第8話 黒紅対峙

 黒ずくめの衣装を身に纏った長身の男性がコツ、コツと足音を鳴らして歩いている。

 一定のリズムを奏でる革靴は新調されたばかりのように傷一つ無い黒色を誇張しており、頭に被っている黒のシルクハットも相まって男性の格好は頭の先から爪先まで一点の曇りもない完全な黒で統一されていた。

 しかしそれは男性の魔術による効果によって傍から見ればそう見えるようにしているだけであり、実際は通路に落ちている石に砂や空気中に漂う埃によって色はほんの少しばかりだが色褪せていることは否めない状態だった。

 本来であれば『上塗りコーティング』の魔術を施されている特注の着用物にこのような問題が起きる事はあり得ない筈だが先程の小龍の威圧により術式が破壊され、魔術の効果は消失していた。

 そのための打開策として男性が講じた手段だが、男性の行いを見抜ける者が見れば気にするほどでもない汚れに無駄な魔力を使ってまで見栄を張っている愚か者としか見られない所業とも言えた。

 無論、男性もそんなことは百も承知で行っている。それでも尚行う理由を問うのであれば、ひとえに矜持と言う他にない。

 しかし男性も馬鹿ではないので着替えれるなら直ぐにでも新品に取り替えたい気持ちではいるが、生憎と予備で持ってきた着替えも小龍がやんちゃした部屋にあったのでオジャンされ、別場所に保管している着替えを取りに行く暇なんてあるわけもない。

 それだけ現状は切羽詰まった状況といえ、男性の表情は平静を装っているが内心は焦燥感に駆られていた。


 ------上手くいかないものですねぇ、本当に。

 

 男性は先程まで会話をしていた少年のことについて振り返る。


 いつも通りに訓練を受けさせるべきではなかったのではないのか?

 ------しかしそれでは炎龍王あの方に怪しまれる恐れがありましたしね。


 『思考イデア』の効力が弱すぎたか?

 ------これは反省すべき点でしたね。しかし強すぎてもルイに後遺症が残る恐れもありましたし……加減が難しいところですね。


 そもそも訓練を受けさせるべきではなかったのではないのか?

 ------それはあり得ませんでしたね。ルイを放置するのはあまりにも危険すぎました。この処置は間違っていない。


 であるならば?

 ------あの時の選択を誤ったのが一番の痛手ですね。私は此処を見捨てるべきだった。それほどまでの価値がルイにはあった。


 そこまで考えて男性は思考を切り替えていく。

 反省は後から幾らでも出来る。現在いまは一刻も早くルイを輸送する準備を進めなければいけない。


 『大将、こっちの準備は完了です』


 唐突に男性の脳内に声が響いてくる。

 懐に入っている『念話テレパス』の魔術が発動している札から伝わってきた声に、男性は慣れた様子で応える。


 『了解。では手筈通りに。何かあれば自己判断でお願いします』


 『わかりました』


 それだけ言って通信は途切れる。

 急遽立てた作戦ではあったが今のところ滞りなく進んでいる。

 ルイも手中にある中、唯一の不安要素になっている小龍の様子を探れないことに歯痒い思いはあるものの(リスクが高すぎて出来ない)、概ね順調な展開だと言えた。

 このまま何もなければいい。あとは自分が小龍を足止めさえすれば。そう思いながら小龍の探索を続けていた時だった。


 「…おや」


 ここから離れた位置で魔力の塊が弾けた反応を感じとる。こんなことをするのも出来るのもあの小龍しかいない。

 少し前にもやったことをもう一度行っていることに違和感を覚えながらも男性は探す手間が省けたと思い反応があった方向へ身体を向けた。

 決して気を抜いてはいけない存在の場所を知ることができた安堵感。

 その結果、男性は油断してしまった。

 だから食らった。


 「っっっがぁ!?」


 男性の正面腹部に重い一撃が当たる。

 何が起きたのか理解が追いつかないまま無防備だった身体は衝撃に耐えきれず後方へ大きく飛んで------いかなかった。

 

