分に沈んだ。


「どうして貴女は私の下を去ってしまったの……」


「どうしてってそりゃ……」


 わかっているだろうにとばかりにトールは苦笑を浮かべている。


「伯爵家の娘に手を出そうとしたのがバレて雲隠れした、って言っていたのは君じゃないか」


 そうなのである。


 先生は今まで、手を出しても騒ぎにならないだろう少女にしか手を出さず、権力者の娘に手を出す軽率な真似はしてこなかった。


 子爵令嬢たる私を簡単に手篭めにできた成功体験。それが彼女のメガネを曇らせてしまった。


 ようは調子に乗ったのだ。


 次は伯爵令嬢に手を出そうとしたところ、あっさり失敗。騒ぎになる前に、先生はあっという間に雲隠れをした。


 敬愛する先生であるが、こればかりは愚かなり。


 事実は表に出ることはなかったので、事情を知らぬ上から下まで大騒ぎだ。


 一週間後、先生から届いた手紙には、雲隠れに至る全ての経緯が綴られていた。


 性癖とはいえ、惜しみなく寵愛を注いでくれた先生。王都を去る際、貴重な品の数々や、人脈などを私が使えるよう残してくれたのだ。


「あぁ、先生! 貴女から学びたいことはまだまだ沢山ありましたのに……!」


 大げさな私にトールはなおも苦笑いを続けている


「先生のいない日々は、まるで陽の光が与えられぬ華のようでした」


「確かにあの時の憔悴っぷりは、見ていて酷いものだったよ」


 言葉の割には、トールの口から紡がれる音は軽い。


「だから本当に驚いた。まさかたった一ヶ月で新たな恋人を見つけるなんてね」


「いなくなったものは仕方がないもの。何事も切り替えが大事よ」


 先生を失ったショックはでかかったが、いなくなってしまったものは仕方ない。先達者たる先生の在り方に敬意を示しながら、私は新たな愛を手にすべく動いたのだ。


 結果私には現在、可愛い可愛い恋人いもうとがいる。


「あの時の君の手の早さには恐れ入ったよ」


「手の早さなんて野暮なこと言わないで。恋は向こうからしてくれたのだから」


「なら手口と呼ぼうかい?」


「恋の駆け引きと言ってほしいわ」


 先生が失敗したのは、こちらから積極的に手を出したからである。


 反面教師の失敗から学び、向こうが恋をしてくれるよう立ち回っただけ。


 吊り橋効果を狙えた所に手を差し伸べ、頼れるおねえさまとして寄り添っただけである。


「恋はいいわ。あの甘美さといったら、天にも昇る心地よ」


「恋、ね。するのは簡単だけど、僕には難しい話だ」


「そうね……報われない恋は辛いだけ。こればかりは無責任に、恋を知れだなんて私も言えないわ」


 男と女の場合では、事情はかなり変わってくる。


 良い人を見つけても、私と同じ手口は通用しないだろう。どれだけ相手を優しく甘やかそうが、頼れる男友達が限界だ。


 トールが私のように恋人を見つけるのは難しい。


 どれだけ私が骨を折ろうが、こればかりは簡単にいくことではないのだ。


「でもね、もし貴方が恋を知る時がきたら、遠慮なく頼ってほしいわ。私にできることは少ないかも知れないけど、一緒に悩むことくらいはできるはずよ」


「わかっているよクリス。そんな君がいてくれるから、僕はもう一人で悩むことになる心配がないんだ」


 私と出会う前を振り返り、トールはそう言ってくれた。


「だから君には憧れを覚えるよ。憂いも躊躇いもなく、報われないのを恐れず努力し続けるその姿。目が眩みそうになるほどに、君の在り方は眩しい」


「それは当然よ。なにせ生前の私は、愛を知らなかったもの」


 容姿一つで家族愛すら知ることなく、一度は終えた惨めな人生。


 両親はどちらとも美形の類であった。


 その血を引く兄弟も当然、愛される容姿である。


 なのに自分だけ突然変異のようにチビ、ハゲ、ブサイクの三拍子を揃えて誕生しまった。母親の浮気が疑われ、DNA検査に至ったほどである。


 育てて貰えただけで、そこに愛などはない。


 兄弟からは疎まれ、私が兄弟であることを隠されていたほどだ。


 中学へ上がる頃には、悲惨な自分を見かねてという名目で、遠くの寮付きの学校へと送られた。当時のバカな私は、それを本気で信じていたのだからお笑いだ。


 ついに家族の愛すらも知らぬまま、私はその生涯を終えた。


 次の瞬間には、愛らしい幼女へとその姿を変えていた。前世の記憶だけでも混乱するのに、性別すらも変わってしまったのだ。


 大きな変化に始めこそ戸惑ったが、受け入れるのに時間はかからなかった。


 なにせ、皆私を愛してくれるのだ。


 お父様や兄弟だけではない。屋敷で働く皆が私を愛してくれる。


 初等部の周りの子供達も、全員が当たり前のように受け入れてくれる。


「生まれ変わって本当に驚いたわ。

 生前の私を疎んでいた皆は、こんなにも楽な人生を送っていたんだって。

 生前の私を蔑んでいた皆は、こんな楽な人生ですら不満だったのかって。

 ここはやるべきことを成すだけで評価され、褒められて、愛される夢のような世界」


 こんなにも楽な世界ならば、私はどこまでも頑張れる。努力を尽くすことができる。


 成果を出すため当たり前の対価を払うだけで、簡単に認めてもらえる。皆が凄い凄いと評価し、褒めてくれるのだ。


「努力一つでこれだけの物を与えてくれる世界なら、それを惜しむ理由なんてないわ。もちろん、それだけでは手に入らないものもあるかもしれない。でも――」


「『私は十分に与えられている。手に入らないモノがあったとしても、恨み言だけは言うつもりはない』かい?」


 私の信念を口にするトール。


 どれだけ頑張って、努力して、苦労したのに手に入らないモノがあったとしても、私は恨み言だけは言わないと決めている。


 世の中には身の丈というものが存在するのだ。


「なぜ手に入らないんだと駄々をこねている内は前に進めない。それを誰かのせいにしているのなら尚更よ」


 ふいに、馬車が止まった。


 幾ばくかすると、小気味よいノック音が聞こえてきた。


 どうやら目的地へと到着したようだ。


 先に地へ足をつけたトール。そんな彼に右手を預けながら外へ出ると、その場所は既に目の前にあった。


「だからこの先の結果が残念な形になろうとも」


 レデリック王立魔導学院。


「その結果を受け入れて、次の年まで積み重ねるだけよ」


 今日はその、合格者が発表される日である。

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