第26話 黒い縄

「ジャック! 待った! なにかおかしい! あいつらはなにか狙ってる!」

 神代は聞く耳を持たず、悪喰もごちそうを目の前に止まらない。

 しかし、なにがあっても止まらない悪喰を一瞬にして止めるものがあった。

「なっ!」

 それは突然現れた。音もなく光もなく現れた。

 真っ黒なヒモがどこからともなく伸びてきて悪喰を空中に縛りつけてしまう。それもたった一本で。

「なんで!? どうして!?」

 神代がそれを見た瞬間うろたえる。

 悪喰は必死に身をよじるが、動けば動くほどヒモは食い込み、逃れられなくなっていった。

「落ち着いて! いったん能力を解除してもう一度発動するんだ!」

 日陰者からの攻撃を防ぎながら神代に助言する。だが彼女は混乱しているせいか解除しない。

 そのうち二本三本と黒いヒモが僕らの方に伸びてくるのが見えた。こういう攻撃は防いだことがないからどうすればわからない。すぐに影の盾も黒いヒモに縛られてしまって動けなくなる。

 一瞬混乱してしまったが、すぐに能力を解除して再び発動させる。

 しかし、またすぐに黒いヒモが伸びてくる。今度は同時に六本も。

「ジャック! 能力を解除してもう一度発動するんだ! 早くこのヒモをなんとかしないと!」

 このままでは殺される。

 早く神代に正気に戻ってもらわないと。



「違う……」

 神代は能力を解除しないままうわ言をもらす。

「ヒモじゃない。あれは縄。黒い縄。私の父の能力……【黒縄地獄こくじょうじごく】」

「神代のお父さん……?」

「でも、なんで? どうして? お父さんはもう……?」

 悪喰は今もまだ黒い縄に捕らえられたままだ。縛られた状態でじたばたと抵抗している。

「知りたいか? まあ知りたいよなぁ。娘なら自分の父親がどんな風に死んだのか」

 横田が笑みを浮かべながらこちらへ近づいてくる。

「俺と魔は毎日のように日陰者を生み出し続けた。魔は太陽が出ている時は弱っているから外に出せないが、俺はこの銃さえあれば昼でも夜でも生み出せた。だがある時、見られちまった。この黒い銃のことを気づかれてしまったんだよ。まさか神代巡査部長が俺と同じように霊感体質だなんて気づかなかったぜ。まったく、俺以外にも見えるとは思わなかったから驚いたよ」

「やめろ! 話すな! 影の盾! あいつをこちらに来させるな!」

「だから俺は神代巡査部長を秋葉川の河川敷に呼び出した。黒い銃のことをすべて話す、と。それが今年の三月のことだよ。あの人は優しいから、俺の言葉をちゃんと信じてくれたよ」

「やめろ……んぐっ! んんんんんん!」

 叫ぼうとしたところを黒い縄によって口を縛られた。

 神代は先ほどから立っているのがやっとの状態だ。

 悪喰だけは必死に黒い縄から逃れようとしているが、噛みついても縄は切ることができないようだ。

「神代巡査部長は本当にすごかった。たった一人で何十体という日陰者を倒すんだからなぁ。あんなにすごい人とは思わなかったぜ。だからこの人をこのまま死なせるのはもったいないと思った。そこで、神代巡査部長にも俺と魔の実験に協力してもらうことにしたんだよ」



 横田はゆっくりと歩いて先ほど自分が隠れていた扉までやってくる。

「お父さんは俺たちの実験の最高の協力者だよ。おかげでおもしろいことがわかったんだから。まさか死ぬ前に悪玉を撃っておいたら日陰者として生き返るとは思わなかった。よかったな。お父さんは君に会いたがっていたんだよ。ほら、親子の感動のご対面だぜ! ふはは!」

 横田は扉を開くと黒い影が人の形として実体化した化物がうごめいていた。

 その体からは何本もの黒い縄が伸びている。悪喰を縛る縄も、影の盾を縛りつける縄も、僕を縛っている縄も、すべてその化物の体から伸びている。

 つまりその日陰者は、神代の父親の悪玉を刺したことで生まれた化物だということだ。

「嘘でしょ? お父さんが日陰者に……? いや……嫌……いやあああぁぁぁあぁ!」

 神代の叫び声が工場内に響き渡る。

 その瞬間、悪喰の姿が影のように消えていった。

 無理もない。こんな残酷な事実を知らされて平静を保っていられるわけがない。

「んんん! んんん! んんんんぐ! んぐぐぐぐ! ぐぐぐぐぐ! ぐんんんー!」

「なんだよ真木野。俺を悪人だと言いたいのか? だけど俺はなにもしていないぞ。この国の法律にはなにも違反していない。俺は悪に手を染めていないんだからなぁ! ふはは!」 

