第23話 彼岸花

「麻衣。お願いがある……」

 意識が遠のく瞬間、思いついたことがある。

 この場を切り抜けられるどうか、敵を倒すことができるかどうか、それはわからない、。

 それでも、生きて帰る確率はぐっと高まるはずだ。

「な、なんですか? なんでも言ってください。私にできることならなんでもやります」

 いつもの細くて小さな声。けれどその言葉には嘘がないとわかる。

「じゃあ……………………お願いできるかな?」

「えぇ!? そ、そんなこと……わ、私……そんな…………」

「ごめん。でも、麻衣にしか、できない。だから……」

 酷なことを頼んでいるということは理解している。

 しかし時間がない。目の前には敵がいて、いつもの頼れる共犯者は隣にいないから。



「バカか。さっさと消えろ。お前らは生きている価値なんてないのだ」

 魔が黒い刃物を投げつけてくる。それに合わせるように黒い翼の日陰者が急降下してくる。最初に与えたダメージはすでになくなっているようだった。一直線に僕らに向かって飛んでくる。さらに体を回転させて威力を先ほどよりも上げている。

「キサラギさん! いきます!」

 麻衣が決断してくれた。同時に彼女の右手が僕の脇腹に触れる。

 そして彼岸花の紋様がはっきり刻まれた。



「がっ! がががあああぁぁぁぁ‼ ぐがああぁぁぁぁ‼ あああああぁぁぁぁぁぁ‼」

 傷口が焼かれているのがわかる。

 いや、骨ごと焼かれている気分だ。

 熱い。痛い。

 肉が、骨が、全身が、今までに感じたことのない痛みによって悲鳴をあげている。

 鼻に自分の肉が焼ける嫌な臭いが入ってくる。

 それでも意識を飛ばさないように自分の腕を噛んだ。

 あまりに強く噛んだせいで肉に歯が食い込んで出血する。

 構わない。意識が飛んだら二人とも死ぬだけだ。



「キサラギさん!」

 麻衣の声を聞いて意識を取り戻す。

 向かってくる日陰者の攻撃を盾で受け止める。奴は頭に強い衝撃をもろに受けたことでふらふらとよろける。続けて黒い刃も弾き飛ばす。

 すぐに盾を動かして攻撃に転ずる。勢いよく進んで魔をはね飛ばそうと向かっていく。

「バカか……」

 魔は忌々しそうに言葉を発して距離をとる。

 このまま追撃することもできるが、敵は一人ではない。深追いはまずい。日陰者がすぐ回復して襲ってくる恐れもあるので盾を手元に戻した。

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……!」

 地獄の業火に焼かれるような苦痛が終わった。

 何度も意識が飛びそうになったが、なんとか耐えきった。

 このままでは意識が飛んだところを攻撃されて死ぬか、出血多量で死ぬと思った。そこで彼女の右手の能力で僕の脇腹の傷を焼いて止血してもらった。おかげで血は止まり、失血死の可能性も止められた。

「麻衣……ごめん……」

 僕の口から自然と謝罪の言葉がもれていた。

「謝らないでください。キサラギさんはなにも悪くありません」

 後ろから意外な言葉が返ってきた。そしてさらに言葉を続ける。

「私、ずっとこの能力が嫌いでした。燃やすことしかできない不吉な能力だから。でも今は、誰かの……いえ、友達の役に立てる能力だと知りました。だから戦います。あいつを倒します」

 今までずっと背中に隠れていた女の子が隣に立つ。

 その小さな体が――今ではとても大きく見えた。



「キサラギさん。この能力の名前を決めました。嫌いだったけど、あなたのおかげで少しだけ好きになれそうです。あなたがきれいだと言ってくれたから……【彼岸花】」

 いつもの細くて小さな声。

 けれど言葉の奥には、しっかりと熱がこもっていた。

 黒い翼の日陰者の体が一瞬にして燃え上がる。火は次第に大きくなり、炎へと変わっていく。奴は自分の身になにが起こっているのかわからないようだった。

 僕もなぜ燃えているのかすぐには理解できなかった。

 だが麻衣がさらわれた時、右手の手袋は脱げて落ちてしまった。そして彼女は、さらわれている間に日陰者に紋様を刻んだのだろう。

 日陰者は燃える体をどうにかしようと地面でのたうち回るが、炎が消える気配はない。

「その炎はそう簡単には消えません。だから、このまま焼かれてください!」

 麻衣は冷たい視線で化物を見下す。

 炎に包まれた日陰者が翼を広げて飛び立つ。だが燃えた翼ではまともに飛ぶこともできない。それでも必死に生き残ろうと翼を動かして逃げていく。そして閉ざされた扉までたどりつく。

