第10話 口上

 僕と神代、そして敵である化け猿がまったく同じ方向を見る。

 三つの視線が重なる先にいたのは、美しく怪しげな雰囲気を放つ人間の女性だった。

「千と一夜を明かしてみれども騙り尽くせぬこの世の嘘なら騙ってみせよう命尽きるまで。舌先三寸、口八丁手八丁、この世に騙れぬものはない。騙り部一門ここにあり――」


 その容姿に違わぬ、透き通るようにきれいな声で口上を述べる騙り部。

 姿や仕草、声や調子、それらすべてが彼女の美しさを際立たせる。その光景を見たら男も女も人間も化物も、誰もが言葉を失い見とれるだろう。


「今宵ご覧いただく演目は秋葉山化物退治伝説異聞でございます。この頃秋葉に流行るもの。化け猿、魔、日陰者。これらを退治しますは、結成わずか一日の期待の新星キサラギジャック。そしてこの私、嘘しか言わない騙り部でございます。皆さま、最後までお楽しみください」

 騙り部は芝生の広場の中心に立ち、分厚い本を開いて物語を読んで聞かせる。

 それから一度本を閉じて脇に抱えて深々とお辞儀する。

「あれが騙り部の戦い方。ううん、古津詩の戦い方と言うのが合っているかな。あいつは天才。見る者すべてを騙してしまう嘘つき。騙すことにかけては右に出る者がいない騙り部だもの」

「これがあの……伝説の騙り部の戦い……」

 騙り部の突然の奇行に面食らったのは化け猿も同じである。

 だがすぐに落ち着きを取り戻したのか、再び走り出す。

 狙うはもちろん、無防備に立っている彼女である。

「危ないっ!」

 影の盾を動かして守ろうとするが、神代から静止させるよう指示される。



 その指示の意味はすぐにわかった。

 騙り部は化け猿の攻撃をすべて避けている。しかも本を開いて文章を読み上げながら避け続けている。化け猿のひっかきも噛みつきも難なくかわす。

 敵はまったく当たらない攻撃に怒りを覚えたのか、猛獣のようにうなり声をあげる。

 それでも騙り部の動きが止まることはない。

 蝶が羽ばたくようにひらひらと、踊り子が舞うようにくるくると。

 まるで舞台の上でいろいろな役を演じる役者のようだと思った。 

「舞台を整えるとか役作り脚本作りとか、もしかして……」

 芝生広場で化け猿相手に一人で立ちまわっている騙り部を見て気づいた。

 おそらくこれは、騙り部が作った脚本をもとに進行している舞台なのだろう

「あれあれ? 先ほどまでの威勢はどこへいったのかな? お猿さんこちら。手の鳴る方へ」

 先ほどの口上とは打って変わって騙り部は幼げな声音で話す。

 まるで子どもが友達をからかうような、いっしょに遊びに興じているような騙り口である。



 その挑発を聞いた化け猿は怒りに任せて突進する。直撃したら即死するかもしれない。

 だが彼女は、猿の鼻頭に手を添えてクルッと一回転させてしまう。

 化け猿はなにをされたのかわからず放心状態におちいる。すぐに意識を取り戻してきょろきょろと周囲を見まわす。そしてまた勢いよく突撃する。

 それでも騙り部は、まったく動じない。今度は鼻歌まじりに猿の手をつかんで地面に転がす。

 その様子は、まるで大道芸の猿まわしのようだと思った。

「あはは」

 戦いの最中なのに、右肩の痛みも忘れて笑ってしまった。

「騙り部の嘘は人を楽しませる嘘。だから化物退治の時もまた人を楽しませる戦い方をする」

 神代は、悪喰をそばにひかえさせて騙り部について語る。

「一つついては人のため。二つついては街のため。嘘に嘘を重ねて嘘八百。それだけついてもまだ足りない。ならば騙ってみせよう命尽きるまで。それが騙り部の生き様だから!」

 騙り部は晴れやかな笑顔を浮かべ、明るい声色で騙ってみせた。

 彼女の堂々とした立ち姿と振る舞い、その見事な騙りぶりに魅了される。

「騙り部……嘘しか言わない騙り部……」

 思わず彼女の屋号が口から出ていた。

 ああ、この人はすごい。本当にすごい。

 言葉にならない感動がどんどん押し寄せてくる。



「物語は終わらない。続くよ続く、いつまでも。さあさあ。あなたの心を見せてくれる?」

 騙り部は開いた本で顔を隠しながら切れ長な目だけ出している。

 その目を見たら、いたずらっ子のような笑みを浮かべているに違いないと思った。

「グラアァァ!」

 化け猿は荒い息とだ液をいっしょに吐き出しながら叫ぶ。二本の足で立ち上がり、両手を広げて大きな体をより巨大に見せる。それからゆっくりとした歩みで向かっていく。

 あんなものを目の前にしたら誰だって恐怖で足がすくんでしまう。山中で熊に出会ってしまった登山者のように。遠くで見ている僕でさえ足が震えるくらいだ。ほんの数メートルの距離で向かい合っている騙り部が感じている恐怖は計り知れない。

