第30話 月と邪

「バカか」

 魔の声に再び元気が戻る。

 気がつけば何本も伸びた黒い縄が悪喰を縛りあげている。

 神代の父親の悪玉から生まれた日陰者が力を取り戻したのだ。悪喰が身動きを取れなくなった間に魔は脱してしまう。

 黒い縄を麻衣の彼岸花で燃やしてもらうか、騙り部の生み出した火を吐く化物に燃やしてもらうしかない。

 しかし、魔は絶対に火を近づかせまいとけん制する。

「バカめ。二度も同じ手を食うか」

 魔は黒い刃物を取り出す。気力体力が尽きかけている状況では避けられないかもしれない。

「すぐに僕の後ろへ! 僕が守ります! 影の盾!」

 騙り部は麻衣を抱えて最後の力を振りしぼるようにして跳んだ。

 魔の手から黒い刃が放たれる。

 僕の想いに呼応するように盾が大きくなったおかげでなんとか防げた。

 しかし、盾はすぐに元の大きさに戻ってしまう。僕の気力も体力もなくなっているのがはっきりわかった。



 いよいよどうしたらいいのかわからなくなった。

 目の前の日陰者たちの数を見て圧倒される。今さらになって怖くなってきた。

 それでも僕は、こんなところで負けるわけにはいかないのだ。

「ふふふ。私の一番弟子ならいいところ見せてよ」

 騙り部、古津詩は笑って諭してくれる。

「キサラギさんお願いします。キサラギさんは私の友達で、私のヒーローなんです」

 赤羽麻衣は応援してくれる。

「大丈夫だよ。キサラギには私がついているから。だって私は、あなたの共犯者だから」

 神代朝日は手を握ってくれている。



 僕は大きく深呼吸して気持ちを整える。それからゆっくりと話を始める。

「僕の屋号は如月。月の如しと書いて如月だ。田畑で鏡を見つけた先祖が『その輝き月の如し』と言ったことに由来している。そしてその鏡は、今も神棚に大切に祀られているんだ」

「バカか。命乞いをするならもっとマシな言葉を選べ」

「まあ、お前にとってはつまらない話かもしれないね。だけど覚えておくといいよ。影の盾の本当の姿、本当の名前。お前を倒す能力。それは――【如月の鏡】!」

 僕は影の盾、いや黒い影をまとった如月の鏡を天高く飛ばす。

 そして月の光を浴びることができる高さで浮かせたまま維持する。すると次第に黒い影は晴れていき本来の姿を現した。

 そこには本物の月と並べても引けを取らないほど美しい鏡が浮かんでいる。

 ご先祖様の言う通り、その輝きはまるで月のように美しい。

 そのまま月の光を浴びせていると、鏡の裏面に施された紋様が地上に向けて照射される。

 次の瞬間、日陰者が消滅する。

 その場には悪玉だけが残され、周りにいた日陰者たちも光を浴びて次々に消滅していく。知能が低い日陰者はなにが起こっているか理解できず、その場に立ちつくしたまま光を浴びた。知能が高い奴や感の鋭い奴は危険を察知してすぐに逃げ出した。

 しかし、どんなに早く逃げることができたとしても光の速さには決して敵わない。空に浮かぶ如月の鏡から照射される光によって一体、また一体と影のように消えていく。そして地面には真っ黒な悪玉だけが落ちていった。



「すごい……。すごいです……。これがあの……本当の如月の鏡なんですね……」

 麻衣の口から感嘆の声がもれた。

 天高く位置する如月の鏡に向かって手を合わせて拝んだ。

「ふふふ。私もまだまだ半人前だなぁ。影の盾の正体に気づけなかったんだから」

 騙り部は笑いながら悔しそうにしている。

 彼女もまた如月の鏡に手を合わせる。

「バカか。なんだそれは! なんなんだそれは! やめろ! おいやめさせろ!」

 いつも冷静な魔がひどく取り乱し始める。

 ようやくこの鏡の力に気づいたらしいが、もう遅い。日陰者たちはその数をどんどん減らし、今では両手で数えられるほどしか残っていない。さらに数を減らしてもう片手で数えられる。

「これは魔鏡まきょう。昔の人間が作った鏡だ。鏡には邪気を防ぎ、払い、封じ込める力があるんだ。そしてこの鏡には、悪しきものを滅ぼす力がある。お前は人間のことを知らなすぎたんだ!」

 僕たちの周りを囲んでいた日陰者が消えていく。

 残ったのは魔と黒い縄を操る日陰者だけだ。神代の父親の能力、黒縄地獄が再び発動する。何本もの黒い縄がこちらに迫ってくる。

 しかし、ひとたび如月の鏡から照射された紋様を浴びれば一瞬で消えてしまう。魔もありったけの黒い刃物を投げつけてくるが、こちらに届く前に光を浴びて黒い灰のように崩れてしまう。

 今もまだこの紋様の意味はわからないし、どうして鏡の光で化物を倒せるのかもわからない。如月は邪行や騙り部や千日紅と違い、不思議な力を持つ家系ではないから。それでも毎日欠かさず拝んできたから、この街を守りたいという願いを神様が聞いてくれたのかもしれない。



