第22話 再襲撃

 辺りは暗くなっているので僕たちは秋葉山に急いで向かう。

 どちらからともなく僕と神代は手を握り合う。これでいつでも邪行の影の力を使うことができる。

「なにも言わなくてもわかるなんてすごいですね。まるで長年連れそった夫婦みたいです」

「ひゃわわ……。そ、そんなこと……ないよ……。ふ、普通だよ……」

 麻衣が変な例えを出すので神代が変な声を出して足を止める。正直これは僕も恥ずかしい。

「あの、お二人はコンビを組んでまだ数日と聞いています。それなのに、昨日も新種の日陰者をあっさり倒してしまいました。どうしてそんな息がピッタリ合っているんですか?」

「それはジャックのおかげだよ。僕はたまたま悪に手を染めて共犯者になっただけだからね。せめて足を引っぱらないようにしないとって必死なんだ。ジャックは知識も経験も豊富だから頼りになるんだよ。僕は盾で守ることしかできないけど、悪喰の攻撃は本当にすごいからね」

 質問に答えられる余裕が神代にはなさそうだったので代わりに答えておく。

「わ、私は! その……キサラギのこと……」

 つないだ神代の手がとても熱くなっていく。そのうち耳まで赤くなり始めた。

「ご、ごめん! そ、そこのコンビニで飲み物を買ってくるから。二人は先に行ってて!」

 こちらの返事も聞かずに走っていってしまう。

 神代はあんなことを言っていたが、この時間帯に一人にするわけにはいかない。僕と麻衣はその場で待つことにした。

「……です」

「え?」

「うらやましいです」

 なぜか麻衣は暗い表情を見せている。

「すみません……キサラギさんにこんなことを話しても迷惑ですよね……」

「ううん。よかったら聞かせて」

 しばらく麻衣は考え込んでいた。それは悩みを打ち上げるのをためらったのではなく、話すことを整理しているようだった。それからゆっくりと話を始めた。

「私、ここに来る前からずっと一人なんです。赤羽の本家にいた頃から両親は仕事で忙しくて、年の離れた兄や姉も千日紅の能力の修行で忙しかったですから。使用人もたくさんいましたが、その人たちもみんなそれぞれ仕事があって、誰かと遊ぶことって一度もしたことがないんです」

 大きな家の末っ子として生まれた故の悩みかもしれない。僕の友人も末っ子で生まれると小さい頃の写真が先に生まれた兄弟よりも少ないと嘆いていたことを思い出した。

「だから小さい頃から書庫にあった本ばかり読んでいました。幼稚園に行ったら友達を作って遊ぼうと思ったんですけど、なんて声をかけたらいいかわからなくて……。幼稚園の本棚にある本を全部読んでいるうちに卒園してしまいました。小学校に入学したら今度こそがんばろうと思ったんですけど、図書室にある本を全部読んでいるうちに卒業してしまって……」

 麻衣はうつむいたまま苦笑する。

「中学校では友達を作る暇がありませんでした。兄や姉たちは五歳の頃には両手に紋様が出ていたのに、私は十歳を過ぎても出ていませんでしたから。両親はそのうち出てくるから心配ないと言ってくれました。だけど私は一日でも早く千日紅の紋様が出て、能力を使いこなせるようになりたかったんです。神様仏様にも祈りましたが、右手の甲に出てきたのは……」

 麻衣は右手から赤い手袋を外す。その手の甲には真っ赤な彼岸花が咲いている。

ばちが当たったのかもしれません」

 麻衣が突然変なことを言い出した。罰とはどういう意味だろう。

「これまでずっと友達を作らずに一人の世界に閉じこもっていたから罰が当たったんです……」

 僕も落ち込むとそんな風に考えてしまうから、麻衣の気持ちは痛いほどよくわかる。けれど、だからこそ違うと断言できる。

 あることを思いつく。それを言うべきか少し悩んでから口を開いた。

「あの、僕じゃダメかな?」

「え?」

「いや、あの……えーと……その……僕を麻衣の友達にしてくれない?」

「え? え?」

「あ、無理ならいいんだよ? 麻衣はここまで一人でがんばってきた。それはすごいことだと思う。でも、ここからは友達といっしょにがんばってみるのもいいんじゃないかなぁって思うんだけど……どうかな?」

「……です」

「え?」

「うれしいです。すごくうれしいです。私、キサラギさんと……」



 次の瞬間、目の前に暗い影が落ちてきた

 あまりに突然のことだったので驚きの声すらあげられなかった。

 一瞬にして麻衣の姿が消えてしまう。

 訳がわからず地面に視線を落とすと、彼女がはめていた赤い手袋だけが残されていた。

「キサラギさぁーん!」

 麻衣の体は空を飛んでいた。まだ空が黒に染まりきっていないから気づくことができた。秋葉市の美しい空にふさわしくない汚点が浮かんでいる。真っ黒な翼を持つ化物が彼女の体をつかんで飛んでいる。

