第11話 三寸世界
神代は静かに告げる。
「能力解除」
こちらに戻ろうと飛んでいた悪喰が一瞬にして消える。
そして……。
「残さず食べなさい! 悪喰!」
再び能力を発動させる。悪喰が出てきたのは、神代の背後だ。
邪行の力は自分の影を使う。
それなら一度能力を解除してもう一度発動させた時、悪喰や影の盾はどこに現れるのか。
結果は予想通り、自身の影として能力者のすぐそばに現れた。
突如悪喰が出現したことで化け猿は驚いて止まる。
だがもう遅い。悪喰は真っ赤に光る目で今夜のごちそうを捕捉し、大きな口を開けて鋭く黒い牙を突き立てる。
「グギャアアアアアアアアアアアアア!」
かん高い悲鳴が秋葉山に響き渡る。
化け猿の右腕がボトリと落ち、緑の芝生の地面は血で赤く染まる。
「くっ……ごめんなさい……」
神代が辛そうな表情をしながら謝る。
化け猿は、残った左腕と両足を引きずりながら逃げるように歩く。
見ているのが辛い。だが、決して目をそらすわけにはいかない。
これはキサラギジャックの罪だから。悪に手を染めた僕らの邪な行いだから。
彼女のご先祖様がどうして邪行なんて屋号を付けたのか。今ならわかる。日陰者を倒した時にはなかった罪悪感がそれを教えてくれる。
「ううっ……ぐっ……」
急に吐き気をもよおす。胃袋の底から胃液がこみあげてくるのをなんとか抑え込む。
先ほどまで互いに殺すか殺されるかという死闘を繰り広げていたというのに。
僕は死というものを、化物を殺すということを理解していなかった。そして悪に手を染めることや邪行の仕事をすることへの覚悟ができていなかったのだ。
バカだ。僕はバカだ。
しかし、こんなバカでもやるべきことはわかっているつもりだ。
「最期は僕がやる」
共犯者は罪を共有するものだ。彼女一人だけに罪を背負わせるわけにもいかない。この状態なら影の盾でも強い打撃を与えてやれば絶命させられるだろう。
「待って。倒すなら私のやり方でやると最初に決めたはずだよ」
騙り部が化け猿と向かい合う。
しかし、それでは彼女に嫌な役目を負わせることになる。
「キサラギ。ここは騙り部に任せよう」
「でも……」
「大丈夫。あいつは騙り部だから」
神代は真剣な表情でそれだけ告げる。僕は黙ってうなずいた。
「グギャアアアオ……」
化け猿は残りの命を燃やすかのように叫ぶ。だがその声は、小さくて弱々しいものだった。
それを見た騙り部は、にっこりと笑う。
弱っている姿を見て悦にひたっているわけではないことだけはわかる。分厚い本を開いてゆっくり自分の顔の前に持ってくる。
「立てば偽者、座れば虚像、歩く姿は都市伝説。嘘しか言わない騙り部。それが騙り部一門」
詩を紡ぐように、歌を歌うように、物語をつづるように、美しい声で口上を述べ始める。
「私は騙り部。嘘しか言わない騙り部。私が靴のかかとを三回打ち鳴らしても、世界はなにも変わりはしない。けれども私が三回嘘つきゃ世界は変わる。くるくる変わる」
独特なセリフまわしとテンポの良いリズム。
見る人聞く人の心を躍らせるような口上がどんどん述べられていく。
「奇妙、奇天烈、奇々怪々、愉快、痛快、私が創るは虚構の世界。不思議、不可思議、摩訶不思議、そこで起こるは不可解なことばかり。さあて、今宵の世界はどんな世界?」
その見事な騙り口に聞きほれる。親が子に子守唄を歌って聞かせるような、恋人たちが睦言を交わすような、いつまでも聞いていたいと思わせる聞き心地だった。
「そろそろ来るよ。意識をもっていかれないように気をつけて」
神代の呼びかけにハッとする。
騙り部の口上に耳だけでなく心まで奪われかけていた。
だが来るとは……いったいなにが来るのだろう。
「さあさあ。皆さま、ごゆっくりお楽しみください。ようこそ、騙り部の三寸世界へ」
騙り部は、最後にそう言って口上を締めくくった。
緊張と疲れで忘れかけていた右肩が急に痛みだす。なんとか目をつむって歯を食いしばって耐えた。だが再び目を開けた時、僕らをとりまく世界は変わっていた。
「なんだ……これ……?」
目の前には豊かな自然が広がる山の風景。だがここは秋葉山でないとすぐに気づく。
「騙り部一門に古くから伝わるという能力。騙り部が頭の中で思い描いた世界を創り出して、そこに人間でも化物でもなんでも肉体ごと引きずり込む能力。それがこの三寸世界」
それを聞いてすぐに理解できた。
昨日までの自分なら信じられなかったが、今の自分にはそれだけの説明でもう十分だった。
冷静になった頭でもう一度周囲を見まわすと悪喰も影の盾もちゃんとある。
だがこの世界を創ったという騙り部の姿が見えない。
それに、致命傷を負って
まさか僕らに見えないところで殺すためにこんな世界を創ったのか。
「あれあれ? 二人ともこんなところにいたの? もう探したよぉ」
聞き覚えのある声が耳に届く。
「バカタリベ! 三寸世界に引きずり込むならちゃんとした場所にして!」
「やだなぁ。せめて転移って言ってほしいなぁ」
「私はともかくキサラギは初めてなんだから。はぐれたらどうするつもりだったの!」
「ごめんごめん。今回は私が創った世界というより彼の望みを叶えるために創った世界だから。いつもより難しかったんだ。だけど、二人とも無事でよかったぁ」
「あの、いろいろ聞きたいことはあるんですけど、ここはいったいどこなんですか?」
