第25話 黒幕
目が覚めるとすっかり日が昇っていた。
昨日は気力体力が尽きるまで特訓をしたのに、今日はすっかり体力が回復している。
しかし、不安や疑念は消えていなかった。
これから新種の魔と日陰者の一斉討伐に向かわなければいけない。その前には解消しておきたい。
そう考えたらすぐに体が動いた。服を着替えて仏壇に手を合わせて神棚にも手を合わせる。まだ早いけれど、夜には戻ってこられないので神棚から鏡を取り出して布で表面の汚れをふく。
その時、畳の上に不思議な紋様が浮かび上がっていることに気がついた。よく見ればそれは、鏡の裏面に施された紋様だ。窓から差し込む日光が鏡に反射して紋様を映し出したのだろう。そういえば歴史の授業でそんな鏡があると習ったことがある。
鏡の名前はたしか……。
「ごめんくださーい」
玄関から聞き慣れた声がしたので鏡を置いてすぐに向かう。そこにはやはり神代朝日がいた。
「いきなり来てごめん。だけど、どうしても気になるの。あの警察官の横田さん」
彼女は申し訳なさそうに頭を下げていっしょに交番へ行こうとお願いしてきた。
「僕も気になっていたから同じことを頼もうと思ってた」
すぐに必要な荷物を整え、神代といっしょに秋葉駅前交番へ向かう。
「あの人の悪玉はなんていうか変なの。まるで人間じゃないみたいっていうか」
「ごめん。僕は悪玉の変化がわからないから。もう少しわかりやすく教えてくれる?」
「人間は悪玉と善玉の二つがあるって説明はしたよね。善悪の判断がつかない赤ちゃんの頃は善玉も悪玉もすごく小さいんだけど、年齢と共に少しずつ大きくなっていくの。ねぇ真木野。生まれてからこれまでずっと悪事をしたことがないって言う自信ある?」
「それは……言えないね。信号無視とかゴミのポイ捨てとかしてしまったことがあるから」
「私も同じ。だから善玉も悪玉もそれなりに大きくなってる。だけどあの人、横田さんは違う。今まで悪事をしたことがないみたいに小さいの。まるで子どもか赤ちゃんかと思うくらい」
むしろ人より悪玉が小さいというのは良いことのように思える。
悪事を起こしたことがないのだから善人ではないか。
「悪玉が小さいことはいいことだよ。だけど善玉もすごく小さいの。父が言っていたんだけど、こういう人は善悪の判断が子どもみたいなんだって。悪行も善行も自分の気持ち次第だから」
それは横田の気分次第で悪行は善行になり、黒いものも白いものになるということか。
一年前、僕は不良に絡まれたところを横谷助けてもらった。あの時は恐怖で忘れていたが、彼はどのようにして助けてくれたのか。たしか不良たちを人目の付かない廃工場へ連れて行ったのは覚えている。だがその後すぐ戻ってきたのは横田だけだ。
前を向けば交番が見えてきた。神代の父親の同僚であり、僕の恩人でもある横田。悪事を取り締まる存在の彼が、悪事を生み出す化物と手を組んでいるかもしれない。
それが嘘か本当か確認するため、僕たちはここまでやってきた。
だが怖い。もしも横田があの魔と手を組んでいたと思ったら足がすくむ。
「大丈夫。あなたには私がいるじゃない」
優しく思いやりのある神代が不安な気持ちを吹き飛ばしてくれた。
しかし意気込み虚しく、横田は休みで出勤していなかった。
まもなく作戦開始の五時。僕らは不安や緊張を抱えたまま重い足取りで工場跡地へ向かう。
「みんな集まったね。これから工場内に私と麻衣ちゃんが潜入して日が暮れるまでに魔を見つける。実験や新種の日陰者のことも聞き出すつもりだけれど、おそらく口は割らないだろう。それなら仕方ない。日が暮れたら日陰者も現れる危険性があるから倒してしまうよ。いいね?」
騙り部が計画の最終確認をする。
話を聞き出す前に倒してしまうことを確認したのは神代のためだろう。この中で最も奴に恨みや怒りの感情を持っているから。
「ふふふ。じゃあ、行ってくるね。おみやげを楽しみにして待っていてよ」
騙り部はこんな時でも人を笑わせることを忘れない。
「キサラギさん。ジャックさん。行ってきます。成功したらすぐに連絡しますから」
赤羽麻衣は手袋を外した右手でしっかり握手する。その時、神代の手に白い紙が渡された。
「成功したらちゃんと連絡してよ! 約束だよ!」
神代は大きく手を振って伝える。その呼びかけに騙り部は携帯端末を見せて応える。