 あれはきっと日陰者だ。しかも黒いあざに反応しない新種。おそらく日が経って成長したせいで、より化物らしい見た目になったのだろう。

「麻衣ー!」

 大きな声で呼びかけるが、おそらくこちらの声は届いていないだろう。化物と彼女の体は、どんどん小さくなっていく。少しずつ距離が離れていっている。だが、まだ僕の目で見える。神代はまだ戻ってこないが、待っていられない。そう思った瞬間、すでに走り出していた。

 それでも空を飛ぶ日陰者との距離は縮まらない。それどころか彼らの姿はどんどん小さくなり、距離がさらに離れていってしまう。ここで影の盾を出しても可動範囲が狭すぎて攻撃は届かない。

 こちらにもなにか空を飛ぶ手段があればいいのだが……。



「そうだ! 影の盾!」

 たしかに邪行の影の力には可動範囲がある。自分を中心にして数メートルまでしか盾を動かすことができない。だがそれなら自分もいっしょに動けば可動範囲はどんどん広くなっていく。

 僕は水平に浮かせた影の盾に乗って空を飛ぶ。地面がどんどん離れていく。少しでもバランスを崩したら真っ逆さまに落ちてしまう。下を見るだけでも想像するだけでも恐ろしい。

「麻衣ー!」

 日陰者の飛ぶ速さが少しずつ増していく。僕も速度を上げて追いかける。

「待て!」

 日陰者は急に方向転換して下に向かって飛んでいく。その先にはすでに使われていないはずの工場があった。昨夜は鍵がかけられていた扉が今はなぜか開いている。真っ黒な翼を持った日陰者は、麻衣を抱えたままその中に入っていく。



 怪しい。絶対になにかある。

 だがここで待っていても意味がない。僕は盾に乗ったまま工場の中へ突入する。

 工場の中は空っぽだった。以前はなにかを作る機械や道具が置かれていたのだろう。地面や壁には、重いものを引きずった跡や黒ずんだ汚れが出ている。

 今は窓から差し込む月明かりでかろうじて見えているが、日陰者も麻衣の姿もない。月の光が届かない奥に隠れているのか。

「麻衣! どこだ! 返事してくれ!」

 盾から降りて周囲を警戒しながら一歩ずつ自分の足で進んでいく。



 突如、背後から大きな音がする。気づけば工場の扉が閉められていた。

 その時、暗がりから黒い物体が飛び上がった。黒い翼の日陰者だ。麻衣も抱えられている。泣きながら必死に助けを呼ぼうとしているが、黒い手で口を押さえられてしまっている。

「その汚い手を離せ!」

 空に浮かぶ不気味な黒い物体に向かって叫んだ。神代の話によれば日陰者は日を追うごとに成長し、知能も上がり化物らしい姿や能力を得ていくらしい。翼は生えているが、体はまだ人間に近い。それならまだ聞く耳を持っていないだろうかと淡い期待を抱く。だが……。

「バカか」

 男とも女ともつかない無機質な罵声が工場内に響く。その声には聞き覚えがある。

 暗がりに目を向けると、黒いマントをまとった少女がゆっくりと歩いてくる。その姿にも見覚えがある。同時に、両手首の黒いあざが痛みだした。この痛みには嫌というほど覚えがある。