 だがその直後、外からの強い衝撃で扉が吹き飛ばされる。

 炎に包まれて翼をすべて焼かれた日陰者は、そのまま下敷きになって動かなくなってしまった。



 工場の出入口に誰か立っている。

 月に照らされたその人は女の子だった。隣には黒い球体が浮かんでいる。

「私のキサラギに……手を出すなぁ!!」

 神代は、ゆっくりと工場内に入ってくる。

 その背後には小さな黒い影が迫っているのが見えた。僕の脇腹を攻撃した小型の日陰者だ。子どものような見た目だからと甘く見ていた。あいつは人間ではない。反省や後悔とは無縁の悪事をすることしか考えていない化物なのだ。

「ジャック! 危ない! 後ろぉー!」

 すぐに神代に危険を呼びかける。だが彼女は振り向かない。そのまま前を向いて進んでくる。

 小型の日陰者が黒い刃物を振り上げ……いつの間にかその姿は消えていた。

「え?」

 いつの間にか小型の日陰者の姿は消えていた。

 いったいどこへ行った……。

 神代のそばにいる悪喰が大きな口を動かしているのが見えた。

 まさか……あの一瞬で食べたのか? 

「残さず食べなさい! 悪喰!」

 能力者の神代により新たな命令が下される。

 悪喰はすぐに動き出す。今までは蛇行するように飛んでいたのが、今日は目標めがけて最短距離で一直線に飛んでいく。今ここに残っている捕食対象は一体しか残っていない。


 

「バカか」

 魔がつまらなそうに悪態をつく。向かってくる悪喰の脇をするりと抜けて、天井近くの窓へマントをひるがえすように飛ぶ。だが、悪喰はすぐに方向転換して大口を開けて向かっていく。

「なっ!」

 魔は動揺した表情を見せた。おそらく悪喰の速度を見誤ったのだろう。

「魔。あなたには聞きたいことがたくさんある。実験のこと、新種の日陰者のこと、友達をさらったこと、それからお父さんのこと。だけど、もうどうでもいい。あなたはここで死ぬんだから」

 神代の想いに応えるように悪喰の飛ぶ勢いがさらに増してどんどん魔を追いつめていく。

 魔は黒い刃物を二本出して迎撃する。空中で黒い球体と黒いマントの少女の攻防が繰り広げられる。

 優勢なのは悪喰だ。大きな口を限界まで開けて飲み込もうと迫っている。

「バカめ」

 また無機質な声で悪態をつく。追いつめられた諦めから言ったのだと思った。

 だが違った。魔の目はまだ諦めていない。なにかある。なにかたくらんでいる。 

 悪喰の勢いに負けて押されていく魔が窓に思いきりぶつかる。その結果、窓を突き破った二体は外へ出ていく。同時に、透明なガラスが落ちてくる。その下には神代がいる。

「ジャック!」

 怒りで我を忘れていた神代がようやく自分の身の危険に気づき、すぐにこちらへ走ってくる。念のため、彼女の頭上に盾を置いてガラスが降りかからないようにしておく。 

 大きなガラスの破片はそのまま地面に落ち、小さく細かい破片が盾に降ってくる音がした。神代が僕らのところまでやってくると悪喰も戻る。どうやら食べ損ねてしまったようだ。

