第21話 紋様

 インターホンが鳴ったので玄関へ向かうと二人の女の子が並んで立っている。

 互いに色違いのスカートを履いているからか、本物の姉妹のように見えた。

 神代は灰色のブラウスと黒いスカートで落ち着いた色合いでまとめている。麻衣は水色のニットカーディガンと白いスカートを合わせている。二人とも似合っていると思った。

「おはようございます。今日は私のためにお家を貸してくださってありがとうございます」

 声は小さいが、落ち着いた調子で礼儀正しくあいさつする千日紅の赤羽麻衣。

「お、お邪魔します……です。よ、よろしくお願いします……です」

 声が小さく、ひどく緊張した様子でぎこちないあいさつをする邪行の神代朝日。

「いらっしゃい。今は僕以外住んでいないから気にしないで大丈夫だよ」

「ひゃ、ひゃい!」

 僕の共犯者は時々おかしい。麻衣も苦笑している。

 まったく、これではどちらが年上で年下かわからない。



 二人を連れて廊下を歩いている時、仏壇のある部屋のふすまを閉め忘れていたことに気づく。

 すぐに閉めて居間へ案内しようとしたところに神代が声をかけてくる。

「ねぇ真木野。お線香をあげさせてもらってもいいかな?」

「……うん」

 同級生の女子と女子中学生が仏壇の前で拝んでいる姿を見るのは不思議な感覚だ。二人ともきちんと正座して目を閉じて手を合わせてくれている。

 それが終わると神代が麻衣に声をかけて鞄からなにかを取り出させている。

「『三色だんご』です。お仏壇にお供えしてください」

「ありがとう。祖父の大好物だよ。お供えしてからみんなでいただこうか」

 それは祖父を含め家族全員の大好物の和菓子だった。小さな箱に一口大のサイコロ型の餅が敷きつめられ、その上にこしあん、白あん、ごまが載せられている。

 祖父は散歩に出かけるといつも買ってきてくれた。そういえば祖父が亡くなってからは一度も食べていない。



 二人には庭が見られる縁側に移動してもらって僕はお茶の支度をする。急須に緑茶の葉を入れてポットのお湯を注ぐ。その間に三色だんごを三人分の皿に取り分けておき、三人分の湯呑を温めてからお茶を注ぐ。だんごの甘い香りと緑茶の匂いが懐かしくて目頭が熱くなる。

「真木野。なにか手伝おうか?」

 急に神代が台所に入ってきたのであわてて背を向ける。それから返事をする。

「いや……大丈夫だよ。すぐに……行くよ」

「……そっか。でも、ゆっくりでいいよ。危ないからゆっくり来てね」

 なにも聞かずに察してくれた共犯者に感謝である。

 彼女の言いつけ通り、お盆に載せてゆっくりと運ぶ。

 客人たちは、縁側に座ってスカートから出た脚を伸ばしてくつろいでくれていた。

 それを見て、なんとなく気持ちが落ち着いた。

 二人に三色だんごと緑茶を渡し、僕も縁側に足を投げ出すようにして座る。

 みんなで食べるおやつは辛いことを忘れさせてくれるくらい、とてもおいしかった。



 僕たちは昨夜の話の続きをする。

「麻衣ちゃんは、その右手の能力を使いこなせるようになりたいんだよね?」

「はい。初めて使った時にビックリして、それ以来怖くて使ってないですけど……」

「そりゃ急に火が出たら怖いよね。それでも麻衣は、がんばると決めたんだね」

「正直、今も怖いです。でも私は、この力に向き合わないとダメな気がするんです……」

 麻衣の声はいつもと同じく小さい。けれど彼女の表情はとても真剣だった。

 昨夜、0番街の裏通りにある駄菓子屋で麻衣はひとしきり泣いた後に言った。

 自分の右手に宿る、燃やす力を使いこなせるようになりたい――と。

 今は常に手袋をはめて生活しているが、ついうっかり紋様を刻印して燃やしてしまうのが怖いらしい。そんなもしものことが起きる前に自分の力を制御できるようにしたいと言ってきた。

