第12話 魔

 騙り部が創り出した三寸世界から現実世界になんとか戻ってこられた。

 夢や幻を見せられていたとしか思えない体験だった。

 能力が発動する直前まで化け猿がいたところを見る。えぐられた土や大きな足跡、石や木の枝など、そこかしこに僕たちが争った痕跡こんせきがはっきり残っている。

 それなのに、化け猿の死体がどこにもない。いったいどうして……?

「騙り部一門には昔から『騙り継ぐ』という風習がある。それは、騙り部が退治した化物を後世に伝えるため。すべての情報は一門の間で共有され、誰かが亡くなってもまた別の騙り部が騙り継ぎ、次の世代そのまた次の世代へと騙り継がれていく。騙り部の命は尽きても騙り部一門の命は決して尽きることがない。どれほどの時が経っても騙り継がれるんだよ」

 先ほど三寸世界の中で騙り部と猿が会話していたのは、そういうことだったのか。

「三寸世界は、人間でも化物でも肉体ごと転移させる虚構の世界。そこには、これまで騙り部一門が倒してきた化物たちがいる。私たちは殺した化物のことを絶対に忘れない。それは、あの化け猿も同じだよ。もうこの世にいないけれど、彼という存在がいたことは必ず騙り継ぐ」

 騙り部は、手に持っていた古くて分厚い本を愛おしそうになでている。



「失敗作だったか」



 頭上から声が聞こえる。

 男とも女とも判断がつかない奇妙な声だった。



「離れて!」

 言うが早いか動くが早いか、騙り部が後方に跳びながら叫ぶ。

 遅れた僕と神代もすぐに離れようとする。

 だが、これまでの戦闘や三寸世界に転移して疲れているせいか、足が思うように動いてくれない。それでも、なんとか距離をとる。



 声がした方を見上げると、そこには黒いマントに身を包んだ女の子が木の枝に座っていた。一見すると海外漫画のヒーローのコスプレをしている少女に見える。

 しかし、こんな夜遅くに子どもが一人でいるなんておかしい。それに、先ほどから両手首の黒いあざがずっと痛みを発している。

「悪喰! 行きなさい!」

 神代が木の上の少女を敵だと判断して悪喰を飛ばす。いつものように蛇行するように空を飛ぶ。だが動きが遅い。そのうち方向も定まらなくなり、ついには地面に落下してしまう。

「さっきの戦闘で気力体力を使い果たしたんだ」

 騙り部が神代の不調の原因を小声で告げる。

 言われてみれば影の盾も、さっきまでと比べて小さくなっている気がする。これでは僕が飛ばしても悪喰と同じように途中で落ちるだろう。

「ふふふ。今夜は眠らせてもらえそうにないなぁ」

 騙り部はこんな状況なのに笑ってみせる。

 いや、こんな状況だからこそ笑ったのだ。

 敵に僕たちがまともに戦えないということを知られてはいけない。

 それを気づかれないためにあえて笑みを浮かべて明るい声で話すことで、余裕のあるふりをしているのだ。



「騙り部! 僕がついてます! いっしょにあいつを倒しましょう!」

 右肩は痛いし、手首も痛いし、体の震えは止まらない。

 それでもまだ気力だけは残っている。

「ふふふ。そんな姿を見せられたら好きになっちゃうよ」

 騙り部は楽しそうに、うれしそうに、微笑んでいる。

 それから木の上の少女に向かって頭を深々と下げながら名乗る。

「初めまして。私は騙り部。嘘しか言わない騙り部だ。あなたは魔。そうでしょ?」

 騙り部が急に信じられないことを言い出したので驚く。

 あの黒いマント姿の女の子が魔?

 たしかに黒いあざが痛むのは、日陰者と魔が出現した時だと聞いている。け

 れど、魔という化物はあんな人間に近い姿をしているのか。あれでは人間と化物の判別がつかない。

「魔っていうのは虫のようなものさ。いつでもどこでも生まれる。ほとんどは蚊や蜂のように悪玉を刺しやすい虫に化けている。そのかわり知能も生命力も低いからすぐに死んでしまう。あんなのは見たことがない。だけど、あいつは日陰者じゃない。私の五感が魔だと言っている」

「お前らが俺たちを魔と呼んでいるのは知っている。だが他の失敗作と俺を同じにするな」

 木の上の魔が面倒くさそうに口を開く。見た目は人間の少女でも声は男とも女ともつかない。

「それは、お猿さんのことを言っているのかな?」

「バカか。それ以外にあると思うのか」

「実験体……ね。それは、人間以外の動物の悪玉を刺すとどうなるのかという実験かな?」

「バカか。わかっていることを聞くな」

 魔は罵倒の言葉を使うが、感情はまったくこもっていない。

 騙り部は冷静に話しているように聞こえるが、そこには強い感情がこもっているように感じた。それは怒りだ。

「猿の影が日陰者にならなくて猿自身が化物になってしまったから失敗だって言うのか?」

「降りてきなさい! あなたには聞きたいことがたくさんあるんだから!」

 魔の心ない言葉に怒りを覚えた僕や神代も会話に加わる。

 しかし魔はなにも言わない。反応すらしない。



「おい。バカ共を静かにさせろ」

 魔が騙り部に対して命令する。

「仲間のことを悪く言わないでほしいなぁ。それで、君はどうしてこんなことをしてるの?」

「教えてほしいのか? それなら俺たちに協力しろ。?」

 騙り部はその問いかけに答えない。

「バカか」

 少女はしびれを切らしたのか、無感情の言葉の刃を投げる。

 同時に、真っ黒な刃物が飛ばされるのを見た。

 すぐ影の盾を向かわせるが、僕も疲れているせいで盾の動きが遅い。

「騙り部!」

 彼女は、すぐに頭上に視線を戻す。暗闇にまぎれて刃が飛んでくるのが見えたらしい。即座に後ろへ飛んで回避する。

「バカめ」

 また感情のこもっていない罵倒、そして黒い刃物をもう一本飛ばす。

 それは騙り部の胸めがけて一直線に飛んでいく。

 どんな天才でも、空中ではどうしたって攻撃を避けられない。



「悪喰! 今すぐ騙り部を守りなさい!」

 地面に落ちてそのままだった悪喰に命令する。だが黒い球体は動く気配がない。神代が何度も声に出したり念じたりしても動かない。

「影の盾! 動けぇ!」

 ゆっくりふらふらと盾が飛ぶ。それは墜落しかけた未確認飛行物体のようにも見えた。

 しかし、あとわずかというところで飛行する盾が空中で止まってしまう。

 なんで、と一瞬思ってからすぐに可動範囲のことを思い出す。

 それなら僕が前に進めば盾が進める範囲もわずかに広がるはずだ。

 そう考えてすぐに大きな一歩を踏み出す。



「あっ」

 気力体力を使い果たした神代がか細い声をもらした。

 最初はなんのことか気づかなかった。

 けれど、すぐにわかった。ずっとつながっていた僕の左手と神代の右手が離れてしまっていたのだ。

 邪行の影の力は、共犯関係にある者同士が手をつないでいないと使えない。

 その瞬間、悪喰は音もなく消え去ってしまう。

 そして影の盾もまた同じように消えかかっている。

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