第14話 逃走少女と護衛鼠(中)

 施設内が喧騒の渦に包まれる。

 小龍と男性による並の生物では立ち入ることの許されない暴力の世界を目撃した者が血相を変えて退散し仲間に異常事態が起きていることを伝えにいく。その情報が伝播する前に轟音と衝撃が発生し事情を何も知らない大人たちの不安は増し、想定もしていなかった出来事に対処する知恵などあるはずもなく、慌てふためく事しか出来なくなる。

 そこから遠く離れた位置にいた大人たちも何事かと事態の把握に移るべく轟音がした場所へ急いで走り出していく。

 訓練場に出ていた子供たちはその様子を呆然と眺めることしか出来なかった。

 彼らは動けずにいる。

 ルイやスランのように明確な目的を持って行動出来なかった子供たちは既に考えることを放棄してしまっていた。

 今彼らに映っている光景もいつもの命令を受けていない状態に等しく、大人がどれだけ騒ごうが待機することには変わりない。

 異変が起きていることは理解できる。

 だからどうした?

 逆らえばまた殴られる、怒鳴られる、勝手に動かなければ何もされない、なら何もしない。

 

 「おいテメェら!!ここから動くんじゃねぇぞ!」

 

 ようやく1人の大人から命令が下された。

 命令に従うだけの傀儡と化した哀れな子供たちは揃って同意する。

 やがて大人たちがその場から誰もいなくなり子供たちだけが取り残されても尚、そこから誰1人として動こうとはしなかった。


 異常はやがて、言葉を介さずとも本能的に誰もが理解することとなった。

 憲兵補佐などというあるかどうかも不明な称号を手に入れるべく躍起になって殴り合いを繰り広げていた大人たちも衝撃と轟音に何事かと辺りを確認し、スランの姿が無くなっていることに気づくと僅かでも体力が残っていた者は部屋を後にして通路へと駆け出していく。

 目指す場所は当然ながら轟音のした場所。

 緊急連絡用の準備など何一つとして用意してこなかった大人たちはただただ群がるように動ける者全員が同じ場所へ向かって行く。

 非常に効率の悪い動きを見せる大人たちであったが、不幸中の幸いにも全員が同じ場所を目指した結果、その数分後新たに発生した問題を共有できる集会所としての機能を発揮した。

 目撃者曰く、


 『悪魔が饅頭を抱えて魔物を引き連れて来た』


 聞いた全員の心境が一致する。

 気でも狂ったか、と。

 しかし冗談と馬鹿にしたくなる情報を心底怯えながら語る仲間の姿を見て、全員が固唾を呑むしかなかった。

 

 

※※※



 黒き巨体が遠くで逃げる標的に向けて自慢の脚力を惜しみなく披露していく。

 地面には己の存在を示すかのようにくっきりと蹄の跡を抉りつけ、直線が続く限り速度が増していく。

 標的が曲がり角へと姿を消すと小回りが効かない為、地面を力の限り押さえつけて踏ん張ることで速度を緩め、痛々しく抉られた跡を作っては再度標的に向けて速度を上げていく。

 馬力の違いを直ぐに痛感したスランとキューイは息を激しく切らしながら打開策を考えていた。


 「どうするの!?あいつヤバすぎるんだけど!?」


 『撒くのは無理だ!障害物を使う!あとスラン、俺を抱えられるか!?』


 「えっ!?何で!?」


 『さっきの人間にやったことをあのデカブツにもやってやる!集中したいから移動は任せたい!』


 「ならよし!おいで!」


 キューイの提案にスランは返事と両腕を左右に広げて了承を示す。

 身体に向かって飛んできたキューイを抱えながらも速度を落とさないように必死で足を動かしていく。

 しかし腕が振れなくなり重さも抱えた身体では思ったように速度が出る訳もなく、背後から迫る脅威との差は明確に縮まっていく。


 『次を左に曲がれ!』


 息も絶え絶えで返事する余裕も無く、言う通りに動くとスランはキューイの言葉の一部が何を言っていたのかを理解した。

 曲がった先で見えた人影、そいつらは見覚えのある顔をしていた。直前まで殴り合っていたことを表すかのように腫れ上がった顔面、服は掴み合った跡を直すことなく着崩されたままの状態、これだけの特徴からも間違いなくスランが放置してきた大人たちだと判断がついた。

 キューイは言った。障害物だと。

 スランは思った。ああ、ゴミも使いようだなと。

 

 「お前らアレ止めろぉぉぉ!!」


 「「「え?」」」


 迷いも遠慮も一切ない無慈悲な命令がボロボロの大人たちに下される。

 何事か理解する間も無く通り過ぎていくスランの姿を立ち止まりながら目で追うことしか出来ず、直ぐに鳴り響いて来た巨体が駆け回っているかのような爆音に冷や汗を流しながら身をたじろがせていく。

 そして怪物がやってきた。


 「ブルオォォォォォォ!!」


 「「「ぎゃあああああああああああああ!!」」」


 遠吠えを上げながら向かってくる自分の身長よりも遥かに高い漆黒の馬を見た途端、大人たちは悲鳴と共に逆走した。


 「ちょっ!?あんたら止めなさいよ!!憲兵命令よ!!」


 「「「無理じゃあああああああああああああ!!」」」

 