「ねぇ、あなたは誰?」

 しかし騙り部は、まったく動じていない。それどころか、まじめな顔で変なことを聞く。

「あなたは誰? あなたはどこで生まれ育ったの? ねぇ教えて?」

 続けて同じことを聞く。どうしてそんなことを聞くのかと不思議に思った。あいつは化物。野生の猿が化物になったものではないのか。だが、もっと不思議なことに化け猿が止まった。

「お、お、お、おお、おれは……俺はぁ……!」

 猛獣か化物のような叫び声しかあげなかった奴がまた人間の言葉を使い始めた。

 最初に姿を現した時と同じである。その後すぐに我を失ったようにうなり声をあげ、会話することはできなくなってしまった。けれど、なぜ今になってまた人語を使うのか。

「私の家は、この山の管理をずっと昔から任されている。だからわかるよ。あなたは秋葉山の生まれじゃない。この山で育った猿とは毛並みも体格も違う。あなたは別の山で生まれた。そしてあなたは、その山の猿たちの中で一番えらかったんじゃない?」

 騙り部は優しい声音で化け猿に語りかける。

「おお……おおおお……おおう……! おおぉぉぉ!」

 化け猿が空を見上げてうなる。

「これが騙り部一門の戦い方なの?」

「そう。でもあいつは歴代の騙り部の中でも異質だよ。あいつは騙り聞かせるだけでなく、そのうえ演じて魅せる。だけど普通に考えたらなにもおかしなことはないよね。古津詩は騙り部であり役者でもあるんだから。本当にあいつは……変態で天才ね」

 神代は笑いながら。

「グギギ! ギギイィィ!」

 騙り部がこちらを向いたことで一瞬の隙が生まれた。ほんの一瞬とはいえ、それを見逃すほど化け猿は甘くなかった。奴はすごい速さで森の中に走っていって隠れてしまう。

 先ほどの呼びかけで化物も我に返って冷静になったかと思ったが、やはりダメだったか。

「あれあれ? もうおしまい? それともキサラギジャックを狙いにいったのかな?」

 騙り部は、本のページをめくりながらこちらに注意を促す。



「準備はできてる?」

「いつでも行けるよ」

 僕の左手と彼女の右手は、決して離れないようにつながっている。

「行きなさい! 悪喰!」

「来い! 影の盾!」

 真っ黒で楕円形の化物が目を光らせながら森へ向かっていく。

 黒くて丸い盾は、近くに残して守備にまわらせる。

「ジャックの悪喰とキサラギの影の盾。攻守一体のキサラギジャックは、いったいどんな活躍を見せてくれるのかしらん。きっと皆さまに最高の舞台をお見せすることができるでしょう」

 騙り部がこちらの考えを見透かしたように合いの手を入れてくる。それだけで心強い。

 きっと僕と神代も騙り部の物語の登場人物を演じる役者として組み込まれているのだろう。

 だがキサラギジャックは助演だ。今夜の主演はもちろん、騙り部こと古津詩さんである。

 森の奥で草木をかきわけて進む音が聞こえてくる。また同じ手だ。

 わざと大きな音をたてて位置をつかませないようにしている。

 これに惑わされてはいけない。落ち着いて対処しよう。 

 今度は空から石や木の枝が降り始める。

 騙り部に目配せすると彼女は黙ってうなずいた。

 僕は自分たちを守ることに集中する。これで盾は頭上に浮かせることになり、どこからでも攻撃を受けてしまう危険な状態になった。



「ギアアアァァァァ!」

 この機会を狙っていたと言わんばかりに敵役である化け猿が突進してくる。

 まだ落下物があるので盾は頭上に置いたままでないといけない。

 悪喰は正反対の方の森にいるからすぐには戻れない。

 このままではまた化け猿に襲われてしまう。

 騙り部がこちらを見ている。僕は首を横に振って大丈夫だと伝える。

 今度は神代と見つめ合ってうなずき合う。きっとお互いの考えは通じているはず。

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