第29話 逆転劇
「ふはは! やりやがった! 本当にやりやがった!」
横田が馬鹿笑いしているすぐそばで、麻衣は涙を流しながら本を持っている。もはや真っ黒な炭になった本は端からどんどん崩れていく。
「さてお前は約束を守ったんだから俺も約束を守らないとな。おい、解放してやれ!」
横田は日陰者に命じて騙り部を黒い縄から解放してやる。
騙り部は目から涙を、鼻から鼻水を、口からよだれをたらしながらゆっくり歩いて行く。そして麻衣のもとへたどり着くと、その手から真っ黒な炭になった本を受け取る。
だが、もともとぼろぼろになっていた本だ。
騙り部の手に渡った瞬間、すべて灰になってしまう。
「嘘でしょ? 私の本はどこ? ねぇ、どこなの? ねぇってば?」
騙り部は飛んだ灰を追いかけるように暗い工場内へ入っていってそのまま姿を消した。
「バカか。なに言ってるかわかんねぇよ。こいつ壊れたな。あーあ、美人が台無しだな」
「バカか。やはりお前も失敗作だったか。お前はもういらない。さっさと消えろ」
大切なものを失う苦しみがどんなに辛いものか知らない奴らにはわからない。
人の心の痛みも知らない奴らがなにを言っているのだ。
なにも知らないお前らは黙っていろ。
「キサラギ!」
「ジャック!」
「出なさい! 悪喰!」
「影の盾! 来い!」
僕も神代も耐えた。耐え続けた。
しかし、もう我慢の限界だった。
すぐに能力を発動して周りにいる日陰者たちを次から次へと倒していく。
盾で突き飛ばし、悪喰で喰らっていく。
襲いかかってくる影の化物たちの攻撃をすべて避け、防ぎ、受け流していく。同時に、噛みつき、飲み込み、喰らっていく。これまで我慢した分を発散するように勢いよく倒していく。日陰者たちは次々に黒い霧のように消えていく。
「バカか」
魔と横田の感情のこもっていない無機質な声が聞こえてくる。
黒い縄を扱う日陰者に命じて麻衣を殺させるつもりだ。
しかし、そんなことさせない。すでに準備は終わっているのだ。
「は? な、なんだよこれは? なにがどうなってんだよ!?」
横田は状況を理解できていないらしい。
無理もない。とらわれていた少女の姿が消え、黒い縄に火がついているのだから。
「おいおいおい! こいつは切れない縄なんだろ? なんで切れちまってんだよ!」
あわてふためく大人を前に、少女はただ淡々と事実を述べる。
「その黒い縄がとても丈夫で、どんなに傷つけても切れないということは知っています。でも、どんなに燃やしても燃えないというわけではないですよね。彼岸花!」
その瞬間、縄に刻印された彼岸花が一気に開花する。
たとえ一か所にしか刻印していなくても縄は燃えやすいものだ。
先へ先へとどんどん真っ赤な花が咲いていく。
その燃え盛る炎は、まるで本物の彼岸花のように美しい。
そして咲き誇る炎を自在に操る麻衣はとても華麗だ。
「これ以上私の友達を傷つけるのは許しません! みんな大切な友達なんですから!」
麻衣は壁や地面に右手をかざして刻印する。
黒い縄や他の日陰者たちが近づいた瞬間、火柱があがって肉も骨も残さずにすべて燃やし尽くす。最期には悪玉だけがその場に残った。
騙り部が姿を消して、魔と横田があざ笑っている時、麻衣は静かに能力を発動させていた。それに気がついた僕と神代と目配せし合う。そして彼女の炎が戦闘再開の合図となったのだ。
「バカか。なにをしている。さっさとあいつらを殺せ」
「うるさい! わかってる! 人間が俺に指図をするな!」
魔はマントの下に隠していた黒い刃物を投げつける。
麻衣はすぐに避ける。だがその後ろにもう一本のナイフが隠れていた。それは彼女の心臓めがけて真っすぐ飛んでいく。
「ふふふ。騙せるものなら騙してみなよ。どんな上手に騙せても私の五感は騙せない。うふふ」
その時、暗い工場内から明るい声が聞こえてくる。
同時に、太く大きな毛むくじゃらの手が黒い刃物を叩き落とし、麻衣の窮地を救ってくれた。
「今宵ご覧いただくのは人間に姿形を似せた化物たちの大捕り物でございます。黒いマントを羽織って人間の少女の姿をした魔。黒い影が人の形をした日陰者。そして誤った正義感を持ったまま大きくなった人でなしでございます。それでは皆さま、最後までお楽しみください」
なおも暗闇から聞こえてくる陽気な声。
その美しい声を一度でも聞いた人は彼女を忘れない。
情緒あふれる言葉で紡がれるそれは詩ではない。
美しい旋律で歌われるそれは歌謡ではない。
独特なセリフ回しとその場に応じて変化する物語。時に身振り手振りで芝居してみせるそれは、口上である。
「バカか! おい出てこい! さっきから好き勝手言いやがって! 誰だてめぇ!」