 「っかは!?」


 身体が飛ばされた方向に設置された弾力性のある何かに捕まり身動きが取れなくなる。

 自分を捉えているのは何なのか。早く体制を立て直さなければ。

 そう思うよりも早く、男性は視界に映った存在に目を疑わずにいられなかった。


 ------どうして、炎龍王あなたがここに…!。


 「そこかぁ!!」


 ヴァルグは叫びながら伸ばした左腕で男性のガラ空きになった懐を突き破り、そこから長方形のケースを抜き取った。


 「どうらぁ!!」


 すぐさま男性の後ろにいた2体目のヴァルグが男性と自分の間にある魔力の塊を掴みながら後方へ背負い投げをした。

 魔力の塊は途中で消失し、クッション代わりになるものが無くなった男性は道が左右に別れ正面が行き止まりとなっている通路奥の壁に激突した。


 「『宝壊鼠グラヴ』!!」


 ケースを奪ったヴァルグは自分が飛んできた方から走ってくるキューイに向かって飛んでいく。

 ケースの中身を開け、取り出したキューイの角を額に当てるとすぐさま魔力を流し込み折られた部分を固定していく。


 「…いいぞ!行け!!」


 修復を終えた瞬間、キューイは来た方へ逆戻りに走っていく。

 その様子を見ることなく2体目のヴァルグは投げ飛ばした男性から目を離さずにいた。

 追い討ちはかけない。ただの人間であれば起き上がることの出来ないダメージを与えた感触は確かにあったため、これ以上の追撃は王としての矜持が許さなかった。

 しかし、


 「……やってくれましたね、炎龍王様……何故、このような真似を?」


 男性はフラつきながら上半身を起こして壁にもたれながら意識をはっきりとさせた状態でヴァルグを見つめた。

 こいつならば或いは、そう思っていたヴァルグは実際に人間離れした耐久力を見せた男性に感心して言った。


 「はっ!その前にまずはその昆虫じみたしぶとさに称賛を送ってやる!------気持ち悪いな貴様!!本当に人間か!?」


 「……………」


 明らかに罵倒にしか聞こえなかった。


 「では質問に答えてやる。貴様が我が同郷の者を苦しめたからな。その仕返しをこの俺が代わりにしてやったまでのことだ。何も不思議なことではあるまい」


 それだけを聞けばそう思えるのかもしれない。人間も魔物が他の人間を襲っていた場合、助けようと思う人間もいるにはいるだろう。

 だがそれは情がある者に限っての話である。少なくとも男性は目の前の小龍にそんな感情があるとは到底思ってはいなかった。


 「ご冗談を。一度此処にいる魔物全て見捨てているではないですか。理屈に合いませんね」


 「はっ!俺は気分屋だからな。弱者の情けない面も偶に見れば救いの手でも差し伸べたくなるものだ。貴様ら人間だってそうだろう?弱者のくせに余裕がある時だけ気まぐれに助けの手を伸ばす偽善行動。俺も真似てみただけだ。案外悪くないな、はーっはっはー!」


 豪快に笑うヴァルグは未だ男性を攻めに来る姿勢を見せない。

 男性はヴァルグの真意が何かを見極めつつ、今は身体の調子を少しでも戻すために会話に付き合うことに決めた。


 「にしてもまさか、貴方様があんなただの一角鼠いっかくネズミに興味を示すとは思いもよりませんでした。救うなら他にもっと良いのがいたと思いますが?」


 人間の間で呼ばれている種族名の名称からキューイのことを言っていることを察したヴァルグは呆れた顔をしながら言った。


 「はっ、貴様本気で言っているのか?だとしたら貴様は本当に愚かで救いようのない弱者という他ないな。多少力があるところで群れを成さねば生きていけない貴様らにとって欠かしてはいけない要素が他者を見る目だと言うのに。まぁ見る目がないからあいつとの『契約紋章コール』を切ったのだと納得もいくものか。その怠慢の結果がこれだから本当にどうしようもないなぁ、弱者」


 『契約紋章コール』を切っていなければヴァルグからの魔力供給がキューイに流れ込んだ瞬間、テイマー側はその異変を察することが可能である。ヴァルグはそこを見抜いた上でキューイに魔力を送り、それが出来ていなければキューイの状態を考慮しての行動になったため、今回のような奇襲を行うのは難しかった。


 「はは、それは言えてますかもね…、ただこちらも色々と訳ありでしてね…切らざる終えなかったのですよ。それにしても炎龍王様、みたところ『分身アバル』に『索敵サーティクル』…捕まったのは『拘束バンロック』に似た魔術でしょうか、随分と多芸ですね」


 「当然だ。王たるもの何事にも秀でてならんとな。実力も思想も弱者とは天と地の差があるわ」


 ------それはそれは、頭が上がりませんねぇ。


 小龍の持論に口を挟むことはせず、いい加減調子が戻り始めた身体にムチを入れて徐々に立ち上がっていく。

 完全に立ち上がったのを見てからヴァルグは男性に声をかけた。


 「もうよいのか?無理するなよ弱者。膝が震えているぞ」


 「お気になさらず。そろそろ行動しないと取り返しがつかなくなりそうですしね」


 「ほう?心配事があるのか?まるで俺のことなど二の次にしてもよいと聞こえるぞ?」


 「その通り、と言ったらどうします?」


 「はっ!知れたこと」


 男性は身構える。挑発で誘い、小龍からの行動に合わせて動けるカウンター狙いの姿勢を取り、状況の改善を目論む。

 三度会話したことで把握していた。目の前の相手は自らを軽んじる相手に必ず殺さない程度の制裁を加えてくるはずだと。

 今までは威圧のみで済んでいたが今回はそうならない。

 明らかな妨害行為を加えられてそれでも尚、他に優先すべきことがあると発言し、臨戦態勢までとった。

 ここで感情の赴くままに行動を起こして突っ込んでくれば僅かにでも勝機が上がる、そこまで考えての行動だった。


 「ここで待つ。それで終わりだ」


 だからこそ、ヴァルグのこの発言はあまりにも予想外でその意味はすぐに理解することとなった。


 ドゴォォン!!


 「っな!?」


 地面が、いや、施設全体が大きく揺れ響く程の衝撃と轟音がヴァルグの後ろ側から聞こえてきた。


 ------やられた!!

 

 『契約紋章コール』と同じく、自らの魔力を流し込んでいる存在に異変がある場合、発動者はそのことをリアルタイムで気づくことが出来る。

 『空間ディメンジョン』で異空間を作成する場合、発動者は維持するために常に魔力を流し続けなければならない。

 しかし意識が一瞬でも飛ぶと魔力の供給は止まり、大規模な魔力を必要とする『空間ディメンジョン』は存在を維持するためにリソースを自動的に減らす。

 今回の場合、『他者から気づかれなくする』部分が男性の意識が飛んだ一瞬だけ削除されていた。

 それが致命的だった。


 「最初から時間稼ぎでベラベラと喋っていたわけですか…、やってくれましたね!炎龍王!!」

 

 自分の魔力で作り上げた異空間が外側からこじ開けられたことを知り、怒りの形相を露にする男性。

 ヴァルグはその様子に満足げな笑みで答えた。


 「はっ!!ようやく本性見せたな!いい面構えしてんじゃねぇか弱者ぁ!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る