残された僕たちは白い紙を地面に置いて連絡を待つ。どうか成功しますように。
どれくらいの時間が経っただろう。不安と緊張で唇や口の中が渇いて仕方ない。
その時、携帯端末が鳴る。ハッとしてすぐ取り出してみると液晶画面には『作戦成功』という文章が並んでいる。
僕と神代は顔を見合わせてうなずく。白い紙は、小さく畳んでズボンにしまっておく。
さあ、ここからが本番だ。新種の魔と日陰者の一斉討伐の開始である
周囲を警戒しながら正面入口にたどり着く。僕が先に入って中を確認する。以前とまったく変わっていない。
しかし、昼間なのに暗い。見上げると窓の大部分が段ボールでふさがれていることに気づいた。僕は左目を閉じて進む。
「騙り部! どこですか! 麻衣! 返事してくれ!」
空っぽの工場内に僕の声が虚しく響く。
そのままゆっくりと奥へ進んでいくと二人の姿を見つける。彼女たちは地面に倒れている。
しかし神代も僕もすぐには動かない。なぜなら、手首の黒いあざに強い反応があるからだ。
「二人になにをしたの。どうして太陽が出ているのに能力が使えるの。出てきなさい!」
「バカか。俺を他の失敗作といっしょにするな。二度も同じことを言わせるな」
暗闇から現れる黒いマントをまとった少女の姿。無機質で無感情な男とも女ともつかない声。僕たちが倒すべき敵、人間の悪玉を刺して日陰者を生み出す化物――魔だ。
今までの魔と違い、奴は昼間でも暗いところなら能力を使えるのか。そういうことなのか。
だがなにか違う。明確な根拠はないが、僕たちを騙そうとしているのではないか。
「だったらすぐに僕たちも殺したらいいじゃないか。その二人のようにな」
二人に外傷は見られない。息もしているように見える。おそらく眠っているだけだろう。
「バカか」
魔は忌々しそうにつぶやいた。
「場内を暗くして不安を与えるつもりなんだろうが、僕にはすべて見えているぞ」
閉じていた左目をゆっくり開ける。暗さに慣れさせていたおかげではっきり見える。
前回は気づかなかった扉にライトを照らす。
「その奥にはなにがあるんだ?」
どうやって二人を眠らせたのかわからないが、扉の向こう側にその答えがあると判断したから。
魔は答えない。しかし、扉が勝手に開いて答えが現れた。
「え……」
嘘だと思った。なにかの間違いだと思った。
しかし、目の前にいるのはまぎれもない真実。
「よっさん……?」
扉の先から出てきたのは警察官の横田だった。いつもの制服姿ではないが、この暗さでも友人の顔や姿は見間違えない。いつも元気で明るくて笑ってからかってくる横田がそこにいる。
「バカか。よっさんじゃねぇ。横田さんだろうが。ったく。これだからバカは嫌いなんだ」
いつもの彼じゃない。たしかにいつも口が悪いけれど、本気で怒っていないからこちらも笑っていられた。それでも今は、本気で怒っているように見える。
「ちょっと待ってよ。なんで横田がここにいるの? どうして魔といっしょにいるの?」
「バカか。横田さんと呼べっつってんだろ。二度も同じことを言わせるな」
横田は忌々しそうな視線を送る。その話しぶりも魔とそっくりだ。
僕は混乱のあまりまともに思考することができなくなった。
「私は神代朝日。この顔に見覚えはなくても、この名前に聞き覚えはあるでしょ?」
「神代……。お前、神代巡査部長の娘か? なんだ。今日はここで真木野とデートか?」
「あなた、魔の姿が見えてるでしょ。まさかあなた、そいつと手を組んで父を殺したの?」
「バカか。俺は警察官だぜ。市民の安全を守るのが仕事なんだからな。そんなことするわけないだろ」
「じゃあ教えて。どうして魔といっしょにいるの? ここでなにをしているの?」
「バカか。話すわけがないだろう。わかっていることを聞くな」
横田が面倒くさそうに言葉を発しながら右手を腰にまわす。
「神代! 危ない!」
無意識に影の盾を出そうとしたが、まだ日が暮れていないから能力は使えない。
すぐさま彼女の体を抱きしめるようにして倒れ込む。避けた直後、音もなく黒い弾が飛んでいった。
「バカか」
魔と横田の言葉が重なる。
その瞬間、僕の中の横田の認識が『友達』から『敵』に変わった。
横田の手に握られているのは真っ黒な銃。警察官が持つ拳銃よりも大きくて武骨な銃だ。
あれは本物なのか?