誤った正義漢が暗闇に向かって怒鳴る。
「口から出まかせ私におまかせ。私の前では誰もがみんな騙される。さて、私は誰でしょう。私が誰か知りたいかい? それなら名前を呼んでみな! 大きな声で呼んでみな!」
僕と神代は顔を見合わせて笑っていた。
周りはたくさんの日陰者に囲まれている状況なのに。
ああ、やっぱりこの人はすごい。
人を笑わせ楽しませる嘘つきだ。
僕らは大きな声で叫ぶ。
「騙り部ぇ!」
観客の声援に応えるかのようにその人は現れる。
その瞬間、その場に居合わせた誰もが魅了された。
つい先ほどまで激しい戦闘が行われていた場所なのに、今では静寂が包み込んでいる。均整のとれた体と端正な顔に上品な笑みを浮かべ、長く艶めく黒髪をなびかせながら、細くしなやかな脚で優雅に闊歩する。そこには、この世の人とは思えない絶世の美女がいる。
「千と一夜を明かしてみれども騙り尽くせぬこの世の嘘なら騙ってみせよう命尽きるまで。舌先三寸、口八丁手八丁、この世に騙れぬものはない。騙り部一門ここにあり――」
騙り部、古津詩は、始まりの口上を述べて不敵に笑って見せた。
「バカか」
魔が無機質な声をもらすと同時に黒い刃物を投げる。
だが再び工場内から出てきた毛だらけの手によって叩き落される。その手の主がゆっくりと姿を現す。その正体は化け猿だった。
「バカめ。お前はあの時の失敗作の猿だろう。消えろ」
魔は日陰者に命じて化け猿を殺させようとする。
化け猿は咆哮をあげながら向かってくる化物たちを大きな手で叩き、殴り、絞め殺す。日陰者は、またたく間に霧散して悪玉になってしまう。化け猿は鼻息を荒くしながら魔をにらみつけている。
「私は騙り部。嘘しか言わない騙り部。私の前では、誰もがみんな騙される。私の舌先でころころと転がしてみせよう。さあ、見破れるものなら見破ってごらん。嘘しか言わない騙り部は、今日も今日とて嘘をつく。さあさあ、騙されたい奴ぁこっちへおいで。嘘から出た実!」
次の瞬間、暗い工場内からこの世のものとは思えない化物たちがどんどん出てくる。
鋭い爪や牙を持つ獣の姿のようなもの、手足が何本もあるもの、空を飛びながら口から火を吐くもの、その他いろいろな姿の化物たちが現れる。彼らはすぐに日陰者たちに向かって攻撃を開始する。
知能が低い日陰者たちはなにが起こっているのかわからず、すぐに霧散して悪玉になっていく。人間離れした日陰者たちは応戦するが、騙り部が生み出した化物に手も足も出せずに倒される。その後も騙り部の口上は止まることがなく、新たな化物が生まれ空を舞って地を駆けていく。
「バカか。なんでだよ。なんでお前は能力が使えるんだよ。本は燃やしたはずだぞ!」
騙り部の能力によって生み出された様々な化物たちを前にして横田はうろたえる。
「騙り部は口頭伝承を基本としているんだ。先祖代々、ずっと昔からそうやって伝え聞かせる。これまで騙り部が倒してきた化物は一匹残らず騙り継ぐ。それが騙り部一門の役目だからね」
以前、同じことを聞いたことがある。どうやらまんまと騙されてしまっていたらしい。
「そして私は役者だ。役者というのはどんなに物覚えが悪くても本番までにしっかりと台本を読み込んで役作りをするものだ。たとえどんなに長い物語でも自分のセリフは必ず覚えるのが役者だよ。朗読劇じゃあるまいし。台本を持ったまま本番の舞台に立つなんて役者失格さ」
「バカか。だったらお前はどうしてこんな分厚い本を持ち歩く。邪魔なだけだろ」
横田の暴言は不快だが、そのことは僕も気になった。なぜ持ち歩いているのだろう。
「私は騙り部一門の歴史の中でもとりわけ才能がないんだよ。小さい頃の私は化物たちの物語を覚えられなくて苦労したものさ。そこで作家の父が一冊の本にまとめてくれたんだ。そして私は目と耳を使ってなんとか物語を覚えたよ。あ~あ、思い出の品が燃えて悲しいなぁ」
笑いながら話す騙り部の顔は、まったく悲しそうに見えなかった。明らかに嘘をついている。
「嘘つき。あいつ、五歳の頃には物語の半分以上を覚えていたんだよ」
神代も戦いながら苦笑して教えてくれた。けれど彼女は、とてもうれしそうに見えた。
「昔から私には嘘をつく時の悪い癖がある。それは、つい舌をペロッと出してしまうんだよ。年頃の乙女が舌を出すなんてはしたないでしょ? 本はそれを隠すのにちょうどよかったのに」
そして騙り部はペロッと舌を出して笑ってみせる。
「キサラギ聞いた? 年頃の乙女がはしたない? いつも私に痴漢してくるあいつが?」
「ねぇジャック。あの人、男も女も関係なくセクハラする悪い癖を都合よく忘れてない?」
「あれあれ? 私の信頼、低すぎ……?」
