第19話 襲撃

「悔しい」

 僕と神代の声がちょうど重なる。

「はあ……」

 その後についた大きなため息も同じく重なった。

「お二人とも大丈夫ですか?」

 麻衣が僕らの落胆ぶりを心配して声をかけてくれた

「あ、ごめん麻衣ちゃん。私たちの特訓に付き合ったせいでこんな遅くになっちゃったね」

「いえ、私が騙り部さんに特訓に参加したいと頼んだので」

 麻衣はまた小さな声でそれだけ言うと黙り込んでしまった。



 現在の時刻は午後九時頃。

 僕は気力体力がなくなるまで特訓を続けるつもりだったが、もし日陰者や魔が出たら対処できないと困るということで解散することになった。騙り部は調べたいことがあるという理由ですぐに別れた。

 僕らは麻衣を家に送っているところだ。もう少し歩けば0番線商店街も見える。そうしたら駄菓子屋で休ませてもらおう。

「ねぇ、キサラギ。あの人」

 神代が指さした先には秋葉駅前交番に勤務する横田がいた。今日もまじめに仕事中らしい。

 だがこんな時間に女子中学生といっしょにいるところを見られるのはまずい。どうか見つかりませんように、と強く願った。

 願いが通じたのか、それとも単に急いでいたのか、横田は自転車に乗ってどこかへ行ってしまう。

 安堵のため息が口からもれた。けれど神代は険しい表情を崩さない。

「どうかしたの?」

「あの人がさっき出てきたところ、少し気になるの」

 今歩いている道を脇に外れて進んだ先には工場がある。会社が倒産してからは売地となっていたはずだ。

 昼間は子どもの遊び場、夜は不良のたまり場になっているとも聞く。僕はそのことを知らずにうっかり道を外れてしまったことがある。そのせいで不良に囲まれてカツアゲされるという嫌な思い出がある。

 しかし、それがきっかけで横田と知り合って仲良くなることになった。なんだか複雑な気持ちになる場所だ。

「ちょっと行ってみない?」 

 神代が脇道を指さして聞いてくる。思わず僕は顔をしかめる。

「ダメかな?」

「いいけど、なにもなかったらすぐに帰るよ」

「わ、私もいっしょに行きます」

 突然、麻衣が発言する。いつもの小さな声よりも少しだけ大きめの声を発していた。

「うん。このまま一人で残すのは危ないから、少しだけ付き合ってくれる?」

「はい。よろしくお願いします」



 僕を先頭にして麻衣と神代が並んで脇道へ入っていく。暗くてわかりにくいが足元は砂利道だ。石や砂を踏みしめる感覚が靴の裏から伝わってくる。うっかり転んでしまわないように気をつけて歩く。

「今日は月がきれいだなぁ。その輝き月の如し……なんてね」

 暗い道を黙って歩くのは不安になってくる。なんとなく独り言をつぶやいた。

「もしかしてキサラギさんって……鏡を家宝にしている、あの如月さんですか?」

 おとなしい麻衣が自分から話しかけてくるとは思わなかった。

 それ以上に僕の家のことを知っていることに驚いた。

 隣の五泉市で生まれ育ったはずなのに、どうして知っているのだろう。

「すみません。赤羽の本家にいた頃、書庫にあった本を読んで知ったんです。秋葉市には、きれいな鏡を家宝としていう如月という家があるって。それで気になって聞いちゃいました」

「そうなんだ。今の鏡はきれいとは言いにくいけど、神棚に置いてあるよ。でも、すごいね。そんな昔のことが書かれている本を中学生で読めるんだね。麻衣は頭がいいんだ」

「私、友達がいないから本を読む以外の趣味がないんです……ってあの、どうかしました?」

「ううん……なんでもないよ……。今度うちに遊びにおいでよ。鏡を見せてあげるから」



 そうこうしているうちに廃工場までやってきた。

 月に照らされて大きな建物の影が不気味に映し出される。付近には食べ物のゴミや家庭ゴミ、粗大ゴミが捨てられている。おそらく横田は、これらのゴミをどうするか確認するために来たのではないか。

「待って。中に入ってみよう」

 神代が正面の扉に近づいていく。

 何年も放置されているせいで表面の塗装がはがれて赤黒いさびが浮き出ている。それでも鎖や錠前のような物々しい戸締りはされていない。

「開けるよ?」

 神代が扉に手をかけて力を入れるが、扉はまったく開く気配がない。代わりに僕が開けようと力を入れても結果は同じことだった。押しても引いても横に動かしてもびくともしない。

 諦めて帰ろうとした時、扉に映る影が増えていることに気づいた。

 僕と神代と麻衣の三人の他にもう一つ大きな影がある。これは……。



「影の盾!」

 振り向きざまに能力を発動した。

 その瞬間、鋭利な刃物で斬られるような音がする。耳をつんざく嫌な音だ。神代も麻衣も背後から迫る危機に気づく。

「麻衣は僕の後ろへ! ジャックは手を!」

 僕は左手を差し出す。神代の右手と繋がり、ただちに悪喰を発動させる。

 盾を挟んで向こう側にいるのは、黒い影が人の姿をした化物の日陰者だ。

 だがそれは、もはや人の姿を保っていない。大きさは普通の成人男性ほどで手にあたる部分が鎌のようになっている。まるでカマキリのようだと思った。

 おそらくこれが神代の言っていた日が経って成長した日陰者の姿だろう。たしかにこんなのと戦うのは恐ろしいし、命を落とす危険性が高いだろう。

「なんでこんなに成長するまで気づかなかったの。どうしてこんな至近距離にいるのに黒いあざが痛くならないの。なにこれ。こいつも新種の日陰者?」

 神代の声には緊張と困惑の色が見えた。だが僕も同じことを考えていた。

 悪に手を染めて邪行の力を手に入れた人間は、両手首に黒いあざができる。その黒いあざは魔や日陰者が街中に現れるとおおまかな位置を知ることができると聞いている。

 しかし、昨日も今日もあざは痛くなっていない。目の前にいる日陰者と戦っている今現在も痛みはまったくない。

「ジャック。どうする?」

「もちろんここで倒す!」

 もしもこいつを生け捕りにすることができたら、新種の日陰者や新種の魔について探ることができるかもしれない。だが、失敗したら麻衣に危険がおよぶと思って僕もその考えに従う。