「あれあれ? ジャックから聞いてない? ここは三寸世界。私が創り出した虚構の世界だよ。初代騙り部の言語朗が秋葉山の化物と騙し合いをした時も使ったと言われる能力なんだ。別の言葉を使うなら、結界とか亜空間、異界とか異世界とも言うかな。すごいでしょ?」
「たしかにすごいですけど……ここはどこですか? 秋葉山ではないですよね?」
近くにあった大きな木の幹や葉っぱを触ってみる。感触は本物の木と同じように思える。
「山の名前はわからないけど、ここは化け猿……いや、あのお猿さんの生まれ故郷の山だよ」
騙り部の表情は、どこか悲しげに見えた。そして続けて言う。
「じゃあ、二人とも行こうか。あのお猿さんの最期の姿を見届けてあげよう」
それを聞いた僕と神代は、現実世界に引き戻されたような気分になる。
騙り部はゆっくりと歩き出したのでその後を少し遅れてついていく。
三寸世界は青い空があり、遠くまで見渡すことができて、どこまでも走っていけそうだ。
「キキィー!」
あの化け猿の鳴き声が聞こえてきた。
僕と神代は影の盾と悪喰にいつでも攻撃できるように準備する。
「大丈夫だよ。もう、戦わなくていいんだ。すべて終わったから……」
騙り部は前を向いたまま歩きながら告げる。その声はどこか悲しげに聞こえた。
森を抜けて着いた先にはやはり温泉があった。そこでは体の大きさも見た目もさまざまな猿たちが気持ちよさそうに入浴している。
だが化け猿の姿が見えない。いくら似たような見た目の猿たちばかりとはいっても、あの化け猿と見分けがつかないわけがない。体が大きくて、猛獣のような牙や爪を持ち、今は片腕しかないのだから。
まさか騙り部がもう殺した?
そんな考えが脳裏によぎった時、目の前の光景が一瞬にして変わる。
先ほどまで温泉につかっていたはずの猿たちは姿を消してしまっている。
「キッキィー」
また猿の鳴き声が聞こえてくる。
僕らが通ってきたばかりの森の中からだった。いつの間に移動したのかと驚いていると、たくさんの猿たちが木の上で楽しそうに遊んでいる。そして木から木へ飛び移っていく。その中の一匹と目が合った。
すると急に方向転換して僕らのところまでやってくる。騙り部が猿と目線を合わせるようにしゃがんで話す。
「あなたがこの世に存在したということは私が騙り継ぐ。だから安心して逝くといいよ」
猿はそれを聞いて納得したようにうなずく。仲間のもとに戻り、先頭に立って猿の集団と共に走っていく。
騙り部は、その集団に向かって大きく手を振りながら真実を告げる。
「さっきのお猿さんが化け猿だよ。正確には、元化け猿というのが正しいかな」
騙り部は、遠くまで行ってしまった猿たちの後ろ姿を見ながらつぶやいた。そ
「あの猿は、この山で猿たちのボスをやっていた。そんなある日、若い猿にボスの座を奪われてしまった。猿の社会ではよくあることだし、珍しくもなんともない。しかし彼は、いつまでもボスでいたかった。だから、どんな手を使ってでもボスの座を奪いたかった」
次第に怒りや憤りといった感情が騙り部の声にこもり始める。
「そんな彼のもとにあいつが現れたのは必然だったのかもしれない」
「あいつって誰ですか?」
「魔……」
神代の口から言葉がもれる。つないでいた手には熱がこもる。目には怒りを超えた憎悪の感情があふれていた。
「ジャックの言う通り、魔が刺したんだ。悪玉を刺された猿は、強大な力を手に入れたことによりボスの座を奪い返した。しかし、周りの仲間たちが自分に恐怖していることに気づく。そこで水面に映る今の自分の姿を見て我に返った。そこには恐ろしい化物がいたんだからね」
「魔という化物は、人間の悪玉を刺して日陰者を生み出すだけじゃなかったんですか?」
疑問に思ったことをそのまま言葉にする。神代から聞いていた話と食い違いがあったから。
「私もそのことに驚いてる。今まで魔が人間以外の悪玉を刺したことなんてなかったから……」
あのおしゃべりな騙り部が言葉につまった。さらに体が左右に揺れてその場に倒れ込む。
「騙り部!」
すぐにかけ寄って介抱する。
神代がひざ枕をしてやると騙り部はうれしそうに笑う。
「せめて最期には、いい夢を見てこの世を去ってほしいというのが騙り部一門の信条だから。みんなを楽しませる嘘をつくはずの騙り部が化物を殺すという矛盾。そのせめてもの罪滅ぼし。だから、つい能力を使いすぎちゃったよ。ごめんね……。二人には……迷惑をかけちゃったね」
嘘しか言わない騙り部は、その屋号を名乗る時点ですでに矛盾している。さらに人を楽しませる嘘しか言わない騙り部は、化物を傷つけて殺すという矛盾も抱えている。
それでも僕は、秋葉山の化物退治伝説の騙り部の話が好きだ。
そして古津詩さんの話が好きだ。人間も化物も関係ない。みんなを楽しませるためならどんなことでもする魅力的な人だ。
「ふふふ」
騙り部が僕の考えを見透かすかのような笑みを浮かべている。
そういえばこの人の笑顔はやっぱり誰かに似ている。
突然、遠くの空が歪んで見えた。
最初は目の錯覚か騙り部の演出かと思ったが、空だけでなく山の形も崩れ始める。
次第に僕らの近くにある木々や温泉までその形を維持することができなくなっていく。
まるでこの世界が崩壊していくかのようだった。
「あれあれ? もう少し……保ってくれると……思ったんだけどなぁ……」
その直後、世界は消滅した。
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