「バカか。俺は失敗作とは違うのだ。お前ら人間などに倒されるものか」

 魔は如月の鏡から照射される光を上手く避けている。なんとか狙いを定めて紋様の光を浴びせようとする。このまま距離をとられ続けたら逃げられてしまう。その前になんとかしないと。

「なっ!」

 その時、魔はひどく動揺した声をあげる。

 地面に倒れていた横田が魔の足をつかんだのだ。

「バカか。なにをしている! 人間が俺の邪魔をするな!」

「バカか。俺が苦しんでるんだぞ! 早くなんとかしろ!」

 こいつらは最期まで仲が悪い。

 お前らの敗因はただ一つ、仲間を信頼しなかったことだ。

「その輝き月の如し! すべてを照らせ! 如月の鏡!」

 月の光を浴びた鏡の紋様が地上へと降り注ぐ。

 ひと際まばゆい光が化物たちを照らしていく。その瞬間、黒い縄を操る日陰者、神代の父親が霧散する。

 神代は、目をそらしてうめいた。大好きな父親を殺すと役目は、彼女には重すぎると思っていた。だからこれでよかったのだ。

 紋様の光を浴びた魔の体も少しずつ消滅していく。僕は奴の体が完全に消えるまで見続ける。

「バカか……」

 少女の姿をした魔は黒い灰のようになって消えていく。これまで散々苦しめられた新種の魔。奴との戦いもこれでようやく終わったのだと思った。



 しかし、まだやらなければいけないことがある。

 神代の右手に熱がこもったのがわかった。僕は彼女の手をしっかり握って歩き出す。ゆっくりと足を進め、魔の共犯者の横田を見下ろす。こいつをどうするのかは神代朝日の判断に任せる。

「ひ、ひぃ! ま、待て! お、俺はあいつに脅されていただけなんだ。お、俺は悪くない!」

 横田は見苦しい言い訳を述べる。

「最期に言い残すことは……それだけ?」

 神代の声はひどく冷たい。

 感情のこもっていない無機質な声。まるで魔のようだと思った。

「ま、待ってくれ! か、神代巡査部長が死んだ時のことを教えてやるから! 頼む!」

 それを聞いた神代が動揺する。そのせいで悪喰が薄くなって消えかかる。

 その絶好の機会を横田は見逃さなかった。腰に隠していたナイフで心臓を貫こうとする。

「バカか」

 とっさに神代の手を引くが、そのナイフは彼女の心臓をなおも狙う。

 影の盾は間に合わない。それなら自分の体を盾にするしかない。

 そう思った時、突如目の前に黒い影が出現する。

 その黒い影は人の形をしてうごめく化物、日陰者だった。

 だが消滅したはずの日陰者がなぜ……?

「お父さん……?」

 神代の口から言葉がもれる。

 呼ばれた日陰者がゆっくりと振り返った時、その体にはナイフが刺さっていた。

 影の体とはいえ、心臓部分に刃物が刺さって大丈夫なわけがない。

 日陰者は、手を神代の頭に置いて愛おしそうになでると霧散した。

 その場には悪玉とナイフだけが落ちた。



 神代の目から涙がこぼれ落ちていく。そして叫び声をあげながら悪喰に命令する。

「悪喰! 残さず食べなさい!」

 消えかかっていた悪喰が息をふき返したかのように再び現れる。

 その目は燃え盛る炎のように真っ赤になり、憎悪の感情が表れているようだった。

 おそらく横田は悪喰に食い殺される。

 しかし神代は犯罪者にはならない。

 肉も骨も残らないから罪には問われるわけがない。

 これは神代のための戦いであり、彼女が最期にどんな選択をしても見届けると決めていた。共犯者として罪を共有すると。手首の黒いあざは罪の証だ。

 しかし僕は覚悟ができていなかったらしい。目から涙が流れていく。

 こんな奴を殺して犯罪者になってほしくない。そう思ったが、もう遅かった。

 ガツンと悪喰の牙がなにかに当たる音が聞こえる。

 僕は無意識のうちに目を閉じた。

 きっと嫌な現実を見たくないからだ。

 しかし、これですべてが終わったのだ。それなら最期まで見届けなければいけない。

 そう考えてゆっくりと目を開ける。するとそこには、五体満足な横田が顔から涙と鼻水をたらして股間も濡らした情けない姿をさらしている。

「私の悪喰はグルメなの。あなたみたいな人でなしは食べる価値もないんだから」

 鋭い言葉の刃が横田の胸に刺さり、その場で気絶してしまった。

 神代は僕の手をしっかりと握りながら明るい笑みを浮かべて話してくれる。

「私の屋号は邪行。たとえ化物でも人でなしでも命を奪う行為は邪な行いなの。たとえどんなに憎い相手でもむやみに殺そうなんて思わない。悪に手を染めても心までは悪に染めないよ。だって私たちはキサラギジャックだから。私の共犯者にそんな罪を背負わせたくないもの」


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