第17話 赤羽麻衣

「秋葉市の騙り部、五泉市の千日紅。そう言われるくらいこの業界では有名な家柄だよ。ほら、これが屋号の由来である植物の千日紅。さっきの人の手にあった紋様に似てるでしょ?」

 帰り道、神代が持っていた携帯端末で千日紅の写真を見せてくれる。赤羽家の庭で咲いていたものを撮ったらしい。赤、白、紫などの色とりどりの千日紅がとても美しい。

「千日紅の力は手に宿る。だからみんな手袋で手を守ってるの。人によって紋様が出る時期は違うし、片手だけの人もいれば両手の人もいる。それでも共通しているのがあの治癒能力だよ」

 千日紅の治癒能力。先ほど体験したばかりの僕も未だに半信半疑だ。

 右肩をまわしてみると痛みは感じない。本当にあの一瞬で治してしまったらしい。

「治療する時に刻印するって言われたけど、あれはどういう意味?」

「手の甲に千日紅の紋様があったでしょ。治す部分に手の平を当てるとあの印が刻まれるの。能力の仕組みは詳しくわからないけど、能力者が念じて刻印したところを治すみたいだよ」

「すごいね。だけど、千日紅の人がいたらこの世から医者は必要なくなってしまうんじゃない?」

「そうだね。だから赤羽家の人は一般人に能力を使うことを禁じている。たとえどんなに大金を積まれても治すのは化物に傷を負わされた退治屋だけ。そう決めているから大丈夫だよ」

「え? でも、表門から入ってくるお金持ちの人には治療をしているんじゃないの?」

「表門から入る人には会員制の高級マッサージ店と説明してるらしいから。もし能力を使ったとしてもそれは、肩こり腰痛や骨盤のゆがみを直すためにしか使わないんだって聞いたよ」

 なるほど。表のお客様というのは、知る人ぞ知る隠れマッサージ店に通う人たちだったのか。



「そうだ。さっきの治療費はいくら? 右肩の治療費は自分で払うよ」

 僕たちは治療を終えるとすぐに二人とも帰っていいと言われたが、いくらなんでも無料で治してくれるとは思えない。おそらく後に治療してもらっていた神代が払ってくれたのだろう。

 けれど彼女はなにも言わずにそのまま歩き続ける。

「ジャック。僕たちの間に隠し事はなしって言わなかったっけ?」

「昼間なのにその呼び方はずるいよ、キサラギ」

 ようやく観念して教えてくれた治癒料金はかなり高額だった。

 先日の日陰者と昨日の化け猿を倒したお金を合わせれば、半年くらいならなにもせずに遊んで暮らせると思った。だが今回の治療でそれが一気に吹き飛んでしまうことがわかった。

 けれど仕方ない。千日紅の力のおかげで痛みも苦しみもなく、ほんの一瞬で治してしまったのだから。これくらい安いものだ。

 退治屋は常に命をかけて仕事をしている。死んでしまったら元も子もない。祖父の死の真相と魔の関係を知るまで死ぬわけにはいかないのだ。

「気にしなくていいよ。治療費くらい私が払うから」

「それはダメだよ。僕の体の治療なんだから自分のお金で払わないと」

「私のせいで真木野を傷つけちゃったんだから。せめてもの罪滅ぼしと思ってよ」

「いやいやダメだって。金額が金額だから。神代にそんな大金を払わせるわけにはいかないよ」

 そんなやりとりを何度も続けたが、最終的に僕が折れて神代に払ってもらうことになった。

 治療費のお礼としては額が違いすぎるけれど、なにかしなければ申し訳なくて胸が痛くなる。

「やっぱり悪いからなにかごちそうするよ。そうだ、蒸気亭じょうきていに行こうか」

 秋葉駅前には秋功学園の生徒がよく利用する喫茶店『蒸気亭』があることを思い出した。モチッとして素朴な黒糖の味わいの蒸気パンがとてもおいしいのだ。

「そ、そ、それって……?」

 神代は、ひどく驚いた表情を見せる。

「どうかしたの?」

 彼女は顔を真っ赤にさせながら首を横に振る。これは行かないという意思表示かと思ったら、今度は首を縦に大きく振る。

「行きたい! で、でも、今日は、その、ちょっと……ダメ。だってこんな格好だし……」

 こんな格好だという神代の服装は灰色のパーカと黒いジーンズ、そして紺色のスニーカーを履いている。ファッションについてはあまり詳しくないが、なにもおかしくないと思う。