「魔!」

 僕の口から少女の姿をした化物の名がもれる。

「その変なものを引っ込めろ。さもなければあの娘を殺す」

 魔が感情のこもっていない表情と声で告げる。

 僕はすぐに能力を解除する。ここで交渉しても意味がないと思ったから。

「また実験か? 今度はなにをする気だ」

 麻衣の命は魔の機嫌次第だ。できるだけ奴の機嫌を損ねないように尋ねる。

「バカか。お前に話すわけがないだろう」

 感情のこもっていない罵声が届く。

 奴は興味を失った瞬間や無駄だとわかったら麻衣を開放するはず。

 大丈夫。チャンスはきっとある。その瞬間を見逃さないように慎重に行動しよう。

「お前の実験には千日紅の人間が必要なのか。それなら、その子はやめておいた方がいい」

「なんだ。どういう意味だ。教えろバカ。すぐ教えろバカ。さもなければ……」

 その子は千日紅の力を使えないなんて言えるわけがない。僕は顔を背ける。

 その時、魔が麻衣の右手を見る。そして彼岸花の紋様を見て顔をしかめた。

「バカか。おい、そいつは用済みだ。捨ててしまえ」

 魔の無感情で無機質な声が発せられ、日陰者の手から離れた麻衣の体がゆっくりと落ちていく。



 いつものように邪行の影の力を発動したら影の盾は自分のすぐそばに出現する。だがそれでは間に合わない。助ける前に麻衣の体は地面に叩きつけられてしまう。

 あの時、秋葉山で騙り部を守った時のように、自分の願った場所に出すことができれば……。

「影の盾! 麻衣を守れ!」

 成功するかどうかわからなかったが、影の盾は期待通りの仕事をこなしてくれた。

 恐怖と不安のあまり放心状態にある麻衣を盾に乗せたまますぐこちらに引き寄せる。

「もう大丈夫。これからは僕が守るから」

 僕の口から根拠のない言葉がどんどん出ていく。

 麻衣の目には今も涙があふれ続け、ほおを伝ってあごへと流れ、アスファルトがむき出しの地面に落ちていく。それでも彼女は、ゆっくりと小さくうなずいてくれた。



「バカめ。逃げられると思っているのか。お前らにはここで死んでもらう」

 魔は相変わらずバカの一つ覚えのように罵声を浴びせてくる。

「知らないのか? 人間には火事場の馬鹿力という言葉があるんだ。人間をなめるな!」

 その瞬間を狙っていたかのように黒い翼を持つ日陰者が急降下してくる。それを見た麻衣は小さな悲鳴をあげる。

 日陰者の体はまだ人間のものに近い。昨夜戦った奴のように手が刃物のような鋭いものではない。それなら、このまま勢いよく突っ込んでくるつもりだろう。

 僕は向かってくる日陰者を盾で受け流す。奴は勢いそのままに地面にぶつかった。すかさず影の盾を動かして叩き潰そうとするが、再び黒い翼を羽ばたかせて飛んで逃げられてしまった。

 問題ない。むしろ最初の攻撃を防ぐことができたのは大きな成果だ。麻衣の不安を解消できるし、僕の自信にもつながる。

 影が実体化した化物、日陰者に痛覚があるのかわからなかった。だが、翼の動きや飛んでいる高さを見ると、先ほどよりも明らかに疲弊していることがわかる。

 これならいける……!



「キサラギさん! 危ないっ!」

 上着の裾を思いきり引っぱられて体勢を崩される。

「麻衣! なにを……いたぁッ‼」

 そこでようやく気がついた。

 敵は黒い翼の日陰者と魔の二体だけではないということに。

 何者かに左の脇腹を斬られた。黒い刃物を持った小さな日陰者が逃げていくのが見えた。

 おそらく工場の出入口の扉を閉めたのも奴だろう。まるで悪いことをしてしまって怒られると思って逃げていく子どものように見える。

 黒いあざに反応はない。あいつも新種の日陰者か。

「キサラギさん!」

 小さな麻衣が大きな僕を必死に支えようとしてくれている。

 彼女がいち早く危険に気づいてくれたおかげで傷は深くない。左手で斬られたところを押さえると濡れている。傷口を見るのは怖いが、上着はどんどん赤く染まっていくのがわかった。

「ごめんなさい……。私がもっと早く気づいていたら……」

 麻衣は悪くない。悪いのは僕だ。

 僕が守るなんて調子のいいことを言っておいてこのまま終わるわけにはいかない。

 黒い翼の日陰者が体勢を整えて再び急降下してくる。僕は痛みに耐えながら盾を動かした。声に出さなくても念じるだけでいい。だが痛みのせいで上手く命令が伝わらない。先ほどとは違って完全に受け流すことができず、危うく攻撃をもろに受けるところだった。

「キサラギさん! また攻撃がきます!」

 月の光が届かない暗がりに移動していた魔が黒い刃物を投げてきた。すぐさま盾を動かして防ぐ。息つく暇さえ与えないという攻撃。ここで絶対に殺すという意志を感じる。

「麻衣……ありがとう……」

 次の攻撃に備えながら感謝の言葉を告げる。黒い翼の日陰者も魔もいつ攻撃してくるかわからない。子どものように小さな日陰者も暗がりに隠れて再び機会を狙っている可能性もある。

 一瞬たりとも気が抜けない状況だからこそ、今のうちに言っておかないといけないと思った。

「すみません……。私はなにもできなくて……。キサラギさんのお役に立てません……」

 そんなことはない。もし今の状況で僕一人だったらとっくに殺されてしまっていた。

 けれど麻衣がいてくれたから致命傷を避けることができた。

 先ほどの魔の攻撃だって彼女が教えてくれなかったら危うくまともに食らってしまうところだった。

「謝らなくていいよ……。麻衣はなにも……悪いこと……してないんだから……。麻衣が……いてくれたから……今こうして立っていられるんだから……ね?」

 血を出しすぎたせいで頭がまともに動かない。

 全身が震えるほど寒くて仕方がない。

「キサラギさん! しっかりしてください!」

 その呼びかけにハッと意識を取り戻す。

 危なかった。数秒ほど立ったまま意識を失っていた。

 しかし、このままだとまずい。

 すぐにでも脇腹の出血をどうにかしないと僕も麻衣も殺される。

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