僕と神代、それから騙り部は、周りが日陰者に囲まれているこの状況で大きな声で笑った。
「バカか。意味わかんねぇよ。なんだよ! なんなんだよお前は!」
「意味がわからなくて結構。私は意味があってもなくても嘘をつく。それが騙り部だからね」
横田は拳を振り上げて騙り部に向かっていく。けれど、彼女は決して逃げようとしない。
「あいつなら大丈夫だよ」
神代の言葉に嘘がないことはすぐにわかった。僕はそれを信じて静かに見守る。
横田の右拳が騙り部の顔に向かっていく。それをさっと避けて肩の方に受け流し、そのまま腕をとって思いきり投げ飛ばす。彼の体はいとも簡単に宙に浮いて固い地面に叩きつけられた。
「言ったでしょ。私は役者。それなら
横田はろくに受け身がとれずに背中を強打したことで呼吸困難に陥っている。武道が必須の警察官を相手に一本背負いを決めるとは恐ろしい。やはり騙り部の強さは底が知れない。
「バカか。最初からお前はこちらに協力するふりをして騙していたのだな」
「ふふふ。嘘ついてごめんね。でも、私は騙り部だから。嘘をつくのが
「バカめ。お前のような人間でも化物でもない半端者と俺をいっしょにするな」
「人間でも化物でもないか。たしかにそうだよ。私の先祖は人間だけど、化物と結婚したと言われている。だけど、それでもいいと言ってくれる奇特な人もいるんだよ」
騙り部が視線を外して僕と神代を見る。その瞬間を狙っていたかのように魔が黒い刃物を投げつける。しかし、それらをいとも簡単に避けて騙り部は一気に間合いを詰める。
「うちの特号の騙り部一門はね、先祖の言語朗がつけた洒落みたいなもの。その昔、化物退治の功績として騙り部という屋号を名乗ることを許された先祖に対して『人の口に戸は立てられないが、騙り部の口には門でも建てておかないとうるさくてかなわない』と権力者が言った。それをおもしろいと思って特号として使い始めたらしいんだ。でも、これだけは知っておいてほしい。騙り部の名は伊達や酔狂では名乗れないんだよ。なめないでほしいなぁ」
その瞬間、騙り部のまとう空気が変わる。
そして鋭い殺気を右拳に込めて魔の体に叩き込む。
「がはぁっ!」
黒いマントをまとった少女は、苦悶の表情を浮かべてうめき声をあげる。
小さな体が空を飛んだ。そんな魔にとどめを刺そうと騙り部も高く跳び上がる。
だが……。
「バ、カ、か……」
まるで最初からそれを狙っていたかのように黒い刃物を取り出す。
いくら騙り部でも逃げ場のない空中では攻撃を避けることができない。それなら、僕が盾を飛ばして援護しよう。盾を足場にすれば移動できるはず。
だが、彼女はほほえみを浮かべたまま首を横に振る。
「ふふふ。ほら、君のすぐ後ろ……闇がもうそこまで迫ってきてるよ?」
魔は騙り部の言葉に驚いて振り向く。しかし、振り向いた先にはなにもいない。
「あれあれ? ごめんなさぁい。またまた嘘ついちゃったぁ。でも言ったよね。私は騙り部。嘘しか言わない騙り部さ。私は人のため、街のため、大好きな友達のために嘘をつく!」
秋葉市で生まれ育った人間なら誰もが一度はその名を聞いたことがある。昔からこの街を守り続けてきた生ける伝説。嘘しか言わない騙り部、古津詩は――まぎれもなく天才である。
地から空に向かって黒い球体が急上昇していく。魔の死角を突いて攻撃するつもりなのだ。
騙り部の言葉に騙されながらも魔はすぐに体勢を整えて悪喰を二本の刃物で迎え撃つ。この構図もまた、以前工場で戦った時とまったく同じである。あの時は工場内の窓ガラスを破ったところを見失い、神代の能力の可動範囲外まで逃げられてしまった苦い記憶がある。
「悪喰! 残さず食べなさい!」
しかし神代はあの時よりも成長している。悪喰は大きな口を開けてその鋭い牙を突き立てようとする。もしくは一気に丸呑みしようとしている。
魔も必死に逃げようともがき、悪喰の口内を黒い刃物で刺しまくっている。
悪喰は痛みも苦しみも感じないのか、口をさらに大きく開けて攻め続ける。今にも闇が飲み込もうとする。
「バカか! 俺を助けろ! さっさとしろ!」
魔は男とも女ともつかない無機質な声で日陰者たちに命令する。騙り部の生み出した化物に殺されて麻衣の彼岸花に燃やされてその数は最初より減っている。
しかし、二人とも捕まっていたせいか気力体力の消費がいつもより早い。
騙り部の口上には少しずつ元気がなくなり、生み出された化物は日陰者たちに負け始める。
麻衣の彼岸花の火力も少しずつ弱まっていく。
このままではまずい。しかし、ここで盾を動かしてしまうのは守りが薄くなってしまう。
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