第18話 特訓
「さて、こちらもそろそろ始めようか。ルールは簡単。君が私の体に触れることができたら勝ち。触りたいところを触っていいよ。あんなところやこんなところ、君の好きにしていいんだ」
騙り部は、ニヤニヤと笑ってその大きな胸を強調してくる。
このセクハラ発言も戦術の一つだろう。普段との差異がほとんどないからわかりにくいが、ここで動揺してしまったら相手の術中にはまってしまう。
「そんな格好で大丈夫なんですか? もっと動きやすい服装に変えた方が……」
「ここは山の中だけど私にとっては庭みたいなものだからね。なにも心配いらないよ」
これは騙り部なりの挑発と受け取っておこう。いいからさっさと攻撃してこい、と。
挑発に乗るのは得策ではないが、動かなければ始まらないのであえて乗ることにする。
「出ろ! 影の盾!」
直径一メートルほどの黒い盾が現れる。あくまで盾は防具だが、騙り部に当てないよう寸止めすればいいだろう。
「うーん、その盾。まだ嘘をつかれているような気がするんだよなぁ。どうしてかなぁ」
騙り部は盾を見ながら首を傾げている。その手には、いつの間にか分厚い本が持たれていた。
あれは騙り部の能力、人間でも化物でも肉体を異世界に引きずり込んでしまう恐ろしい能力、三寸世界を創り出すための本だ。発動させるには準備が必要だが、発動されてしまったら最期、僕に勝ち目はない。
僕はすぐに影の盾に動くよう念じる。だが動き出した瞬間を見計らっていたかのように距離を取られてしまう。騙り部はそのまま本を開いて、美しい声で口上を述べ始める。
「千と一夜を明かしてみれども騙り尽くせぬこの世の嘘なら騙ってみせよう命尽きるまで。
舌先三寸、口八丁手八丁、この世に騙れぬものはない。騙り部一門ここにあり」
まずい。これは三寸世界を発動させた時と同じ、最初に述べられていた口上だ。このまま続きを述べさせてはいけない。
騙り部は、本で顔の下半分を隠しながら笑い声をあげる。
「ふふふ。そう。これは騙り部が最初に述べる『始まりの口上』という。これは初代騙り部の言語朗とその妻が婚姻の儀を結んだ時に作ったと言われているんだよ。うふふ」
僕は無心で影の盾を操作するが、騙り部の体にはかすりもしない。
当てないようにとか寸止めとかそんなことを考えていてはダメだ。
そもそもそんな考えを持つことがいけなかった。
きっと戦いが始まる前からそう思考するように誘導されていたのだ。
歩きにくい山中であえてスカートを履いてきたり、豊かな胸を見せて女性らしさを強調したり、自分のことを偽姉と呼ばせたり、古い本だけを持って無防備を装ったり、それらはすべて騙り部による作戦だ。僕を油断させるための演出なのだ。
やられた……。
最初から僕は……騙り部の舌先で転がされていたのだ……。
僕は重要なことを忘れていた。僕はつい最近悪に手を染めてこの業界に入ったばかりの素人。
だが相手は、あの騙り部。ずっと昔からこの地で化物と戦い続けてきた伝説の存在。騙すことにかけては右に出る者がいない天才なのだから。
そんな相手に手加減して挑もうなんて思い上がりもいいところだ。自分の気力体力をすべて使い切るほどの全力で挑むべきだ。
「ふふふ。気づいた時にはもう遅い。騙り部のことをもっと知ってもらうよ」
思いきりぶつけるつもりで盾を飛ばすが、騙り部は本を開いたままの状態で避ける。その軽やかな身のこなしは、昨夜の化け猿の戦闘とまったく同じだった。すべての攻撃をぎりぎりでかわすことでこちらに不安を与えてくる。
それでも僕は盾による攻撃を続ける。愚直に攻め続ける。
だが次第にどう攻めればいいのかという迷いが生まれ、このまま攻め続けて気力や体力が保つのかという不安も出てくる。
