第15話 逃走少女と護衛鼠(下)
黒馬が消えた通路から少し離れた先にある部屋の中。
3人の大人は息を激しく切らしながら物陰に身を潜めていた。
それは冒険者をしていた時に嫌と言うほど繰り返してきた行動。圧倒的な強さを感じさせる存在に対して恥など一切気にすることなく一心不乱に背を向けて逃げる。
力を過信して格上に挑んだ時期も勿論あった。その度に、アレには敵わない、こいつなら倒せる、と直感めいた感性を育てていき、やがて考えるまでもなく
このことを彼らは今でも恥じることだとは微塵も思っていない。
なぜなら冒険者を続けていけば必ず理解するからだ。どれだけ鍛えようが叶うわけがない存在はどうしてもいるのだと。
そして無謀にも格上に挑み、散っていった者たちを見る度に、『ああ、やっぱり俺が正しかったんだ』と裏付ける。
命あっての物種。今回も間違ってはいない選択をした、はずだった。
「やべぇよ……俺らどうなるんだよ……」
「なんであんなところにいんだよ…くそぉ……」
「終わりだ……もうおしまいだ……」
彼らの心臓は冷静になった今こそ落ち着くことなく激しい
憲兵からの命令を無視した。
これが、言った本人があの時死んでいれば何も問題はなかった。しかし彼らは黒馬が消えて歓喜の声をあげているスランの姿をしっかりと確認していた。
あの時残って弁明していれば何かが変わったのかも知れない。それでも彼らの本能は直ぐにでもあの場から立ち去ることを選んだ。あれで脅威が去った訳が無い、と告げていたからだ。
だからこそ長年の感に従い行動し、今初めてその感を恨んでいた。
彼らは見てしまった。バジエダの裏側を。
知ってしまった。狂った人間の行き着いた所業を。
逃げられるなら今すぐにでも此処から逃げ出したい。
どこか遠く離れた場所で、此処であったことなど忘れて平和に暮らしたいと本気で願っている。
しかし、金・地位欲しさに安易にバジエダに身を捧げるなどと言ってしまった結果、真に安全な場所を自ら手放していた。
ならば逆らわないように徹底する。口を揃えずとも全員の暗黙の了解となっていた己への規律。それを破った。
仕方なかったと何度も自分へ慰めにならない言い訳をして、心は時間が経過する毎に失意の底へと沈んでいく。
「------------けて〜」
それでも警戒だけは緩めていなかった彼らは、部屋の外から聞こえてきた声にすぐさま反応した。
一番聞きたくない声だった。今や自らの運命を左右する権利を得ている少女の皮を被った悪魔が近づいてくる。
心臓が張り裂ける程脈を打ち、緊張のあまりそのことを実感出来ていない彼らは息を殺してその場から動けないまま、宣告を聞かされるしかなかった。
「助けて〜!!見たことない魔物に襲われてる〜!!助けてくれたかっこいい人は憲兵に推薦してあげたいな〜!!怖いよ〜!!」(以下繰り返し)
甘い声だった。(地獄への案内だった)
小さな女の子が父親に寄り添う時のような、可愛らしい響きが耳を通り抜けていく。(顔覚えてるからな、従わないとどうなるか分かってるよな、最後通牒だからな、慈悲のない幻聴が頭の中で鳴り響く)
やがて声が部屋の横を通ってそのまま過ぎ去って行き、遠く微かに聞こえる程度になると彼らは互いに顔を見合わせた。
「「「……ふっ」」」
恐怖は吹っ切れた。
ならばやることは一つだけ。
1人が細長い鉄パイプを他2人に投げて渡す。
受け取った者は同志の心意気に笑顔で感謝の意を示し、投げた者も笑顔で応じる。
決意を固めた3人は颯爽と部屋を後にする。
その足は強く地面を蹴りつけ、鉄パイプを握った手はギュッと力が篭り、瞳からはうっすらと水滴が垂れ落ちていった。
「「「やってやんよ畜生があああああああああああ!!」」」
戦士の雄叫びが
捨てたはずの闘志を燃やし、僅かな希望を勝ち取るため悪魔の囁きに耳を貸した彼らはまだ見ぬ魔物の影に向かってひた走って行く。