「似合ってると思うけど?」

「ひゃわわっ!」

 なにか変なことを言っただろうか。

 僕の共犯者はとても頼りになるが、時々わからなくなる。

 神代は髪の毛のはねた部分をいじりながら真剣に考え込む。

「や、やっぱり今日はダメ。騙り部といっしょに特訓があるから……また今度でもいい?」

 そういえばそうだった。化け猿との戦闘で負傷した僕やまだ一人で能力を使えない神代を心配した騙り部が特訓をつけてくれることになったのだ。

 邪行の影の力は、太陽が出ている昼間の時間帯は使えないため、日が暮れた夕方以降に秋葉山に集合することになっていた。

「じゃあ、お礼はまた今度だね。約束するよ」

「うん……。約束、忘れないでね」

 神代は心なしか、残念そうな顔を見せた。



 太陽が西の方角に落ちようとしている時、月が東から昇ってこようとしている。

 手首の黒いあざは今のところ痛みを感じない。だが街のどこかでパトカーのサイレンが鳴っていた。

 神代と別れて一度自宅に戻ってきた僕はでかける準備を急ぐ。動きやすい服装に着替えてから仏壇の祖父に手を合わせる。

 その後、神棚の前に立って柏手を二回打って一礼する。そこには真木野家、如月の家宝と言われている鏡が祀られている。

 僕の先祖は、その輝き月の如し、と言ったらしいが、今ではうす汚れた鏡だ。

 こんなものを拝んでなんになるのだろう。

「鏡には月の光を浴びせてやるんだよ。いいかい? 絶対に忘れるんじゃないよ」

 急に耳元で名無しさんに話しかけられた気がして驚いた。あわてて周りを見まわしても誰もいない。

 僕はイスを持ってきてそこに乗り、神棚から鏡を取り出す。乾いた布で表面の汚れを軽くふきとってから裏面も見てみる。

 鏡の裏面には不思議な紋様があしらわれている。その紋様がなにを意味しているのか、祖父も知らないと言っていた。

 鏡は月光浴がしやすいように窓の近くに置いておくことにする。



 家を出て神代と合流してから秋葉山を目指して並んで歩く。まだ太陽は落ち切っていないが、夜はすぐそこまで来ている。

 待ち合わせの秋葉山の噴水広場に着くとすでに騙り部が待っていた。今日は淡いピンク色のニットとブラウンのスカート、歩きやすいスニーカーを履いている。昨日は大人っぽい服装だが、今日は一転してかわいらしさのあふれる服装だと思った。

 隣にもう一人誰か立っている。小柄で短髪でメガネをかけた女の子だ。

「あれ、もしかしてあなた……」

 神代も気がついたようだ。

「キサラギジャックが来たからそろそろ紹介しようか。今日はこの子も特訓に参加してもらう。千日紅の赤羽麻衣あかばねまいちゃん。ちなみに彼女は秋葉市の分家ではなく五泉市の本家の子だから」

 やはりお世話になった赤羽家の少女だった。短い髪に丸みのあるメガネ、両手には手編みの赤い手袋をつけている。

 見ているだけで汗が出てきそうだが、大切な手になにかあってはいけないからこうして守っているのだろう。

「本家の子がどうして分家にいるの?」

「ふふふ。それはいろいろ事情があるんだよ。」

「じゃあ今日ここにいるのは、もしも私たちがケガした時に治療するため?」

「ふふふ。それもいろいろ事情があるんだよ。今は聞かないであげてほしいなぁ」

 騙り部は笑ってごまかす。おしゃべりな彼女でも決して言えないことがあるらしい。



 僕と神代はそれぞれ自己紹介をする。

 それから千日紅の少女、赤羽麻衣が昼間と同じように小さな声であいさつする。

「できれば私のことは麻衣と呼んでください。よろしくお願いします」

 両手を体の正面で交差させて丁寧にお辞儀する。

「自己紹介は終わったね。それじゃあ特訓開始。これから先は絶対に足を止めたらダメだよ?」

 騙り部が先頭に立って階段を上っていく。その後ろを神代、僕、麻衣と続いていく。

 しばらく歩くことになるだろうと覚悟していたら、騙り部は最初の階段を上り終えてすぐにある庭園へ向かう。そちらは道がなくて行き止まりになってしまうはずだ。

 それでも彼女は止まらない。なにか声をかけようと思ったが、急に煙や霧のような白い幕が視界に広がる。かろうじて前を進む神代の背中は見えるのでそのままついていく。

 そろそろ休憩所のお堂があり、その先には進めないと思った。だが、白い幕が邪魔してよく見えない。後ろの麻衣がついてきているか振り返ると、そちらも真っ白でなにも見えない。