「麻衣ちゃんのやる気はよくわかった。そういうことなら私たちに任せて!」

 神代は朝日という名前に負けないくらい明るい表情と声で語りかける。

「僕も能力のことは詳しくないけど、できるだけのことは協力するから。なんでも言ってよ」

「はい。よろしくお願いします」

 麻衣は少しだけ笑みを見せながら小さな声で決意を表す。



 右手にはめられている赤い手袋をゆっくりと外す。手の甲には、彼女の家を表す屋号【千日紅】とは異なる紋様が刻まれている。

 同じ赤い花でも種類が異なる。その花の名は……彼岸花。

「とりあえず燃えやすいものを用意しておいたよ。あと、もしもの時のために消火用の水も」

 庭先に白い紙、木の枝、着られなくなったワイシャツなどが置いてある。

 麻衣はひどく辛そうな表情をしながら地面に置いた紙に手を近づける。なにも言わずにしばらくそのまま手を当て続ける。そしてゆっくりと手を離した。

 僕と神代が白い紙に彼岸花の紋様が刻印されたかどうか確認する。だが、まったく見えない。おそらく失敗だろう。

「じゃあ、こっちはどうかな」

 そう言って木の枝を渡してみる。麻衣はそれを左手で受け取り、また辛そうな表情を見せながら右手で握る。今回もしばらくそのままの状態にして離したところを僕と神代が確認する。だが今回もまた紋様が刻印されているようには見えない。

 最初の白い紙と今の木の枝、二回の実験でわかったことがある。それは……。

「麻衣は刻印する場所を見ていないね」

「やっぱり怖い?」

「はい……。すみません……」

「謝ることじゃないよ。始めたばかりだからゆっくり慣れていけばいこう」

「麻衣ちゃんは火を見るのが怖いんじゃなくて、手の甲の紋様を見るのが怖いんじゃないかな」

「はい。千日紅の能力を使う時は必ず刻印する場所を集中して見ていないといけません。間違った場所に刻印しても自分の意志で消せますが、気力や体力を無駄に消費してしまいます。私も最初はじっと見ているんですが、どうしても初めての日のことを思い出してしまって……」

 落胆しているが、能力が上手く使えない原因の一つを見つけることができたので一歩前進だ。



「そうだ麻衣ちゃん。右手で能力を使う時、左手で紋様を隠して使ってみたらどうかな?」

 その意見を聞いた麻衣はすぐに試してみる。地面に置かれた白い紙に右手を置いて、その上に左手をかざす。そうすることで真っ赤な彼岸花の紋様は見えなくなってしまう。そのまま隠した状態でじっと白い紙を見続ける。今回は集中していてまったく視線を外そうとしない。

 しばらくして紙から手を離す。僕と神代がそれを拾って確認するとそこには……。

「あ、出てる! 出てるよ、麻衣ちゃん!」

「本当だ! すごい! 紋様が刻印されてる!」

 本人にもその紙を見せる。だが麻衣は、うれしいような悲しいような複雑な表情を見せた。

 成功したのだからもっとうれしそうな顔を見せると思ったから意外だった。

「すみません……。私、やっぱり彼岸花って苦手です……」

「そうなの?」

「彼岸花は赤羽家にとって不吉な花だと昔から教えられてきました。秋に外出する時には絶対に見ないように触れないようにと言いつけられています。もし赤羽家の庭に咲いてしまったらすぐに根っこから引き抜かれます。そんな花が自分の右手にあると思ったら……」

 なんと声をかけたらいいか悩んでいるところに神代が優しい声で語りかける。

「麻衣ちゃんは彼岸花の別名は知っていたけど、彼岸花の花言葉は知ってる?」

「いえ、知りません」

「彼岸花の花言葉は、情熱、独立、再会、また会う日を楽しみに、っていうんだよ」

「……すごいです。まったく知りませんでした」

「すごいよね。だから私は彼岸花って好きだよ。とてもすてきな花だと思うもの」

 神代は優しい笑みを浮かべながら伝える。

 上手い。花に詳しい彼女なりの励まし方だ。



「それから千日紅も彼岸花も同じ赤色だよね。赤は邪気や悪いものを払ってくれる色だよ。だから麻衣ちゃんの右手の彼岸花も、きっと悪いものを防いだり守ってくれたりすると思うよ」