 必死の形相で同じ方向を走ってくる大人たちを見てスランはギョッとしながら叫ぶが、大人たちは聞く耳を持たず追いかけて来る。

 スランはキューイの言う障害物、つまりは大人たちがいることで後ろから迫る黒馬の動きに何らかの制限がかかるのではと考えての発言だと理解していた。

 ここで誤算だったのが大人たちの足が思いの他早くスランとの距離がほとんどなくなってきていたことだった。

 あっという間に抜かされる距離まで詰められていき、黒馬との距離もどんどん縮まっていく。


 「キューイぃぃ!!もう無理ぃぃ!!」


 『よく耐えた!!』


 スランの悲痛な叫び声に限界を感じ取り、角に溜め込んだ魔力を一気に解放する。

 角から青白い輝きを放ち発動するのは対象の頭の中を掻き乱す超音波である。

 アンバーに食らわせた時よりも魔力を込めて放った技は魔力耐性の高い召喚獣相手にも完全に防ぎ切ることが出来ずに効果を現した。


 「グルオォァァァ!?」


 これまで聞いた事のない歪な音に堪らず黒馬が呻き声をあげる。

 苦しみを体現するかのように頭を左右に振り、その動きに伴って身体も大きく揺れ動く。

 フラつく身体は数歩でも左右に乱れれば巨体も相まって壁に強く激突し、それを何度も繰り返していく。

 それでも目の前で背を向けて逃げ続ける標的を逃すまいと鋭い眼光をスランに飛ばして足を緩めずに前へと進んで来る様子に、距離は多少開いたもののスランと大人たちは全く持って安心することが出来ずに、わー、やら、ぎゃー、やらと悲鳴を上げながら走ることしか出来なかった。

 ただ1体、キューイを除いては。


 「キュイイイイイイイ!!」


 体内に補充されたヴァルグの魔力、本来手にすることなど出来ない特上質な魔力は他の魔物にとって糧にもなり毒にもなりえる。

 調整を加えられた魔力はキューイにとって成長を促すには十分な要素となり、血に刻まれた『宝壊鼠グラヴ』の能力の一部を目覚めさせるに至っていた。

 それこそが超音波。

 何百年も前、魔物にとって戦が当たり前とされ、暗殺、奇襲に備え四六時中魔力による耐性を固めなければ生きていくことすら危ぶまれた時代。にも関わらず王に一矢報い、一つの伝説を作り上げた種族の技。

 その技を魔力が尽きかける寸前まで上乗せして発動させた。


 「アアアアアアアアアアアア!?」


 黒馬の絶叫がその場を覆い尽くす。

 先程までとは比べ物にならない狂音に足が止まり、壁に激突する痛みなどお構いなしに身体を激しく揺らし悶え苦しむ。

 その様子をテイマーであるアンバーは見なくても感じ取ることが出来ていた。

 そしてその異常性にも気づくことが出来た。


 ------核を直接攻撃してやがるのか!?

 

 「っクソが!!」


 英断だった。

 召喚獣の耐久力を過信しそのまま現界を続けていれば取り返しのつかない状態となっていった。

 その一歩手前で異界へ引き戻すことで難を逃れることに成功した。

 そんな事情を知らないスランたちは淡い光と共に姿を消した黒馬を確認して喜びの声をあげていた。


 「やったー!!キューイ凄い!偉い!最強じゃんか、って、キューイ大丈夫!?」


 腕の中、キューイが真っ青な顔色で苦しい息遣いをしていることに気づく。

 まるで初めて会った時、血を吐き出してヴァルグに助けられる前の時と類似する様子を見せて、昂った気持ちが一気に冷めていく。


 『……ああ、ちょっと…魔力を使いすぎた…』


 見れば、確かに先程まで綺麗な白色だった角が黒く濁った色に変色していた。

 ヴァルグが魔力云々の話を角が関係しているように話していたことを思い出し、これでは折角の角を取り戻した意味がないのではと嫌な汗が流れていく。

 ヴァルグのキューイが単独行動を許す条件は角の有無であった。

 正確には判断出来ていないが、スランは話の流れから角さえあれば魔力の問題が解決すると思っていた。

 しかし、今こうして死にかけの様子にしか見えない状態を見て、それは都合が良すぎる考えではなかったのではと思い知らされてしまった。

 履き違えていた。

 キューイはずっと死の淵を彷徨っている状態だったと理解できていなかった。

 

 『…心配しなくても……角があれば、魔力は補充できる…』


 表情からスランの気持ちを察して、キューイは苦しい顔をしながらも簡潔に伝える。

 スランにはそれが本当かどうかは判断ができない。

 それでもキューイの言葉を聞いて、今はそれを信じて、自分が一番すべき事が何かを思い出すには十分だった。


 「……揺れるけど我慢してね。今度はあたしが助けるから!」


 決意を固めてスランは走る速度を上げていく。絶対に離さない様にと、抱えている腕に力を込めて。

 その目が向いていたのは、自分よりも先に走っていった大人たちのいる方角だった。

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