「嘘だろ……」

 思わず足を止めてしまった。

 何度も遊びにきたことのある秋葉山で遭難してしまうなんて。

 どうすればいい。どこに進めばいいのか。

 右も左も前も後ろも頭の中も真っ白でわからない。

「キサラギさん? 大丈夫ですか? こっちですよ。私の手をつかんでいてください」

 小さいけれど聞き覚えのある女の子の声が聞こえる。

「ごめん。ありがとう」

 年下の女子中学生に手を引かれてなんとか進むべき道を見つけられた男子高校生。情けない。



 その後もしばらく白い幕が続いていたが、麻衣はしっかりとした足取りで進んでいく。

 ようやく視界が開けた時、そこには緑が生い茂った森林が飛び込んできた。奥には大きな木造の屋敷があり、隣には頑丈な門の付いた蔵まである。

 これはもしやマヨイガというやつか?

「ふふふ。残念でした。ここは騙り部一門の本家。そして今日の特訓場所でもあるんだよ」

 騙り部が笑みを浮かべて話しかけてくる。

「ちょっとキサラギ。いつまで麻衣ちゃんの手を握ってるつもりなの?」

 神代の言葉は放心状態の僕を目覚めさせるには十分だった。すぐに手を離して事情を聞く。

「さっきのはなんだったんですか? 急に白い幕みたいなのが出てきて視界を奪われて……」

「あれは騙り部の能力の一つ。対象者を霧で包み込んで進む方向を惑わしてしまうんだ。でも、真っすぐ歩き続ければ問題ない。言ったはずだよ。これから先は足を止めたらダメだって」

 たしかにあの時、騙り部は特訓開始と言っていた。

 つまりあの瞬間から特訓は始まっていたのだ。

 それなのに僕が足を止めてしまったせいで、どこを進めばいいのかわからなくなった。

 甘かった。麻衣が手を差し出してくれなければ僕はどうなっていただろう。

 これからはもっと気を引き締めて特訓に臨まないといけない。本番ではなにが起こるかわからないのだから。

「あそこは騙り部の自宅ですか? いつもここから登校してるんですか?」

 赤羽の分家に負けないくらい立派な騙り部一門の屋敷を指して聞く。

「昔はここに親族全員で暮らしていたらしいけど、今は別のところに住んでいるよ。でも、秋葉山の管理を任されているから定期的にここを訪れて異変がないか確認しているんだ。まあ、秋葉山の地図には載っていないし、特殊な道を通らないと絶対に見つけられないけどね」

 また三寸世界で別の世界に引きずり込まれたのかと疑ったが、ここは秋葉山のどこからしい。



「そろそろ本格的な特訓に入ろうか。それぞれに合ったメニューを考えてきたから伝えるよ。まずはジャック。君はキサラギがいなくても悪喰を出せるように瞑想。能力は気力体力に左右される。そして今の君に必要なのは強い精神力。鍛えたらきっと一人で出せるようになるよ」

 ジャックは真剣な表情でうなずいて座禅を組む。もうすでに集中しているようで、こちらが話しかけてはいけない雰囲気だった。

「次にキサラギ。君はもう一人で戦えることができるから瞑想は必要ない。でも君に圧倒的に足りないものがある。それは自分の能力に関する知識とそれを使っての戦闘という経験だよ。私といっしょに模擬戦をしてもらう。これからは私を敵と考えて偽姉おねえちゃんと呼ぶように」

「はい、偽姉ちゃん……え?」

「うんうん、私があなたの偽姉ちゃんだよ。いっしょにがんばろうね」

 すぐ近くにいる神代も麻衣も顔を背けているが、笑いをこらえているのがよくわかった。

 僕は冷静になって考える。騙り部は自身を偽姉と呼ばせることで家族や女性として認識させ、攻めにくくする作戦かもしれない。歩き出した時点で特訓が始まっていたように、もうすでに勝負は始まっているのだ。おそらくこれは騙り部の得意とする心理的戦術だろう。

「それから麻衣ちゃんは……」

「あの、すみません。騙り部さん。今日はお二人の特訓を見ていてもいいですか?」

「いいけど、近くだと危ないから遠くから見ているんだよ? 約束できる?」

 麻衣はうなずいてからできるだけ遠くに離れる。

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