 神代の語り口は、親が子に物語を読んでいるかのようだった。優しくて思いやりのある彼女らしさが声にも表れていると思った。けれど麻衣の表情にはなかなか晴れてくれない。

「赤色の意味は本家にいた頃にも母から教えてもらったことがあるから知っています。でも、千日紅の赤と彼岸花の赤はやっぱり違います。赤色は悪いものから人を遠ざけてくれますが、今の赤羽家にとっての悪いものは、私なんじゃないでしょうか」

「大切な家族と離れるのは辛いよね。悲しいよね。苦しいよね。私もその気持ち、わかるよ。痛いほどよくわかるよ。そしてその気持ちは真木野もわかっていると思う」

 神代はこちらに申し訳なさそうな視線を送る。僕は黙ってうなずく。

「こんなこと言って怒らないでほしいんだけど、私は麻衣ちゃんがうらやましい。だって麻衣ちゃんはお母さんもお父さんも電車で会いに行ける距離にいるんだもの……」

「あっ……」

 麻衣は気づいたような声をもらす。

 神代の父親がすでにこの世を去っていることを思い出したのだろう。どのようにして殺されたのかも知っているはずだ。

「ごめんなさい……。ジャックさんの方が私なんかよりずっと辛いはずなのに……」

「待って待って。他人の痛みと自分の痛みを比べたらダメ。私も辛いし麻衣ちゃんも辛い。だけど私が言いたいのはそういうことじゃない。会いに行きたかったら会いに行こうよ」

「でも、私は赤羽の本家を追い出された身だから……」

「そんなの関係ない。会える時に会って話せる時に話しておかないとダメだよ」

 神代の言う通りだ。彼女はその辛さをわかっているし、僕もまた痛いほどよくわかっている。

 そのことは頭の良い麻衣はすぐに理解してくれた。けれど彼女の答えは意外なものだった。

「すみません。ダメです。今はまだダメなんです」

 麻衣はうつむきながら小さい声で話す。

「私、この能力をちゃんと使いこなせるようになってから会いに行きます。それから伝えます。不吉な能力なんかじゃなくて誰かのための役に立つ、すてきな能力なんだって伝えます」

 そこで顔を上げた麻衣の表情は、とても明るくて清々しいものになっていた。



「そうだね。こんなにきれいな花の紋様なんだから。隠しているのはもったいないよ。この手首の黒いあざも麻衣のようにきれいな紋様だったらよかったのになぁ」

 あ、まずい。言い終えてから気がついた。

 なにかをほめる時になにかを貶してはいけない。

 そんな当たり前で大事なことを忘れてしまっていた。だが訂正するにはもう遅かった。

「そっか。真木野は邪行の黒いあざをそういう風に思ってたんだ」

 僕の手を悪に染めさせた邪行の共犯者が静かに怒っている。

「ご、ごめん。神代。そんなつもりで言ったんじゃないんだよ。そうじゃなくて……」

「気にしなくていいよー。こんな黒くて汚いあざのある女は嫌だよねー。そうだよねー」

「そんなこと思ってないから。正直、神代はすごくいいなぁと思ってるよ。本当だよ?」

「ひゃっ!? ま、真木野は、わ、私の、こと、そ、そんな風にお、思ってたの?」

「あの、キサラギさんとジャックさんって……付き合ってるんですか?」

「ひゃいっ!」

 落ち着いて神代。

 その驚き方だと付き合っているみたいな返答に聞こえるから。

「僕たちはただの共犯関係だよ。神代が校内掲示板に共犯者募集のチラシを貼っていて、それを僕が偶然見つけたんだ。その後、日陰者に襲われたところを助けてもらって共犯者になった。もし僕より先に貼り紙を見つけた人がいたら別の人が共犯者になっていたんじゃないかな」

「そうなんですか。それでも……」

 その時の麻衣の声は、いつも以上に小さくて聞き取ることができなかった。

 急に目がしみて、鼻先に煙の臭いがかすめる。

 なにかと思ったら白い紙が燃えていた。

「やばい! 水! 水!」

「真木野! どいて!」

 あわてる僕をよそに落ち着きはらった神代が用意していたバケツの水を思いきりぶっかける。

「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」

 消火活動を終えると同時に麻衣が頭を何度も下げて謝ってくる。

 その顔は本当に火事でも起きたのかと思うほど真っ赤に燃えあがっている。

「神代がなんとかしてくれたから大丈夫だよ。それより麻衣は火傷してない?」

「私は大丈夫です。すみません……私の能力が原因ですよね……」

 まずい。このまま罪悪感を抱えた状態で終えるわけにはいかない。

 このままではもう二度と能力を使わなくなってしまうかもしれない。

 せっかくやる気になっているというのにそれはいけない。

 そこに神代の手がサッと麻衣の頭へ伸びていく。そのまま髪をくしゃくしゃになでまわしながらほめる。

「すごいすごい! 麻衣ちゃんすごいよ! あんなに怖がっていたのにちゃんと能力を発動できたんだね! すごい! ねぇ、真木野もそう思わない? 麻衣ちゃんはすごいよね?」