その瞬間を騙り部は見逃さなかった。
盾を避けると同時にしゃがみこみ、片手でなにかをつかんだ。
なにかする気だということはすぐにわかったので盾を戻す。だが、それより早く彼女はつかんだものをこちらに向けて投げつけてきた。
間に合わない。それなら手で防ぐ。だが片手では防ぎきれず、投げつけられたものが顔にぶつかる。
「うわっ!」
投げつけられた土が目や口に入る。目は開けられず、口に入った土を吐き出そうとしているうちに背後をとられた。
そして騙り部は艶っぽい声で、君の負けだよ、と耳元でささやいた。
悔しい。負けたことよりも、能力を使わせることすらできなかったことがとても悔しい。
「もう一度お願いします!」
すぐに再戦を申し出る。悔しさが諦めに変わる前に言わなければいけないと思ったから。
「キサラギはカッコイイなぁ。男の子と付き合うなら君がいいなぁ」
騙り部はまた本で顔を隠しながら上品な笑い声をあげる。
これも動揺を誘う心理戦術だろう。僕は大きな声で叫んだ。
「影の盾!」
その気持ちに応えるかのようにいつもより大きな盾が出てきた。
「あれあれ? いつもより大きいね? そっか。影の力だから大きさも変えられるんだ」
騙り部も驚くその大きさは、直径二メートルはゆうに超えている。すべてを押しつぶすことができるほど大きい。相手に威圧感を与えることも十分だ。
いける。これで一気に……。
「でも、そんなに大きな盾を出していいのかなぁ。私が距離をとったらどうするのかなぁ」
言い終えると同時に、騙り部は本を小脇に抱えて全速力で後ろに走りだす。
「クソッ!」
すぐ盾に彼女を追わせる。しかし、盾が大きくなったら当然重さも増す。その結果、動きが先ほどよりも悪くなる。そして騙り部は、盾の可動範囲の外に出て森に隠れてしまった。
「最悪だ……」
すべて騙り部の思い通りに動かされている。彼女は後ろの森へ逃げずに、そのまま前に走ってまた僕の背後を取ることもできたはず。けれどそれをしなかったのは、僕を成長させるため、失敗を学ばせるためだ。そしてなにより自分との圧倒的な力の差を見せつけるためだろう。
これは最悪な展開だ。それでも悔しいという気持ちまでなくしたら戦意もなくすことになる。それだけは絶対になくしてはいけない。僕は足を前に出して盾の可動範囲を広げる。
「千と一夜を明かしてみれども騙り尽くせぬこの世の嘘なら騙ってみせよう命尽きるまで。
舌先三寸、口八丁手八丁、この世に騙れぬものはない。騙り部一門ここにあり」
森の奥から美しい声が聞こえてくる。
騙り部の始まりの口上。三寸世界を発動させる気だ。
しかしあれは発動までに時間がかかる。まだ世界を構築するには時間がいるだろう。
「嘘か
焦りのせいで忘れていた。騙り部の能力は三寸世界だけじゃない。それ以外にも能力がある。
生い茂る木々を揺らしながら大きな体をした野生動物が飛び出してくる。
その姿を見た瞬間、体が硬直する。
「なんで……倒したはずなのに……?」
全速力で最短距離を走る化け猿が襲いかかってくる。盾を戻すことも避けることもできなかった。受け身も取れずに地面に叩きつけられ、奴の鋭い牙が眼前に迫ってくる。
「【噓から出た実】。騙り部が今までに倒し、騙り継いでいる化物たちをこの世に創り出す能力。三寸世界と違って口上も短くてすぐに発動できる能力だよ……って聞こえてるかな?」
完敗だった。僕は手も足も出せずに騙り部に負けてしまった。
だが、それでも……。
「もう一度……もう一度お願いします!」
それでも、悔しいという気持ちはまだ残っていた。
戦意は少しもなくなっていなかった。
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