言うことを無視する、という唯一の正解に気づくことなく…。
※※※
黒馬を撤退させてからのアンバーの判断は迅速だった。
再び『
一つ目蝙蝠の戦闘能力は低いが小柄で速度もあり、サモナーとの感覚共有の能力を持つ為状況把握をするにはうってつけの召喚獣と言えた。
黒馬の消滅地点は把握していたため、一つ目蝙蝠の速度とスランの移動速度を考慮すれば自ずと捜索範囲を絞り込むことが可能で、黒馬を倒されたことは予想外であったが、アンバーに焦りの色は見られなかった。
数秒前までは…。
『『『うらああああああ!!死ねえええええええええ!!』』』
血眼になって手に持った鉄パイプを一つ目蝙蝠目掛けて振り回す部下たちの姿を捉える。
慌てて逃げる一つ目蝙蝠との視界共有を一度閉じ、これには流石に頭を悩ませる。
「……わけわかんねぇ……」
アンバーとそれ以外の大人たちは上司と部下の関係にあった。訓練や食事で共にいる時間も多く、話す機会もそれなりにあったが自分のことについて話すことは殆どなかった。
そのため、部下たちにサモナーであることは伝えておらず、召喚獣は外見では魔物と判断出来る存在でもないので、脱走した魔物を捕まえるために行動している、と考えればさっきの光景についても納得はいくが…。
「あいつらもそこまで間抜けではない筈…」
未知の魔物への油断は命取り。
これは冒険者をしてきた者からすれば常識で必須の知識である。
それはたとえ一つ目蝙蝠のような弱く見える存在であっても怠ってはいけないことで、
なのに気休め程度の鈍器で向かってくる無謀すぎる行動。
まるで誰かに命令されているかのように感じた。
「大将はあり得ないしそんな暇もない。…ならやっぱり
介入者がいるとすればタイミング的にスランであることは間違いない。
今まで従えていた者にどうして屈しているのか。変化があったのはスランが今日訓練を終えてバジエダに招集されていたこと。
そんなことで何故言いなりになるのかが分からない。
そこで思い出す。スランが唐突に憲兵になったことを主張してきたことを。
「あれが関係しているのか?……意味が分からん。ただの歩兵だぞ。確かに階級は上かもしれんが…しかもまだ憲兵になってもいないというのに…」
正式にバジエダの憲兵として任命されるのは国での任命式が行われた後になる。
それまでは証を持っていようがただの飾りに過ぎないが、そんなことは冒険者上がりのゴロツキが知る訳もなかった。
こうした実例が起きた以上、今後の課題が出来たと思いながらも、だとしてもあそこまで必死になって命令に従う理由を考え、一つだけ思い当たる節があった。
それは、此処にいる全員を一度バジエダまで連れて行き、裏切り者の辿る末路の光景を見せて忠誠心を強くさせたこと。
誰もがその光景に青ざめ、中には嘔吐する者もいた。
その時の恐怖があまりにも強く、上に逆らうだけでああなるのだと過剰に考えているのだとしたら…。
そこまで考えると今の状況にも納得がいき、最早項垂れるしかなかった。
「くそっ!命令違反ごときでああなる訳ないって普通わかるだろうが!……はぁ、これは連帯責任ですよ、大将……」
未だ一つ目蝙蝠たちは部下たちに追われているのが感覚を通して伝わってくる。
一度合流して説得させに行くことを検討するが、その必要はないと判断してスランの捜索に移ることにした。
「そろそろ使う頃合いだろ」
黒ずくめ男との連絡が途絶え未だ繋がらない状況から、相手は間違いなく炎龍王だと察していた。
であれば必然的に起こり得る展開も予想がつき、そうなる前にスランを回収しておきたかった。
「逸材だったんだけどな…。運が無くて死ぬか、俺が間に合うか、…あまり期待は出来ないな」
頭をかきながら呟かれたアンバーの本心は、きっと我が物顔でいるだろうスランへの憐れみが込められていた。
※※※