「ジャックさん。ありがとうございます」

「ジャック。ありがとう。本当に助かったよ」

 ひとまず麻衣と僕はお礼を述べる。しかし、神代はなにも言わない。無言で無表情でこちらにゆっくりと歩いてくる。

「麻衣ちゃん。これ……」

 神代が取り出したのは赤い手袋。麻衣の母親が編んでくれた大事なもので、日陰者にさらわれた時にあの場に落としたものだった。

「これのおかげで悪喰が麻衣ちゃんの匂いをたどってここに来られたんだよ。ありがとう」

 神代はにっこり微笑んだ。

 しかし、すぐに感情の読めない表情を僕に向ける。



 あ、まずい。

 これはめちゃくちゃ怒られる。

 すぐに弁解しないともっと怒られる。

「あの、ジャック……」

「キサラギは黙ってて!」

「あっはい……」

 こういう時はなにも言わずに相手の言うことに従うしかない。

 今思えば麻衣をさらわれた直後は冷静さを欠いていた。

 神代が戻ってくるのを待たなくても携帯端末で連絡の一本でも入れればよかったのだ。

「キサラギ……ありがとう……」

 神代からの反応は意外なものだった。

「麻衣ちゃんを守ってくれてありがとう。無事でいてくれてありがとう。悪に手を染めてくれてありがとう。私の共犯者になってくれてありがとう。本当に……ありがとう……」

 神代の口からとめどなくあふれる感謝の言葉。けれど、その声にはどこか元気がない。

「あのねキサラギ。あなたは偶然悪に手を染めたと思っているみたいだけど、違うんだよ」

 それはどういうことだろう。いろいろ聞きたい気持ちを抑えて彼女が話すのを待つ。

「入学式の時、私はあなたの悪玉が肥大化するのを感じていた。魔には刺されていないけれど、いずれ刺されて日陰者を生み出すと思ったから注意してた。でもあなたは無意識のうちに善玉の力を強めて大きな悪玉を小さくしたんだよ。そんな人、今まで見たことなかった」

 入学式と聞いて思い出した。あの時は校長の話も生徒会長の話も聞かず、祖父をはね飛ばした犯人に復しゅうすることばかり考えていた。そのせいで悪玉が大きくなっていたのだろう。

 僕は妄想の中で犯人を何度も何度も不幸な目にあわせてやった。そのうち妄想ではなく、本当に殺人計画を立てて犯人を殺そうと本気で考えていた。今考えるとバカらしい妄想である。

 優しい祖父はこんなことを望まないと気づいたからすぐにやめたのだ。

「邪行の力は悪玉を源としている。でも染めるのは手だけ。心まで悪に染めてしまったら犯罪者や日陰者と変わらない。邪行の力を使えるのは悪に染まりきらない強い善玉を持つ人だけ。だから私は……あなたがいいと思ったの。真木野和輝に共犯者になってもらおうと思ったの」

 その瞬間、僕の心に無意識のうちにかかっていた影が晴れる。

 悪に手を染めた時からずっとかかっていた。心のどこかで思っていた。

 神代の隣に立つのは僕でなくてもよかったのではないかと。

 攻撃することができない盾ではなく、もっと強力な力を持った共犯者の方がよかったのではないかという劣等感。

 だからこそ僕は強くなりたいと思った。

 頼りにならない共犯者ではなく、頼りになる共犯者になろうと思ったから。

「頼りにならないのは私の方だよ……」

 僕の考えていたことを見透かすかのように神代が話を続ける。

「キサラギは悪に手を染めたばかりなのに、邪行の影の力を使いこなしていくから驚いたよ。正直、嫉妬もしたよ。どうして邪行の家に生まれた私より強いのかって。一人で能力を使えるようになった時は怖かった。私と別れてもう一人で退治屋を始めちゃうんじゃないかって」

「そんな……そんなことはありえないよ。だって僕は……」

「うん。あなたは私の共犯者だもんね。そして私はあなたの共犯者。ねぇキサラギ。今は二人とも共犯者同士が手をつないでいなくても能力を使えるよね。それで、どうする?」

 神代がなにを言いたいのかわからない。

 いや、わからないふりをしたいのかもしれない。

「キサラギが選べる選択肢は二つだよ。一つは、このまま私といっしょに退治屋の仕事をする。もう一つは一人で退治屋をする。あ、別の誰かと組んで仕事してもいいから……三つだね」

 神代は、うつむいているので顔は見えない。僕は今すぐ彼女の顔が見たい。

 だからあちらの答えを聞く前に、こちらの答えを言ってしまおうと思った。けれど……。

「キサラギ! 自分勝手でわがままなお願いだっていうのはわかってる。でもお願い。聞いて。私はこれからもあなたといっしょに仕事をしたい。ずっといっしょにいたい。私のそばにいてほしいよ……。私を一人にしないで……もう……大切な人がいなくなるのは……嫌なの……。これからも私の隣にいてほしい……。私の手を離さないで……。お願い……キサラギ……!」

 神代の声に不安の感情が帯びているとすぐにわかった。

 だが僕はそれを聞いて笑ってしまう。

「な、なんで笑うのー! ちょっと! ねぇ! なにか言ってよ! もう、キサラギー!」

 なんだ。心配して損してしまった。あちらもこちらと同じ想いでいてくれたのだから。

「僕たちは二人でキサラギジャックだよ。だから、これからもよろしくね、ジャック」

「え……? ほ、本当? 嘘じゃないよね? ね? ね? キサラギ?」

 神代が涙をためた上目遣いで微笑んでくる。

 正直、その顔はずるいと思った。

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