 横田の耳障りな笑い声が聞こえてくる。

 怒りでどうにかなりそうだった。しかし、今の僕にはなにもすることができない。

「バカか。さっさと実験を進めるぞ。そいつらの悪玉を早く撃て」

 バカな人間のやりとりには付き合っていられないと言いたげな魔が無機質な声で言い放つ。

「わかってることをいちいち言うな」

 こんな状況でも魔と横田は罵り合っている。

 お互いのことを道具として利用し合うだけで、心の中では憎み合っているに違いない。

 僕たちはこんな奴らにやられてしまうのか。



「ん? なんだこれ?」

 横田がしゃがんで僕のズボンのポケットに手を伸ばし、中に入っていた白い紙を取り出す。

 それは連絡手段の紙だ。

 ここは電波が不安定だから携帯端末でのやりとりは難しいと思った。だから作戦成功したらこの紙に知らせがくるはずだった。

 それなのに、携帯端末に連絡がきたから僕と神代は作戦が失敗したと悟った。それで騙り部と麻衣を助けにきたはずなのに……。

「うわっ! あっつ! あつっ!」

 突然、横田が悲鳴をあげた。

 なにが起きたのかと見れば白い紙が燃えあがっている。

「に、逃げてください! 早く!」

 赤羽麻衣が発火能力、彼岸花を発動させたのだ。 

 こんな状況にもかかわらず、自分も危険にさらされているのに、僕たちを助ける機会を狙っていたのか。

「な、なんだこれ!?  消えねぇぞ! おい! なんとかしろよ! 魔ッ!」

 彼岸花の能力は燃やす能力ではなく火を発生させる能力だ。たとえ火をつけたものが燃えてしまってもしばらくはそこに火を発生させ続けることが可能だ。白い紙はすでに燃え切ってしまったが、それでも消えない炎に横田はとまどっている。

 せっかく麻衣が作ってくれた逃げる機会を活かさないわけにはいかない。僕はなんとか黒い縄から脱出しようと身をよじる。

「あれ?」

 思わず間の抜けた声が出た。

 先ほどまでがっちり縛られていたはずの縄がゆるんでいたのだ。想像していたよりも簡単に抜け出せることができてしまった。

 なぜだろう。だがそんなことを考えている暇はない。

 僕は縛られたままの神代を抱きかかえるとすぐに能力を発動させる。

「出ろ! 影の盾!」

 そのまま盾に乗るとすぐに飛んで工場を脱する。

「バカか。逃がすか」

 魔の一声と共に再び黒い縄が伸びてくる。


 

 僕はすぐに速度を上げるように盾に念じた。盾の飛ぶ速さは増すが、黒い縄が伸びてくる速さはそれ以上だった。瞬く間に何本もの縄が盾に絡みついてくる。強く念じてもまったく動く気配がない。それなら、影の盾を高速回転させて断ち切ってしまおう。しかし、火花が散るだけでまったく切れなかった。

「ダメだよ……。黒縄地獄は……決して切ることができない丈夫な縄だから……」

 黒い縄に縛られたままの神代が口だけ動かした。

 何本もの黒い縄が盾を工場の方へ戻そうと少しずつ引っぱっていくのを感じる。

 僕も先ほどから逃げようと必死に念じているが、明らかに力負けしているのがわかった。

 悔しい。影の盾が黒縄地獄に負けていることではない。

 神代が僕よりも日陰者の父親の方が強いと考えていることが悔しい。

 それでも僕は自分にできることをやるだけだ。

 こんなところで諦めて死んでいいわけがない。

 こんな僕を信じて逃がしてくれた麻衣のためにも生きてやらなければならないことがあるのだ。



「影の盾ェ!」

 僕の気持ちに応えるかのように影の盾が大きくなった。

 黒い縄が切れることはなかったが、すぐにいつもの大きさに戻す。

 そうすることで盾を縛る縄がゆるんで縄から解放された。その隙に思いきり速度をあげて逃げる。

 途中、バランスが崩れることが何度もあったけれど、それでも落ちないように必死に操作して飛び続ける。


 ようやく黒い縄が届かないところまできたとわかり、僕は盾をゆっくりと地面に下ろした。

 逃げることだけを考えていたので場所も方向もまったく考えている暇はなかった。

 だが無意識のうちに秋葉山の噴水広場にやってきたことに気がついた。

 僕と神代、騙り部と麻衣がここに集まってから秘密の特訓場所にいつも向かっていた。

 しかし、今ここには二人ほど足りない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る