大人たちが一つ目蝙蝠を追い回している場所からかなりの距離が開いた位置にある部屋の中。
スランはキューイを抱えたまま壁を背に座り込んで体力の回復に専念していた。
大人たちはどこかに隠れているだろうと踏んで大声で憲兵ムーブをかました結果、見事に釣れたのを叫び声で確認し今のうちに休憩を取ろうと考えての行動だった。
相変わらず労せず成功したことで、その表情は疲れからくる苦しさよりも、思い通りに物事が進んだ愉快さからくる笑顔が勝っていた。
「はぁ、はぁ、…はぁ〜、あっはは、いや〜上手くいった。流石あたし。完璧な作戦だったね!」
「キュイー」
「ちょろいわあいつら。あんなことで言うこと聞いちゃうんだから。は〜最高。にしても馬鹿だよね〜、憲兵とかよく分からないのにそれっぽく脅せば勝手従うんだから」
「キュイー」
「やっぱりあたしって人をこき使う才能があるのかな?あは〜参っちゃうな〜そんな未来目指してなかったのにな〜才能あるなら仕方ないよね〜。ねーキューイ?」
「キュイー」
「………なんでさっきから鳴いてばかりなの?ちょっと顔もこっち向けてよ。何言ってるか分かんないってば」
『ソウダネースゴイネージョオウダネー』
「何でカタコトなのよ。てか女王って何よ。……悪くない響きじゃない」
『引くわー』
「ちょっ!?こらあんた!なんて事言うのよ!いいじゃん女王様!偉いじゃん!手下もいっぱいいて最高じゃんか!?」
「キューイキュイキュイー」
「何で泣く真似なんかするのよ!?ってあんたほんとに泣いてるの!?何でよ!?」
『可哀想に…その歳でそこまで歪まされてるなんて……安心しろ、何があっても俺は味方でいてやるぞ。…ルイに危害加えたら許さないけど』
「しないわよ!!何で恨みもない人にしないといけないのよ!あたしの心配よりルイの心配しなさいよ!あたしで歪んでるならルイも歪んでる筈よ!」
『ああ!?ルイがそんな風になる訳ないだろうが!?あの子は馬鹿だけど強い子なんだぞ!!お前と一緒にするな馬鹿!!』
「あー!!馬鹿って言った!!あんた覚えときなさいよ!!後でいっぱい投げ飛ばしてやるからね!!」
『上等だ!ルイを甘く見た報いを受けさせてやる!!子供に負ける程俺は弱くないぞ!!』
ぐぬぬぬぬ、と引かずに睨み合いを続ける。
やがて、ふんっ、とお互いが顔を背けると、スランが耐えきれずに笑い声をあげてしまう。
「……よかった。元気になって」
『……ああ。言っただろ、補充出来るって。…まぁ死にかけたのは間違いないけど』
「ほんとよ、凄く心臓に悪かったんだから……でも、ありがとね、アレがなかったらどうなってたか分からなかった。でももうしちゃ駄目よ。絶対安静、ねっ」
「キュイ〜」
「何で
返事をはぐらかされたが、ルイの心配になるようなことは早々しないとも思えた為、そんな反応につい微笑んでしまう。
黒馬を倒した影響で黒く濁っていた角は少しずつではあったが元の白色に戻りつつあり、脳内会話もそつなくこなし、これだけ元気なら心配はいらないと思えることが出来た。
『走れるか?』
「うん、もう大丈夫。…行こっか」
息も整え、キューイとじゃれあうことで精神的にも余裕が生まれた。
立ち上がり、しっかりとした足取りで部屋の扉に近づいて行く。
油断は出来ない。しかし確実にゴールには近づいている。
その実感をスランとキューイは言葉を交わさずとも感じ取っていた。
「……ッ」
「…キューイ?どうしたの?」
横を歩いていたキューイの身体が突然立ち止まった。
見れば身体は微かにだが小刻みに震えている。
その様子にスランは得体の知れない不安が急に押し寄せてきたのを直感する。
その直後だった。
『逃げろスラン!!俺から離れろ!!』
「え……」
そこから起きた異変をスランは見続けることしか出来なかった。
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