しかし弾を発射する音はまったく聞こえなかった。
なら偽物?
「これは魔が創り出した銃だ。誰にも見えないし撃たれたことにも気づかない。でもお前は見えてるんだなぁ、真木野?」
「バカか。なにを勝手に話しているんだ」
「こいつらはどうせここで死ぬんだ。俺がなにを話そうと俺の勝手だ」
「それは俺が生み出した悪玉を刺すための道具だ。おもちゃじゃないんだぞ」
「知ってることをいちいち言うな。あーもうお前と話すのはめんどくせぇ」
やはりこいつらが組んでいるのは確定。だが、仲は悪いらしい。
「真木野ぉ。知ってるぞ。お前、最近その女といっしょに夜の街で悪さをしてるんだってなぁ」
「悪さじゃない。化物退治だ。魔が生み出した日陰者を倒してる。街を守ってるんだ」
「あのな、ガキが夜遅くに出歩くんじゃねぇ。警察官の仕事を増やすな。めんどくせぇなぁ」
「それよりその銃はなんだよ。日陰者を生み出していたのは横田だったのか?」
「バカか。横田さんと呼べっつってんだろぉ。何度も同じことを言わせるな!」
横田は僕たちに銃を向けて何発も撃つ。
この銃にはきっとなにかある。なにか恐ろしい能力が……。
「これは俺だけが使える特別な銃だ。これで人間の悪玉を撃つと日陰者が生まれるんだ。まあ、俺は化物のことはどうでもいい。だが、これで撃たれた人間は犯罪を起こしやすくなるんだ。この街はクソみたいな場所だが、魔とこの銃に出会えたことには感謝しないとな。ふはは!」
彼は手を叩いて馬鹿笑いしている。
「ちょっと待って。それはどういう意味? あなたと魔はどういう関係なの?」
話を聞いていた神代が声をあげる。
「昔から俺は霊感体質で幽霊や怪物が見えるし、そのせいで奴らに襲われることも何度もある。そんな俺が秋葉市に赴任したのは一年前。初めてここに来た時は地獄かと思った。なにもない田舎でつまんねぇし、夜になったら黒い影の化物がうじゃうじゃ現れるんだからなぁ」
横田は苦虫をかみつぶしたような表情を見せながら少しずつ話していく。
「だがある日、俺はこいつに出会った。俺もいろんな化物を見てきたが、こんな人間みたいなのは初めてだった。まあ、出会ったばかりのこいつはもっと小さくて幼女みたいだったなぁ。いつもなら見捨てるか、殺していただろう。だが、こんな田舎町で楽しいこともなにもない。だから俺は、こいつをアパートに連れて帰っておもちゃにすることにしたんだ」
自分の知らない横田が目の前にいる。彼が口を開くだけで胸がざわついて仕方ない。
「俺は食事を与えた。こいつはこんな見た目でも化物だ。一カ月もしないうちにどんどん大きくなり、少しずつ人間の言葉を覚えていった。だけどこいつの世話も面倒になってきた。だからそろそろ殺そうかと思った時、こいつは『ナンデモシマス』って……そう言ったんだよ」
視線を外して魔の方を見た。彼女は相変わらず無感情な表情でその場に立っている。
「なあ真木野。お前ならどうする? こいつがなんでもしますって言ったらナニさせるよ?」
横田は気持ちの悪い笑みを浮かべている。
彼は人間でも化物でもない。人でなしだと察した。
「それから楽しめるだけ楽しませてもらったんだが、こいつは実験に協力しろと言ってきた。面倒なのはごめんだし、化物に命令されるのは人間としてのプライドが許せなかった。でも、この見えない銃を使って人間を撃てば今以上の快感が得られるなんて言われたら……ふはは!」
「バカか。だからバカは嫌いなんだ。俺の実験計画をべらべらと話すな」
マントをまとった少女の姿をした化物、魔が毒づいた。それでも横田は話し続ける。
「それからの毎日はもう最高だったぜ! 見えない銃で街中の奴らを撃てるんだからなぁ! まさに快感ってやつだ! そのうえ撃った奴らを覚えておけばそのうち犯罪を起こすから現行犯逮捕できる。おかげで俺の警察官としての評価はどんどん上がっていったよ。ふはは!」