 日陰者が神代の方に回りこんで右手の大きな鎌を振り上げる。そう簡単に攻撃させるわけにはいかない。すぐに盾を動かして防いで勢いそのままにぶつける。

 日陰者は地面が砂利道のせいで足のふんばりが効かずに背中から転倒する。

「悪喰! 残さず食べなさい!」

 頼りになる共犯者は、狙いすましていたかのように悪喰に命令する。黒い球体の化物は、目のくぼんだ部分を光らせて飛んでいく。そして大きな口を開けて鋭い牙で丸かじりする。そのままどこにつながっているのかわからない口内の闇へと飲み込んでしまう。

「ごめん。少し食べ残した。完全に消えるまで影の盾は出しておいて」

 鎌を持つ姿をした日陰者はほとんど消滅している。残すのは左手の鎌だけ。それでも化物だ。手負いの獣でも死ぬ間際に力を振りしぼって相手にかみつく奴がいると聞く。

 僕は盾を正面に置いたまま警戒する。そのうち左の鎌を形成していた影も霧状になって消えていく。これで完全に消えたら悪玉だけがこの場に残る。

 そう思っていた矢先、鎌が空を飛ぶ。それはブーメランのように弧を描いて襲いかかってくる。

 悪喰が大口を開けて食らいつくが、外してしまう。僕もすでに軌道を読んで盾を動かしている。

 だが急な突風のせいでズレた。僕を狙っていたはずの鎌は、その後ろにいる麻衣めがけて飛んでくる。彼女はおぞましい化物を目の当たりにした恐怖で足がすくんでいる。

「危ないっ!」

 振り返ると同時に麻衣を突き飛ばす。彼女は砂利道に尻もちをついて回避することができた。直後、僕の右腕を掠めるようにして鎌が飛んでいく。まさしく危機一髪だった。

「キサラギ! 麻衣ちゃん!」

 神代は周囲を警戒しつつ声だけで尋ねる。

 麻衣は恐怖で震えて返答できないが、問題なさそうだ。僕と合わせて大丈夫だと答える。

「ここは危険だから先に移動しよう。麻衣ちゃん大丈夫? 立てる?」

 麻衣はまだ放心状態で返事ができない。あんな化物に襲われたのだから無理もない。

「ちょっとごめんね。少し開けた場所に行ったら下ろすから。それまで我慢していて」

 僕は先に謝っておいて麻衣をおんぶする。神代よりも小柄なので難なく背負うことができた。

 影の盾を出したまま、周囲を警戒しながら来た道を戻っていく。

 黒いあざに反応はないが、また新種の日陰者が現れたら意味がない。まったく新種という奴は厄介だ。



 街灯が等間隔に並び、車の通りもある通りまで戻ってきたところで痛みが走った。手首の黒いあざが痛んだのかと思ったが、神代はなにも感じていない様子だ。ということは僕の右腕か。

 傷は浅いといいのだが……。

 少し歩いた先にベンチがあったので麻衣をそこに下ろす。

「キサラギさん……すみませんでした……本当にすみませんでした……」

 そこでようやく麻衣が口を開いた。けれど、まだ手足や肩が小さく震えているのがわかる。

「ここまで離れたらもう大丈夫だよ。」

 そう言いつつ周囲を警戒して見まわす。街灯の並ぶ通りを普通の人間たちが歩き、道路を自動車やバイクが走っていくだけだ。

「キサラギ。早く右腕を見せて」

 神代は上着の袖をめくって僕の右腕の状態をすぐに確認する。そこには薄皮一枚切られた痕があるだけで出血は見られない。

「よかった。キサラギになにかあったら私……。本当によかったぁ」

 神代がとても心配してくれていることが伝わってくる。腕の傷と胸の奥がむずがゆい。

「だけど応急処置くらいはしておこうか。ねぇ麻衣ちゃん。千日紅の力を借りられない?」

 ベンチでうなだれている麻衣に声をかける。

 だが反応はない。

 手編みの手袋をした両手を組んで外そうとしない。

 僕も神代も首をかしげる。もしかしてお金の問題かな?

「お金のことなら大丈夫だよ。どんなに高くてもちゃんと払うから」

 それを聞いた彼女はビクッと体を震わせる。

「すみません……私は……」

 途中まで言いかけてやめる。それから手袋をはめた両手を組み合わせて考え込む。

 なにか言えない事情があるのだと僕も神代も察する。

 僕たちキサラギジャックは悪に手を染めているが、心まで悪に染めたつもりはない。

 話したくないことを無理に話させることも、聞かれたくない話を無理に聞こうとも思わない。

 そのことを伝えると、彼女は深刻そうな表情を浮かべて首を大きく横に振る。そして……。

「すみません……私は……千日紅の力が使えないんです……」

 麻衣が右手の手袋を外す。

 その手の甲には――千日紅とは異なる紋様があった。

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