 神代が目配せしてくる。その意図は、こちらにもしっかりと伝わっている。

「うん、すごいよ! 麻衣はすごい! さっきのどうやったの? もう一度できる?」

 神代も僕と同じことを考えていた。ここで麻衣の中に能力を使うことへの苦手意識や抵抗感が生まれてしまったら、もう二度と能力を使わないという恐れがある。それどころか、僕たちとの交流もしなくなってしまうかもしれない。それだけは絶対に避けておきたい。

「あの、その……すみません。気を抜いたらいつの間にか……すみません……」

「じゃあ、もう一度やってみようか。紙ならいくらでもあるし、火が出たら水をかければいい」

「そうだね。さっきの感覚を忘れないうちにもう一度やってみようか。それから麻衣ちゃん。悪いことはしていないんだから、すみませんなんて……何度も謝らなくていいからね?」

 僕と神代は、麻衣が火災のことを考える暇さえ与えない。

 そうすることで能力を使うことに集中できる環境を作ってやる。

「すみま……いえ、ありがとうございます」



 その後も休憩をはさみながら麻衣が能力を使えるようになるための練習をした。

 しかし残念ながらそれ以降は火が出ることはおろか、紋様が刻印されることもなくなってしまう。

「もう一度……もう一度お願いします。なにかコツを……つかめそうな気がするんです……」

 麻衣は真剣な表情で右手を紙の上に置くと、一点を凝視して紋様を刻もうとする。

「麻衣ちゃん。その能力に技名を付けてみようか。技名を言ってから使ったらどうかな?」

「そういえばお二人も叫んでいましたね」

「僕も最初は恥ずかしかったけど、叫ぶことで気分が高揚して能力が成長した気がするよ」

 麻衣は紙の上に手を置いた状態で考え始める。なにかいい名前が見つかるといいのだけれど。



 西の空を見ると少しずつ太陽が落ちていることに気がつく。今日もこれから秋葉山で騙り部との特訓が待っている。そろそろ準備をしてみんなで向かった方がいいと提案する。

「そうだ。出発する前に麻衣が見たがっていたうちの家宝の鏡を見せてあげるよ」

「本当ですか? ぜひお願いします!」

 早速、神棚の前へ案内する。僕たち三人は並んで立ち、柏手を二回打ってから手を合わせて拝む。

 化物が現れませんように、とダメもとでお願いしておいた。

 横にいる神代や麻衣を見ると、二人とも珍しいものを見るように目をキラキラとさせている。

「わぁ。これがあの……如月の鏡なんですね……」

「うん。だけど汚いよね?」

 鏡を掘り出した先祖は「その輝き月の如し」と言ったそうだが、今ではその輝きは失われてしまっている。今日も乾いた布で何度もふいたのだが、汚れは少しも落ちてくれなかった。

「そんなことありません。こうして見られただけでもうれしいです」

 麻衣がうれしそうな笑みを浮かべながら神棚に置かれた鏡を見つめる。



 神棚の鏡を拝むという日課は終わった。それからもう一つの日課をこなすため、イスに乗って神棚から鏡を取り出す。それを麻衣に渡すと、先ほどよりも目をキラキラさせて眺めている。特に裏面に施された複雑な紋様に興味があるようだった。

「不思議な紋様ですね。どんな意味があるのでしょうか」

「僕も気になってるんだけど、わからないんだ」

 秋葉市の歴史に詳しい騙り部の古津詩さんや何千年と生き続けている化物の名無しさんならなにか知っているだろうか。鏡は神代の手に渡り、じっと見ながらつぶやいた。

「そういえば鏡も昔から邪気を防いだり払ったり封じ込めたりする力があるんだよね」

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