神代がゆっくりと立ち上がる。
「私の父を殺したのは魔や日陰者だけじゃなかった。あなたも共犯だったのね」
向けられた銃口には目もくれず横田をにらみつける。
「共犯? 人聞きの悪いことを言うな。俺がなにをした? 法律に触れることはしてないぞ?」
「これから警察に連絡する。見えない銃では銃刀法違反にはならないし、神代のお父さんの事件の関与もわからないけど、そこに眠っている二人の女の子を暴行した罪は問われるだろ?」
僕も立ち上がって彼女の隣に立つ。そして携帯端末を横田に見せながら告げる。
「バカか。周りを見てみろよ。気づいていないのか?」
その瞬間、携帯端末が何者かに奪われた。
振り返るとそこには真っ黒な化物が立っていた。
「もう夜だ。そしてお前ら失敗作は……今夜ここで死ぬのだ」
黒いマントをまとった少女の化物、魔は無機質な声で事実を告げる。
まずい。段ボールで窓ガラスをふさがれていたせいで日が暮れたことに気づかなかった。
「黒いあざに反応がないってことは、こいつらもその銃で生み出した新種の日陰者ね……」
見まわせば工場内には大量の日陰者であふれている。
人間の姿を保っているものや動物のような姿のもの、化物じみた姿のものなど様々だ。
「それじゃあお前らも……実験体にしてやろうかあぁぁぁ!」
大量の日陰者たちが襲いかかってきた。真っ黒な鋭い爪を牙が目の前に迫ってきている。
「キサラギ。守りは任せたから」
「攻撃は任せるよ。ジャック」
「悪喰! 来なさい!」
「出ろ! 影の盾!」
黒い弾丸は黒い盾によって防がれる。黒い化物たちは黒い球体によって捕食される。
「は?」
間抜けな人でなしの声が聞こえる。一瞬のことでなにが起こったのか理解できなかったらしい。だが無理もない。いくら化物が見える目があっても悪喰と影の盾の動く速さについてこられるわけがない。なぜなら僕たちは、この日のために能力を磨いてきたのだから。
「悪喰! 残さず食べなさい!」
神代の叫び声が工場内に響き渡る。
思う存分やったらいい。これは君のお父さんの敵を討つための戦いだ。僕は君の共犯者としてその手伝いをするだけだ。キサラギジャックの罪は、二人で背負うものだから。
「お、おい。どんどん日陰者が減っていくぞ。どうすんだよ。な、なあ。おい?」
「バカか」
横田の情けない声と魔の無機質な声が聞こえてくる。
日陰者は、悲鳴をあげることなく悪喰の口の中へと消えていく。
悪喰は能力者の怒りに呼応するかのように目を真っ赤にさせている。そして大きな体をすばやく動かしてどんどん日陰者を喰らっていく。最近では噛みつく動作は少なくなり、飲み込むように日陰者を口内へと入れていく。喰らった化物がどこへいくのか、それは能力者の神代本人もわからないのだという。
「はぁ……はぁ……!」
悪喰の操作に疲れた神代が肩で息をする。工場内にいる半数以上の日陰者が食われた。
だが、それでもまだ大量の日陰者が残っている。僕は残っている日陰者たちからの攻撃を受け流し、防ぎ、突き飛ばすことでなんとかしている。
盾という能力の特性上、攻撃に転じられないのが辛いところだが、任された仕事は完璧にこなそう。これは彼女が敵を討つための戦いだから。
「悪喰! 行きなさい!」
悪喰の目が真っ赤に染まり、大きな口を開けて空を飛ぶ。
そして魔と横田めがけて一直線に飛んでいく。その他の日陰者には目もくれず、黒く鋭い牙を突き立てようとしている。
「バカか」
再び魔と横田の言葉が重なる。
その瞬間、先ほどまでの情けない雰囲気は消えてしまった。
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